第6話
帰り道、アンさんがアップルパイの入った箱を、俺が芋の入った段ボールを持つことになった。あの騒ぎの間に冷めてしまったので、屋敷に戻ってからオーブンで温めなおすまでアップルパイはお預けだ。
小さい影と大きい影、俺たちの二人分の影が伸びる。もう日暮れに近い時間だ。麦畑の稲穂が揺れる。
「すいません。今日はぼくのせいで色々と大変なことに巻き込んでしまって」
アンさんは深々と頭を下げた。まだ今日のことを気にしているらしい。
「大丈夫ですよ。お気になさらないでください」
俺は微笑みを浮かべながら言った。
それにアンさんじゃなくても遅かれ早かれ、こういうことは起きてた気がするし……。
「じゃあ、もう一つだけお話ししてもいいですか?今度は大丈夫だと思うので」
「はい」
俺が返事をするとアンさんは歩みを止めた。
今度は大丈夫?アンさんが予知夢を見る能力者という話以上に、もっとヤバい話があるっていうのか?
さっきまでのほわほわとした笑顔ではなく、神妙な面持ちで彼女は言った。
「この世界ってやけに平和すぎると思いませんか?」
ムメイさんはモブ以上にはなりたくない!#6
俺はぎくりとした。それは何度も疑問に思ってきたことだったからだ。ここは異世界だというのに何も起こらなすぎる。魔法や不思議な力が存在する世界なのに、それを使うことになるような大きな出来事がほとんど起きていない。
「異世界転生もののラノベとか読んだことあります?」
アンさんも元の世界では異世界転生もののラノベとか読む人だったんだ。
「はい。あります」
「なら話が早いですね。異世界転生もののラノベの世界では、本来ならぼくたち異世界転生者は能力に目覚めるとか、何かしら使命が与えられたりとか、他にもそういう何かしらのイベントが発生するはずでしょ?でもルイキさんの身にはまだそういうことが起きていない。おかしいと思いませんか?」
やっぱりそうなんだ。今までの状況がおかしかったんだ。
「やっぱり普通じゃないんですね?この世界は」
俺が訊ねるとアンさんは少し考えてから続きを話し始めた。
「うーんと……この世界自体はおかしくないんです。私たちの知らないところでいろいろと大変なことは起きてるんですけど、無かったことにされてるだけで」
「無かったことにされている?」
「そう。ムメイさんの手によって」
思わずあたりをキョロキョロと見回した。またナイフだの危険物が飛んで来たらたまったもんじゃない。
「あの、それ話してしまって大丈夫なんですか?またあの人と危険物、飛んで来ませんか?」
俺の挙動不審な態度を見て、アンさんはくすくすとおかしそうに笑った。
「来ないと思いますよ。さっきのはたぶん、ぼくとルイキさんに釘を刺しに来ただけなんで。だってルイキさんはムメイさんの能力のことを知ってるから、わざわざ止める必要なんかなかったはずです。だからあれはルイキさんに対して、他の人にバラそうとするとこうなるぞって……見せつけにきたようなものでしょう。ナイフが飛んでくるとは思わなかったですけど」
言われてみれば確かにそうかもしれない。でも見せしめとはいえあの人、そこまでするの?!
「それにどちらにしろ、いつかはこの話をする時が来たと思いますよ。それがたまたま今日、ぼくの口からだったってだけで。むしろムメイさんはラッキーとか思ってるかもしれません。あの人結構めんどくさがりやだから」
アンさんは笑って話してるけど、最後の一言、それこそナイフとか飛んで来そう。
「まあ、それはさておきですね。ムメイさんはこの世界で起きるイベントのほとんどを、起こる前から無かったことにしてしまうんです」
起こる前から無かったことにする、それがムメイさんの能力なのか?でもどうやって?
「そんなこと出来るんですか?」
「やろうと思えば出来ますね。ムメイさんみたいな超人ならですが。常人には出来ません」
常人には出来ない?確かにあれだけの能力者なら何でも出来てしまいそうではあるけれど。
「例えばどんな?」
「う〜ん、そうだなあ。……あ。この前、街に行った時に悪い人たちに絡まれませんでしたか?」
ああ。あまり思い出したくはないけど、あのはじめてのおつかい事件のことか。
「ありましたね。そんなこと」
「あれね。あなたとムメイさんのことを身代金目的で誘拐しようとした強盗団だったんですよ。うちの屋敷のお嬢さんってほら、お金持ちでしょ?狙おうとする悪い人たちって少なくないんです」
だから俺たちはゴロツキたちに捕まったと。
「ぼく、さっきもお話ししたんですけど、予知夢でこうなることを事前に知ってたんです。で、その話をぼくから聞いたムメイさんが阻止した。……先日のことの顛末はこんな感じですね」
なるほど!これが伏線回収ってやつか!
「こんな風に、ムメイさんはぼくが予知夢で見たことが重要なイベントかもしれないとわかると、事が大きくなる前にあの手この手で阻止してしまうんです。だからこの世界に存在するほとんどの人々は、その出来事を認識することなく平和な日々を過ごしている」
うんうんとアンさんは頷いてみせる。
アンさんの話をまとめると、この世界でも人々の平和な生活を揺るがすような大きな出来事はいくつも起きているが、それを認識するや否や、ムメイさんが事が起きる前から阻止してしまうがために、ほとんどの人々はそんなことが起きていた事を認識することすらないと。
アンさんの言うイベントとやらの規模の大きさにもよるけど、それってすごいことなんじゃ……?だから常人には出来ないけどムメイさんなら可能にしてしまうのか。
俺が考え込んでると、アンさんはキョトンとした顔で首を傾げた。
「こんな話をしてもあまり驚かないんですね?」
いや、驚いてないわけでもないぞ。
「いやあ、信じがたい話ではあるんですけどムメイさんなら簡単にやってのけてしまうような気がして」
だってあんなものを見た後じゃ信じるしかないだろ。
でもこうして顛末を聞いた上で湧いてきた疑問もいくつかある。
なぜムメイさんはアンさんの能力のことを知っているのか。そして、ムメイさんはどうして世界の平和を守ろうとするのか。ていうかムメイさんっていったい何者?……って、ムメイさんのことを本人じゃなくてアンさんに聞いてもしょうがないか。
「そういえばムメイさんとアンさんってどうやって知り合ったんです?やっぱり屋敷で同じようにメイドとして雇われて出会ったとか?」
俺が訊ねると、アンさんは「ああ」と乾いた笑いをこぼした。
も、もしかして聞いちゃまずい事だった……?
「ぼくもね、異世界転生者の端くれなので、そういう異世界転生者らしいイベントに何回か挑もうとしたことはあるんです。予知夢でそういうことが起きるってわかるから。でも現場に行くとなぜか何も起きてないんです。最初はね、予知夢がはずれただけかなって思ってたんですけど、毎回となるとさすがにおかしいでしょ?」
そうか。アンさんの予知夢の能力なら、これから起きることを事前に知ることができる。それが起こるよりも先にムメイさんによって阻止されたとしても、アンさんの中ではそういうことが起きるはずだったという認識はされている。
「そしたらある時、現場であの人と出会ったんです。……ドラゴン討伐の時だったかな。ダンジョンの最深部についたらすでに討伐されたドラゴンを前に、返り血で真っ赤になったメイド服姿の女性が一人立ってたんです。巨大なドラゴン相手に剣も無し、防具もつけずにですよ?明らかに異様じゃないですか」
そ、それは異様だ。ていうかこの世界にドラゴンなんているの?!……いるか。異世界だもんな。
「そしたらあの人がこちらに気づいて近づいてきて。ぼくの襟首を掴むと共に『お前、ここにドラゴンがいることを知ってて来たな?なぜ知っている』って問い詰められて。その時のムメイさんの鬼気迫るほどの勢いと威圧感に気圧されて、ぼくはついテンパって口を滑らせてしまったんです。『予知夢で見たから』って」
あの拒否権のない威圧感……!アンさんもあの威圧感にやられたのか……!
さすがに同情する。あの『断ったら殺す!』と言わんばかりの威圧感を前に正気を保てる人間はまずいないと思う。
「後から気づいたんですけど、あれはムメイさんの罠でした。ぼくが後からやってくることをわかっていて、待ち伏せしてたんです。あたかも後からやってきたぼくがたまたまムメイさんを発見してしまったかのように装ってましたけど」
なんて卑怯な。アンさんを陥れて問い詰めるなんて……!
「あの人は超人的な能力を持ってはいますけど、さすがに万能とまではいかないんです。例えば、ぼくみたいな予知能力は持っていない。だから、予知能力を持っているぼくを仲間に引き入れられたら彼女にとって都合がよかったんです。たぶん気づいてなかっただけで、ぼくが何回もそれらしいイベントが起きる場所を訪れていたことに彼女は気づいていたし、それらしいイベントが起こるって気づいて同じ場所に向かっている人間って時点で、ぼくがただものではないってことはわかってますしね」
意外だな。あのなんでも出来そうな超人メイドにも出来ないことがあるのか。
「ムメイさんとの出会いはこんな感じでしたかね。こうやって話すとぼくはただ嵌められたようにも聞こえますけど、悪いことばかりではないんですよ。あの時、結ばされた盟約……予知夢の情報提供とムメイさんの能力の話の口外禁止さえ守れば、平穏な暮らしが約束されましたから。異世界転生者兼勇者としての出世街道は絶たれ、ただのメイドさんにはなりましたけど……!」
アンさんはしくしくと泣きながら膝から崩れ落ちた。
ああ、かわいそうに……。よしよし。
アンさんを宥めながら俺は考えた。
アンさんはムメイさんに目をつけられてたからこうして盟約を結ばされたんだよな。じゃあ俺はなんだ?本当にあの一件に巻き込まれた時にムメイさんの超人的な能力を見てしまったからって理由だけなのか?もしかしてこれから俺にやばい能力が目覚めてしまったりとかするんじゃないのか……?!まだ夢を見てもいいのでは……?!
そんなささやかな期待を抱きつつ、俺はアンさんの手を取って立ち上がった。
「まだわかりませんよ!これから何が起きるかなんてわからないじゃないですか。だってここは異世界なんですから!」
そうここは異世界!まだ何が起きるかなんてわからない。もしかしたらムメイさんにもどうにも出来ない出来事が起きるかもしれない!……そんなことが起きたら俺たちの身にも危険が及ぶかもしれないけど。
アンさんはクローバーの刺繍のされたハンカチで涙を拭うと、俺の目をまっすぐ見つめながら両手を力強く握った。
「そう……ですよね。ルイキさんのおかげでなんか元気が出てきました!ぼくも異世界転生者としてもう少し頑張ってみます!」
そうそう!その意気だ!チートみたいなメイドに負けてたまるか!
追い風の吹く丘を俺たち二人は力強い足取りで登った。今ならドラゴンだって倒せる気がする。
屋敷が見えてきたところでアンさんは早足で進み始めたと思うと、俺よりも一足先に丘を登りきって立ち止まった。
それからこちら側へ振り向いたと思うと、眩しいほどの笑顔を浮かべた。
「さっきルイキさんとお話しして改めて思いました!この世界でルイキさんみたいなすてきな方と出会えて良かったです!」
"ルイキさんみたいなすてきな方"!!
女の子にこんなことを言ってもらえたのは初めてだし、嬉しすぎて涙が出かけた。これはアンさんがメインヒロインルートで確定かもしれない。ていうかそうであってほしい。
俺は一度こほんと咳払いして言った。
「俺もアンさんみたいなステキな女性と出会えて嬉しいです!これからも異世界転生者同士、頑張っていきましょうね!」
本当はスキップでもしてしまいそうなほど浮かれている気持ちを隠して平静を保ったまま屋敷に向かった。……けど、アンさんは立ち止まったまま動かなかった。
「あの!」
アンさんは通り過ぎようとした俺の服の裾を握りしめた。
ラブコメの波動を感じる。これってもしかして本当に告白フラグでは?!
恐る恐る振り返ると、そこには少し顔を赤らめてもじもじしているアンさんの姿があった。
「い、言わなきゃいけないことがあって」
え?まだあるの?しかも顔を赤らめてまで言わなきゃいけないことって何?
俺はごくりと唾を飲み込んだ。心臓がバクバクと音を立てる。うるさい、俺はこれから来るであろう言葉に対して一番良い返答を考えるんだ!
アンさんの口から告げられる言葉、そしてこの世界で手に入れられるであろう、ささやかな幸せに思いを馳せた。異世界転生者に起こるべきイベントなんてもうどうでもいい。このまま屋敷で働いてお金を稼いで、ある程度お金が貯まったら二人で家庭を作ろう。そしてずっと幸せに暮らすんだ。今ここに俺×ドジっ子メイドさんのラブコメが始まるーー!
それは生まれてから五本指に入るくらいには幸せな時間だったと思う。外からみたら俺の周りには花でも飛んでいるように見えていたかもしれない。
とても長い時間に感じられたけれど、本当に一瞬のことだったと後から俺は悟る。そしてそのささやかな幸せとは、俺の勘違いによって生み出されたただの幻想だったことも。
「……なんです」
「え?」
アンさんは唇の端を噛み、今にも泣き出しそうになっていた。そして次の瞬間に告げられた言葉に、俺は自分の耳を疑うことになる。
「実はぼく……転生した時に体が女の子になってしまっただけで、中身は男なんです……」
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