第32話 まだ知らない感情の名は


「ゼイン、さ、ま……」


 掠れた小さな声が口から零れ落ちた瞬間、ゼイン様の切れ長の目が悲しげに細められた。


 動揺したらしい男が身体を引いたことで更に髪が引っ張られ、痛みが走る。頬もずきずきと痛み続けており、口内には血の味が広がっていく。


「な、なんだお前は! 他の奴らは──」

「殺す」


 そんな呟きが聞こえるのと同時に、目の前にいたはずの男が視界から消えた。何が起きたのか分からず、数秒の後に視線をずらせば、男は壁に叩きつけられていた。


 両手両足には、氷塊が突き刺さっている。ゼイン様の魔法だと気が付くのに、少しの時間を要した。


 呆然と座り込む私の元へやってきたゼイン様によって、まるで壊れ物を扱うように抱きしめられる。


「……グレース」


 縋るような、ひどく切実な声に胸が締め付けられる。


 心のどこかでずっと求めていた優しい温もりに包まれ、じわじわと視界がぼやけていく。


 ここに来てからずっと、子ども達を不安にさせまいと我慢していたというのに。まるで糸が切れたように、瞳からはとめどなく涙がこぼれてしまう。


「遅くなってすまなかった」

「……っ……う………」

「本当に、すまない」


 ゼイン様が謝ることなんて、何ひとつないのに。


 むしろこうして助けに来てくれたことが嬉しくて、お礼を言いたいのに言葉が出てこない。


「……生きていてくれて、本当によかった」


 私の肩に顔を埋めると、ゼイン様は今にも消え入りそうな声でそう呟いた。その様子からは、どれほど心配してくれていたかが伝わってくる。


「君の顔を見るまで、生きた心地がしなかった」

「…………っ」


 思わずゼイン様の腕にそっと手を回せば、背中に回された腕に力が込もるのが分かった。


 いつも堂々としていて、誰よりも強いはずの彼の初めて見る弱さに、胸が締め付けられる。


「痛かっただろう」


 少し身体を離すと、ゼイン様は殴られた私の頬を見て、やっぱり泣きそうな顔をする。そして壁に打ち付けられたままの男へ、冷め切った瞳を向けた。


「少し待っていてくれ。息の根を止めてくる」

「ま、待って……!」


 これは本当にゼイン様が人殺しになってしまうと思った私は、慌てて止める。


 それと同時に、地下へ大勢の人が雪崩れ込んできた。


「公爵様、一人で壊滅させるような単独行動はやめてくださ──あ、お嬢様! ご無事でよかったです!」


 大勢の騎士の先頭にはエヴァンの姿もあり、いつもと変わらない様子に、なんだかほっとしてしまう。

 

 その後ろには何故かストーカー美少年の姿もあって、その肩の上には片手がとれ、顔部分が欠けたボロボロのハニワちゃんの姿があった。


 ハニワちゃんはぴょんと飛び降り、よろよろとこちらへ向かってくると、私の手のひらに乗る。そしてそのまま眠るように動かなくなった。


「ハニワちゃん……? や、やだ、どうすれば……!」

「大丈夫だ、休んでいるだけだろう。君の魔力を込めれば修復するし、今まで通り動けるはずだ」


 動揺する私に、ゼイン様がそう声を掛けてくれる。


 たくさん頑張ってくれたのだろうと思うと、また視界がぼやけて、小さな体をぎゅっと抱きしめた。


 エヴァン達と共に入ってきた騎士達は、犯人の男を確保し、子ども達の対応をしてくれている。みんなほっとしたような様子で、一気に肩の力が抜けていく。


「帰ろう。子ども達も必ず家へ送り届けさせる」

「あ、ありがとうございます……」


 私はハニワちゃんにも「ありがとう」とお礼を言い、エプロンのポケットにそっと入れる。


 そして子ども達によく頑張ったね、元気でねと別れを告げ、ゼイン様に差し出された手を取った。


「俺達はもう少し仕事をしてから帰るので、お二人でお先に帰っていてくださいね」

「いや俺とか本気で関係ねーんだけど」


 にこにこと手を振るエヴァンと、溜め息を吐く美少年に手を振り、ゼイン様と共に地上へ向かう。


 用意されていた馬車に乗り込むと、ゼイン様はぴったり私の隣に腰を下ろした。手を離した後、馬車の中にあった救急箱らしきものから薬を取り出す。


「まずは頬の傷の手当てをしよう。王都に戻ったらすぐに治癒魔法使いを呼ぶから」

「ありがとうございます、でも自分で」

「俺にやらせてほしい」

「は、はい」


 有無を言わせないまっすぐな瞳に思わず頷いてしまうと、ゼイン様は小さく笑った。

 

 頬に指で薬を塗られ、くすぐったい。じっと至近距離で顔を見つめられ、落ち着かなくなる。


「……助けに来てくださって、ありがとうございます」

「当然だ」


 思い返せば最後に会った時には、彼を傷付け「話をしたくない」とまで言わせてしまったのだ。


 それなのにゼイン様は今までと変わらない態度で接してくれ、こうして助けに来てくれた。嬉しくて、申し訳なくて、色々な感情でぐちゃぐちゃになる。


「その、嫌われてしまったと思っていたので」

「あれくらいで嫌いになれたら、苦労はしていない」


 ハンカチで手を拭うとゼイン様は困ったように微笑み、再び私を抱き寄せた。


 やっぱりゼイン様に抱きしめられると、どうしようもなくほっとしてしまう。


「……むしろ、自分の気持ちを改めて自覚したよ」


 どういう意味だろうと首を傾げつつ、私は抱きしめられたまま、気になっていたことを尋ねてみる。


「でも、どうしてあの場所が分かったんですか?」

「君の使い魔が俺の元へ来たからだ」

「えっ?」

「公爵邸の俺の私室の窓を突き破って入ってきた」

「ええっ?」


 信じられない話に、口からは間の抜けた声が漏れる。


 なんとハニワちゃんは馬車でも半日はかかる距離を経て、ゼイン様の元へ助けを求めに行ってくれたらしい。


「君が土魔法使いだというのは知っていたし、すぐにセンツベリー侯爵家へ向かったんだ。君の護衛騎士達と合流後、使い魔が指し示す方向へ進み、辿り着いた」

「ハ、ハニワちゃん……天才では……? あっ、窓の修理代は後で払います、すみません」

「気にしなくていい」


 ハニワちゃんの想像以上の優秀さに、驚いてしまう。


 そして王都までの距離を移動したことを思うと、私の魔力が大量に減ったことにも納得した。


 何よりあれほどボロボロになっていた姿を思い出し、目頭が熱くなった。ハニワちゃんはご飯も食べないようだし、どうお礼をすればいいのか分からない。


 一体どう移動したのか、どうして公爵邸までの道のりが分かったかなど、気になることはたくさんあるけれど。やがて私は、一番の疑問を口にした。


「でも、どうしてゼイン様の元へ?」

「君がそう命じたんじゃないのか」

「いえ、違います。私は誰かに、ってお願いを……」


 ハニワちゃんを送り出した時のことを話せば、ゼイン様は目を瞬き、やがてふっと口元を緩めた。


「使い魔は魔力と共に主の意識や記憶を一部共有するため、好む物や嫌いな物も同じだったりする」

「……え」

「つまり君は誰かと言いつつ、無意識のうちに俺に助けを求めてくれていたんだろう」


 そんな言葉に、どきりと心臓が跳ねる。


 私の記憶があったからこそ、公爵邸まで辿り着けたのだろうとゼイン様は続けた。


「俺を頼ってくれて、嬉しかった」

「…………っ」


 否定したいのに、認めたくないのに、駄目だと分かっているのに。心のどこかでは、納得してしまっている自分が嫌になる。


 柔らかな笑みを向けられ、また心臓が早鐘を打っていく。恥ずかしくなって、顔が熱くなる。


「ち、違います、本当に何かの間違いで」

「そんな顔で言っても説得力はないな。君は素直なのか素直じゃないのか、よく分からない」

「きっとゼイン様が、とても強い騎士だから」

「理由なんて何でもいい」


 余裕たっぷりなゼイン様の方が完全に上手で、何を言っても誤魔化せないと悟った私は、口を噤んだ。


 数日後はもう舞踏会だというのに、こんなにもドキドキしてしまっている自分が、この腕を振り解けない愚かさが嫌になる。


「疲れただろう、少し休むといい」


 ゼイン様は私から静かに離れると、自身の肩にもたれるように私の腰を抱き寄せた。


 これ以上優しくしないで欲しいと思いながらも、想像以上に疲れ切っていたようで。一気に眠気に襲われた私は、大人しく自身の身体を預けた。


「……ゼイン様が来てくれて、嬉しかったです」

「ああ」

「本当に、ありがとうございます」


 あと少しだけ、今日だけは最後に素直になってもいいだろうかなんて、微睡みの中で考える。


「ゼイン様は、優しすぎます」

「君の願いは何でも聞くつもりだからな」

「……それなら、私を嫌いになってほしいです」

「それだけは無理そうだ」


 ゼイン様が小さく笑った気がして、求めていた答えではないはずなのに、ほっとしてしまう。余計に瞼が重くなっていき、私は静かに目を閉じる。


「──今更、手放せるはずがないだろう」


 そんな声を最後に、私は深い眠りに落ちていった。

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