4. 冬夜

 トケイは新しく何か武器を使ったりとする訳じゃなかった。単純に、自ら姿を現すのを止めただけ。

 けれど……それを今この日が暮れてくる時刻にやるのは悪趣味だと思う。本当に。

 私が居る以上、下手な獣は暗闇の中でも私と、私の臭いが付いているソロシーを襲う事も無いだろうけれど。毛皮を持たないソロシーが寒さに耐えられるように外套を作って渡したのも親切だとは思うけれど。

 それでも、私達にいきなり突きつけられた二択はとても厳しい。

 どこに潜んでいるか分からないトケイを、真っ暗闇になるまでの短い時間で探し出して戦う。もしくは警戒しながら、一夜を凌ぎ切る。

 どちらにせよ、とても厳しい選択だったけれど、選べるのは実質一つだけだった。

「……僕は、隠れた方が良いと思う」

「グゥ」

 私も頷いた。

「僕は暗闇の中で、特に今日みたいな月明かりも無い日には全く動けないし……それにトケイさんだって、鼻が効くとは言ったって、罠にも引っかかったりするし」

 それは雨の日だったり、風の強い日だったりと鼻が思うように効かない日が殆どだったんだけれど。

「それに真っ暗闇の中では、アコニも思うようには動けないでしょ。トケイさんだって少なからず一緒だとは思うんだよね」

 狼とかはかなり平然と動いているし、私もそう強くは困らないんだけど……。

 でもワーウルフは別、かなぁ?

 人と狼を足し合わせたような生き物のワーウルフ。鼻は良い。足も早い。力も強い。道具も普通に使う。

 夜目も効いて当たり前なような気がする。

「まあ……どっちにせよ。こうされた時点で僕達に勝ち目は殆ど無いと思うけれどさ。少しでも勝ち目がある方を選びたいよね。幸い食べ物も少しは持ってるし。

 隠れる場所、探さない?」

「…………グゥ」

 ソロシーがそれでも寒さに凍え始めたら、私は吼えてトケイを呼ぼう。


*


 トケイさんからは色々な事を教わっている。

 罠も幾つかはトケイさんから教わったものをそのまま使ってるし、他にも役立つ小物の製作や、食べられる野草や木の実、その貯蔵方法も干すだけじゃなくて、団子にしたりだとかそういう方法も学んでいる。

 けれど、これからの冬に対してはまだ何も教わってない。

 こういう時、寒さから耐え凌ぐ為にはどうしたら良いのか?

 火を使ったら居場所がばれる。派手に物音を立ててもばれる。

 今回は運良く猪か狼かが寝床として使っていたような窪みがあったから大丈夫だけれど、無かったら本当にどうしたら良かったんだろう。

 分からない。本でも読んだ事がない。

「……暗くなる前に、罠も全部使った、と」

 距離を取ったところに音が出るような罠を多く仕掛けた。

 少し喉が乾いた。水筒に水はあるけれど、そんなに溜まっていない。今は我慢する。アコニに抱きつけば別に良い気もするけれど、持ってきておいた食べ物を食べるだけにしておく。

「はい。あんまり美味しくないけれど、団子」

「……グゥ」

 もそ、もそ。もそ、もそ。

 トケイさんから教わった保存食。

『栄養は保証する。味は保証しない』

 そんな、木の実のや果物を潰して捏ねて作った保存食。一応作っておいたものだけれど、これを持っている事までトケイさんは分かっていたんだろうか。

 口の中の水分が奪われる。食が進まない。

「……」

「……水、ちょっとだけ飲もうか」

「グゥ」

 ちょっとだけ。口を潤す程度。僕が飲んでから。

「はい、アコニ」

 中が空洞の茎を渡して飲ませた。

「でも……。まだこれだけあるかぁ。

 半分位は残して明日にする?」

 それにアコニは首を振って、残りを一気に食べて飲み込んだ。

「……僕は、残りは取っておくね。

 じゃあ……もう、さっさと寝ようか」

 フードを被って、体を丸める。横にならないで眠るのはいつ振りだろうか。

 樽の中で運ばれながら、胃液を吐いて、疲れ切って、気絶するように寝た事もあった。馬小屋の藁に埋もれて寝た事もあった。夜通し隠れて歩いて、その夜明けに狭くて冷たい岩の隙間で寝た事もあった。

 ネズミに噛まれて跳び起きた事があった。騎士が貴重な水を一気に使って洗ってくれた。

 そんな事を思い出した。

 でも、今はそういう事を僕は進んでやっている。こんな風に寝るのは正直惨めだと思う部分がない訳ではないけれど、そこに絶望はない。あの時のように死を怯える理由なんてどこにもない。

 そう考えると、少しだけ前向きになれた。

 寝れそうだった。


 意外とソロシーはすぐに目を閉じてしまった。

 つまらなさそうに、つまらないものを食べて。もう少し愚痴でも話しかけて来るかと思えば、意外な程にすぐに落ち着いて。

 疲れてしまっただとか、そういう雰囲気はなかったのだけれど。

 小さく寝息を立てて、真っ暗闇になった中、私だけが起きている。

 負けたくないから、ただそれだけの理由でこんな場所で夜を明かす事に、私だけが退屈を覚えている。

 眠気は、訪れない。この頃は日が沈んでも暫くは起きていたから。ソロシーの話を今日は聞かせて貰っていない。

 つまらない。

 せめてこんな事をするなら、こんな夜になるような時にゲームを始めないで欲しかった。

 ……いや、もしかして。

 トケイは、こうして真夜中を別の場所で過ごしてまで勝とうとしてくるなんて想定していないのでは?

 戻ってきて、夜に目も鼻も効かないソロシーがどうやったら夜を寝床以外で安全に越せるか、そういう事を教えようと思っていたのでは?

 試すような事ばかりするあのワーウルフの事だ、十分に有り得る気がした。

 いや、でも、ソロシーに外套を作ったのも事実で。流石に想定はしているか。

 はぁ。

 一度起き上がって、背を伸ばす。窪みから体が出て、雪が鼻先にぽつぽつと付いた。次いでに注意深く臭いを嗅いだ。

 冷たい、雪混じりの空気。土と草木の臭い。それから獣達が生きている様々な臭い。

 生き物の気配は、いつものように雑多に感じられた。賑やかな訳でも、落ち着いている訳でもない。

 トケイの臭いはソロシーからしか感じられなかった。もしかしたら、私達の寝床で笛を吹くだけ吹いてゆっくりしているのかもしれない。そう考えるととても腹が立つ。

「寝れない?」

 ソロシーが暗闇の中、聞いてきた。その顔は微妙に私の方を向いていなくて、やはり夜目は効かないようだった。

 その体は、微妙に震えていた。

 ……ほら、やっぱり。


 トケイさんの作った外套は僕の全身を覆ってくれる程大きいものでもなかった。

 そして、じっとしているともう一つ、分かってきた事があった。

 獣の毛皮で作られた外套は確かに温かいけれど、こうしてじっとして寝られる程のものでもなかったという事。

 もう体が震え始めた。

「……」

 ぼっ、とアコニは目の前に火を吹いた。

 地面に着いたそれは、少しの間燃え続ける。

 そして、アコニは僕の顔を見て、首を振った。

「……そうだね。風邪でも引いちゃいけないしね」

 頷くと、アコニは息を吸って、上を向いて、大きく吼えた。

「ゴオオウヴウゥゥゥゥゥ……」

 ムシュフシュと言う種族は、遠吠えなんてしないのだろう。不格好な遠吠えは、トケイさんを呼ぶもの。それが僕の為だとは言え少し笑ってしまいそうになってしまった。

「ごめん。ちょっと抱いてもいいかな」

 そう言うと、火が尽きる直前、アコニは僕の膝下に体を乗せた。ふかふかな胴体。とても温かい。

 でも。

「ごめん、流石に重いや」

 ムシュフシュにとって、重いという意味はまあ、悪い意味じゃないだろう。

「グルルル……」

 仕方ないなあ、と言うようにアコニはどいて、隣に身を寄せた。


*


「全く。意気込んでもちゃんと備えられなきゃ意味がないぞ」

 そう言いながら来たトケイは炎を掲げながら、何故かヒマワリと一緒だった。

「ヒマワリも来ていたんですね」

「寝床に来てたんだがな。アコニの遠吠えを聞いていきなりそわそわし始めてたよ。愛されてるな、アコニ」

 いや、いや。今、寝床に来てたって言ったよな? トケイ、やっぱりお前、笛鳴らしただけで何もしてなかったんじゃないかお前!

 そんなトケイが私を見た。

「そうだよ。今回俺はお前達が戻ってくるまで何もしないつもりだったさ。

 言い換えればな、俺が能無しで突っ込んでいける程お前達を軟弱な存在じゃない、って認めたって事だよ。不満か?」

「…………」

 ……ちょっと嬉しく思ってしまった自分を叩きたい。

「とにかく。帰るぞ。

 ほら、ソロシー。熱い茶だ、体が冷えない内に飲んどけ。

 罠も明日回収しろ」

「……ありがとうございます」

 ずず、と水筒から茶を飲む音が聞こえた。

「飲む?」

 いや、大丈夫。

「さっさと帰るぞ。夜になんぞ、知らない場所で長居してても無駄だ。

 ちゃんと冬に夜を越す方法やら教えてやるから。そう凹んでいるんじゃない」


 ざくざく。ざくざく。

 雪を踏み均しながら、帰路に着く。

 僕とトケイさんが隣に。前にアコニとヒマワリ。何となく付けた名前にしては余りにも似合わないよなあ、とか思っていたけれど、何度も呼んでしまえば馴染んでしまったし、ヒマワリという名前がこの花から名付けられたと知ったら、そのヒマワリ自身もまんざらではなかった。

「そういや、聞きたい事があるんだがな」

「……何でしょう?」

「お前達、成長したらどうするつもりだ? ずっとここで一緒に生き続けるのか?」

「え……」

 思わず足を止めて、アコニが振り返った。

「別に大した質問じゃない。細かい事は後で聞くから、足は止めるな」

「あ、はい。

 ……正直、毎日やる事が多くて、それに僕達はまだ弱くて、あんまり考えられてないですね。

 ただ……国には戻らない。そうは決めていますけど」

「……そうか」

「トケイさんは、ワーウルフ達は、この森についてどの位知っているんですか? アコニの親達……ムシュフシュがどこから来たのかとか、どこに住んでいるのかとか、知っていたりしますか?」

「物好きな奴が時々出ていって、その内の三割くらいかな、帰ってくるのは。そいつらが色々話をするからな、結構広くは分かっているし、ムシュフシュがどこ辺りから来たのかもある程度見当は付いてる。

 ……それで? それを知ってどうするんだ? その内アコニを返したりするのか?」

 アコニが何度も僕の方を見てくる。返答が気になるみたいだった。

「……アコニ次第ですね。正直、僕は別れたくないですし。

 でも、アコニには知っておいて欲しいです」

 その返答を聞くと、前を向き直して、振り返らなくなった。

「そう、か」

 少し考えてから、トケイさんは続けた。

「本当に、必要になった時に俺がアコニに直接伝えようか。

 それで良いんだろう?」

「そうですね、お願いします」

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