4. 漸近

 アコニが外を確認してから、僕とヒマワリも外に出る。

 空を見上げれば満月。アコニと出会った日もこんな風に月が明るかった気がする。

 もしかしたら、今日がアコニと出会って丁度一年くらいなのかもしれない。

 ぐぅぅ……。

「こんな時でも腹は減っちゃうんだなあ」

 そんな事を言っている場合じゃないんだけど。

 遠くからは、炎の赤色がぼんやりと。煙が空から星を消し始めている。

 雪も溶け切って、程よく乾いているこの季節。

 火事はきっとかなり広がってしまうだろう。ワイバーンが殺意剥き出しで僕の事を狙っている今、ワーウルフ達がそれを止める為に動くかどうかも分からない。それに頼ろうとは思わない方が良いけれど……動いて欲しいとも思う。

 トケイさんが結果的に僕達のせいで死んだと知られたら、どうなるか分かったもんでもないけれど、それでもあのワイバーンは手強いから。

「ブルルッ」

 さっさとしろ、というようにヒマワリがしゃがんだ。

「ありがとう」

 洞穴の中でほんの少し灯りを点けて話した事。

 ヒマワリは未だ言葉を殆ど理解していないけれど、絵を交えて説明すれば理解はしてくれたようだった。

 僕がヒマワリの背に乗れば、すっくと立ち上がる。

 何だかんだで、ヒマワリの背に乗って移動するのはこれが初めてみたいなものか。

「じゃあ、作戦の通りに」

 アコニの方を僕もヒマワリも振り返る。

「ヴルルッ……」

 ーー……気を付けて。

 不安そうな顔でそう返してきた。


 私だけが取り残される。段々と力が抜けていく感覚。祝福で繋がってなかった頃の私のいつもに戻っていく。

 ソロシーが立てた作戦を反芻する。

 冬の間にトケイさんに勝つ為に掘った洞穴の中で。真っ暗闇の中でソロシーが立てた作戦。

『囮は……僕とヒマワリだ』

 呼ばれたヒマワリが、ソロシーの方を見た。不安そうに体を動かすけれど、毒が撒き散らされるからやめてほしい。

『アコニ、ちょっとだけ、火を点けて』

『グゥ』

 ヒマワリも入ればもう余裕もない洞穴の中、ソロシーはヒマワリにも分かるように絵を描き始めた。

『ワイバーンは僕の事は知ってても、アコニとヒマワリの事は知らない。

 それが僕達が持つ一番の武器だ。

 だから……僕が囮になるべきだけれど、でも、僕だけじゃワイバーンからは逃げ切れない。

 アコニか、ヒマワリか。僕と一緒に居ないといけない。

 ……そうなると、アコニよりヒマワリなんだ』

 ヒマワリは、その体躯じゃ隠れる事は余り出来ないから。私のように背後を取れても致命の一撃を持たないから。

 それに加えて、私とソロシーは離れていても距離はある程度分かる。そこまではっきりと分かるまで、この祝福の事を色々試してはいないけれど。

 ソロシーは身振り手振りも交えながら、ヒマワリにこれからどうするのかを説明していた。

 ヒマワリも、それには目と耳を傾けていた。

 ……ただ。

 それでも、この作戦に関しては心配を隠せなかった。ワイバーンもともかくだけれど、ヒマワリにも。

 ーー……ヒマワリは、大丈夫?

 距離が離れても、私とソロシーは意思疎通が出来る。これもどのくらいかははっきりとは分かってない。

 でも私の力が、普段通りに落ちるまでは少なくとも通じている。

 ーー今の所は、大丈夫そう。

 ソロシーも確信は持てていない。

 無邪気に、好きなように生きているヒマワリは、私とソロシーが交わり始めてからは特に不機嫌で居る事が多かったから。それに、ヒマワリがとりわけ守りたいのはソロシーではなく、私だ。

 トケイが最初、私を切り捨てても良いと思っていたように。ヒマワリは今が好都合だと思って、ソロシーを切り捨てるのではないか?

 そんな疑念を拭い去る事が出来ない。

 でも、ソロシーはそんなヒマワリを信じる事に決めた。

 ーーそんなに心配しないでよ。流石にヒマワリだって、僕が死んだらアコニが許さない事くらい分かってるって。

 ……本当に?

 けれど、今、私がすべき事は。

 そろそろ追いかける事だ。隠れながら、そうしてワイバーンを挟み撃ちにする事。ソロシー達に気付いて降りてきたら、背後から噛み殺す。

『あれだけでかいなら、鎧の隙間を縫う事も簡単だろうから』

 私は、それを信じてワイバーンを殺す。


 体の脱力が落ち着いてきた。

 アコニが僕達を追いかけ始めたのだろう。

「アコニが動き始めたよ」

 ヒマワリが歩き続けながら、軽く耳を立てて、僕の方を少し振り返った。

 何故分かるんだ? と言いたげな。

 言葉も、多少は理解しているみたいだけれど。

「大丈夫、前を歩いて」

 祝福なんてものを説明するには、まだまだヒマワリは理解が足りないだろう。

 ワイバーンはまだ、僕達を見つけてはいない。その代わりに、時々爆発音が聞こえてくる。本格的に火事を起こすつもりのようだった。

 あのまま隠れていたら、きっと蒸し焼きになる末路を迎える事になったんだろうな……。

 そんな事を思う。

 ざむ、ざむ。

 ヒマワリがまた歩き始める。向かう先は、アコニの寝床。騎士の大剣を取りに行く。

 アコニが近くに居れば、今の僕はあの大剣を使える。使いこなせる訳ではないけれど、殺せる選択肢が増えるという点で、担いでいるだけでも利点はある、はずだ。

「…………」

 先程より空が明るくなっている。火事は確実に広がっている。きっと、時間が経つに連れて一気に加速していく。僕が来たからこそ、こんな事が起きてしまっている。

 僕は、きっと死んでしまったであろうトケイさんより価値のある人間なのだろうか? この事態を収める為なら、僕はこの身を捧げるべきなのではないだろうか?

 そんな事を、思わなくもない。でも。

『王子。貴方は今まで誰かに責められるような事をしてきましたか? 少なくとも、殺したいと恨まれるような事は、していない。それは私が保証します』

 騎士の、言葉。

『貴方の父親も、人々に圧政を強いている事もなかったはずです。各地を巡ってきた私が保証します。

 ですから、貴方は不当に奪われただけです。何も後ろめたいところなどありはしません』

『で、でも……僕が生きているだけで、沢山の人が死んでいく。騎士だって……こんな僕を命をかけて守るよりもっと良いような、もっと価値のあるような事を出来るはずなのに』

『……私は、私が信じられるものの為にこの剣を振るいます。唐突に反逆を志した者の創る国よりも、この国を安寧に保ってきた王の子息である貴方の方が信じられるのです。

 ですから……そんな悲しい事を言わないでください。少なくとも、私にとって、貴方は命に代えても守るべき存在なのですから』

 僕は生きようとしただけだ。これまでも、そしてきっとこれからも。

 騎士やトケイさんに守られて、助けられて、それでも四苦八苦で。本当に僕は何もしていない、はずだ。それなのに不当に奪おうとしてくる人達の言いなりになる必要はどこにもない。そっちの方が悪いに決まっている。

 ……ただ、問題は。

 ゆっくりと歩くヒマワリ。僕より、そしてもしかしたらトケイさんより長く生きているかもしれないけれど、誰よりも子供のままのヒマワリ。

 流石に、僕を見殺しにしたらアコニからももう殺意を向けられる事は分かっているとは思うけれど、それでも僕を乗せたままワイバーンから逃げてくれるとは、僕も正直確信までは出来ていない。

 振り落としてしまった。死んでしまった。悲しい顔をしていれば許してくれるだろう。

 そんな事を考えている可能性だってある。

 八割から九割。その位の信用しか置けていない。でも、それ以上の戦略を思いつけなかった。火事を起こして炙り出すなんて事をしてきた相手に逃げ続けるのも隠れ続けるのも、どうしようもない袋小路に追い込まれてしまうだけな気がした。

 僕の選択肢は正しかったのだろうか? けれど、こうして決めた以上、後は最善を尽くすしかない。

 ヒマワリを信じる。それでも僕はそう決めたんだから。

 そして。

「……着いちゃったな」

 何事も無く、アコニの寝床まで着いた。罠をすり抜けてから、ヒマワリの背から降りる。

「ありがとう」

「ブルルッ」

 ヒマワリの毒で真っ黒になった股周りと、手。拭ってから、刺客が一旦手に取ったのか、捨て置かれていた大剣を拾った。

 ずっしりと、アコニが居る時より重みが体に圧し掛かるような。

 ……やっぱり、アコニが近くに居ないとこれは振るえそうにないな。

 背中に担いで、他には毒矢と携帯食料を少しだけ手にとって。

「……じゃあ、行こうか」

 ヒマワリの方を振り返れば。空を見ていた。

 段々と、煙が増えて、星を隠し始めている空。

 一瞬遅れて僕の方を振り返る。

 ……何を考えているのか分からない。

 トケイさんと比べて、接してきた時間が短いから。ヒマワリも好き勝手に生きていたから。

 アコニとは、最初から共に生きるという意志が共有されていたから。ヒマワリとは何も共有していないから。

 ……それでも信じると決めたんだよな。

 アコニを守りたいヒマワリが、アコニが大切にしている僕を守ると信じる。

 だから、僕はそれに従う。

 ヒマワリが背を低くする。

「ありがとう」

 お礼を述べて、背中に乗る。

 立ち上がって、また歩き始める。

 ワイバーンはまだ、僕達を見つけていない。


 ーー騎士の大剣を手に取った。食料も手に入れた。そのまま川を超えて、また別の隠れ家まで行けたら、そこで落ち合おう。

 ーー……分かった。気を付けて。

 見つからなければ、それが一番良いだろう。ワイバーンは私達が逃げた事に気付かずに体力を浪費していくのだから。

 出来れば、そうして野垂れ死んで欲しい。ソロシーが過去、王族だとかいう良く分からないものだったとか、私には関係ない。

 ソロシーの首には価値があるという。ただ、話を聞いていて思った事がある。

 その価値は、寝食共に満たされている奴が、更に上を求める為のものだ。毎日を生きるのに必死な者が求めるそれとは全く違う、汚れた価値だ。

 そんな価値を勝手に付けられて、そしてそれにソロシーは振り回されている。そんなもの、今の私達は知った事じゃない。

 空を見れば、ワイバーンが下を舐め回すように見ながら、旋回してこっちに近付いてきていた。

 木に登って身を隠す。ソロシー達はもう先へと歩いている。脱力が進んでいる。

 ヒマワリの足跡は残っているが、それを見てソロシーがそれに乗っているとまで想像するだろうか? 分からない。

 ワイバーンはけれど、何かに気付いたように私の寝床へと降りていく。

 木から降りて走りながら、気付いた。

 大剣……。ワイバーンがそれがなくなっている事に気付いたら。

 体の具合からして、ソロシーはまだそんな遠くに行っていない。

 ーーワイバーンが気付いたかもしれない。

 ーー逃げ切れない、だろうね。

「グルル……グララララッ!!」

 木々の陰から、ワイバーンがヒマワリの逃げた方向へと吼えたのが見えた。

 ……ここからが正念場だ。

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