2. 自覚
こつ。こつ。
こつ。こつ。
階段を登っている。手首は後ろで縛られ、後ろからは槍で急かされている。
登りきった。
目の前にある枠組みの先から、沢山の民衆が見えた。城の外から見ていたような、色々な職業に就いている老若男女が全て僕を見ている。
けれどそれらの顔は等しく、僕に興味津々だった。これから殺される僕に。
枠組みの上には、分厚く巨大な刃が吊り下がっている。
息が激しくなる。髪を掴まれる。
『いっ、いやだっ! やだっ、死にたくないっ! ぼ、ぼくが何をしたって言うんだ!』
けれど抵抗は何も出来なくて、窪みに首を押し付けられる。仰向けに。
押し付けた男の顔が見える。……騎士だった。
『何をしていなかったのが悪いんだろう』
『まだ十歳半ばだってのに? 王子は他にも居るのに、それでも何もしていなかったのが悪いって言うの!?』
『そうだ』
騎士は冷たく言うと、首を固定して紐を握った。
そして思い切り引っ張って。
『う、あ、あああああああああああああ』
「あああああっ!!!! あ、ああ? ああ……夢か……」
こんな悪夢、久々に見たなぁ……。この森の中に入ってから暫くは見ていなかったって言うのに。
「グッ、ギギッ、ガッ、グアッ……」
苦しげな唸り声がして見てみれば、ムシュフシュも寝ながら体をじたばたと動かしていた。
……一緒に悪夢を見るなんて、珍しいな。
噛まれたら洒落にならない。
火かき棒代わりに使っている枝で突いて起こした。
「ガッ、グッ、ガアッ……? グゥ……」
「大丈夫?」
「グゥ」
聞くと、落ち着いたように返してきた。
「はぁ……僕も悪い夢を見ていたんだ。一回、外に出ない?」
そう言って外に出れば、ムシュフシュも着いてきた。
子供の寝床の周りは罠だらけで、その中なら夜に外に出ても余り危険じゃない。
外は月明かりが照っていて、中々に明るかった。
「はぁ……」
再び子供が溜息を吐いた。私がうるさかったから、というより、どうも子供自身も何か悪い夢でも見ていたのかもしれない。
珍しい事だが……、何か記憶に引っかかった。
……そうだ、母の見回りに着いていった時の事だ。丁度この位の、夜になっても生暖かいくらいの季節だった。
真昼間に縄張りの境界辺りまで歩いていった時、そこらで獣達が不自然に寝ていたんだった。狼だって、猪だって、鹿も山羊も、鳥も何もかもが。
それらは唸り声やらを上げたり、寝ながらに藻掻いていたりして、遠くから見ても気持ちの良いような眠りはしていなかった。
すると母は、遠くの方を見て強く吼えた。怒気を強く孕んだ声で、私も少し怯えてしまう程の。
そうすると獣達も飛び起きて逃げていく。気付けば私も、母に少し怯えながらも眠気を覚えていて、どうやらこれは、誰かがやったものらしいと言う事だけは思った。
……それが近くに居る?
この罠を突破してくる事は余り無いと思うけれど、一応見回っておくべきか。
「……ねえ」
小声で子供が言った。振り返ると、子供が指差した。
「あれ……僕達を見ているよね?」
……月明かりが無ければ気付かなかっただろう。それまでに真っ黒な四足の草食獣がこちらを見ていた。
角は生えていない。鹿などと似た体躯だが、それよりもかなり大きい。頭の位置は母よりも高い場所にある。四肢も強靭で、駆ける事に関しては狼をも凌駕しそうだった。
「本で読んだ事がある……、アレは悪夢……ナイトメアだ。ナイトメア」
子供は、その生き物の事を知っているようだった。ナイトメア。私達がムシュフシュと呼ばれているらしいように、それがアレの名前なのだろう。
罠の前でただ、私達を観察するように突っ立っている。
こういう時、どうしたら良いのか。母ほどに力があったなら、吼えるだけで追っ払う事も出来るだろうに。
……そうか。気付いてしまった。
……
私の母に、子供の父に、私達は外敵から守られていた。私など比べ物にならない程に鋭く縦横無尽に駆けられる体躯から放たれる毒牙が、その私の母をも両断する牙が、 私達を外敵から守っていた。
それが無くなってしまった今、この地は安全ではなくなりつつある。
現に、このナイトメアとやらはもう、私の母と子供の父という脅威が居なくなった事に気付いたのだろう。だからこうして堂々と目の前に立っている。
ナイトメア。見た目は普通の馬よりやや大きいだけの黒馬。けれど、その全身からは何者をも眠らせ、悪夢を見させる強烈な何かを常にばら撒いている。
草食で、争いは好まない。けれど襲われたら、より一層強いその何かをばら撒いて即座に眠らされ、悪夢を見させられながら頭を踏み砕かれるのだと言う。
そう、本で読んだ事はあるけれど……。何故そのナイトメアが僕達を見ているのか。
今、僕は弓矢を持ってきていなかった。すぐそこの洞穴の中にあるというのに、取りに行くだけの余裕がない。
この距離は、罠の事を分かられている。そしてその脚力なら、罠なんて無理矢理突破して来そうな気もした。
でも、その巨大な体躯で見られているだけで、僕は動けなかった。
万が一罠を突破されてきたら、もうそれだけで僕には打つ手が無い。だから、だから、弓矢を持ってこなくては。
意を決して動こうとした時、そのナイトメアが顔を動かした。別の方を見て、そして逃げるように走って去っていった。
「え……?」
それは全く喜べる事じゃなかった。
この近くには、ナイトメアが逃げる程の何かが居る。急いで弓矢を取りに行こうとすれば、そのナイトメアが見ていた方向から何かが駆けてくる音がした。
でも、今は取りに行かなきゃ! 僕は弓矢が無きゃ何も出来ない!
「グルルルル……」
戻った時、その数秒の間に、今度は人狼……ワーウルフが罠を飛び越えてやって来ていた。
騎士よりもでかい体躯。分厚い毛皮と、隆起した筋肉。
それでいて矢筒と弓矢を背に、全身に装飾をしている、文化を持っているのが分かる。その片手には尖らせた石を穂先にした槍を持っていた。
ムシュフシュが唸っているけれど、それでも及び腰だった。
「……」
落ち着いた目つき。握っているだけで向けられていない槍。
敵意は、無さそうだった。ただそれは、僕達が単純に脅威と見做されていない、それだけな気もした。
……これは、詰みだった。
でも。
僕は矢を一本抜いて。
「番えるなら、俺の槍はお前の心根を貫く」
冷淡な、それでいて透き通るような声で言われた。
「え、あ……」
動けなくなった僕にワーウルフは溜息を吐いて、続けた。
「こんな危機にも駆けつけて来ないだなんて、お前の父親はどうしたんだよ。死んだのか? それにどうしてお前はムシュフシュと生きている」
「え、父親、あ?」
ナイトメアと同じく本で知っていたけれど、初めて見る種族。そして、人と同じように流暢に、それも矢継早に質問を投げかけられて、僕は頭が回らなくなってしまう。
そんな僕に、ワーウルフは近寄ってきた。ムシュフシュに槍を向けて、それだけでムシュフシュも動けなくなっていた。
すぐ目の前まで来たワーウルフは再び口を開いた。
「別にな、お前達を殺そうが俺
だからな、これは俺の気紛れだ。
気が変わらない内に答えろ」
騎士は父親じゃない。でも、そんな事よりも、端的に答えなければ殺されるような迫力があった。
「騎士は……ムシュフシュの親と相打ちになった」
「え、あ、あー……。なるほど、そうか、そうか……だからか」
僕の答えは予想外だったようで、ワーウルフはばつが悪いように明後日の方向を向いた。
チャンスか? とムシュフシュが足に力を込めたけれど、僕が手を前に出すのと、ワーウルフが槍を向けたのは同時だった。
「グ……」
「あ、貴方は?」
僕が恐る恐る聞くと、ワーウルフは答えた。
「先にお前から言え。この森の一番の異物はお前なんだ」
「ソロシー。クレセント・ソロシー」
言ってから、思わず本名を言ってしまった事に気付いた。偽名を使うことも久しくなかったから。
騎士からも、森の中では本名で呼ばれていたから。
「クレセント? 本当に言っているのか?」
「……はい」
はー、とワーウルフは再び強い溜息を吐いた。
「何かあったのか」
そう聞いてくる声は気付けば優しげで、僕の事を案じているものだった。
どさりと座ったその狼と子供の種族を混ぜ合わせたような姿の生き物は、幸いな事に私達を殺すつもりは無さそうだった。
子供と同じような声で複雑な意思疎通もしているし、何というか……私の母のように外敵は何であれ噛み殺す、みたいな気性はしていないようだった。
それでも立っている私の事を、その生き物は見てくる。子供も座って、私は……少し距離を取って座った。
「俺の名は、三叉槍右牙のトケイだ。トケイと呼んでくれ」
「三叉槍右牙のトケイさん」
サンサソウ、トケイ? いや、長くて私には覚えられそうにもない。
「俺はここから少し遠くに、仲間達と住んでいるワーウルフの一人だ。そして、お前達の監視役だった。お前の父親? いや、騎士って言ってたよな。そうじゃないのか?」
「……はい。多分、僕の父親の王様は、もう殺されてます。騎士は僕を守りながらここまで逃れてきました」
「なるほど……。最初見た時は本当に驚いたよ。熊の頭蓋をも叩き割っちまうんだから。それのせいでお前達には手を出さず、監視しろって命令が出た程だ」
「……そうじゃなかったら、どうなってたんですか?」
「襲ってただろうな。いやいや、今は襲う気は無いさ。少なくとも俺はな。
お前の事、ずっと見てたんだぜ? その騎士の方は少なからず気付いていたみたいだけどな。王子だとまでは思ってもなかったが、少なくとも訳ありだって事は分かってたし、この森で生きられるようにと頑張ってるお前の姿は、まあ何だ、見てて飽きなかった」
「え、あ、はあ」
段々とサンサソウの何とやらの口が早くなっていくのに、子供もいつしか気を抜いていた。
けれどそいつは、一瞬たりとも気を抜いていなかった。
それは私が居るから。
その貫くのに特化したような牙にはずっと手を掛けていたし、私の方に意識が割かれているのには、流石に分かっていた。
……そのサンサソウの何とやらは、子供の事を気にかけていたようだった。もしかすると、子供と私が会う前から。
けれど私の事は何とも思っていないように見えて、何だか、段々つまらなくなってきた。
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