第7話 聖母の香り

 ————人間領域、中皇ちゅうおう


 19ある人間の居住都市の中で、王族を中心とした権力のある人間や、たぐいまれな才覚を持つ人物達が暮らす、人間領域最大の都市。


 そこで暮らす人間の殆どは金色の髪を持ち、その髪が彼らの権威と誇りを象徴していた。


 そんな中皇の一角に建つ中皇第八教会。日が沈み、誰も外に出なくなった頃……。

 イノリは、日課である教会の清掃をしていた。


「ふぅ、ただいま〜」


 教会の扉が開き、木製のバスケットを手から下げたシスターが入ってきた。

 イノリは箒の手を止め、彼女に向かってニコリと微笑む。


「おかえりなさいませ、シスタークルミ」


 桃色の髪に垂れ目と涙黒子なみだほくろ、服の上からでもわかる豊満なボディラインを持つ女性シスター、クルミ。

 彼女は中皇第八教会の最高管理責任者であり、司祭の替わりも努めている。


 赤いカーペットを歩き近付いてくるクルミに、イノリは軽く頭を下げる。


「夜回りお疲れ様です」


「あらあらイノリちゃん、ザンパ村片道3日の旅から戻ったばかりなのに教会の清掃だなんて。休んでもいいのよ」

 

「お心遣いありがとうございます。ですが、7日も空けてしまったのに、これ以上シスターの仕事を休む訳には……」


「あらあらイノリちゃん、そんなこと気にしなくても良いのに。遠方まで救護に行くこともシスターとしての立派な仕事よ」


「そんな立派だなんて。私は自分の力が役に立てる場所があったらいても立ってももいられなくなるだけで」


 ふと、イノリはクルミの手荷物に目を止めた。


「シスタークルミ。そちらのバスケットは訪問した家からの頂き物でしょうか?」


「あら、これかしら」


 クルミはバスケットの蓋を開ける。中には大量のハーブが入っていた。


「夜回りのついでに裏庭の菜園で収穫してきたの。ジョウロを新しくしたら、どの葉も元気に育ってくれて嬉しいわ」


「なるほど、ハーブですか」


 イノリはバスケットに顔を近づけ、ハーブの匂いを嗅いだ。

 鼻に抜ける爽やかな匂いと果物の様な甘い匂いが混じり合った心地よさ。


「ふぇ……?」


 その匂いを嗅いでいると、イノリの瞼は急に重くなり、足元がふらつきだした。


「あらあらイノリちゃん、やっぱりお疲れじゃない」


 クルミはそんなイノリの体を支え、頬を優しく撫でる。


「疲れてなんて……、そんなことは……」


「このハーブの匂いはね、とってもリラックス効果があるの。だから〜、眠くなるって事はとっても疲れているってことなのよ」


 イノリは頬を赤らめ、優しく微笑むクルミから目線を逸らす。


「いい? イノリちゃん。誰かの役に立ちたいって思いは立派よ。でも、それでイノリちゃんが倒れたらダメじゃない?」


「————、はい」


「だから、今はゆっくり休む時。清掃は明日の朝でも大丈夫よ」


「第八教会の聖母には、全てお見通しですね」


 イノリは眠たげな目を擦りながら、エヘヘと恥ずかしげに笑った。


「わかりました。今日はゆっくり休んで、また明日から頑張ります!」


 その言葉にクルミはうんうんと頷く。


「それでいいわ。私も戸締りしたすぐに休……」


 その時、教会の奥に続く扉から「ママ〜」と成人男性の声が聞こえてきた。


「あらあら、子供達ったら。それじゃ私は子供達を寝かしつけてから休むわ」


「はい、おやすみなさい」


 クルミはハーブ入りのバケットを持って、奥の部屋へと消えていった。


 イノリは欠伸あくびをしながら箒を片付けていると、誰かが教会の扉をノックした。


「何か御用でしょうか?」


 扉を開け、顔を出して外を見るがそこには誰もいない。

 少し外に出て周りを見渡しても、辺りに人の気配は感じられない。


「…………気のせい、なのかな」


 その時だった。


「イノリ」


 真後ろに現れたが耳元で名前を囁き、イノリは短い悲鳴をあげた。

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