8. 殺意
「あ……あ……あ、あ、あがあああああああああ??!!??!!」
ムシュフシュの振り回した鉈は、ワーウルフが槍と共に突き出した腕に、その刃の先が突き出す程に深く突き刺さっていた。
その手からぽろりと槍が落ちる。
どうすれば? そんなの……そんなの決まっている!
僕は叫んだ。
「そのまま強引に引き抜けぇっ!!」
「グルァッ!!」
めぎ、ぶぢぃっ。
「いぎゃあああああっ!!!!」
痛々し過ぎる傷だ。意識を平静に保っている事すら出来ていない。
体格の大きく劣るムシュフシュに引っ張られて、ワーウルフが何の抵抗も出来ずに転んだ。
僕はその槍を拾って、腰溜めに構えた。
殺さなければ、そうだ、殺さなければ。殺さなければ僕達が殺される。だから、だから、今すぐに殺す、躊躇ってる暇なんてない、だから殺す、殺さなければ! 殺さなければ!!
「う、うあああああああああ!!」
走った。穂先を背中に向けて、ぶづ、と。
「あがあ゛っ」
ワーウルフの体がびくんと跳ねる。その顔が、振り向いて睨んできた。腕ががくがくとしながらも僕を掴もうとしてくる。
食いしばる牙が、鋭い爪が、僕に届こうとしている。
「ひっ」
咄嗟に背中を踏んで引き抜いた。真っ赤な、とても真っ赤な血を引き連れて来る。
振り上げて。
「あ゛あっ!!」
振り下ろした。
ぶづぅっ。
「ごぶっ」
ワーウルフの目がぐるんと白目を向いた。その口から血が吐き出された。
「死ねっ! 死んでくれ! お願いだからっ!!」
引き抜いた。血が噴水のように吹き出した。
まだだ、まだ安心出来ない。欠片も、微塵もっ!
だから、だからっ!
「早く、早くっ! 死んでくれっ! 消えてくれっ!!」
どづっ! ぶづっ! べぎっ!! べぎゃっ!!
まだ動いてるっ。刺す度に動いてるっ、だからっ!
「おい、ソロシー! やめろっ! 終わってる!」
後ろに誰、誰!? 抱えられた。腕を掴まれた。ワーウルフの腕。まだ生きてる!?
「ああっ、やだっ、ああっ!!??」
「ソロシー、俺だ! トケイだ! 分かるか! 気付かなくてすまない! だから、分かるか!?」
トケイ? トケイって、えっ!?
「え、ああっ、えっ、あっ、トケイ? トケイさん?」
「そうだ、トケイだ! すまない、本当にすまない!」
僕の両腕が痛いほどに強く掴まれている。そうだ、まだ、突き刺さなきゃ。
「あ、あれ……」
見たら、僕の服が血だらけになっていた。ワーウルフは、穴だらけの、血塗れになっていた。内臓さえ、引きずり出していた。
「あ、ああ……。僕が、僕が? 僕が、ここまで、ここまでやったのか。僕が、殺したのか」
「気にしなくていい。息を吸って、吐け。ゆっくり、ゆっくりとで良い。落ち着け。
槍も置いておけ。もう必要ないだろう」
その通りだ。
ぼと。
すー、はー……すーーー、はーーー……。
気付けば、ムシュフシュがゆっくりと近付いて来ていた。恐る恐るというように。
「……僕、どうにかなっていたのかな」
振り向けば、すぐ後ろのトケイさんと目が合った。
「……そうだな。でも無事で何よりだ」
無事……無事?
「あ、ナイトメアがっ。ナイトメアが居なければ、僕達多分、死んでたんだ、だからっ!」
「ブルルッ……」
「あ……」
ナイトメアが、足を引きずりながら歩いてきていた。少なくとも骨折はしてないし、突き刺さった矢は致命傷になる事もなかったようだった。
「治さないと、治さないと」
「良い。俺がやる。お前達はゆっくりしていてくれ。……頼むから」
「……うん」
ワーウルフの死体から離れて、座った。トケイさんがナイトメアに歩いていけば、ナイトメアは少し怖気付く。でも、もう味方だって事は分かっているようで、そんな逃げたりだとかはしなかった。
ソロシーは木に凭れて、ずるずると滑るように座った。
その隣に、私も座る。
少し離れたところでは、トケイがナイトメアに刺さった一本目の矢を抜こうとしているところだった。
「いくぞー……せーぇーのっ!」
「ビィィッ!!」
抜くと同時にナイトメアが飛び跳ねる。それよりも早くトケイは離れていた。そして、また落ち着くまでに幾つかの草を選んで千切っていた。
そんな様子をソロシーもぼうっと見ながら、そして口を開いた。
「……僕、どうにかなってた?」
「グゥ」
あそこまでの殺意を、私は初めて見た。食べる為の静かなものでもない。生きる為ではあったけれど、襲われた草食獣が必死に抵抗するようなものとも、全く違うようなものだった。
私はあれを見て……弓矢とかなしにソロシーを恐ろしいと思った。
「……僕ね、色んな人間にとても沢山襲われてきたけれど、でもね、それでも殺した事は今まで無かったんだ」
トケイは千切った草を口の中で噛み千切ってから、吐き出してドロドロとした緑色になったものを、矢を抜いた跡に塗り込んでいた。ナイトメアは首に爪を当てられて暴れようとするのを必死に堪えている。
助けてと言うように、こっちを見ていた。
……多分、あれは悪い事ではないのだろうから放っておく事にする。
「槍を突き刺した時、あのワーウルフ、僕を見て、腕を伸ばしてきたんだ。
猪に突き飛ばされた時より、恐ろしかったんだ。あの時よりとても有利だったのに。
殺してやるって叫ぶようなはっきりとした殺意が、向けられていたんだ。
これまで僕を襲ってきた全員は、僕を殺す事自体が目的じゃなかった。僕を殺して得られる金が欲しかったんだ。
だから、そんな事、初めてで、初めてで。
それが、とてもとても、怖かったんだ。……怖かったんだ」
私は体を寄せた。
言ったことは、ちょっと分からないところもあったけれど、何にせよそうするのが一番だと思った。
すると、ソロシーも体を預けてきた。
「でも……でも……みんな、無事で良かったよ。運が良かっただけかもしれないけれど、きっとそうなんだろうけど、でも……良かったよ」
疲れ果てたように、ずっしりと体を寄せてくる。
何だか、今にも眠ってしまいそうだった。
矢も抜き終わって、草を噛み潰したものを塗りたくられたナイトメアは、信用出来ないようにトケイを見る。
「別に傷が悪化しても俺は知らんぞ」
そう言い捨てるけれど、共に歩いてきた。
「ソロシー。俺が背負うか?」
「いや、そこまでは……」
ゆっくりと立ち上がる。
「そうか、無理しなくて良いぞ」
今まで見せてきたような試すような姿勢が、今は全く見受けられない。
何だかんだで私達を、特にソロシーの事を本当に案じていたのだと、私はやっと心から信用出来た気がした。
「今日は俺も一晩、共に過ごそう」
「……戻らなくていいの?」
「いや、俺もこう見えて多少は参ってるんだ。どう説明したものかってな。
それに……少し気になる事もあるしな」
「……そう」
多分、二人目の事だろう。
「それじゃあ……戻ろうか」
トケイは殺されたワーウルフの槍を手に取ると、そう言った。
*
血とナイトメアの毒を洗い流してしまえば、もう僕の緊張を張りっぱなしにしている理由も何一つなかった。
……僕の中には、未だに恐怖が渦巻いている。
あのワーウルフに対する恐怖だけじゃなくて、僕自身への恐怖もあった。
『そのまま強引に引き抜けぇ!!』
その僕の言葉は、あの状況から如何にあのワーウルフを殺せるかを瞬時に判断して出た、最も激しい苦痛を与える為のものだった。
猪に突進された時だってそうだ。目玉に躊躇なく短剣を突き刺した。
切羽詰まったら僕はそういう事が出来る人間だった。当たり前なのかもしれないけれど、それでも僕は僕という人間を少し恐れていた。
それに加えて、未だ僕の脳裏にはあのワーウルフの目がちらついていた。
だから……とにかく温もりを求めていた。
「寄りかかって良い?」
僕はムシュフシュに聞いた。
「グゥ」
ムシュフシュは少し丸めていた体を開いて、ふかふかな胴体を見せてきた。
「あぁ……」
とても魅力的だった。
それに顔を埋めてしまえば、温かくて。命が感じられて。
すぐに眠気が訪れてきた。
「…………すぅ、すぅ」
ソロシーはすぐに寝てしまった。やっぱり疲れ果てていたのだろう。肉体的にも、そして精神的にも。
……こうまで体まで預けられるのは初めてだった。
私自身動けないけれど、それでも中々悪くない気分だった。
「まあ、ゆっくり休んでろ。俺は起きているからさ」
そうトケイが言えば、持ってきた槍は置いて、どこかへと歩いていった。
もう一人が来ていないか、確認しに行くのだろう。
ナイトメアは、ゆっくりと座る。傷が疼くようで、ぎこちない。
「……グゥ」
申し訳ないと私は喉を鳴らしたが、ナイトメアには意図が伝わらなかったのか、それとも本当に何も思ってないのか、瞬きを何度かしただけだった。
……ナイトメアの事も、今となっては信じられる。二本目の矢を防いでくれたのは偶然だっただろう。けれど、一本目を身に受けた後に戻ってきたのは、痛みに堪えながらも私達を守ろうとしたからだ。
そして、そんな目に遭ってまでも私達に恨み辛みをぶつけるような気は全く起こしていない。当たりどころが悪ければ死んでいたかもしれないと言うのに。
……私達は恵まれている。本当に。
でも、やっぱりそれに頼ってばかりでもいられない。
ソロシーを見る。体を丸めて、その手は私の後ろ足を掴んでいた。
尻尾でソロシーの体を撫でた。
「う、ん……」
起こしてしまったか? ……いや、そうでもなさそうだ。
私には、人間やワーウルフのように物を扱える手はない。けれど、この尻尾がある。そんな単純な事に気付かなかった。気付いただけで、私はあのワーウルフに鉈をブチカマスを出来た。
そうでなかったら……ソロシーが隙を作ったところで、私はきっとあの槍に貫かれていただろう。
…………。
「クァ……」
私も眠くなってきた。ナイトメアも落ち着いている。
トケイとナイトメアを信頼して、私も寝てしまおうか。
そう思っていると、ソロシーはもぞもぞと動いて、より私に体をくっつけてきた。
……寝相だよな?
そう思っていたら。
「……一人にしないで」
……まったく。
私もソロシーに身を寄せた。
ただ、今の季節には流石に少し暑かった。
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