第26話 感情ジェットコースター 1
「とにかく、社交の場など人目に付くところで私と親しげにしていただきたいんです」
「いちゃいちゃしてほしいってこと?」
「い……!? フ、フリでお願いします」
「ふうん? フリって言っても限界はあると思うけど」
ランハート様は余裕たっぷりの笑みを浮かべると、長い足を組み直し肘をついた。ハッキリといちゃいちゃ、なんて言われるとドギマギしてしまう。
「でも、何でそんなことを? 公爵様にもう飽きちゃった、って感じには見えないけど」
「……それは言えないんですが、とにかく今は必要なことなんです。来月の末には別れる予定なので」
「意外だったな。すごく仲良さそうだったのに」
興味深い、という顔をして、ランハート様は私の顔をじっと見つめる。
周りからは親しく見えていたようで、嬉しいような、何故か少しだけもやもやする気持ちになってしまう。
「あの日だって、俺のことを牽制してたくらいだし」
「…………?」
何の話だろうと疑問符を浮かべる私を見て、ランハート様は「本当に君、グレース・センツベリー?」なんて言って笑っている。
「それで、君を手伝って俺に何か得はある?」
「逆に私に望むことはありますか?」
「うーん、そうだな」
悩むように前髪をかき上げる姿も、絵になり過ぎている。年齢はゼイン様のひとつ上の22歳と聞いているけれど、色気がすごい。見ているだけで酔いそうだ。
「今すぐには思いつかないから、俺のお願いをひとつだけ聞いてくれるって約束してほしいな。そうしたら浮気相手のフリ、してあげるよ」
「分かりました! 私にできることなら」
「うんうん。俺もあのクールな公爵様が俺なんかを相手に浮気された挙句、グレース嬢に振られるなんて、どんな顔をするのか楽しみだし」
「…………」
ランハート様は身体を起こし前のめりになると、膝の上で両手を組んだ。
宝石のようなすみれ色の瞳と、まっすぐに視線が絡む。心の中まで見透かされそうで、どきりとした。
「これからはグレースって呼ぶね。俺のことはランハートって呼んでほしいな」
「えっ……」
「浮気相手なんでしょ? それくらいしなきゃ」
確かに言う通りだけれど、なかなかハードルが高い。そもそも私はこの世界で、エヴァンくらいしか異性を呼び捨てにしたことがないのだ。
けれど形から入るのは大事だろうと頷くと、ランハート様──ランハートは満足げに微笑み、立ち上がる。
「これから楽しくなりそうだな。いつでも連絡して、すぐにかわいい浮気相手の元へ駆けつけるから」
「ありがとうございます。このことは口外無用で」
「おっけー、分かってるよ」
同じく立ち上がった私の元へやってきて、髪を一束掬い取ると、音を立てて唇を落とした。ぎょっとする私を見て、ランハートはおかしそうに笑う。
「本当にそれが素なんだ。かわいいね」
「……ど、どうも」
「これくらいで照れてたら、浮気なんてできないよ?」
やけに楽しげな様子の彼はそれだけ言うと、屋敷を後にした。半ば呆然としながらその姿を見送った私は、溜め息を吐く。
「…………浮気相手としては、すごく良さそう」
「ですね。あれくらいの勢いがないと、お嬢様は浮気のフリなんてできないと思いますし」
ひとまず条件はクリアしたことだし、今後は彼とこれ見よがしに人の多い場所に出掛ければ良いだろう。
私はエヴァンとともに自室に戻ると、ぼふりとソファに倒れ込んだ。なんだか、少し話しただけですごく疲れた。ゼイン様とは、そんなことはないのに。
「……愛の力って、何なんだろう」
「なんですか? それ」
「よく分からないんだけど、それで世界が救われるの」
シャーロットとゼイン様が愛し合うことで、シャーロットは聖女の力に目覚める。それだけは知っているけれど、どういう仕組みなのだろう。
小説にはそれ以上のことは書いていなかったため、よく分からない。どこからが愛し合う、なのだろう。
「まあ、私には関係ないことだよね」
あの二人ならきっと、大丈夫。そう思った私は顔を上げ、少しでも時間を無駄にしないよう両頬を叩くと、裁縫箱を取り出した。
◇◇◇
日曜日、私はいつものように公爵邸を訪れていた。
広間にてゼイン様、マリアベルとお茶をしながらさりげないタイミングを窺っていた私は「今だ!」と思い、鞄から包みを取り出す。
「あの、ゼイン様。これ、よかったら」
「……これは?」
「剣帯です。勝手に刺繍してみました」
「君が、俺に?」
「はい。剣帯への刺繍は初めてだったんですが……」
先日、ゼイン様は長年愛用していた剣帯がいよいよ壊れてしまったと言っていた。
この国では騎士にとってお守り代わりのとても大事なもののようで、親族や身近な人が無事でいられるよう祈りを込めて刺繍をするのだとヤナから聞いている。
『無地の使ってる奴なんて見たことないですね、面倒臭がりな俺ですらいつも適当に頼んでますし』
想いを込めた刺繍には力が宿り守ってくれる、という言い伝えがあるのだとエヴァンが教えてくれた。
マリアベルは頭も良く魔法も使える完璧美少女だけれど、裁縫だけは不得意のようで。無地のものを使っていると知った私は、ちくちく夜なべをして刺繍してきた。
これから別れる人間が贈るのもどうかとしばらく悩んだものの、来週大規模な魔物の討伐遠征があると聞き、その日だけでも使ってほしいと思ったのだ。
「来週の遠征で使ってくれたら嬉しいです。使い捨てみたいな感じで、その後は捨ててもらえれば」
「そんなこと、するはずがないだろう」
「えっ?」
ゼイン様はそう言うと視線を落とし、大切そうに刺繍部分を長い指でなぞった。
子供の頃から破れた服を直していたせいで、刺繍には自信があるため、我ながら自信作だ。ちなみにエヴァンからも既に予約が入っている。
「ありがとう。一生大切にする」
「いえ、それほどのものでは」
「お兄様、良かったですね……! ずっとお母様が刺繍されたものを、なんとか修理して使っていたので」
「そうなんだ……絶対に無事に帰ってきてくださいね」
喜んでもらえたようで、ほっとする。きっとシャーロットは万能美少女だから、刺繍もしてくれるだろう。
そんなことを考えていると、手のひらをきつく握られた。顔を上げれば、熱を帯びた金色の瞳と視線が絡む。
「絶対に、無事に帰ってくる」
「は、はい」
「本当に嬉しい。ありがとう、グレース」
あまりの顔の近さに戸惑っていると、向かいに座っていたマリアベルがくすりと笑う。
「ふふ、お二人を見ていると幸せな気持ちになります」
うっとりと頬を両手で覆ったマリアベルは、「あ、そうだわ」と言って悪戯な笑みを浮かべた。
「グレースお姉様、ご存知ですか? お兄様ってば、お姉様が好きそうなお店を探すために、まずはご自分で一度食べに行かれるんですよ」
「えっ?」
「マリアベル」
黙ってくれと言いたげに、ゼイン様はマリアベルの名前を呼ぶ。信じられない話に、私は戸惑いを隠せない。
「ほ、本当ですか……?」
「……聞かなかったことにしてくれないか」
そう呟き、口元を手で覆ったゼイン様の顔は、はっきりと分かるくらいに赤い。私まで落ち着かなくなってしまい、顔が熱くなっていくのが分かった。
デートの度に、いつもゼイン様はほっぺたが落ちそうなくらいにスイーツが美味しいお店に連れて行ってくれる。いつも私は感激してばかりで、詳しいなあ程度にしか思っていなかったのだ。
──彼ほどの人なら、いくらでも他人に調べさせることだってできるはずなのに。
私のためにわざわざ忙しい合間を縫ってくれたと思うと、胸の中がじわじわと温かくなる。
「嬉しいです。すごくすごく、嬉しいです」
「……そうか」
「はい、本当にありがとうございます! いつもゼイン様が連れて行ってくださるお店は全部がびっくりするくらい美味しくて、幸せな気持ちになるんです」
「それなら良かった」
自分でも驚くほど嬉しくて、照れたように微笑むゼイン様を見ていると、心臓がうるさいくらいに大きな音を立て、早鐘を打っていく。
繋がれたままの大きな手を思わずぎゅっと握ってしまったことには、気付かないふりをした。
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