四 ミズキ
いじけ者の嘆き
「
「あのアララギに懸想なさって、叶わぬ思いに身を焦がされた末のことだそうですよ」
「まあ、なんということ」
ささめく声が、耳を虚ろに通り過ぎていく。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
あの日からずっと、そればかり思い続けている。
◇
ミズキは、都の
父も祖父も曾祖父も符術師であった家において、ミズキもまた当然のように、符術師への道を進んだ。
ミズキの上には兄がいたけれど、病で早くに亡くなっていて、ミズキはその後しばらく経ってようやく生まれた跡継ぎだったから、祖父はミズキに期待を寄せた。
都に仕える符術師は基本的に世襲制で、父や祖父の跡を継ぐ。ただし、術の正統を乱さぬため、符術を他人に教授することが許されるのは、符術師長の免状を得た、一握りの符術師だけだ。ミズキの祖父は、その免状を持つ一握りだった。
ミズキが物心つく頃にはすでに現役を退いていた祖父は、ミズキ専属の符術の師として、幼い孫に、熱心に符術を教え込んだ。
――「符術とは、古からの人々の、知恵と鍛錬の結晶だ」。
――「この符には退魔の効果がある。この符には破邪の効果がある」。
――「先人より受け継がれてきた知恵と経験の積み重ね、その上に符術は発動する。扱う者が正しい知識を持っていなければ、符はたんなる紙切れにすぎん。その符が過去にどう使われて、どういう効果をもたらしてきたか、そこを知らずに投げたところで、小鬼一匹散らせはせんのだ」。
――「集中! 心ここにあらずで書いた呪符に正しい力は宿らん! そんなものを実戦で放てばたちまち命を落とすぞ!」
――「おお、よく書けている。幼い子はまず綺麗な文字を書くことから難しいというのに、おまえは見込みがある」。
祖父は厳しい人だったが、そのぶん、撫でてくれるときの、不器用な手が好きだった。
符術師は、用いる
月のうちで決められた日の、夜明け前から
いざ紙に
大変ではあったけれど、何度も繰り返すうちに慣れた。型通りの行動はミズキにとって負担ではなく、むしろ得意だと思えた。
――「遊びたいさかりだろうに、おまえは賢い子だ。おまえの父がおまえくらいのときなぞ、おとなしく座っていることすら嫌がって、しょっちゅう修行を逃げ出したものだ」。
書き終えた符を神妙に差し出したミズキの頭を撫でて、祖父はそう、目元をやわらげた。
祖父の言う通り従っていれば、賢い子だと、見込みがあると言ってもらえた。だから自分でも、そうなのだと思っていた。
――けれどそうして、まじめに符術の教授を受けて、符の書き方を、振るい方を身につけたところで。
結局ミズキは、特別な者になれはしなかった。
◇
祖父の教えを受けること十年、十四になったその年に、ミズキは城へ出仕した。
仕官したての符術師には、それまでの教授役とは別に、監督としての師匠がつく。ミズキについてくれたのは、祖父の同期だったという、高齢の符術師だった。
「あれは教えるのがうまいが、わしはそっちはてんでなのでなあ。まだ現場にいるほうが向いている」
開口一番、そう言って白髪頭を掻いたその人は、ミズキを見てにかりと笑った。
「――と、そんなことを言えば不安にさせるか。まあ、気楽に慣れていけばよい」
祖父とは違い、大らかな人だった。しかし、妖にはめっぽう強かった。
「ま、経験だな」
ミズキはそれまで家で符術を学んではいたが、実戦の経験はひとつもなかった。目の前で、師匠の放った呪符一枚が、都の入り口に現れた、巨大な髑髏に猿の胴と蛇の尾が生えたような妖を一撃で吹き飛ばしたことに、ただあんぐりと口を開けた。そんなミズキを振り返って、師匠は呵々大笑した。
「だが、おまえの符も真面目な良い符だぞ。さすがあいつの教えを受けただけのことはある。きっと今のような妖くらい、すぐ一人で倒せるようになる」
そうしてしばらくの後に、ミズキは自分の放った呪符によって、初めて妖を退治した。
蛙の頭に干からびた鼠の胴体をした、さして害にもならない妖だった。現れた場所が城の敷地内だったので、符術師が即座に退治に向かっただけだった。
実体を持たないものたちは存在が不安定だから、手っ取り早い憑依先として、死んだ生き物の骸を根城にすることがある。そんな小物が力を増すため喰い合い取り込み合うせいで、複数種類の生き物の骸が混じったような見た目の妖が多いのだと、あとから師匠が教えてくれた。
そんな典型的な小妖が、自分の放った呪符を受けて一瞬で弾け飛んだのを見て、身体が震えた。
あのとき走った感情が恐れだったのか歓喜だったのか、それは今でもわからない。
◇
都の符術師は基本的に、
けれど一部の符術師は、貴族屋敷の警備に当たることもあった。警備とは言いながら、そこでの符術師のおもな仕事は、呪詛探しとその解除だ。とりわけ権力者であるほどに恨みを買うことも多いので、しばしば降ってくる仕事だった。
そしてあるとき、ミズキにもその命が下った。
――「明日から花の
秋晴れの日のことだった。それまでにも何度か花の屋敷の「警備」をこなしたことがあるという、珍しい女符術師と二人で、ミズキは呆れるほど大きな屋敷の門をくぐった。
都主の城だって、広大な敷地の中にいくつもの建物が点在し、それぞれが池や中庭に隔てられては渡殿や橋に繋がれており、新人はまず城の中の道を覚えるのに苦労する。が、花の屋敷も相当であることが、一歩敷地に入った時点から窺えた。そもそも都主の城が広いのは、都主の住居だけでなくて、役所たる各司寮もあるためだけれど、花の屋敷はそうではない。正真正銘、花の大臣の一族と、一族に仕える者たちが住むためだけの場所である。にもかかわらず、両腕で中庭を抱くようにして建つ巨大な母屋――だいぶ離れたところから眺めなくては、端から端までを視界に入れられない――を中心として、
「前回は
女符術師の指示を受けて、ミズキは神妙にうなずいた。符術師寮で、回収された呪詛だという、黒く煤けたような人形を見たことはあったし、そのとき先輩術師が忌々しげに、こういうものは流れの邪道術師が、妖退治と違い自分の身を危険に晒さぬ安易な商売として密かに売り歩いているのだと、吐き捨てたのも聞いていた。そういうものを、悪意を抱えた人間がこっそり購入し、呪いたい相手の屋敷に仕掛けることで、その相手や屋敷の者に、病や不幸をもたらすのだと。しかし、現に仕掛けられているところを目にしたことはなかったから、不安だったし、緊張もしていた。師匠には、呪詛は妖と違って突然襲いかかってきたりはしないのだから、気楽に行けと言われたけれど。
これだけ広い屋敷なら、まずは一周探すだけでも一苦労だと思いながら、物陰に視線を飛ばしていたときだった。
「あら、術師さんじゃなくて?」
季節はずれの春を歌う小鳥のような、声がした。
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