7. 欲望

 今回の狙いは単純だ。私が囮で、ソロシーが背後から叩く。

 そして私が持たされた罠は、予め番えられた弓矢。留めてある部分を外せば矢が飛んでいく、私でも扱える一発限りの弓矢だ。

 その音は、私がトケイに仕掛けたという事と、ソロシーが私と共に居るという事をトケイに錯覚させる、二つの意味を持つ。

 パンッ。

 その弓矢を木の陰から放った瞬間、トケイが私の方を向いた。

 山なりに飛んでいく矢。弓を死角に捨てる。ブーメランを取り出し、山なりに投げる。まっすぐと投げる。

 トケイが地面へと降りた。矢は背後へと落ちた。ブーメランの一本を叩き落とし、避けて躱される。

「…………」

 トケイが私をじっと眺めてくる。何を企んでいるのか見抜こうとしている顔だ。

 けれど、私はトケイと距離を取りつつ、ブーメランを、ナイフを投げる。緩急を付けて、ありったけを。残弾は瞬く間に少なくなる。

 トケイが木の陰に一旦隠れた。

 どざざざっ!

 雪が落ちた。

「……」

 どうするべきだ? ソロシーはまだ来ていない? いや、十分に待ったはずだ。私はそれを信じる。

 だからすべき事は変わらない。私がトケイの注意を引き続ける!

 残り三本のブーメラン。二本を一気にトケイの両脇へと投げつける。

 僅かな時間差。頭と足を狙う高低差。最後のナイフを尾に取り、構えながら近付く。

 私は囮だ。でも、私だって狙えるのなら狙ってみせる。

 ひゅんひゅん、独特な風切り音を響かせながらブーメランがトケイへと向かっていく。

 どう出る? 避けるにも叩き落とすにも何かしら動かないといけないはずだ。そこを狙う!

 トケイが飛び退いた。手には弓矢を、私を狙っている!

 ナイフを投げた。矢が放たれた。

 がづっ!

 避けようとした瞬間、それらが空中でぶつかった。

 宙を切って交差するブーメラン。転がり、立ち上がるトケイ。

 その背後、木の陰、至近距離まで辿り着いたソロシー。

 パンッ。

 それを、トケイは分かっていたかのように跳んで避けた。

 …………え?


*


*


 矢を放ったばかりの僕と飛び道具を殆ど使い切ったアコニ。

 トケイさんは僕に矢を番え直す暇も与えずに詰め寄れば、頭をコンと叩いた。それで、ゲームはそれで終わった。

『作戦ってのは上手くいかないもんだ。だから、常に失敗した時の事は考えておけ』

『……分かって、いたんですか?』

『いや? ただ、別の方向から狙っている可能性はあると思っていたし、それなら誘えば撃ってくるだろうな、と踏んでいた』

 結局、想定済みだった訳だ。

 トケイさんが帰ってから、今日はぼうっと空を眺めるくらいしか出来なくて。

「先は、長いなぁ……」

 準備した事は上手くいっていた。作戦通りに進んだ。今日こそは勝てるかもしれない、と思えていた。

 でも、結局それら全てはトケイさんにとって上辺だけの事柄に過ぎなかった。長年、しっかりと鍛え上げてきた相手には、付け焼き刃なんて通じない、かあ。

「……」

 アコニも丸まって顔を埋めて動かなくなってしまっていた。

 時々歯軋りの音が聞こえてくるから寝てはいないのだろうけれど、後からやってきたヒマワリはそんなアコニを見て、落ち着かないようにおろおろとしていた。

 僕達がどうして落ち込んでいるのかも分からないままに、ただただおろおろと。

 いい加減、言葉を覚えようとすればいいのに。それだけの知性はムシュフシュとかと同じくあるだろうに。

 僕達がどれだけ喋ったりしていようとも、そういう気は見せない。

「……ブルルッ」

「グゥゥゥッ……」

 とうとう見ているだけなのも限界に来たのか、ヒマワリは丸まっているアコニを鼻で突いた。

 けれど、返ってきたのは明らかに不愉快な唸り声で。

 次に僕の方を助けを求めるように見てきたけれど、僕にも何も出来ない、と首を振ればヒマワリは腹が立ったようにどこかへと去ってしまった。

 ……何でお前まで拗ねるんだよ。


*


 目が覚めたら、もう日が暮れ始めていた。

 ぱち、ちちっ、ばちち……。

「おはよう。少しは落ち着いた?」

 振り返れば、ソロシーが火を焚いて夜飯の準備をしていた。

「……グゥ」

 僅かに、雄の臭いがした。ソロシーの、雄の臭いだ。

 数日に一度、ソロシーはそうして私が寝ている最中だったりと、一人で抜け出して、雄の臭いをほんの少しだけ残して戻ってくる事があった。

 何をしているかなんて分かりきった事で。

 私は決まって黙って寝た振りをしていたけれど、ソロシーは私が気付いている事にも気付いているだろう。

 互いに気付かない振りをしている。少しだけの秘密。

 けれどそれは今、とても私を苛立たせた。

 ソロシーに対してここまで苛立ったのは、初めての事だ。はっきりと分かる。

 私とソロシーで見ているものが違うとしても、そんな幾許の時間が経っただけでいつもと変わらないようにしているソロシーに、出すものを好きに出してすっきりとしているソロシーに。

 でも、私は今は黙る事にした。

「……どうかした?」

 いや?


 ……やっぱり、ばれてるよなあ。

 当たり前だけど。

 でも、我慢した挙げ句に寝ている間に出してしまうだなんて、とても御免だ。

 王族として引き継いでいるこのデカいブツは、気弱な性格だろうと病弱だろうと、そのデカさに見合っただけの子種を生み出し続けるらしく、五日も溜めていれば僕の意志とは関係無しに勃ち始める。

 こんなもので王族になったとしたら、こんなもので僕は命を狙われる羽目になったのだ。

 ……問題は、それでも気持ち良い事なんだけど。

「ご飯、出来たけど」

 そう言えばアコニは黙ったまま歩いてきて、器の前に座った。

 ……何か企んでるというか。怒っているというか。

 でも、言葉を持たないからこそか、身振り素振りだけで分かる事はとても多いし、付き合ってきた時間ももうそろそろ一年。どういう感情を、どの位抱いているのかも分かる。

 少なくとも殺意まではないし、その毒牙を僕に向けて来る事はない。

 それだけは分かっている。だからまあ……その怒りは甘んじて受け入れようと思う。

 香草やらと煮込んだ魚を二匹、器に盛ってアコニに渡す。

 ばり、べき。べぎゅきゅ、もぐもぐ、ごくん。

「……グゥ」

 骨ごと豪快に食べながら、思わずと言った形で唸り声が出ていた。

 僕も食べよう。

 もぐもぐ。ばきっ、べきゅっ、べきっ。

「グル」

「はいはい」

 すぐによそった魚を食べ終えたアコニに、追加で魚を三つ。

「これくらいで足りる?」

「……グゥ」

 多分、だそうで。まあいつもよりは少ないかもしれないけど、昼からアコニはふて寝してただけだし、それで十分でしょ。


*


*


 あれから三日。満月の日の事だった。

 眠りに就いて暫く。ごそりと動く気配がしたのに、私は目を覚ました。

 ……。

 ゆっくり、ゆっくりと熊の毛皮から這い出して来るソロシーの動きが感じられた。

 まだ、動かない。後から尾けよう。

 そう思っていると。

「…………っ」

 何かを言いあぐねるような、口から声にならないようなものだけが漏れ出して。

 そうして外へと出ていった。

 がさ、がさ。がささっ……。茂みをかき分けていく音が遠ざかってから、私は体を起こす。ソロシーの持ち物の方を見れば、私の毒をニカワで塗り固めたナイフと矢、それから弓だけが消えている。最低限の自衛。

 岩の隙間。ソロシーと騎士の寝床から外に出て、音の消えた方向へと向かおうとすれば。

 ソロシーが私の方を見ていた。

「…………正直に言うか、随分と悩んだけれどさ……。

 アコニ。君が僕を追ってきたって事はさ……」

 恥ずかしげに頭を掻きながら先の言葉を言いあぐねるソロシー。

 そういう事なんだろう。私だってそうだ。

 私は歩いていく。

 私は、気付けば同種の雄を見た事すらない。母以外で親しくしたのは、ソロシーだけだった。

 だから、そこに種族の違いがあれど、そういう感情を抱くのは普通な事だろう。

 そしてそれ以上に。

 距離が詰まる。私はソロシーに飛びかかった。

「わっ!?」

 背中から倒れ込むソロシー。馬乗りになって、私はソロシーを見下した。

「グゥゥ……」

 あの時から。私はな、ソロシー。ずっとずっと、腹が立っていた。

 トケイには勝てない。いつ勝てるかなんて、きっと遠い先の事だろう。その苛立ちを、ソロシー、お前だけはそうして自分だけ気持ち良くなって発散していたんだろう!

 私にはそんな器用な事出来ないしな!

 上半身を抑えつけながら、腕だけは自由にする。履いているズボンを尾で叩く。

 ほら、さっさと脱げ。

「……本当に、やるの?」

「グアァッ!」

 さっさと脱げ! 破っても良いんだぞ!

 吼えれば、ソロシーがゆっくりと脱ぎ始める。

 私はな、私はな、ソロシー!

 何よりも、お前だけスッキリしているのが許せなかったんだ!

 腰紐を解いて、脱いでいく。その手付きは未だ躊躇しているようで、それを後ろ足で強引に引き剥がした。

 ……ごく。

 ソロシーが唾を飲んだ。

 尾の先で私はソロシーの雄をなぞる。

 この肉体にしては、不相応な程に大きく、長いそれ。今の私には丁度良いくらいの大きさ。

 ……ごく。

 自然と私も唾を飲んでいた。

「…………」

「……ここまでやったなら、一気にやるもんでしょ、もう」

 そう言いながら、ソロシーは私の首に手を回した。もう片方は胴に。

 そしてひっくり返そうとしてくるのを、私は拒否して。

 意を決して腰を落とした。

「ぁんっ」

 雌みたいな声出して。ソロシーが私を強く抱いてくる。

 互いの鼓動が、熱が、精緻に伝わってくる。熱い息を吐き出しながら。

「……月が綺麗だね」

 そう言いながら、ソロシーはより一層強く私を抱き締めた。

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