5. 目標
焚き火を用意すると、ソロシーは下の服をまくりあげて、川の前に立った。
「うー……獲れてなかったら嫌だなあ」
そう言いながら、何度か深呼吸をして、川の中の罠を取りにいく心の準備をする。
この時だけは、ソロシーは毎日似たような愚痴を呟いていた。私だってこんな冬の川に入りたくはないけれど、これでも狩りをするより簡単に手に入る飯ではあった。
「ひゃぁぁぁあああぁぁ!!」
情けない声も聞き慣れたものだ。ばしゃばしゃと音を立てながら浅い川に入って、落ち着かない足取りで罠を回収していく。
「無し、無し、入ってる! これも! お、豊作!」
そうしてすぐに戻ってくるとその籠を置いてすぐに尻を着いて、足を火に当てる。
「あ〜〜……生きてる〜〜……。
はーー……。
…………ああ、そうだ、アコニ」
何?
ソロシーはがたがたと動いている籠を指差して言った。
「この籠さ、取っ手付けたらアコニでも回収出来るんじゃない?」
「グゥゥゥ……」
思いっきり嫌な声が喉から飛び出していた。
「頼むよー……」
……まあ、仕方ないか。まだ、牙を立てない狩りも余り出来ないし。
冬の中でも、この無窮の森の獣達は驚く程に元気だ。
熊みたいに冬眠している獣も居るには居るみたいだけれど、そうじゃない獣の方が多い。草花は全くと言って良い程咲いてないけれど、それでも草食獣達は冬の間も針葉樹の葉だったり、木の皮だったりを食べて元気に生きている。
肉食獣も雪をかき分けながら、時に雪に埋もれて紛れながら、そんな草食獣を食らおうと毎日虎視眈々としている。
去年はまだ、周りを見る余裕なんて無かった。寒さに凍えながらかじかむ指で毎日弓を引いていた記憶ばかりだ。
でも今年は違う。周りを見る余裕が出来ていた。
まだまだ助けられてばっかりだけれど、それでも去年よりは自分の足で立てているから。自分がどうなりたいか、将来どうしたいのかなんて事も全く考えられていないけれど、毎日を楽しめるようになっている。
「さて……今日はどうしようか、って言っても、またこれ、仕掛けないといけないよなあ。
そうだ、取っ手付けようか。そうすればアコニに任せられる」
そう言ってアコニを見れば、物凄く嫌な顔をしていた。でも、拒む雰囲気はなかったから進めてしまう事にした。
ズボンを下ろして、靴下も履いて、靴も履く。もうどれもツギハギだらけだったり、新しく作ったものだったり。
もう、僕は綺麗な服とかを着る事もないのかもしれない。でも、それはそこまで悲しむような事でもなかった。
気付けば、僕にとって大切な事はあの国……生まれ育った場所にはもう無かった。
父母は多分殺されてしまっただろう。僕も合わせて七人の姉弟はどれだけ生き延びているのだろう。
もしかしたら、クレセントと言う血筋はもう僕だけしか居ないのかもしれない。
背筋がぞくりとする。でも、でも……それでも、それよりも僕にとっては今の方が比べ物にならない程に大切だ。
「じゃあ、一回戻ろうか。魚、アコニも焼いて食べる?」
「グゥ」
*
夜の森。しんと静まり返った空気。他の季節とは違う、静寂の雰囲気。
最近は晴れた日が多かったけれど、寒いのは変わらないままだからか、雪はカリカリに固まっている。歩けば、ザク、ザクと小気味良い感触を伝えてくれる。
罠を歩く道に仕掛ける事はもう、余りしない。
私達とトケイは、対等な条件でゲームをする。トケイは私達の所には来てくれない。だからと言って、私達がトケイの方へと向かう必要もない。
これで五分以上に勝てるようになれば、私達はトケイよりも脅威である事を示せる。まだ子供ながらにして、だ。
「そんなに気張らなくても。この冬は流石に一回取れれば良いほうでしょ」
「ヴー……」
ゆっくりで良い。私達を強く脅かすような敵は居ない。
分かってはいるけれど、それでも。
「まあ、だからと言って負けようとも思わないけどさ」
ふぅ、と息を吐いてから、ソロシーは後ろを振り向いた。
まだ笛は鳴っていない。
「今日は月も丸い。とても明るい。
要するに……今日は夜でも僕は役立たずじゃないんだ。
だから、攻めてみない?」
「…………」
その位の事、トケイも想定しているだろう。でも、求められているのはそれだ。
私達は、トケイに私達から攻めて勝てなければいけない。
「……グウ」
ピィィィィーーーー……。
私が頷くと同時に、笛が鳴った。
「じゃあ、戻ろうか」
距離としては、そこまでない。トケイが全力で向かってきたならば、程ない内に足音も聞こえて来るはずだ。
ソロシーは弓に矢を番えた。
私も木を削っただけの、刃のないナイフを抜き出した。
どのようにして冬の夜をやり過ごすか。
地面を掘って、煙も極力出さないように火を起こす方法を教わった。雪を掘ってその中で暖を取る時の注意から、体温を逃さないように、してはいけない事をずらずらと。
それらを全部ちゃんと活かせるかと言われると、まだ怪しい。
『俺等は狼と比べると、鼻の効きも夜目の効きも少し劣るんだよな。だから、流石に月明かりのない真夜中に罠もくぐり抜けて、お前達を仕留めるってのは流石にちょっと厳しい』
そう言っておきながら、学んだ事を生かして初めて夜を凌ごうとした僕達は、あっさりと見つけられて槍を突きつけられたし。
それを、敢えて活用しない。そういう条件が整っているからというのもあるからそれも読まれているのかもしれないけれど、まずそもそも、トケイさんという相手を良く知らなきゃいけない。
まだまだトケイさんの本気というものを、僕達は引き出せてはいないから。
このゲームで五分になったとしてもそれは本気ではないだろうけど、今はまだ、鼻歌混じりで遊んでいる隙に付け込んでいるくらいだろうから。
耳に神経を尖らせる。辺りを何度も見回す。
僅かな違和感も見逃してはいけない。木の上を伝って移動出来るくらいにはトケイさんの身体能力は高いけれど、そうして足跡を残さなかったところで、雪の降り積もるこの場所で痕跡を残さない事は不可能だ。
白い息が目の前を僅かに曇らせる。晴れていて無風の今、雪を踏み分ける足音がやけに響いている気がする。
夜だとは思えない程の明るさ。見上げる空は僅かに雲があるだけで、星が強く輝いている。
とても綺麗な夜。こんな日に勝てたら、本当に気持ち良いだろうと思う。
難しいだろうけれど。難しいだろうけれど。
「ちょっと良い?」
そう言って一度立ち止まる。
周りを念入りに確かめてから、かじかむ手と冷たく痛む耳を一旦温めた。
「ふぅー……」
この森に入ってから、手のひらは比べ物にならない程にごつごつとしたものになった。
去年よりは手が寒くてどうしようもない、なんて事はとても少なくなったけれど、寒いものは寒い。少しばかり慣れただけとも言うのかもしれない。
温めてから、聞いた。
「トケイさんの臭いは、しない?」
アコニは首を振った。
もう、半分くらいの道のりを歩いてしまった。
もしかして、また僕達の寝床でのんびりしてるんだろうか。いや、いや……。
後ろを振り返った。
「まさか、後ろに居たりしないよね?」
小声で呟いたソロシーが振り返るのに、思わず私の背筋がぞくりと震えた。
全く考えていなかった訳じゃない。ただ、意識は薄れていた。近付かれていたら、不意打ちは容易く私達に敗北を刻んだだろう。
「まあ……少し逸れてみようか。少し歩き辛くても、射線が通らないようなところを選ぼう。そうすれば、この雪の降り積もるこの場所で、気付かれないままに近付かれるなんて、無いでしょ」
「……グウ」
私は頷いた。
ただ……何だろう。まだ私達は忘れている事があるのでは? そんな恐怖に襲われて、でもそれが何なのかは幾ら出来事を思い返しても分からない。
ソロシーが少し深い雪をかき分けて、来た道を外れようとした時。
ぱんっ。
弓矢の音。咄嗟に跳んだ私、けれど足を深みに入れたソロシーは動けなくて。
「あづっ…………え?」
先を丸められた矢がソロシーの背中にぼこっと当たって落ちた。
呆然としている私とソロシーを傍目に、トケイが少し遠くの木から降りてきた。
「今日は戻ってくるだろうなって思ってたんだよ」
え? ええ?
今日は風もない。臭いが届かなかったのは分かるけれど、ずっと伸びている足跡に、トケイのものはなかった。木々に乗っている雪が崩れていたりもしない。
「足跡も何も無かったのに」
「お前達の足跡をなぞって来たんだよ。それで、この木に登ってずっと待ってた訳だ」
「うわー……運が悪い」
遠い距離。この弱い弓矢なら、深みに入っていなければ避けられる位の速さだった。
トケイは腰の袋から板を取り出して爪で一本、線を引いた。
「そうじゃない。運っていうのは自分で手繰り寄せるもんだ。
常に全てを警戒しろだなんて俺にも無理だがな、自分から不利になるような事はしない事だな」
「そうは言っても……」
「まあ、それを体に馴染ませる為に俺がこうしてゲームに参加してるんだ。
数百回もこういう事繰り返せば、何をすべきで、何をすべきでないのか、多少は分かってくるだろ」
「……先は、遠いんですね」
「そりゃそうだ」
雪を叩いて、ソロシーが深みから出てくる。
「ほら、アコニ。前を歩いてくれ。俺はお前の前を歩ける程自信家じゃないんだ」
そう言われても、私だってその槍で突き刺されたら死ぬのだけれど。
最初こそ楽しかったものの、今じゃ皮肉にしか思えない。
まあ、突っ張っても仕方ない。
帰路に着いて、また雪をざくざくとしながら歩き始める。
足跡を見てみれば、トケイが私達の足跡を踏んできた痕跡がちゃんと残っていた。
ただ、注意深く見ないと分からないし、そのまま進んでいても気付いた頃にはどうしようもない間合いに入っていただろう。
「冬の間に一回でも勝てれば良いなあ、とか思ってるんですけどねー」
「大きく言うなあ。……そうだな、出来たらこの俺の愛用の槍、くれてやるよ」
「えっ……良いんですか?」
「その位自信があるって事だよ」
振り向けば、その槍をしっかり見せてきた。
白い木を細かに彫り込んで綺麗な模様が刻んだ柄。その先には鋭く尖らせた黒い石ががっちりと嵌められている。
「特別なもんじゃない。ただ、俺が三叉槍の右牙……俺の集落で二番手の槍使いになる前から、ずーっと手に馴染ませてきた、俺の手製の槍だ。愛着もかなりある。
まあ、そういう事だよ」
それを賭けても良いくらいに、トケイには自信がある。
でも、やる気が満ち溢れてくるのを感じる。
「お前には渡したくねえよ。投げるもんじゃねえからな」
「グゥゥゥ……」
「分かった分かった。もし、万が一にでもこの冬に俺に勝てたら、投げるのに適したものでもお前にもやるよ」
それで良い。それで。
前を向き直して、また歩き始める。
勝てたら、トケイはどんな顔をするのだろう? その槍がソロシーの手に移った光景を想像してみると、それだけで楽しくなってくる。それだけでとても頑張れる。勝ってみせようじゃないか!
「…………」
「…………」
無意識に尻尾をぶんぶん振っていたのを後ろの二人に見られていたと私が知ったのは、トケイが帰ってからの事だった。
とても恥ずかしかった。
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