幕間

暗転

 ――すまなかったと、病の床で、都主みやこぬしは言った。


 元々身体の具合が良くなかったらしい都主は、アララギが絡繰灯龍からくりどうろうの討伐完了を知らせたときから、緊張の糸が切れたかのように、急激に体力を失っていった。


 そしてアララギの城での立場もまた、急速に悪化した。絡繰灯龍の討伐直後が最高で、その後は落ちるばかりだったが、珠姫たまひめの死が、その勢いに拍車をかけた。


 単身化け物を殺せるあれも化け物だ、珠姫様はその犠牲になったのだと、城の符術師ふじゅつしたちは言い立てた。絡繰灯龍がいなくなり、アララギにしか倒せない妖がいなくなったことで、符術師たちは正面切って、アララギの排斥に動き出していた。


 アララギは、気にしなかった。排斥には慣れている。絡繰灯龍が消えた以上、城に留まる意味もなかった。化け物だと恐れられるなら、都を出てもかまわなかった。むしろ都を出て、絡繰灯龍に代わる、命懸けの戦いができる相手を探さなければならないと思っていた。あの慕わしい花の香りを、香神木こうしんぼくの守護を感じることができるのは、命の危機に瀕したときだけなのだから。


 けれど、動く気力が湧いてこなかった。――無意識のうちに、絡繰灯龍に代わる好敵手などもう見つからないと、悟ってしまっていたのかもしれない。

 珠姫が死んだことで花の大臣の屋敷へ通う必要もなくなり、都の夜の見回りにも呼ばれることがなくなって、ただ寮の中で、飼い殺しのような日々を送っていた。


 そんなとき、都主の呼び出しがかかった。


   ◇


 通されたのは、いつもの広間よりさらに奥、都主の寝間だった。朝方にもかかわらず仕切りの板戸を締め切って、暗がりに灯明台とうみょうだいの火が、細く儚く揺れていた。むっともった空気には、薬湯と垢の臭いが染み着いていた。自分をこの場へ呼び寄せるためには、無理を通しただろうなと思った。


 都主は、板張りの寝間の中央、そこだけ畳が敷かれた上の錦布団にうずもれて、枯れ木のように横たわったまま、じっと天井を見つめていた。

 そして彼は、ぽつりと言った。――すまなかった、と。


「符術師たちがおまえを受け入れられぬだろうことは、はじめからわかっていたのだ」


 都主の顔が、アララギに向いた。落ちくぼんだ目にアララギを映して、懺悔のように、言葉を続けた。


「同じ呪符というものを扱いながら、都の符術とはまるで違う、それでいて絶大な力を操るそなたを、符術師たちはとうてい認められぬだろうし、認めるわけにもいかぬだろう。反発があるのはわかっていた。それでも、この座を息子に譲る前にどうしても、あの明確な外敵を――絡繰灯龍を倒しておいてやりたかった」


 そこの台を確認してくれ、と言われてアララギがそこを探ると、紐で口を縛られた、ずしりと重い袋があった。持った感触が、これまで幾度となく渡された、金子きんすの入った袋と同じものだった。絡繰灯龍を倒したときの褒賞と同じほどの重みがあった。


「アララギや、いきなさい」


 そう告げた都主はまた、暗い天井に目を向けていた。


「息子にはようよう言い聞かせたが、あれは短慮なところがある。周囲の言葉に煽られて、儂の死んだ後、そなたに対して、恩を仇で返す真似をせぬとは言いきれん。しかし、新都主の披露目には何かと時間がかかる。まだ儂の息がある今のうち、どこへとも知れずいなくなれば、連日の祝賀行事にかまけて、皆がそなたにかまうことはあるまい」


 ――すまなかった。息を吐ききるようにつむがれた二度めの謝罪を聞きながら、アララギはそっと、布袋を元の場所に戻した。


「謝られることなど何もありません。僕が選んで進んだ道です。――むしろ」


 都主の視界に入る場所まで戻り、アララギは静かに頭を下げた。


「これまで僕に生きる場所を与えてくださり、ありがとうございました」


 その翌日の、まだ夜も明けきらぬうち、アララギはひっそりと都を後にした。足は自然と、香神木の社に向かっていた。


 道中の風の噂で、都主が死んだと知った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る