第19話 帰還

「ふぅ……」


 あのあと風呂を借りてさっぱりし、案内された部屋のベッドに腰掛けた。

 来客用の寝室だとかで、日本だとそこそこいいホテルの部屋くらいの広さと設備だ。

 ベッドもクイーンサイズくらいはあるし。


 衣類は〈収納〉にたくさんはいっているので、とりあえずジャージに着替えた。


「12時か……」


 朝の5時から森を歩き始め、オーガを倒してトマスさんたちに同行した。

 もっと長い時間を過ごしたつもりだったが、まだそれくらいしか経っていないのか。


「腹、減ったな……」


 と口にしたものの、それ以上に眠気が勝っていた。



 気がつけば俺は眠っていたらしく、ノックの音で目覚めたとき、窓の外はすっかり暗くなっていた。


「お休みのところ申し訳ございません。旦那さまがお呼びです」


 女性の声で呼びかけられた。


「はい、すぐに行きます」


 そう返事をして、身体を起こす。


「んー……」


 身体のあちこちがきしむ。

 いつもならこれくらい寝ればすっかり疲れはとれるんだけどな……。


「あー、魔素が薄いせいか」


 どうやら〈健康〉スキルの効果が落ちているようだ。


 とりあえず室内に洗面台があったので、さっと身だしなみを調えた。

 ジャージ姿というのもあれなので、デニムとコットンシャツに着替える。


「おまたせしました」

「とんでもございません。ではこちらへ」


 メイドさんの案内で、別の部屋に案内される。


 そこはダイニングルームのようだった。

 ちょっとしたパーティーが開けそうな広さだけど。


 部屋には、トマスさんとアイリスさんが待っていた。


「アラタさん、お待たせしました」


 彼はそう言うと、テーブルの上に箱を置いた。


「トマスさん、これは?」

「ご覧ください」


 トマスさんが箱を開けると、緩衝材の上に黒く輝く石がふたつと、さっき見せてもらった魔神の腕輪が置かれていた。


「大急ぎで加工させた魔石です。レッドドラゴンのものから、3つとれました」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 おお、あの短時間でこれを用意してくれたのか!

 よく見れば、腕輪にはすでに加工済みの魔石がはめ込まれている。


「いや、それにしても密度の高い魔石ですなぁ。私も過去にレッドドラゴンの魔石をたことはありますが、密度はこれの半分以下でしたぞ」

「まぁ、それはすごいですね」


 トマスさんの言葉に、アイリスさんも驚く。


 やはり高濃度の魔素が満ちる地球ダンジョンのモンスターは、ひと味違うらしい。


「これがあれば……!」

「ええ、スキルの効果は数十倍……いえ、100倍を超えるかもしれませんな」

「まぁっ!?」


 驚くアイリスさんをよそに、トマスさんは魔石と腕輪の入った箱を俺に差し出す。


「本当にありがとうございます」


 俺はそれをありがたく受け取る。


 待ってろよシャノア、すぐにでも……。


 ――ぐぅぅ……。


 そのとき、俺の腹が盛大になった。


「ふふっ……」

「まぁ……」


 トマスさんとアイリスさんが、思わず笑みを漏らす。


「アラタさん、あれからなにも食べていないのではありませんかな?」

「ええ、まぁ……」


 言われてみれば、空腹は限界だ。


「ではアラタさま、お食事にしませんか? ネコチャンのことは心配だと思いますが……」


 俺を見かねたのか、アイリスさんがそう提案してくれた。


 思っていたよりも早く事は進んだもんなぁ。

 それにこれから世界を越えるんだから、少しでも体調は整えておいたほうがいいだろう。


「わかりました、お言葉に甘えさせていただきます」


○●○●


 食事はかなり美味しかった。

 量もたっぷり用意してくれたので、遠慮なく食べさせてもらった。


 お返しというわけではないが、マツ薬局で買ったお菓子をデザートとして提供させてもらった。


「まぁっ、なんて美味しいんでしょう!」

「口当たりといい繊細さといい、一流のパティシエが作るスウィーツに匹敵する美味さですな」


 ひと袋24個入りで300円もしないお菓子に、それは言いすぎじゃないかな。

 ……とも思ったけど、ダンジョンができる前だと、子供の小遣いで買える菓子パンがアラブの富豪に大人気、みたいな話もあったな、そういえば。


 いただいた料理は日本の高級レストランで出されてもおかしくないレベルの味だったので、食文化が遅れている、なんてことはなさそうだ。


 この世界にもダンジョンがあるようなので、食材や調味料は豊富に採れるんだろう。


 なのでこのあたりは、文化の違いかな。


「アイリスさんは、甘いものがお好きなんですね」

「はい、大好きです」


 にっこりと微笑んでそう言ったあと、彼女は少し困ったような表情を浮かべる。


「あの、よろしければ私のことはアイリス、とよんでもらえませんか?」

「いえ、ですが……」

「丁寧な言葉遣いも不要です。アラタさまは年上ですし、なんと言っても恩人ですから」


 聞けば彼女はまだ18歳だという。

 たしかに、倍ほど歳の離れたおっさんから敬語にさん付けというのは、居心地が悪いか。


「……アイリスがそういうなら」


 俺がそう言うと、彼女はにっこりと微笑んだ。


「それじゃ、そろそろいきますね」

「ええ、お気をつけて」

「アラタさま、また戻ってこられますよね?」


 アイリスが、少し不安げに尋ねてくる。


「もちろん。ここはシャノアにとって、住みやすそうな世界だからね」

「よかった。お帰りをお待ちしておりますね」


 身の振り方については、まだほとんど考えていない。

 いまはとにかく、シャノアを連れてくるのが先決だ。


 魔素の薄いこの世界なら、あいつの病気も治るかもしれない。

 先のことを考えるのは、シャノアを連れきてからでいいだろう。



「よし」


 トマスさんに許可をもらった俺は、割り当てられた寝室に戻り、そこをホームポイントに設定した。


「それじゃ、帰ろうか」


 魔神の腕輪を身に着けた俺は、家に帰るべく〈帰還〉を発動した。


「くっ……!」


 いつもはない目眩を覚える。

 視界がぼやけ、自分の状態すらわからなくなってきた。


「これは……!」


 思わず呟いたが、声が出たかどうかもわからない。

 この感覚は、トワイライトホールを通ったときに似ていた。


「くはぁっ……!!」


 思わず息を吐き出し、続けて大きく吸い込んだときには、身体の感覚が戻っていた。


「ここは……」


 我が家の、玄関だった。


「ははは……帰ってきた……!」


 成功した。

 だれも戻れなかったトワイライトホールの向こうから、俺は帰ってきたんだ。


「おおおおお! 俺は帰ってきたぞぉー!」


 そう叫んだあと、ぐにゃりと視界が歪む。


「うっ……!」


 ふらつき、その場に膝をついた。


 これは……魔力枯渇か……!

 スキルを覚えた当初、たまに陥っていた症状だ。


 ここ数年は無縁だったけど、さすがに世界を越えるとなると、魔道具の力を借りても魔力消費量は大きかったか……!


「くぅ……!」


 俺は呻きながらも、なんとか〈収納〉から赤い小瓶を取り出した。

 これは魔力を回復するマナポーションだ。


「ひと口……だけでも……」


 なんとか瓶を開け、中身を口に含む。


 そこまでが、限界だった。


「ゥニャァアアァア……」


 近づいてくるシャノアの鳴き声を聞きながら、俺は玄関に突っ伏して意識を失った。

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