霧入

1. 前進

「クレセント・ローズ。王宮内にて捕縛。処刑済み。

 クレセント・ナスタ。王宮内にて捕縛。処刑済み。

 クレセント・ハイパリ。下町に潜んでいたところを捕縛。処刑済み。

 クレセント・ソロシー。西方の無窮の森付近にて、騎士の一人との目撃を最後に不明。

 クレセント・ニゲラ。南方の関所にて捕縛。後日処刑。

 クレセント・ペルシカ。北方の山脈付近にて、凍死体となっているのを発見。

 クレセント・アザレア。東方の盗賊が首だけ持って来た。

 ……ふぅん。クレセント・ソロシーを探せと? あの無窮の森の中に入って?」

「貴様ならば、それも可能だろう」

「……確かにな。それで、報酬は? 金か?」

「望むものがあるのか?」

「ーーーー……」

「……掛け合ってみよう」

「それが貰えるなら、金も要らねえ」

「もし、難しかったら?」

「この話は無かった事で。……おっと。俺が死んだらどうなると思う? 俺の相棒は賢い。俺がもしこの城から出てこなかったら、この城下町くらいは焼き尽くして見せるだろうよ」

「……打診してくる」

「早めにな。日が沈むまでに俺がここから出なかったら、俺は死んだって判断するようにしてある」


 迎賓室から出た高官は、窓から空を見た。

 その上空には、黒い陰があった。

 全長の倍もあるかもしれない皮翼を拡げ、長い尾をたなびかせて、この城の周りをずっと旋回している。

「飛竜……ワイバーン、か」

 人間と共にした記録は確かにあるとは言え、実際にそうしているのを見たのは数十年生きてきて初めての事だった。

 人の何倍もある肉体が自由自在に空を飛び、更に炎までも吐くと言う。

 あの男が言った通りに、この城下町を火の海にする事も容易いだろう。

「……急がねば」

 高官は足を早めた。


*


 春先、寒さも漸く和らいできた頃。

 久々に川で全身を洗っていると、トケイさんがやってきて初めて僕のちんこの大きさに驚いていた。

 そう言えば、見せるのは初めてかあ。いや、見せるもんじゃないけどさ。

 それから火に当たっていると、トケイさんがぽつりと口を開いた。

「俺達ワーウルフはな人と交わっても、狼と交わっても、ワーウルフの子を為せるんだよな」

「え、あ、そうなんですか」

 ……分かられている。

 まあ、そうですよね。僕には分からないけれど、互いに互いの臭いがべったりくっついているんでしょうね。

 ヒマワリも露骨に態度に出て、僕に嫌がらせして来る事もあったし。

 アコニが唸ったらやめたけど。

「流石に同族で交わるより子が出来る可能性はかなり落ちるんだが。

 好きで独り身をしていない奴等は、最終的に異性の狼に襲いかかったり、人里から気に入った異性を連れ去ったりだとか、そうして無理矢理にでも血を繋げようとする事も少なくないんだ。

 ……何が言いたいのか、分かるな?」

 僕はアコニと顔を合わせた。

「俺達ワーウルフは、人と狼が交わって生まれた。

 そう信じる奴等も多いんだよ」

「……」

 トケイさんは僕達の前で、全身を見せつけるようにくるりと回った。

「人の器用さと狼の素早さ、鋭さを併せ持ったような肉体に思えるだろう?

 喋る事と噛み砕く事の両方が出来る牙。肉を容易く切り裂ける爪。木々を伝って移動する事も可能な、強く靭やかな四肢。

 外見だけ見れば、人など簡単に蹂躙出来るように見えるだろう? 鍛えれば、育ちきったムシュフシュも相手取れるかもしれないと思えるだろう?

 でもな、冬も裸で居られる程の毛皮は持たされなかったし、鼻も狼に比べれば少し劣る。

 そして何よりも……俺達はどうしてだろうな。文字が読めないんだ。

 絵を描いたり何かを模した紋様を刻む事は出来ても、それを文字と認めてしまった瞬間、俺達の頭には靄のようなものが掛かる」

 トケイさんは何十本も爪痕が刻まれた、その数だけゲームに勝利した事を示す木片を取り出した。

「こんな単純な、四つ横に線を引いて、五本目を縦に交わらせるって数を分かりやすく数えられるようにするって行為にすら、ちょっとばかり靄が掛かる。

 それが何を意味するかソロシーには分かるだろう?」

 疑問に思っていた事。ワーウルフの、低過ぎる生活水準。

 僕はぼつりと答えた。

「継承、出来ない」

「そう。

 俺達がこんな森の中で過ごしているのは、そういう事だ。

 人だって誰しも文字が読める訳じゃないだろうが、学べば誰しもが読めるようになるんだろう?

 だからな、人里に行ってみる奴も稀に居たりするんだが、誰だって打ちひしがれて帰って来るよ。

 その文字で埋め尽くされた本とかいうものは、口頭や絵で伝えるより遥かに膨大な知識を詰め込めるんだってな。

 俺達はそれに触れる事すら許されていない。

 俺達の未来は、限られている」

 でも、という言葉が口から飛び出しそうになって、けれど言えなかった。

 その先に紡げる言葉を、僕は思い浮かべられなかった。

「で、だ。

 何でこんな話をしたのかも分かるよな?」

「…………」

 僕とアコニは再び顔を見合わせた。……いや、まさかあ。

「お前等の間に子供が出来る可能性が、あるかもしれないって事だよ」

 ……本当に?

「それから、出来たとしても、どこかに無理が来る。俺達がどう足掻こうとも文字を読めないようにな」

 …………そう言われてもなぁ。


 正直なところ、子供が出来るかもしれないという事に、私はどこか信じられると思ってしまっていた。

 信じたい、とかじゃなくて。だって、私とソロシーが交わるようになってから、不思議な事が起きているから。

 トケイが去ってから、ソロシーが口を開いた。

「……結局、トケイさんは何というか、うん、多分童貞なんだね」

 思わず口から毒が飛び出した。

 いや、分かるけど!

「だってさあ、もしもう誰かと番ってたらさ、こんな中途半端に忠告しないよ」

 何となく感じていた事がとても分かりやすい形で突きつけられて。

 正直哀れにまで思えてきて、トケイをまともに見れなくなりそうだった。

「でも、本当に生まれた事を後悔するような形には生まれて来ないと思うんだよね。

 だって、狼と人を足して二で割ったとしてもさ、頭だけ完全に人だったりだとかさ、二足歩行なのに狼の手足のままで物を掴めないだとかさ、そういう可能性だってあると思わない?」

 想像しただけで気持ち悪くなるような事を。

「だけど、トケイさんはそんなグロテスクじゃないじゃん?」

 グロテスク?

「あー、うん。歪で、気持ち悪い様、かな」

 私が首を傾げる前に、ソロシーは補足していた。

「……うん」

 ソロシーは少し遅れて頷いた。

 時々、時々だ。言葉や身振りを介さなくても、私の意志が、ソロシーの意志が、そのまま互いに伝わっている事があった。

 それから、ソロシーは騎士の大剣を手に取った。

 時々錆びないように手入れはしていた、ソロシーにとって一番大切にしている代物。でも、振るう事はとても出来なかったそれを、今は片手で持ち上げた。

 そして、構えて振り下ろせば。

 ぶおんっ! と強い風切り音と共に、地面にざっくりと裂け目を作った。

「…………祝福、セックスしたら来るとは思わなかったよ」

 ……うん、本当に。

 交わっただけで、ソロシーは大剣を振り回せるようになってしまって、私はソロシーを背に乗せて駆ける事も出来るようになった。

 馬鹿らしいというか何というか……。

 ただ、私とソロシーに来た祝福。それは、私とソロシーをより強く結びつけるものであると同時に、もう解く事も出来ないものでもあった。

「じゃあ、狩りにでも行く?」

「グゥ」

 私は頷いた。


 やけに体の調子が良くなったと自覚し始めた時には、まあ、今まで以上に赤裸々な関係になって、どこからどこまでも気兼ねなくなったからだろうと思っていた。

 でも、それだけじゃ説明出来ない事が段々と起き始めた。

 気付いたら、硬い木の実の殻を素手で砕けるようになっていた。

 まだ母親程に成長しきっていないアコニが、僕を乗せて駆けられるようになっていた。

 アコニが僕に伝えたい事が、伝えようとする前に分かる時があった。熟年の夫婦みたいだと思ったりもしたけれど、身振りをする前から分かったりもしていた。同じように、僕が口に出して物を言おうとする前に、アコニがその意を汲んで動いていた事もあった。

 そんな事もあってか、交わっている時に、果てるタイミングが大体一緒になった。

 ……昨晩やったばっかりだって言うのに。

「……」

 ついでに言うと、僕は毎日でも良いんだけど。と言うか、アコニと交わるようになってからますます元気になっちゃってるんだよな。

 隣でアコニが呆れているのが分かる。勃っちゃってるし。

「あ、新芽が齧られてる」

 誤魔化すように僕はその跡を指差した。


 追ってみれば、見つかったのは余り肉付きの良くない猪。

 起きたばっかりなのだろう。空腹に身を任せてとにかく腹に物を詰め込むように食べ歩いていた。

「どうする?」

 ソロシーが聞いてきた。

 アレは、多分余り美味しくもないだろう。かといって、これだけ痕跡を残しながら歩いていたら、私達が狩らなくても程ない内に他の誰かの餌食になる。

 それなら、と私は携えている鉈を尾に絡めた。

「……僕は何かする?」

 いや、と私は首を振った。ただ、余り遠くには行かないで欲しい。

「うん。途中までは付いて行くよ」

 猪に風下から近付いていく。そこまで慎重にならなくても、今の猪は余りにも不注意だからそう気付かれないだろうけど、念の為。

 するすると動いていくに連れて、ソロシーとの距離が離れていく。体が少しずつ重くなっていく。

 私とソロシーは、肉付きとかもそう変わらないのに、強い力を発揮出来るようになっていた。

 けれどそれは、私とソロシーが近くに居る間だけ。離れれば離れる程、その力を発揮出来なくなる、どころか、一気に体が重くなっていく。試してはいないけれど、もっともっと遠くまで離れてしまったら、最悪死んでしまうかもしれないと思えるくらいに。

 祝福という事象は、細かい事は全く分からないものではあるが、少なくとも生き方を決めた者を後押しするように与えられる力だという。

 後押しされる代わりに、その生き方に固定される。

 ……私達は初めて交わったあの夜に、どこかで、最期まで共に居ると決めたのだろう。

 ソロシーが口に出さなくても、私が何もしなくても。

 だから、そんな弊害が分かってもそこまで不快には思わなかった。

 十分に近付いたところで、猪は穴を掘って木の実などを食べていた。鉈を取り出す。ソロシーが近くまで追いついてきていた。

 逃さない距離。今の私なら、ひとっ飛びで殺せる距離。

 ぐっ、と力を込めて。その瞬間だった。

「アコニッ」

 小さく声を出して走ってきたソロシーは、私の尻尾を引っ張って木の陰に寄せた。

 その瞬間。

 大きな影が私達を一瞬覆って、そして去っていった。

「……飛竜だ」

 大きな飛竜が、空を飛んでいた。

 ソロシーが服を着ているように、けれどそれより物々しく頑丈そうな金属を全身に身に纏っている飛竜。

 それは、私達の寝床の方へと向かっていた。

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