第21話 嘘と本当 2


「なあ、ゼイン。少しでいいからさ、来週末のギムソン伯爵家主催の舞踏会に顔を出してくれないか?」

「……なぜ俺が?」

「デビュタントしたばかりのビアンカが、お前とどうしても踊りたいってうるさいんだよ」

「来週末はグレースとの予定があるから無理だ」


 そこをなんとか! と両手を合わせているボリスは昔から、従妹であるビアンカを溺愛している。


 彼女は昔から俺のことを慕っているようで、事あるごとに会ってほしいと頼まれていた。


「それなら、二人で顔を出すのはどうだ? 甥のベンもグレース嬢みたいな美女と踊れたら──」

「ふざけるな」

「お、なんだなんだ。嫉妬か?」

「ああ」


 はっきりとそう告げれば、揶揄からかうような様子を見せていたボリスは、ソファから身体を起こす。


 やがて信じられないとでも言いたげな表情を浮かべ、俺の顔をまじまじと見つめた。


「……お前、それ、本気で言ってる?」

「俺がこんな冗談を言うとでも?」


 幼い頃からの付き合いで俺のことをよく知っているからこそ、こんなにも驚いているのだろう。俺自身、こんな感情を抱いたのは生まれて初めてだった。


 ──グレースが俺以外の男と触れ合い、踊っている姿を想像するだけで苛立ちが募っていく。


 先日、ランハート・ガードナーと彼女が二人きりで話しているのを見た際、抱いたものと同じだった。


 本当はあの日の夜会で、声を掛けるかなり前からグレースの存在には気が付いていた。彼女は良い意味でも悪い意味でも、誰よりも目立つのだ。


『気安く話しかけないで、目障りだわ』


 俺の前での姿とはまるで別人で、大勢の男に言い寄られていた彼女は、不機嫌そうな様子で一蹴していた。


 けれどそんなグレースが何故か、ランハート・ガードナーをじっと見つめていることに気が付いた。


 侯爵令息で見目の良いランハートは、いつも女性に囲まれている。女性なら誰でも一度は好きになる、などと言われているくらいだ。


 彼女もあの男に興味があるのだろうか。そんなことを考えるだけで、焦燥感が込み上げてくるのが分かった。


『──グレース』


 そしてランハートの元へ向かって歩き出した彼女を、俺は思わず引き留めていた。


『……今、君は──』

『ゼイン様、お会いしたかったです!』


 自分らしくない余裕のない行動に戸惑う間もなく、俺を見た瞬間、破顔したグレースに心臓が大きく跳ねる。


 彼女の笑顔が自分だけに向けられることに安堵し、自分は特別なのかもしれない、嬉しいと感じてしまう。


 その笑顔が他の男に向けられると思うと不愉快で、苛立つことにも気が付いていた。


「いやあ、驚いた。お前のことだし、義務感だけで付き合っていると思ってたんだけどな」


 俺自身、初めはそのつもりだった。


 マリアベルの件がなければ関わることすらない、何よりも嫌いなタイプの人間だと思っていたのだから。


『本当に、よかった……』

『今度は違うものを作ってみようね。マリアベル、とても上手だったもの。何でも作れるようになるよ』

『いえ、私は何も。マリアベルが頑張ってくれたので』


 だが、実際に接した彼女は優しくて素直で、まっすぐで謙虚で。俺が想像していた人間とは真逆だった。


 そんなグレースに、俺は二度も救われたのだ。


 彼女が犯人と繋がっており、俺達に恩を売るつもりで事件を仕組んだなんて考えは、とうに無くなっていた。


『改めて礼をしたいんだが、何が良いだろうか』

『いえ、私はこうして恋人になっていただいただけで十分ですから、お気になさらないでください』

『……分かった。では君の恋人として、俺にできる限りのことをさせてほしい』


 だからこそ、それ以上の礼を望まない彼女に対し、せめて恋人らしい振る舞いをしようと思っていたのに。


 いつしか義務感なんて、無くなっていた。


「遅い初恋だな、おめでとさん」


 ボリスはそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。初恋という言葉があまりにも自分に似合わず、自嘲してしまう。


「まあ、当然と言えば当然だよな。マリアベルの命を救った上にお前の1番の悩みを解決して、お前の前でだけ可愛くて優しくて素直で、あの容姿だぞ? あんなの、好きにならない方が無理だろ」


 呆れたように溜め息を吐くと、ボリスは再びソファにぼふりと身体を預けた。


 元々はマリアベルのこともあり、いずれは利害が一致した家から形だけの妻を迎え、跡継ぎも親戚から養子をとろうと考えていた。恋情なんて無駄で、俺には縁のない物だと思っていたのに。


「……本当に、かわいいんだ」

「だろうな。俺ですらそう思う、っておい睨むな」


 あの屈託のない笑顔を見ていると、つられて笑顔になってしまうくらい、穏やかな気持ちになる。自身の中にこんな感情があったことも、初めて知った。


「彼女もお前のことが好きなんだし、さっさと婚約すればいいのに。ゼインも身を固めた方がいい歳だろ」

「…………」


 ──果たして彼女は俺が婚約を申し込んだところで、受けてくれるのだろうか。そんな疑問を抱いてしまう。


 グレースは俺のことを好きだと言いながら、時折、自分の将来に俺はまるで関係ないという顔をする。


『君はこの先、どうするつもりなんだ?』

『その、ゼイン様に聞いていただくほどの大した将来ではないので、お気になさらず……』


 先日だけじゃない、いつだってそうだ。本人は自覚がないようだが、彼女の思い描く未来に俺はいないことは明らかだった。


 今まで異性と刹那的な付き合いしかしてこなかったから、という可能性もある。ただ、何か別の理由がある気がしてならない。


 ──そしてその度に裏切られたような、傷付いたような気持ちになり、どうしようもないくらいに独占欲が込み上げてくる。


 ネックレスを贈ったのも、それが理由だった。目を離せばすぐに離れて行ってしまいそうな彼女を、縛り付けておくものが欲しかった。


『ゼイン様の瞳の色とよく似ていて、すごく綺麗だなと思ったんです。初めて見た時から、本当に好きで』


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、グレースはそんなことを言ってのけるのだ。全てが計算なら、彼女はまさに本物の稀代の悪女だろう。


 俺が黙り込んだのを見て、ボリスは「まあ、急ぐことでもないか」と困ったように眉尻を下げた。


「そもそも、以前とは別人すぎるのも引っ掛かるよな。話を聞く限り、お前の前以外は変わってないようだし。料理なんていつ覚えたんだ?」

「それについては、俺も気になっていた」

「だよな。少し彼女について調べてみるといい。そもそも公爵のお前が付き合う相手なんだし、それくらいすべきだろ。マリアベルのこともあるし」


 元々王家にも仕えていたという諜報員を紹介すると言い、ボリスは立ち上がった。両腕を伸ばし、息を吐く。


「でも俺は、どうしたってグレース嬢が悪い人間には見えなかったけどな。ま、ゆっくりでいいんじゃないか」

「……ああ」


 まだグレースと知り合ってから、3ヶ月しか経っていないのだ。あっという間に自身の中で大きな存在になっていく彼女に、戸惑っているのも事実だった。


 焦る必要はないし、少しずつ彼女のことを知っていけばいい。そう自分に言い聞かせる。


 ──時間は、いくらでもあるのだから。

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