第7話 恩返しのために

 病室を出た俺は、ナースステーションに寄った。


「あの、さっきはすみませんでした」


 幸いさっきの看護師さんがいたので、声をかけておく。


「ああ、いえ。お気になさらず」


 ああいう対応にも慣れているのだろう。

 彼女は本当に、気にしていない様子だった。


「あの、奥村さんは?」

「鎮痛剤が効いたのか、眠ってます」

「そうですか」


 彼女はそう言って、ほっと胸を撫で下ろす。


「それじゃ俺、帰りますんで」

「はい。お気をつけて」


 彼女と、奥にいる数名の看護師やスタッフに対して軽く頭を下げた俺は、エレベーターに乗って病棟を出た。

 そしてそのまま堂々と歩いて病院の敷地を出たところで、足下に黒猫が寄ってくる。


「おつかれ」

「うむ」

「それじゃ、帰るか」


 シャノアを抱えて自宅に〈帰還〉する。


「シャノア、たのむ」

「うむ」


 シャノアが返事をすると、玄関に降り立った彼の影から、入院着を来たタカシが姿を現した。


「うぅ……」


 さっき看護師さんに報告したとおり、タカシは鎮痛剤の影響で眠っていた。


「まさか〈影落とし〉をこのように使うとはな」


 目を閉じ、ときおり呻くタカシを見ながら、シャノアが呟いた。


 〈影落とし〉は【忍者】のジョブスキルだ。

 本来は影の中に閉じ込め、身動きが取れなくなった敵を攻撃するというスキルだが、シャノアがなにもしなければ特になにも起こらない。

 すべての感覚は遮断されるが、呼吸などは普通にできるらしく、影の中にいても生命の危機はないようだ。


 シャノアには〈影落とし〉でタカシを連れて、窓から病院を出てもらった。


 あえてナースステーションに寄ったのは、俺がひとりだったことを印象づけるためだ。

 あとから防犯カメラを確認しても、病院内をひとりで歩く俺しか映っていないだろう。

 もちろん病室内にはカメラなんて設置されていないので、シャノアが〈影落とし〉を使う瞬間も、窓から出る場面も見られてはいない。


 あとは敷地の外で合流し、〈帰還〉したってわけだ。


「よし、じゃあいったん向こうに〈帰還〉しよう」


 タカシひとりが増えているぶんを考慮し、念のため魔石を新しいものに変えておく。


「儂、影の中に入ってていい?」

「だめ。なにが起こるかわからないんだからな」


 世界を越える転移なので、できるだけ他のスキルの影響をなくしておきたいのだ。


「……しょうがない」


 シャノアも納得したのか、諦めたように返事をする。


「よいせっと」

「ほっ」


 俺がタカシを抱えると、シャノアは肩に乗った。


「じゃあいくぞ」

「うむ」


 スキルを発動すると、例のごとく世界が歪み、目眩を覚える。

 やはり回数を重ねるごとに成長しているのか、気持ち悪くなる時間は短くなっていた。


「ふぅ……」

「ニャッ……!」


 ウォーレン邸に到着するなり、シャノアは短く鳴いてさっさと床に飛び降りた。


「うぐぅ……」


 タカシは呻き、身じろぎしたが、目覚める様子はない。


 とりあえず目眩も治まったので、タカシをベッドに横たえる。


「シャノア、悪いけどトマスさんたちを呼んでくれるか?」

「わかった」


 シャノアは短く返事をすると、部屋の扉を〈壁抜け〉で素通りして外へ出て行った。



 ほどなく、シャノアに呼ばれたトマスさんとアイリス、そしてメイドのモランさんがやってきた。


「アラタさん、この方は?」


 ベッドで仰向けになるタカシを見て、トマスさんが問いかけてくる。

 彼の手脚がないことは見ればわかるので、みんな沈痛な面持ちだった。


「俺の、命の恩人です」


 俺はタカシが渡してくれたナイフのおかげで、あのときのオーガに勝てたことを説明した。


「なら、私どもにとっても恩人ということになりますなぁ」

「この方がいなければ、わたしたちはあのとき死んでいたかもしれませんよね」


 そう、タカシは間接的に、トマスさんたちも救ったことになる。


「それでトマスさん、お願いがあるんですが」

「わかっておりますとも。ウォーレン商会の持てるすべての力を使って、最高の【白魔道士】を雇って見せますからな!」

「よろしくお願いします……!」


 地球ではどうにもならない四肢の欠損だが、この世界には〈再生魔法〉がある。

 かなりの時間と費用がかかるはずだが、俺はなんとしてでもタカシを元の身体に戻してやるつもりだ。


「それにしても誰がこんなひどいことを……絶対に許せません……!」


 タカシの状態を見て、アイリスは口を震わせながらそう言った。

 恩人に対するひどい仕打ちに、心底怒っているようだった。


「そうだな……許せないよな……」


 ジンとは関わらないと、そう決めた。

 だがタカシを……恩人をこんな目に遭わせされた以上、黙っているわけにはいかない。


「どう、落とし前をつけてやろうか」


 相手はAランク冒険者だ。

 そのバックには、おそらく警察にも影響力のある元国会議員がいる。

 ヘタな手を打つと、冒険者ギルドと警察の両方を敵に回す恐れがあった。


 最悪の場合、俺は地球での生活を捨てて異世界で暮らすという選択肢がある。


 だが、できることならあちらの生活も維持したまま、ジンだけでなくヤスタツも叩きのめしたい。

 そのためには、しっかりと時間をかけて考え、作戦を練る必要があるのだが……。


「うっ……ぐぅ……」


 タカシが苦悶の表情を浮かべ、呻くたび、ジンのやつにショットガンをぶっ放したい欲求に駆られる。


 少しこちらで、頭を冷やすべきか……。

 トマスさんたちに相談すれば、妙案も浮かぶかもしれないしな。


「主、まずいぞ」


 考え込んでいると、シャノアが少し切羽詰まったように声を上げた。


「どうした?」

「薬屋の娘があぶない」

「セイカが? どういうことだ!?」


 なぜ急に、セイカの話になるんだ?


「分身があの娘に対する害意を察知した」

「分身ってお前……〈影分身〉を使ってるのか!?」


 〈影分身〉もまた【忍者】のスキルだ。

 実体を持たない分身を生み出すもので、基本的には索敵にしか使えないが、ものすごく便利だ。

 分身を維持できる距離の限界はわからないと、シャノアは言っていたが、まさか世界を越えてまで有効だとは……。

 これもシャノアが神獣なおかげだろうか。


「礼を言えん代わりに、少し見守ってやろうと思ってな」


 シャノアが、気まずそうに言う。

 世界を越える〈帰還〉に影響があるからと〈影移動〉の使用を禁じていたから、怒られると思ったのだろう。


「シャノア、でかした!」


 たしかに危険を伴う行為ではあるが、おかげでセイカの危機に気付けた。

 結果オーライってやつだ。


「みなさん、タカシのこと頼みます! シャノア、いくぞ!」

「うむ!」


 トマスさんたちにタカシを託し、腕輪を確認する。

 魔力はまだ半分以上残っていた。


「アラタさん、お任せください」

「アラタさま、お気をつけて!」

「いってらっしゃいませ」


 3人に頷き、飛び込んできたシャノアを抱えて自宅に〈帰還〉した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る