7. 協力
トケイさんは結局譲らなかった。
いや、正確には僕達は選択肢を最初から持っていなかった。
『別にな、正直に言ってお前達にそう期待していた訳でも無かったさ。
お前達の騎士と親が亡くなってから精々七十日ってところか? そんな短い期間で、ムシュフシュが言葉を理解出来るようになっただけでも十分過ぎるからな。
その褒美とでも思っておいてくれ』
でも、けれど。
そんな言葉を続ける事は出来なかった。
僕達の世界はまだまだ狭い。だから、僕達の弱さを誰よりも客観的に知っているのはトケイさんだった。
そのトケイさんは、熊肉を生でも焼いてでもモリモリと食べた後に帰り支度をし始めた。
「まあ、日程がちゃんと決まったらまた来るさ。その時はちゃんと打ち合わせをしよう。
あ、そうだ。あっちに置いたままで取られたくないものがあれば、少しは持って来れると思う。言ってくれ」
「あ、それなら、鍋が欲しいです。他は……」
少し考えて。
「騎士の服。トケイさんが着るには少し小さい服があれば、後は大丈夫です」
「……そうか。お前にその内似合うと良いな」
「そう願いたいです」
最後にそんな事を交わして、熊肉を更に手に取りながら帰っていった。
トケイが見えなくなるまで見届けると、ソロシーは私に向き返って聞いてきた。
「何で唐突にあそこまで登ろうとしたの? 何か思うところでもあった?」
……私は頷いた。
するとソロシーは少し考えてから、また聞いてきた。
「……すぐにでも強くなりたかった?」
……再び頷く。
共に暮らしてもう長い。だからか、私の思っている事は結構すぐに察せられたりする。
「……人間っていう種族はね、この通り毒も、爪も牙も、毛皮さえも持たないんだ。
でも、この森の外では千、万、そんな数が暮らしている。土地を切り開いて、色んな獣を追い出して、自分達に住み良い環境を作り出して。
どうしてそんな事が出来たか分かる?」
…………? その前足が、色んな物を使えるから?
私はソロシーの前足を尻尾で指した。
「この手? ……うん。それも要因の一つだろうね。
でも、もっと本質的なところは別にあると僕は思うんだ。
人間は考える雑草だって例えがあるんだけどね。それ程に人は弱い。
でも、考える事に関しては誰にも及ばない。考えて、考えて。それを積み重ねて、積み重ねて」
ソロシーはそう言いながら実際に石を積み重ねる。それから、持っていた弓矢や短剣を取り出した。
「木のしなりを利用して馬が駆けるよりも速く飛び、突き刺さる武器を作り出した。
金属を精錬して、獣の牙よりも優れた、鋭く太い刃を作り出した。
それが、人間の最も優れた強さなんだ」
……。えっと、私も考えろと? 今以上に?
「君が母みたいに、そして僕が騎士みたいに強くなれるまでには、季節が十周回っても多分追いつけない。
でも考えてみれば、別の方向性もあると思うんだ。例えばね」
ソロシーは短剣を投げた。それはくるくると回転しながら木に突き刺さった。
「これなら君にも出来るんじゃない? その長い尻尾を使えばさ」
…………。
更にソロシーは鉈を私の目の前に置いた。
「それにこの鉈くらいなら振り回せたりしない?」
牙とは全く別物の、鈍く輝く剣という代物。私がそれを使うだなんて、思いもしなかった。……でも。
私の尻尾。体長の半分くらいはある尻尾。
その先で柄を掴む。
ややずっしりとした重さ。ナイトメアがやって来ている。ただ、私がこれから何をするのか見当もついてないようで、怪訝そうに見ている。
しっかりと鉈を握った。すっぽ抜けないように、ぎゅっと。
「振り回すのは危ないからやめてね」
……それは、つまらないな。
「グゥ」
その時だった。
「ソロシィィィィィィ!! 逃げろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
遠くから、トケイの叫び声が届いてきた。
「えっ!?」
「尾けられていたっっ!! すぐ身を隠せぇぇぇぇぇ!!!!」
「や、やばいっ!!」
どこに行くか迷うソロシーに対して、私はナイトメアの方に駆ける。
「グルァッ!!」
「分かった!」
ナイトメアも少しは察したようで、すぐに付いてきた。
張り巡らせた罠を抜ける。トケイさんもすぐに来てくれるはずだ。でも、一人か二人のワーウルフが近くに来ている?
三叉槍の右牙のトケイ、その名前はきっと、集落の中で二番目か三番目の実力である事を示すものだと思う。
だから、それまでの間だけでも逃げ延びれば良いはず。でも、でも、相手はワーウルフだ。
大きくて、速くて、鼻が効いて、武器まで使いこなす。そんな相手にどうやって? 出会ってしまったら瞬き数回分だって耐えられる気がしない。
「ぜっぜっ、はっはっ」
二足歩行の遅さ。人間の遅さ。必死に走ってもナイトメアにとっては小走りで済む遅さ。
見かねたナイトメアが足を止めて膝を下げた。
乗れって事だ。
「あ、ありがとう」
眠ってしまうかもしれないという一瞬の躊躇い。でも、それよりも何よりも、ここから逃げる事が一番だ!
跨ればナイトメアが立ち上がる。
「お願いっ!」
脇腹を軽く蹴った。
ブツッ。
……そんな音、鳴るか?
「ヒィィンッ?!」
ああ、矢だ。飛んできた。ナイトメアが暴れた。振り落とされる。
「うっ、ぐぅ」
体が一瞬ふわりと浮いた。それから落ちた。
「グゥ!」
ムシュフシュが駆け寄って来て。
どうすれば良い? いや、違う。一番狙われているのは僕じゃない。だから。
「逃げろっ、君がっ、一番狙われてるんだっ」
それでも逃げない、僕を咥えて引っ張ろうとして。
「いいから!!!!」
そう叫んだ時、矢が飛んで来ているのが見えて。それは痛みに跳ねながらも戻ってきたナイトメアの後ろ足にまた突き刺さった。
「ビィィッ?!!」
派手に転んだ音、僕はその間に立ち上がって木陰に隠れた。
ムシュフシュも同じく、でももう逃げられない。
「出てこいよ害獣共とクソ人間がァ!」
うわ、口調だけで分かる。クズだ。
いや、そんな事より考えろ。武器はある。オナモミだかも急いでいる。少しだけ時間を稼げれば良い。
自分の手と股は真っ黒になっていた。煤のようなそれはナイトメアの眠らせる毒。
「時間がない。良く聞いて」
しゃがんで目を合わせた。
まるで宝石のような、いやそれよりもとても綺麗な緑色の目。そんな事を、一瞬だけ。
隠れなければいけない。茂みが高いところに身を伏せて出来るだけ音を立てず、出来るだけ揺らさないように。
体が熱いようで冷たい。私の胸の音が、息遣いが細かに聞こえてくる。風の音が、木々のざわめきが精緻に聞こえてくる。
如何に私の牙が一撃必殺であろうとも、如何に相手が馬鹿であろうとも、それは一番警戒されている。きっと通じない。だから何かしらの奇襲が必要だ。
……何度も私とソロシーはゲームをしてきた。ソロシーの仕掛けた罠に私は何度も引っかかった。逃れられない、想定していない手段、それが必要だった。そしてそれは、ある。
死にたくない。
いつだって、いつだって、そう思っていた。騎士が死んだ時を除いて。
でも、でも、その為に僕が出来た事なんて精々、毒に侵されながら歩いた事くらいしかなかった。
死にたくない。
いつまでも騎士に頼りっきりだった。ムシュフシュ、君に生かされてきた。
死にたくない。
それは、今はもう、僕だけじゃない。ムシュフシュと共に生きて行きたい。僕はムシュフシュを喪いたくない。そして同じく、ムシュフシュは僕を喪いたくない。
だから、逃げられないなら今、ここでどうにかするしかない。
ナイトメアが偶然にせよ、二本も矢を防いでくれた。稼げた少しの時間。
死にたくない。
だから僕は、弓を構えた。
ワーウルフ、多分オナモミと言うそれが木の上から降りてきた。のたうち回るばかりのナイトメアを一瞥すると、残ったソロシーの方を向いた。けれど、私の場所まではきっとばれていない。
ただ、狼と同様に鼻は良いらしい。風下に居る私の位置もある程度は掴めていると考えた方が良い。
手に持っているのはトケイと同じ石の槍。それに対してソロシーが躍り出た。
「ムシュフシュを出せ、クソガキ」
「い、いやだ」
声が震えている。でも、抗うように続けた。
「この矢は、毒矢だ。掠っても死ぬ」
「じゃあ撃てよ。外した瞬間お前の胸には穴が開くだろうよ」
鼓動が、激しい。
『最も殺したいのは僕じゃなくて、君だ。だから、僕が囮になる。君は隠れて隙を探すんだ。相手だってトケイさんが迫ってきているんだから焦っている。だから隙は絶対にある。無くても作ってみせる! そこに、ソレをぶちかませ!』
ブチカマセ。意味が分からなくても分かった。
思いっきり、全力で、叩きつけろって事だ。
ソロシーが一歩下がる。
それに対してワーウルフが大股で歩いていく。
どんどん距離が詰まる。
飛び出したくて仕方がない。でも、でも、まだだ。
見極めなければ、私が狩られる。
どうすれば? どうすれば??
当たるのか? このワーウルフはこの至近距離で矢を本当に躱せるのか?
はったりか? 本当か?
いや、そうだ、引き付けろ。絶対に当たると信じられる位置まで引きつけろ!
一歩、一歩。手に汗が滴る。ナイトメアの悲鳴が止まった。
ざむ、ざむ。唾を飲んだ。全身が震える。まだ迫ってくる。まだ、まだだ。
一歩。風が吹く。一歩。ワーウルフの槍を握る手が強くなった。
足の先が風上に、ムシュフシュの隠れた方向に体が捻られた。槍を投げようとしている。ムシュフシュに!
手が、弦から離れていた。気付いたら。
パァンッ!
外れた。避けられた。フェイントだ。引っかかった。
「あっ」
駆けた。ワーウルフが矢を躱した。体勢を整え直している。
一瞬、風上になった私の臭いが届いてしまった。私の位置が完全にばれた。
視線はソロシーへと向けられている。けれど、ソロシーは狼狽えていた。
でも。ばれたのは
だから私は駆ける、駆ける。
尻尾の先を地面に這わせて、茂みの中に鉈を隠して。
ワーウルフが私に視線を向けた。
駆ける。槍を突き出そうと構えられる。私は牙をむき出しにして吼えた。
「グラアァァァアアァァアッ!!」
「串刺しにしてやるッ!!」
そうワーウルフも吼えた時。ソロシーが短剣を抜いた。
「毒の短剣だっ!!」
矢を番えるよりも早い、二つ目の飛び道具。弓を捨てていて。
ワーウルフは思わず体を震わせて固まった。
隙、とても大きな、隙だ!
私は跳び、前脚を着いた。
ブチカマセ!!
槍がすぐ傍の空間を貫いていく。
勢いのままに体を回す。尾に括り付けた鉈が、草を、風を、何もかもを切り裂きながら。
どづぅっ!!
「……あ?」
何が起こったのか分かっていない声。
肉に深々と到達した感触。
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