6. 結局
トケイさんの姿は、改めて陽の光の下で見れば、見事な程に真っ白な体毛で覆われていた。それに石や骨から加工して作ったような装飾が程良く見た目にアクセントを加えている。
僕がこまめに体を洗ったりしているだけなのが、みすぼらしくなってくるような見た目だった。
……城では言われるがままだったからなあ。
「ブルル……」
ナイトメアが怯えていた。ただ敵ではない事は理解しているようで、せわしなく落ち着かない。
「まあ、取り敢えず。ムシュフシュは言葉を理解したのか?」
「グゥ」
僕が答える前にムシュフシュが頷いた。
「……なるほど、なるほど。少しは体も大きくなったようで。この距離でもひとっ飛びで俺に噛みつけたりするのかな?
でも、さて。もし、俺をここで殺す事が出来たら、どうなるか聞いてみようか。
別に喋れなくても良いんだ。何となくで良い。体で示してくれ」
そんな矢継早にまくし立てて……。
一応理解出来たかどうか聞いてみようとしたけれど、その前にムシュフシュは首を振った。
「具体的には? ……って聞いても流石に無理だよな」
そう言えばムシュフシュは一歩、トケイさんへと歩いた。
「……ん? おい」
もう一歩。飛び掛かれる距離。流石にトケイさんが槍を構えた。
その穂先に向かってムシュフシュは歩き、額を当てた。そしてそのまま、トケイさんをじっと見つめた。
そうやって槍を向けてないと怖いんだろうと。
……うわあ。馬鹿にしてる。
「……分かった分かった。俺は怖がりだよ」
そう観念するように言えば、トケイさんは槍を戻してまたムシュフシュから距離を取った。
「ムシュフシュも交えて話したい事がある。熊は持っていくから、ムシュフシュは先に戻っていてくれないか?」
そう言えば、ムシュフシュは寝床へと戻っていく。それに続いて、ナイトメアが何度も振り返りながら着いていった。
見えなくなってから、トケイさんは息を吐く。
「想像以上に賢いんだな」
そう言うトケイさんは、僕の想像以上に精神をすり減らしていた。
「ソロシーも最初は怖かったんじゃないか?」
そう言われて、振り返ってみれば。
「僕は……そもそも一回生きる事を諦めたんですよ。親の仇として憎むならもう殺して欲しいって、武器まで投げ捨てて。
でも、ムシュフシュは僕を殺さなかった。だから、何というか……怖いとかそういうところは吹っ飛ばしてしまったんですね」
それが憐れみや気紛れから来るものだとしても、僕とムシュフシュの間には初めから絆があった。
「へぇ……」
珍しいものを見る目を隠さないのは、まあそれだけ珍しい事なんだろう。僕もそう思う。
「そういや、ムシュフシュに名前はあったりするのか?」
「いや、まだです。名前は欲しいみたいですけど、自分で決めさせる事にしたら未だに決められないみたいで。色々な事柄の名前は教えてるんですけど」
「名前なんて自分で決められないものだろ。しっくり来るものなんて探していたらいつまで経っても決まらないだろうし、ソロシーが勝手に名付けて良いだろうよ」
「それも一理ありますね」
「まあ、ここで話してるのも何だ。さっさと行こうか」
トケイさんは熊の後ろ足を掴めば、それを一気に背負う。多少は重いみたいだけれど、それでもトケイさんにとっては走ったり出来そうな程度だ。
頭からぼたぼたと血が垂れていく。
「寝床まで案内してくれ。熊肉は俺も食うの久々でな、少し楽しみにしてる」
「ここまで来たって事は寝床の場所も分かっているんでしょう?」
「……まあな」
ここまで気持ちが良いのはいつ以来だろうか!
いや、生まれて初めてかもしれない。私はかなりの強者に一泡吹かせたのだ!
私は賢いだけのつまらない生物ではない、この毒牙はあのトケイだろうと恐れるものだ。どんなに実力差があろうとも、噛みさえ出来ればトケイだろうと子供の騎士であろうと、何であろうと殺せるのだ!
「ブルルッ……」
ナイトメアが私の顔を覗いてくる。
上機嫌な私をどうにも理解出来ないようで、またまたせわしない。派手に動くとその毒が飛び散るからやめて欲しい。
……けれど。
川まで来て。自分の顔を水面越しに眺める。
やっぱり、私はまだまだ弱者だ。トケイがあんな近くにまで来ている事にすら気付けなかった。
炎だって一応吐けるけれど、弓矢に比べたら弱いにも程がある。あんな速さで飛ばないし、胸や頭に当たったら死ぬとかそんな事もないし。
ちゃぷ、と水に足を踏み入れた。心地良い冷たさ。
……母。
私は母のようになるまでどの位の時間が必要なんだろう? ソロシーが騎士のようにあの剣を振り回せるようになるまで、どの位の時間が必要なんだろう? どれだけ、何をすれば良いんだろう?
トケイに、このナイトメアに生かされているというのは、それが親が子に向けるような善意だとしても、とにかく胸がざわざわする。私とソロシーが母と騎士に守られていた時と大体同じだとしても、何か……何か嫌だ。
どうにかして、どうにかして早くに強くなれる方法は無いかなあ……。
川を越えて、罠をすり抜けて、寝床まで戻る。
特にやる事も無いけれど、やっぱりどうにも落ち着かない。ナイトメアが居るからというより、また私の弱さを突きつけられたから。
辺りを何となく見回す。見慣れた景色。
洞穴の周りは心地良い砂地になっている。洞穴の中には、ソロシーの物が色々とある。罠の材料から、他にも私がまだ何の役に立つのか分からない色んなものまで。
そしてそれから、ソロシーの騎士の巨大な剣が。
ソロシーが来てから出来た、焚き火の跡。ソロシーが来てから作られた色んな罠。母と暮らしている時から変わらずある周りの大木。その中の一際大きく高い大木に、母は良く登っていた。私は未だ、そんな高いところまで登ろうとするとどうしても足が竦んでしまう。
……登ってみようか。登れなきゃ、少なくとも今より強くなれない気がする。
*
戻ってきたらムシュフシュが大木のてっぺんまで登っていた。
ナイトメアが不安そうに眺めていたけれど取り敢えず放っておく事にして、トケイさんは熊の解体を始めた。
毛皮を剥いで、肝を取って、肉を切り分ける。トケイさんはもう何年もこういう事を日常的にやって来ているんだろう。騎士よりも手捌きが格段に早かった。それに、時に爪も使ってざくざくと毛皮を裂いたりするんだから、面白くて目も離せない。
解体し終わる頃にも、汚れているのはその手と、時折つまみ食いをしていた口周り程度で、体の装飾はどれも全く綺麗なままだった。
そして気付いたら、ムシュフシュはまだその大木のてっぺんに立っていた。
ナイトメアがムシュフシュ以上に泣きそうになっている。
「降りられないのかー?」
「……………………グゥ」
……えぇ。どうして今になってそんな猫みたいな事を。
「……言っとくが、俺は助けないぞ。暴れられて万一にでも噛みつかれたくねえ」
トケイさんは手についた血を舐め取りながら、呆れたように言った。
「ですよねぇ」
この大木は、かなり高い。しかも途中からは枝とかも余り生えてないから登るのにも一苦労だし、そもそも僕が登ったところで助けられる訳でもない。
手製のロープは作ってみてあるんだけど、そんなに長くもないし、ムシュフシュの体重を支えられる保証もないし……。
さて、どうしたものか……。
そう悩んでいると、トケイさんがまた口を開いた。
「俺がここに来た理由な、近々俺達の集落の皆がこのソロシーの縄張りに入り込むって事を伝えに来たんだ。色々物を漁ったりだとか、後は周りの調査もやる予定になってる。
そうなると、こっちの近くにも必然的に来るしな。お前の母親が居なくなった事もばれるだろうって事だ。
それで、だ。別にそいつらに歯向かえだとか言ってる訳じゃない。けれど、その気になれば一人くらいは捨て身で殺せるんだというような気概くらいは見せられなきゃ、どの道お前に未来は無いんだよ。
ソロシーにもな」
「グゥ……」
「お前の母親に子供を殺された奴も、調査する皆の中に居る。その子供がお前等の縄張りに入ったのが原因ではあるが、それでもお前を見たら殺したくなるだろうよ。
そんな時にお前、こういう情けない姿を見せていたらどうなると思う? 分かるよな?」
……トケイさんは、僕達を甘やかしてまで生かす気は無いのかもしれない。
敵に回るよりは有り難いけれど……、流石にちょっと厳しいよ。
ムシュフシュは意を決して降り始めた。ゆっくり、ゆっくり。恐る恐ると。
「……はぁ」
トケイさんはまた溜息を吐いた。そんな姿をナイトメアは不服そうに見たけれど、片腕の先が携えている槍に伸びただけで離れた。
「結局、ナイトメアもただの臆病な馬だな。当然っちゃ当然だが」
ナイトメアの方を直接見もせずに、そう結論づけた。
「……僕とムシュフシュは、生きられるんでしょうか?」
「別にな、ソロシー。お前だけなら俺
「そう、ですか」
「あれだけ賢けりゃ、こっちの馬鹿共が馬鹿やってなきゃムシュフシュも込みで大丈夫だったかもしれないんだがな」
「はぁ……。因みに、その恨みを持っている親って言うのは何人居るんでしょうか」
「二人。その内の一人が調査に入る予定だ」
「……」
黙っていたら、トケイさんが何か迷うような素振りをしてから、意を決したように言った。
「……………………殺さずに捕らえられるなら、それが一番良い」
ムシュフシュがやっと降りてきた。
僕、ムシュフシュ、ナイトメア。
トケイさんが絞り出したように言った最善策。
それが出来るかどうか、トケイさんがどう見ているかは明確だった。
「子が馬鹿なら親も馬鹿でな。そのオナモミは感情だけで生きているような奴だ。
もし調査の途中にムシュフシュ、お前を見たら目もくれず殺しに行くだろう。お前の母親が生きていようが生きていまいが。
そんな最中にソロシーが罠を仕掛けておけば、ほぼほぼ引っかかってくれる」
聞くだけなら簡単そうに思える。ただ、トケイは血に塗れた爪を見せつけながら、また牙をむき出しにしながら続けた。
「ただ、俺達はワーウルフだ。この爪と牙は肉を容易く八つ裂きに出来る。馬までとは行かずとも、子供のムシュフシュには十分追いつける位の脚力もある。その脚で蹴り飛ばせば、人間どころかムシュフシュの内臓だって弾け跳ぶだろうよ。
そんな奴にお前達が無傷で捕えなくてはいけないと考えると、俺は勧めない。勧めたくない」
トケイの手足はそう太い訳じゃない。体相応と言ったところだ。
でも……そもそもの体躯が違い過ぎる。
「……それ以外に丸い方法はあるんですか?」
そうソロシーが聞けば、トケイはとても難しい顔をした。
「結局、オナモミともう一人が全てなんだ。ムシュフシュが言葉を理解した今なら、その馬鹿共が居なけりゃ、俺達の元に連れていく事だって考えても良かったんだがな。
そうでなくても自然に出会わせる事だって考えた。だが、子供だけが生きているって分かった途端、あいつらは卑怯な手を使ってでも、ソロシーが居ようが居まいが、誰に止められようが、絶対に殺しに来る。そういう奴等だ。
……より正確に言おうか。その二人のどちらかでも、強い恥を掻かせれば良い。
そうすりゃ、俺がお前達を四六時中守らなくても流石に狙われなくなるだろうよ」
ハジを掻かせる? ハジ?
「何か分からない言葉でもあった?」
……いや。何となくは分かる。
焼き上がった熊肉を乱雑に食い千切ると、溜息を吐きながらトケイは言った。
「でな、俺もそう頭が良い訳じゃない。次に丸い方法ってなると、もう俺がそいつらを殺すくらいしか思いつかねえんだよな」
「そ、それは……」
いや、いや……同族なんだろう!?
「何。俺にとってお前達、ソロシーの方がもう大切だし、ムシュフシュ、お前が多少誘導してくれればそれだけで良い。見えないところで殺してしまえば、ソロシーまで殺そうとしてたって言い訳も出来るからな。
そうすりゃ、もう一人の方も俺に襲いかかってくるだろうしな。迎え撃てばそれでおしまいだ。
多少俺の立ち位置が悪くなるだけで、厄介払いも出来て丁度良いだろう」
そう言うトケイは、そうする事をもう半ば心に決めているようだった。
……私達が心許ないから。まだ子供だから。
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