3. 凋落

「さて……」

 自己紹介も兼ねた多少の身の上話が終わると、トケイさんはまた、僕の目をじっと見て言った。

「まず、お前達は弱過ぎる」

「……」

 当たり前の事を言われた。

「そして、俺達にとってムシュフシュは討伐したい獣だ。どうしてかここらにやって来ていたナイトメアよりもな」

 淡々と。肝が冷える感覚がした。

 ムシュフシュも顔を上げて、少し離れた場所でトケイさんと僕の方を見ていた。

 トケイさんはムシュフシュを見つめながら続ける。

「その分厚い毛皮と鱗から作られた鎧は何よりも軽くて頑丈で、しかも全く燃えない。角や内臓は扱いこそ難しいが、貴重な薬になる。その毒は狩猟にこそ使えないが、拷問に使うにはうってつけなものだ。適度に薄めて使えば死なないし副作用も残らない、けれど地獄のような苦痛を味わわせられる。

 そして成長した個体は俺達が五人掛かりでも、きっと苦戦するであろうほどに強い」

「え、あ……」

 素材としてしか見ていない、分かち合える相手だと見ていない目。狩猟者としての目。

 ムシュフシュはその言葉の内容まで分かっていないだろう。それでも、その目だけに気圧されて後ずさる。

「そして俺達の中にも、その毒牙にやられて死んだ仲間も数人居る」

「う……」

 握られたままの槍。それは座ったままでも、ムシュフシュが何をする事も許さずに貫いてしまいそうだった。

 逃げろ! と喉まで言葉が出かかって、けれど、それよりも。

 僕は震える体を動かして、その間に体を挟んだ。おや、とトケイさんが僕に関心を移す。

 ……うん、やっぱり。僕は激しい動悸を必死に抑えながら、一度呼吸を挟んで言った。

「殺すつもりなら、もう殺していますよね? 試すような真似はやめてくれませんか?」

 すると、トケイさんは見せていた気迫をすっと消して落ち着いた。

「……そうだな。俺には、お前達を害するつもりは無い。

 けれどお前達、特にムシュフシュはこのままじゃ近い内に狩猟されるぞ。

 そして、俺が擁護するにも限界がある」

「……」

 トケイさんは、毒牙にやられて死んだ仲間というのは、ムシュフシュの縄張りを手柄目当てに侵した仲間達であり、それは自業自得であるという事。けれど、そうして死んだ仲間の親族達は、それでもムシュフシュという種族を良い目で見ていない事を言った。

「僕は……ムシュフシュは……どうすれば?」

「言葉を覚えさせろ。まずはそれからだ」

「……ですね」

 僕は、ムシュフシュはすぐにでもワーウルフ達にとって脅威になれる程に強くなれる訳でもない。だったら出来る事は、従順を、意思疎通が出来る事を示す事位しかない。

 後ろを振り向けば、そのムシュフシュがおずおずと僕のすぐ後ろまで戻って来ていた。

「明日から、ゲームはちょっと中止かな」

 けれどムシュフシュは、不安そうな目で僕の事を見るだけだった。


*


*


 小川を越える。その際に子供……二足のデカい狼のトケイから、ソロシーと呼ばれていた、そのソロシーは仕掛けていた罠を回収して、中には中々大振りな魚が数匹入っていた。

 今日の飯には困らなさそうだ。

「……僕達、守られっぱなしだね」

 私は振り向く。結局、ソロシーが何を言っているのかはまだ大して分からない。けれど、言葉にはいつだって感情が籠もっていた。それは日に日に分かるようになっていた。

「騎士に守られて、親に守られて。それが居なくなってしまったら今度は、そんな僕を見ていたワーウルフが手を貸してくれた。

 僕達は生きている事自体がもう、当たり前じゃないんだ。気付かない内に、もう弱者もいいところになっていたんだ。

 うん……そうだよね、ここは無窮の森なんだもんね」

 言葉には強い恐れと、少しの戸惑い。それだけで、何を言っているのかはある程度想像は出来る。

 私達はもう、狩られる立場に居るのだ。そして、それに抵抗する力は何も持っていない。

 私達は、強者の気紛れで生かされている。

「グゥ……」

「はぁ……」

 手に提げていた罠の中で跳ねていた魚が、次第に力を失くしていく。

「それであのナイトメア、僕達を結局どう見てるんだろうね」

 ナイトメア。あの嫌な夢を見せた、真っ黒な草食獣。

 昨日、トケイとソロシーが話している間に、途中からそのナイトメアという言葉が何度も出てきた。

 そして、最終的にソロシーはトケイを信頼出来る相手だと見たようで、けれどそのトケイは去って行ったまま、今日も姿を現さず、私達はこうして私の寝床へと戻ってきている。

 躊躇ったけれど、ソロシーが大丈夫と言うのを、私は信じた。

「敵ではない。害意があったなら、もっと強い悪夢を見せている。

 自力で起きたなら、それは顔を見たいだけでやった事だ、ねぇ……。

 だからと言ってあんな夢見せられるのは勘弁なんだけど」

 くたびれた声。私も思い出してしまった。

 狼の群れに追われて、必死に逃げていた夢。木に登る事も忘れて、駆け足は段々と多く、そして近付いて来ていた。何度も何度も母に助けを呼んだけれど来る事はなく、その牙が届こうとした時、ソロシーに起こされた。

「ふあ〜、あ……」

 ソロシーが欠伸をした。

「あ、違うの。少しだけ、単純に寝不足でさ。ほら、夜遅くまで話していたし」

 ナイトメアの影響でない、と示すように体を動かせば、少しほっとする。まあ、私も眠くはある。

 でも、こうしてのんびりと過ごせるだけの日々は終わりを迎えようとしているのだろう。

 私も、そしてソロシーも、強くならなければいけない。ソロシーより狩りが下手なのは嫌だとかそんな理由以上に、単純に生きる為に。

 不安しかないが……それでも私達はまだ、生きている。生かされている。

 その時間で、何としても強くならなければいけない。

「あ……」

 ソロシーが足を止めた。

 私も後ろ足で立ち上がって頭の高さを合わせてみれば、その先には強い足跡があった。

 鋭い爪はない草食獣の、けれど狼や猪よりも深くまで沈み込んでいる、それだけで巨大な体躯を示している足跡。

 ナイトメアのものだった。


「敵ではない、って言われてもなぁ」

 ナイトメアに関しては、ムシュフシュのように人と生きた記録や物語といったものは少なかった。

 その悪夢を見せる能力はナイトメアの体から分泌される、人でいう汗のようなものらしくて。その体に手を滑らせたら煤のようなもので真っ黒になっていただとか、鬣に顔を埋めたら、丸三日起こせる事もなくうなされ続けていただとか。

 風が吹けばそれが黒い靄となって辺りを覆う。それが鼻や口に入れば昨晩の通り、悪夢にうなされる。

 知性も人並みにあるらしい。その体躯は馬よりも一回り大きく、力強さは遠くから見るだけでもはっきりと伝わってきた。

 でも、その特性は他の種族と生きるという事がほぼ無理なんじゃないかとまで思う。

 僕は持ってきた布で口と鼻を覆った。気休めにしかならないかもしれないけれど、それからムシュフシュに向き直る。

「えーっと、鼻と口。ナイトメアの粉を吸ってしまうと、寝てしまうから。これを付けるよ」

 身振りも加えて伝えると、ある程度理解してくれたのか、ムシュフシュは「グゥ」と一度鳴いた。

 しゃがんで布を持つけれど、でも、えっとこれ、どう巻けばいいんだ? 人間はマズルが無いというか、平べったい顔をしているから後頭部で適当に布を結んでしまえば良いんだけど。

 そうしようとすると、自然と角にまでいってしまうし、口と鼻を覆って角の後ろで布を結ぼうとすると目まで覆われちゃうし。かと言ってすぐ外せるようにしておかないと最大の武器である毒牙が使えなくなるし。

「えーっと……えーっと……?」

 悩んでいると、いきなり背中から衝撃が来た。前に転んでしまう。

 振り向けばムシュフシュの尻尾が僕を叩いていて、矢筒から矢を一本引き抜いていた。矢尻を毒牙で噛んで、渡してくる。

「……分かったよ」

 自分の事は良いから、もし危なくなったらお前が殺せ、って事なんだろう。

 布をしまって、矢を受け取る。

 ……結局、ナイトメアは何で僕達の前に姿を現したんだろう。トケイさんと一緒、というのは楽観的過ぎるし。

 けれどそんなトケイさんに敵意は無い、とまで言われたら正直、出会い頭にこの毒矢を打ち込む気にもなれないし。

「まあ……なるようにしかならないか」

 僕みたいな弱者が言うような台詞ではないだろうけれど、なるようになるしかない。トケイさんの言葉を信じるなら、最悪な目には遭わないだろうし、それに僕達は暫くあっちには戻れないのだから。

『ムシュフシュが言葉を理解するまで、ここには戻って来るな。そんな状態でもし他の誰かに会ったら、お前も擁護し辛いだろう?』

 これから僕がすべき事は、ムシュフシュと強くなる事じゃない。それより先に、ムシュフシュがワーウルフ達に無害である、有益であると示さなくてはいけない。

 ただ、それはムシュフシュのプライドを今以上に傷つける事になるのは分かりきっていて、正直気乗りはしなかった。

 また、歩き始める。

 ナイトメアの足跡は丁度、僕達の向かおうとしている方向……ムシュフシュの住処に向かっていた。

 一度顔を見合わせて、けれど前に進む。ムシュフシュが後から付いてくる。

「グ、グアッ、キャンッ!」

 狼が舌を垂らしながら。

「フッ、フッ……フゴッ、ガフッ、ゴブッ!?」

 猪が四肢をじたばたとさせて。

「ピィーーーーッ!!」

 子鳥が地面に倒れ伏しながらかん高い悲鳴を叫ぶ。

 そんな異様過ぎる光景を見せつけられていく。足跡は未だ、寝床に続いていた。まっすぐと。

 間違いなく、ナイトメアはムシュフシュの寝床で待ち構えている。害意のある生き物であろうがなかろうが、通った近くに居る全てを悪夢に落とし込みながら。

 気乗りが、しない。

 でも、行かないという選択肢は、結局は選べない。

 トケイさんは他のワーウルフ達から僕達を庇護すると約束してくれた。けれどそれだけで、僕達を強くしてくれる訳でも、ましてや行動を共にしてくれる訳でもない。そして暫くそちらには戻れない以上、ナイトメアとは会わなくてはいけない。

 段々と近付いていく。自ずと鈍くなる足取りを、喝を入れるように前へと動かす。それでも弓矢を握る手がじっとりと湿っていく。

「……もうそろそろだ」

 ムシュフシュと顔を見合わせる。


 悪夢に叫ぶ獣達を傍目に歩いていれば感じられてくるナイトメアの臭い。それは、生き物の臭いとしてはとても独特だった。

 ソロシーが肉を焼いた後の、木々の燃えカスのような。生命として終わりを迎える間近の生き物から発せられるような。はたまた、寒くなり始めた頃に茶色く、水気を失い枯れていく草木のような。

 そのような、終わりを感じさせる臭いをしていた。嗅いでいて不快というような気はせず、それどころかその終わりに誘われるような感覚がしてきて、とても恐ろしかった。

 その誘いに乗ったら最後、最悪な眠りをひたすらに見せられ続ける。

 ただ、それでもナイトメアは草食獣だった。牙も爪も持っておらず、肉を食う必要の無いその草食獣は、獲物を狩る必要はない。

 だからその悪夢を見せる力は、自らの身を守る為だけに使われている。

 狼も、猪も。そしてその気になったら私だろうとソロシーだろうと眠らせられるし、きっと風向き次第ではトケイとやらも、ソロシーの父だろうと私の母だろうと眠らせられるのだろう。

 どうして争う必要のない草食獣が、そこまでの力を持っているのか。私に限らず、肉食獣が毎日のように食い殺してくるのにとうとう草食獣が反逆を翻しつつあるのか?

 そんな事まで考えながら、私とソロシーは茂みを掻き分けて寝床にまで戻ってきた。

 そこには、ナイトメアが居た。

 草むらに寝っ転がって、呑気にむしゃむしゃと草を食べている。

「……」

「……」

「えっと、アレだよね?」

 ソロシーが不安そうな声で聞いてくる。私も顔を見合わせる。

 恐ろしさなんて全く感じさせない姿で、本当にあれが昨晩のナイトメアなのか。

 けれど、ナイトメアが立ち上がって私達の方を向いてくれば、そんな疑問も吹き飛んだ。

 四足の生き物なのにも関わらず、トケイと同じくらいの背丈を誇る巨躯。

 その真っ黒な肉体が、黒い靄を漂わせながら歩いてくる。ただそれだけで、死そのものが近付いて来るような恐怖に襲われる。

「く、来るな!」

「グァルルルッ!!」

 思わずソロシーと私が吼える。ナイトメアは足を止めた。

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