第5話
「予知夢を見ることが出来るんです」
アンさんは確かにそう言った。予知夢ってあれだよな。これから起きることを夢の中で見るってやつ。
「この世界に来てから、よく夢を見るようになって。最初はただの夢だろうなって思ってたんですけど、それが全部正夢になっていることに気がついたんです。だからこれは予知夢なんだろうなって」
「てことは、俺が異世界転生者って知ってたのも、その予知夢で見たからとか?」
「はい。あなたがやってくる日に見た夢の中で、屋敷の大きな木のあたりでぽっかり空いた穴から、あなたが落ちてくるところを見ました」
なんかすごいこと言ってるな。いや、でも異世界だしありえるのか。
「じゃあ、今、俺たちが頭をぶつけそうになった時に避けたのも?」
「そうですね。夢の中で見たんですけど、その時は頭をぶつけてしまったので今回は避けられるように頑張りました!痛いのは嫌ですしね!」
アンさんは両手で握り拳を作りながら言った。
確かにそれなら納得がいく。しかも予知夢で見たものが正夢になることがわかっているのだから、回避しようと思えば先回りして回避することもできるのか。そう考えてみるとなかなか便利な能力なのでは?だからこそ、なぜ俺に教えようと思ったのか謎なのだけれど。
「……でもどうしてその話を俺に?」
だって、自分の能力を教えるってなかなかリスキーなことじゃないか?それを知った俺が、アンさんの予知夢の能力を悪用しようとしないとも限らないのに。
「それはですね……」
アンさんは少し言い淀んでから、決心したように話し始めた。
「あなたが初めて街に行った日、危険な目にあってしまうことを知っていたのに黙っていたからです。事前に教えることだって出来たし、そうすれば危険な目にあわなくて済んだかもしれない。訳があって教えられなかったとはいえ、今までそれをずっと後悔していました。本当にごめんなさい」
彼女は深々と頭を下げて謝った。
Oh……. Japanese Dogeza…….
「いやいやそんな!頭を上げてください!面識のない人に対してあなたがそこまでする必要はないし、『訳があって』ってことは出来ない理由があったのでしょう?!」
「ね?!ね?!」と念を押しながらアンさんの体を起こした。それでも彼女は頭をふるふると横に振って拒絶した。
「で、でもっ!口止めされてたとはいえ、見過ごしたのは事実なんですっ!ぼくにはあなたを助けられたのに助けなかった罪があるんです!」
ん?口止め?
「あの。今、口止めって言いました?」
「あっ……」
彼女ははっとしたように口を両手で塞いだ。アンさんの顔がみるみるうちに真っ青になっていく。
「ど、どうしよう。言っちゃダメって言われてたのに!ム……」
ストッ。
その瞬間、何かが壁に刺さった音がした。
見、見たぞ。俺は確かに見たぞ。今、アンさんの目と鼻の先を何かが横切ったのを。
アンさんは口を言いかけていた「ム」の形にしたまま、青ざめてぶるぶると震えている。俺たちは目を合わせて示し合わせるように、恐る恐る、何かが突き刺さった方を見た。
「「ヒイイイイ……!」」
部屋に二人の声がこだまする。壁には食事に使うような細身のナイフが突き刺さっていたのだ。
ムメイさんはモブ以上にはなりたくない!#5
俺たちはお互いの手を握り合って、縮こまりながら震え上がっていた。
怖い怖い怖い!だってここ密室!俺たち二人以外、誰もいなかったはず!扉だって窓だって閉まってたはず!だからナイフなんか飛んでこないはず!
そう、全ては推論に過ぎない。だってここは異世界なんだ。不可能だと思われることを可能にしてしまうやつだって、この世界のどこかにはいるかもしれないんだ。
そして、その"やつ"の登場はあっさりと告げられることになる。
「よお、二人で仲良くコソコソと何の話かな?」
カーテンが風に揺られてバタバタと音を立てた。密室だったはずのこの状況で風が入ってくるなんておかしい。あるとすれば閉められていたはずの窓を開けた誰かがいるということだ。そして、声の方向から察するに窓の方に声の主がいる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
アンさんは床を見つめたまま、小さな声で呪文のように「ごめんなさい」を繰り返しながらカタカタ震えていた。
ダメだ。今のアンさんにはどんな声をかけても何も届かなそうだ。
もうこの状況をどうにかできるのは俺しかいない。どうにかするには声の主が誰なのか確かめないと!お、俺だって確かめたくないけど……!
俺はぎこちなく声のした方を見た。
「ヒッ……!」
氷点下100℃に達するんじゃないかと思うほどの冷たい視線で、背筋どころか髪の一本一本まで凍りつきそうだった。その視線をこちらに投げかけたまま腕を組んで窓枠に立っていたのは、異世界超人の代表格、ムメイさんだったのだ。
「ワタシィ、まだ仕事中だったんだよねえ……」
ムメイさんの手に握られている、泡のついた食器用のスポンジがギチギチと音を立てる。
「……ヒート」
ムメイさんがぼそりとそう呟いた瞬間に、手についていた泡は蒸発し、スポンジは炭になった。
や、やべえええええ……!
ムメイさんは窓枠から降りると、真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。コツコツという靴音がどんどん近づいてくる。もうどうにか出来る状況ではないことはわかっている。だからといって何もしないわけにもいかない。この状況をどうにかしないとまずい。それだけはわかっている。でも答えを間違えれば最悪存在ごと抹消されかねない。あの炭にされたスポンジみたいに!!
俺はにこやかな笑みを浮かべて言った。
「こ、こんにちはムメイさん。ここ二階……」
「あ"?」
「な、なんでもないです……」
し、失敗した〜〜ッ!
俺はあの零下のように冷たく恐ろしい目を直視することすらできなかった。もしかしたらそのうちここらへん一帯は永久凍土になるかもしれない。
「ア〜〜ン〜〜〜?」
「ひゃ、ひゃい……」
アンさんはビクビクと子羊のように震えながら顔を上げた。対してムメイさんは……わ、笑ってやがる。この状況で笑顔って逆に怖え!しかもよく見たら目は笑ってねえ!ガチだ!これガチなやつだ!
ムメイさんは俺たちの前に立つと、俺の肩をグイッと掴んでアンさんから引き離した。
もげる!そんな力込めて掴まれたら肩がもげる!!
ムメイさんは俺のいた位置にしゃがみ込むと、アンさんの頬を包み込むように触れた。
ムメイさんの表情がこっちからだと全く見えないのが怖い。アンさんに至っては顔色が真っ青通り越して真っ白になってるし。
「私とした約束、覚えてるよねえ?」
「は、はい」
「言ってごらん?」
「1. ムメイさんの能力に関する全ての情報を口外してはならない。2.予知夢を見たらムメイさんに内容をすぐに報告する。3.たとえ知人が夢に登場しても、基本的に本人に教えてはならない。4.この約束を遵守す……」
「なにこの男の口車に乗せられて口を滑らせとるんじゃボケ!!!」
「う、うええぇ……いひゃい!いひゃいれすぅ」
アンさんの柔らかそうなほっぺがムメイさんの手でみょんみょん引っ張られた。まるでスライムみたいだ。
「こいつだったからまだ良かったものの、夢の内容によっては相手が混乱するし、私がやりにくくなるから言うなって言ったよね?!」
「ひゃい!ご、ごめんらはい!」
「てか私の名前を出すなって約束した時に口酸っぱくして言っただろうが!私はただのそのへんにいるメイドなの!どこにでもいるメイドのうちの一人じゃなきゃいけないの!」
ムメイさんは激昂しながらアンさんのほっぺを引っ張って上下させた。アンさんは「ごめんらはい」を必死に量産し続けてるけど、ムメイさんの怒りは収まりそうにもない。
しかしなんでこの人はこんなにも自分がメイドでいることにこだわるのか。あれだけ超人的な能力があるなら、何にでもなれるだろうに。
……って、アンさんのやわらかほっぺがびろんびろんに伸びてしまう前に止めないと!
「あ、あの〜、ムメイさん?」
「あ"?」
声をかけただけでギラリとした目をこちらに向けられる。
ヒイ!ほんと怖い!心臓が飛び出そう!
「アンさん反省してらっしゃるようですし、そろそろ落ち着かれては……」
「機密情報を単純ミスでバラされそうになって怒らないやつがどこにいると?」
「あっ、はい」
うっ……それはごもっともだけど、アンさんのためにも俺はお、折れないぞ。知恵を振り絞れ!ムメイさんの手に持っていた物を思い出せ!スポンジにナイフ、明らかに皿洗いをしていた途中だろ!
「あの。ムメイさんがどうやってここまで来られたのかは知りませんが、お仕事中にこちらに来られたんですよね?突然いなくなったら他の人に怪しまれませんか?」
必殺!マジレス!!こ、これでどうだ!!!
ムメイさんは手を止めてこちらを一瞥する。それから少し考えた様子で頬を伸び縮みさせていた力を緩めた。
「むっ、それはそうだな……。洗いかけの食器をそのままにして来てしまった」
キ、キターーッ!
救出成功。アンさんはホッとしたように床にヘロヘロと両手をついた。引っ張られていた部分が赤くなっていて痛そうだ。
ムメイさんはこほんと咳払いして立ち上がると、壁に突き刺さったままになっていたナイフを左手で引き抜き、何やらぶつぶつ呟きながら、右手を空いた穴にかざした。
その瞬間に空いていたはずの穴は塞がり、壁は元通りになっていた。どんなトリックを使えばそうなるんだ。あ、魔法か。
「アン、帰ってきたら覚悟しとけよ。それからルイキ、お前も約束破ったらただじゃおかねえからな」
再び入ってきた窓枠に立ち、アンさんの方をじっと見つめた。ムメイさんの背後に吹き荒れるブリザードが見える。
「今のところはこのくらいにしといてやる」
ムメイさんはそれだけ言い残すと姿を消した。
なんて悪役のテンプレのようなセリフなんだ。
緊張の糸が解けたのか膝から力が抜けて、ヘナヘナと床に崩れ落ちた。嵐が去り、一周まわって冷静になった頭で思う。
「今のところはこのくらいにしといてやる」
普通のメイドはそんなセリフを言ったりしない。断じてしないぞと。
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