第15話 目に見えるもの、見えないもの 1


「よ、ようやく始まったと思ったのに、即終わった……」


 大失敗に終わってしまったゼイン様とのデートから2日が経ち、私は絶望の最中にいた。


 キノコでも生えそうなくらいにじめじめとした空気を纏いながら、今もベッドに倒れ込んでいる。


 帰り道までは本当に楽しかったというのに、終わりが悪すぎて全て悪しになってしまった。


「元気出してください、大成功ですよ」

「えっ?」

「偶然公爵様が見ないかな、と思って入れたんです」

「もしかして本当は私のこと恨んでる?」


 あっさりとそんな恐ろしいことを言ってのけたエヴァンは、「まさか」と言って笑みを浮かべた。


「親しくなりたくてあんなリストを作ってくるなんて、健気で可愛い令嬢って感じじゃないですか」

「情緒が不安定な痴女の間違いだよ……」


 前半の抱きしめてもらう、までならまだ良い。後半のキスだとか押し倒されるだとかは、流石に引かれたはず。はしたない女性など、絶対に彼の好みではない。


 その上、私の願いを叶えてくれようとした(?)というのに泣いて逃げてしまうなんて、最低すぎる。


「とにかく今頃、公爵様の頭の中はお嬢様でいっぱいだと思いますよ。大丈夫です」

「…………」


 男性については詳しくないものの、エヴァンの感覚は普通の男性と違う気がしてならない。


「少し近付かれただけなんでしょう? それで照れて泣いてしまうなんて、最大のギャップですよ」

「確かに、過去のお嬢様との違いは見せられたかと」

「それに男ってのは、女性の涙に弱いですからね」


 けれどヤナもエヴァンに同意しており、私が気にしすぎなのかもしれないと、少しずつ元気が出てくる。


「お嬢様、ウィンズレット公爵邸からお手紙です」

「えっ?」


 そんな中、手紙が届いたことを知らされ、ゼイン様からだろうかと跳ねるように顔を上げる。そうして渡されたのは、可愛いらしい桃色の封筒だった。


「あ、マリアベルからだ」


 そこには可愛らしい字で、改めて先日助けたことに対するお礼と、公爵邸でマリアベルとゼイン様、彼のご友人と四人でお茶会をしないかと綴られている。


「……本当に、引いてないのかな」


 私に嫌気が差していたら、きっとご友人まで誘った上で公爵邸に招いたりはしないはず。


「よし」


 ここで挽回しようと思った私は「喜んで行く」という返事をすぐに書き、先日の言い訳や謝罪の言葉、持って行く手作りのお菓子の練習を始めたのだった。



 ◇◇◇



 そして、あっという間に迎えたお茶会当日。


 お城のような公爵邸の前に到着し、馬車から降りるとすぐに「グレースお姉様!」という声が耳に届いた。


「お会いできて嬉しいです! ありがとうございます」

「こちらこそ、お招きいただきありがとう」


 すぐに天使のようなマリアベルが出迎えてくれ、その隣には一週間ぶりのゼイン様の姿もある。


 つい先日のことを思い出し、顔に熱が集まっていくのを感じたけれど、落ち着けと自分に言い聞かせた。


「ゼイン様、先日はありがとうございました」

「ああ」


 そうして全力の笑顔を向けたものの、今日も顔が良すぎて直視するのが辛くなる。それからはマリアベルに手を引かれ、二人と共に敷地内を歩いて行く。


「わあ……! とても素敵ですね」

「ふふ、ありがとうございます。自慢の庭なんです」


 広大な庭園では色とりどりの花々が咲き誇り、庭木も美しく刈り揃えられている。思わず溜め息が漏れてしまうくらいに綺麗で、眺めているだけで胸が弾む。


 庭園のガゼボに案内され、準備をしてくるというマリアベルがその場を離れたことで、ゼイン様と二人きりになる。私はすぐに彼に向き直ると、小さく頭を下げた。


「先日は失礼な態度をとってしまい、ごめんなさい」

「いや、俺こそ勝手なことをしてすまなかった」


 きっと優しい彼は、私が泣き出したことを気にしてくれていたのだろう。余計に申し訳なくなる。


「その、本気で誰かを好きになったのは初めてで、ゼイン様に触れていただいたのが恥ずかしくて……」

「……そうか」


 早速ヤナが考えてくれた言い訳を使ったけれど、改めて口に出してみても天才すぎる。これならきっと、誰だって仕方ないと思うに違いない。


 ゼイン様も切れ長の瞳を少し見開いた後、納得してくれたのか小さく頷いてくれた。


 あのリストの後半についても相談相手のエヴァンが勝手に書いたものだと説明したことで、なんとか誤解を解くことができ、ほっとする。


「やあ、グレース嬢。初めまして」


 そんな声に振り向けば、栗色の長髪を一つに結んだ長身の男性が立っており、彼がボリスだと気付く。


 小説でもゼイン様の相談相手として、ボリス・クラムはほんの少しだけ出てくるのだ。


「初めまして、ボリス様。グレース・センツベリーと申します。よろしくお願いいたしますね」


 そう言って笑顔を向けたところ、ボリス様はこちらこそ、と爽やかな笑みを返してくれる。


 基本ゼイン様以外には塩対応ならぬ悪女対応の予定だけれど、彼の友人に対しては愛想良くするつもりだ。


 ちなみに今日の私は春らしいミントグリーンのドレスを着ており、髪は同じ色のリボンでゆるく編み込み、まとめてもらっている。鏡に映る自分にしばらく見惚れてしまったくらい、本当に可愛かった。


「いやあ、グレース嬢のことはもちろん知っていたけれど、本当に雰囲気が変わったね。とても綺麗だ」

「ありがとうございます」

「それもゼインの為なんだって? 羨ましいなあ」

「余計なことを言うな」

 

 もしかすると、ゼイン様が私の話をしてくれたのだろうか。悪い話ではないことを祈りながら、相槌を打つ。


「皆様、お待たせいたしました」


 やがてマリアベルも戻ってきて、お茶会が始まった。


 テーブルの上に所狭しと並べられた、キラキラ輝く可愛らしいお菓子達は見ているだけで楽しい。


 けれどマリアベルはお茶を飲むのみで、お菓子やケーキには一切手をつけずにいる。もしかすると甘いものが嫌いなのかもしれないと、作ってきたお菓子を出すタイミングを失ってしまう。


 そんな中、向かいに座るボリス様は笑顔のまま、まっすぐに私を見つめ口を開いた。


「ねえ、早速だけどゼインのどこが好きなの?」

「……ボリス」

「私も気になります! ぜひお聞きしたいです!」


 窘めるようにゼイン様が名前を呼んだけれど、ボリス様に気にする様子はない。きっとボリス様も親友が無理やり悪女の恋人にされたと聞き、心配なのだろう。


 一方、マリアベルは恋愛話に興味のある年頃なのか、キラキラと金色の瞳を輝かせ、両手を組んでいた。


「グレース嬢、気にしないでくれ」

「いえ、ぜひお話しさせてください!」


 私はゼイン様が素晴らしい人であることも、自分と釣り合わないことも理解している。そんな彼に対し、害を与える存在ではないとアピールするチャンスだろう。


 そう思い、テーブルの下で両手をきつく握り締める。


 ──小説を何度も読み返したくらい、私はゼイン様やシャーロットのことが大好きだし、二人の良いところや頑張りをたくさん知っているのだから。


「やっぱり、ゼイン様の優しいところが一番好きです。誰よりも周りをよく見ていて気遣われていますし、実は努力家なところも尊敬しています。何に対しても誠実なところも好きです。ゼイン様はご家族や友人、そしてお仕事に関しても──……」


 自分でも驚くほどすらすらと出てきて、止まらなくなる。何もかもが私の正直な気持ちで、やはりこんなにも素敵な彼には幸せになってほしいと思ってしまう。


 そして気が付けば語りすぎていたようで、はっと顔を上げると、何故か涙するマリアベルの姿があった。


「あ、あれ……?」


 ボリス様も信じられないという表情を浮かべていて、流石に重かったかもしれないと、不安になりながら恐る恐るゼイン様へと視線を向ける。


「……ゼイン様?」


 私の左隣に座るゼイン様は片手で口元を覆っていて、その隙間から見える顔は、ほんのりと赤かった。

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