第10話 ふたたびマツ薬局
「ンニャァ……ニャゥ……!」
シャノアの鳴き声で目を覚ました。
「暗いな……」
時計を見ると、19時を過ぎていた。
「ニャァアアア」
「どうした、シャノア?」
シャノアはなにやら不機嫌な様子で、尻尾をゆらゆらと振りながら、自動給餌器の回りをうろうろしていた。
「ん? ああ」
見ると、トレイが空だった。
いつもなら18時にセットしたキャットフードが残っているはずだ。
「ちょっと待ってな……あー」
給餌器のフタを開けると、タンク内も空になっていた。
「すまんすまん、すぐに補充してやるからな」
俺はドライフードの袋を取り出し、トレイに少し入れてやった。
「ニャア……フガフガ……」
一心不乱に食事を始めたシャノアの邪魔にならないよう、給餌器のタンクをフードで満たしてやる。
中途半端に残っていたドライフードがひと袋になり、新しいのを開けた。
「にしても、中途半端に寝ちまったなぁ……」
昼過ぎからたっぷり6時間は寝たことになる。
〈健康〉スキルのおかげで寝付きはよく、日付がかわるころにはまた眠れるだろうが、それまでなにをするか……。
ふと、いましがた空になったキャットフードの袋が目に入る。
「あー、こいつを買っとくか」
4キロ入りのフードは8割以上残っているが、未開封のストックはゼロだった。
まだふた月ほどはもつ量だが、買い忘れると大変なので俺はいつも未開封のものを余分にひとつ、持つようにしている。
「シャノア、ちょっとマツ薬局に行ってくるよ」
「フガフガ……」
まだ食事を続けているシャノアに声をかけ、俺は家を出た。
○●○●
俺はマツ薬局でシャノア用のドライフード以外に、洗剤やトイレットペーパーなどの消耗品と、インスタント食品やお菓子などの食料品をショッピングカートに積み込んでいく。
さすがに会計前の商品を〈収納〉するのは犯罪だ。
こういう商店には、スキルの使用を防ぐためのシステムがあるので、使ってもすぐにバレる。
もちろん、バレなきゃやっていいって話でもないのだが。
「おう、アラタ。あっち開けるよ」
並んでいると、セイカが来てレジを開けてくれた。
「悪いね、助かるよ」
商品をレジに通し、冒険者カードで決済をする。
このあたりは以前のICカード決済と同じ感覚だ。
「このあいだは、悪かったな」
先日話の途中で仕事に戻ったことを言っているのだろう。
いや、タツヨシのことか?
「いや、問題ないよ」
どちらにせよ、彼女に対して思うところはない。
「そう言ってくれると助かるぜ」
そんなふうに言葉を交わしながら、俺は精算済みの商品を〈収納〉した。
「それで、さ。メシの約束なんだけど……」
「ああ。いつがいい?」
「えっと、明日とかは?」
「あー、明日は探索だからなぁ」
明日はジンのパーティーに同行する日だ。
ただの荷物持ちとはいえ、油断すれば死ぬ恐れもある深層の探索は、なんやかんやで疲れる。
夕方には帰る予定だが、遅くなるかもしれないので、さすがに無理だ。
「そっか。じゃあ……」
そこでセイカは、時計を見た。
「このあと、とか……ダメか?」
「あー」
まだ夕食をとっていないし、夜までやることもなかったので、ちょうどいいな。
「大丈夫だよ」
「よっし! じゃあすぐに上がるから裏で待ってな」
「いや、いいのかよ」
「いいんだよ。あとはオヤジに任せっから。あ、ここお願い」
彼女は近くにいた従業員にレジを引き継ぐと、店の奥へ入っていった。
○●○●
従業員入口から少し離れたところで待っていると、ドアが開いた。
「ん?」
なにやら話し声が聞こえるので、セイカだけではなさそうだ。
「セイカさん、俺、心を入れ替えて真面目にやりますんで……!」
「あーはいはい、普通に働きゃいいから」
「それで、その、お詫びになんですが……」
「わりぃ、人待たせてっからいくわ」
「あっ……!」
セイカが出てきたあと、タツヨシが姿を見せた。
なんであいつがいるんだ?
「わりぃ、おまたせ」
セイカが小走りに駆け寄ってくる。
そのうしろ、従業員入口から顔を覗かせていたタツヨシは、恨めしそうに俺を睨んだあと、引っ込んでドアを閉めた。
「お、おう……」
タツヨシのことは気になったが、そんなことよりセイカだ。
彼女は、タイトなニットのカットソーにロングスカートという格好だった。
白衣を脱いだセイカの姿を久々に見た俺は、少しうろたえてしまう。
いつもはサイズの大きい白衣を着ているせいで見えない上半身のラインを、目の当たりにしてしまった。
こいつ、こんなに大きかったのか。
ちなみに今日の俺は、コットンシャツにデニムのボトムという、無難オブ無難な格好だ。
「んだよ?」
俺の視線に気付いたのか、セイカが不機嫌そうに尋ねてくる。
「いや、大きくなったなと思ってな」
「どこ見て言ってんだよ」
「身長の話だよ。はじめて会ったころはこんなだっただろ?」
そう言いながら、俺は自分の膝当たりを示す。
「んなにちっちゃかねぇだろー」
セイカは軽く笑いながら、俺の腕をトンと叩いた。
俺の身長が175センチで、それよりちょっと低いくらいだから、160台後半かな。
本当に、大きくなった。
彼女とは父親同士の縁で知り合った。
セイカの父親と俺の父親が同級生で仲がよく、店で会えばふたりはよく話していた。
いつのころからか、セイカが店に顔を出すようになった。
はじめて彼女と会ったのは20年ほど前なので、まだ5歳とかそれくらいだったか。
俺は高校生だったと思う。
ガキのころから世話になってるセイカの父親が俺を呼び捨てにするもんだから、彼女もそれを真似した。
それが、いまでも続いている感じだな。
「あー、そうだ。アラタに謝んなくちゃいけねーことがあってな」
「なに?」
「タツヨシ、またウチで働くことんなったわ」
「あー、なるほど」
聞こえてきた会話から、そうじゃないかなとは思っていた。
「あそこの親父さんに頼まれちゃあな……」
「ま、しょうがないだろ、それは」
タツヨシの父親は元国会議員で、長男に地盤を譲ったいまも、各所に影響力を持っている。
逆らえば、面倒なことになるのはあきらかだ。
「べつに、俺に謝らなくてもいいよ」
「でも、迷惑かけちまったし」
「それ以上に、世話になってるから」
ダンジョン発生の混乱のあと、シャノアが魔力不全を引き起こしたとき、貴重なライフポーションを売ってくれたのは、彼女の父親だ。
そのころセイカはまだ中学生で、たまに店を手伝うくらいだったが、彼女も親父さんの説得を手伝ってくれた。
そのことは、感謝してもしきれない。
セイカが高校を卒業するころには混乱もある程度収まっていたので、彼女は大学の薬学部へ進学するために家を出た。
そして去年、無事〈調薬〉スキルを持つ一級薬剤師――通称『錬丹術師』――として、マツ薬局に戻ってきたのだった。
進学以前はプライベートで会うこともあったが、戻ってきてからは彼女が忙しかったのか、こうして店の外で会うのははじめてかもしれない。
「それで、どこいく?」
「肉食いてーなー」
「肉か……」
一番近い焼肉店でも、少し距離があった。
「車出すの面倒くせーし、タクでも呼ぶか?」
「んー、だったらこいつはどうだ?」
俺はそう言って、スクーターを取り出した。
小型ではあるが、二人乗りをしても問題ないサイズだ。
「おっ、いーじゃねーか! 実は乗せてほしかったんだよなー」
「そうだったのか? 言ってくれればいつでも貸すのに」
「いやそうじゃねーだろ」
「なにが?」
「いや、それは、あれだよ……なんていうか」
セイカのやつ、突然呆れたような顔したかと思うと、今度は変にうろたえ始めた。
「その……あれだ、あたし、単車の免許ねーから」
「無免許はダメだぞ?」
「わぁーってるよんなこたぁ!」
「お、おう」
なんか怒らせてしまったみたいだ。
「ほら、さっさとヘルメットだせよ」
「あ、ああ。ヘルメットな」
言われて思いだしたが、バイク用のヘルメットは自分のぶんしかない。
「よし、じゃあ……これでいいか」
「おっ、なんかかっけー」
「俺が普段探索で使ってるやつだよ」
「へー、アラタの……ふふふ」
どうやらタクティカルヘルメットが気に入ったらしく、彼女は機嫌を取り戻してくれた。
「じゃ、乗ってくれ」
スクーターにまたがり、彼女を促す。
「おう」
セイカはシートにまたがると、俺の腰に腕を回した。
「おう……」
む、胸の感触が……。
「どした?」
「なんでもない。じゃあ、いこうか」
俺はセイカを乗せ、スクーターを発進させた。
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