第16話 目に見えるもの、見えないもの 2


「グレースお姉様……そんなにもお兄様のことを想ってくださっていたのですね……!」

「えっ?」

「そんなにゼインを見ていたんだな、驚いたよ。幼馴染の俺より詳しいんじゃないか?」


 感激したようにハンカチで涙を拭うマリアベルと、感心したように私を見つめるボリス様。どうやら私の熱い想いが伝わったようで、安堵する。


 これからもゼイン様のため、そして世界と私のために頑張っていくという気持ちを込めて、笑顔を向けた。


 そんな中、ゼイン様はこちらを見ようとはしない。ボリス様はくすりと笑い、ゼイン様の肩を叩く。


「おい、ゼインも照れてないで何か言えよ」

「……うるさい」


 否定しないということは、まさか本当に照れているのだろうか。私が今言ったことは全て事実なのだから、照れる必要などないというのに。


「ゼインは表面ばかりを見られることが多いから、こんな風に褒められるのは嬉しいと思うな」

「お前は少し黙ってくれ」


 いずれシャーロットがゼイン様の全てを理解し、愛してくれるから大丈夫! と心の中で親指を立てる。


 その後、ゼイン様の口数は少なかったものの、四人で楽しくお茶をしていると、やがて庭園の話になった。


 ぜひ色々見てみたいと話すと、マリアベルが早速案内してくれることになり、静かに立ち上がる。


「では、お姉様をご案内してきますね」

「ああ」

「いってらっしゃい。男二人でのんびりしてるよ」


 そうしてマリアベルに再び手を引かれ、ガゼボを出て美しい庭園を歩いていく。


「本当に沢山の種類があるんだね」

「はい。こちらのラナンキュラスは──…」


 少し離れたところには、二人のメイドの姿がある。


 私の視線に気付いたらしいマリアベルは、彼女達が護衛と侍女を兼ねていると教えてくれた。


「……お兄様は、とても心配性なんです」


 詳しい描写はなかったものの、ウィンズレット公爵夫妻が事故で亡くなった後、二人を利用しようとする欲深い人間が多かった、という話があった記憶がある。


 こんなにもマリアベルは可愛いし、先日の誘拐事件もあった以上、過保護になる気持ちも分かってしまう。


 私自身、ゼイン様に近づきたいという下心はなく、もっとマリアベルと仲良くなれたらいいなと思っていた。


「マリアベルは、甘いものとかあまり好きじゃない?」


 何気なくそう尋ねると、マリアベルはぴたりと足を止め、眉尻を下げ困ったように微笑んだ。


「……食べられないんです。誰かが作ったものを」

「えっ?」

「両親が亡くなった後、公爵家を乗っ取ろうとした親戚によって、料理に毒を盛られたことがあったんです。あれから、料理を食べるのが怖くなってしまって」

「そんな……」


 毒はゼイン様を狙ったものだったけれど、偶然マリアベルが口にしてしまったらしい。


 一命は取り留めたものの、今すぐに殺して欲しいと懇願したほど、苦しみ続けたのだという。


「もちろん今はお兄様の指示のもと、徹底的に管理されていて安全なことも分かっていますし、使用人達のことも信頼しています」

「……うん」

「それでも、頭では理解しているのにいざ料理を前にすると、やはり怖くて仕方ないんです。このままではいけないと、分かっているのに」


 マリアベルはそう言って、長い睫毛を伏せた。


 今の食事は生野菜と果物と、幼い頃から食べている店のパンだけだという。まだ十四歳の彼女がそんな食生活を送っていては、いつか絶対に身体を壊してしまう。


 小説には書かれていなかった初めて知る話に、泣きたくなるくらい胸が痛む。どうしてマリアベルばかりが辛い思いをしなければいけないのだろう。


 ゼイン様もきっと、このままでは良くないと分かっているはず。それでも自分の代わりに毒を口にしたマリアベルに、無理をさせられないのかもしれない。


「ごめんなさい、暗いお話をしてしまって」

「……ううん、話してくれてありがとう」


 繋がれた小さな手のひらを、ぎゅっと握りしめる。


 マリアベルのために何か私にできること、私にしかできないことはないだろうかと、必死に考える。


 そして少しの後、私は顔を上げた。


「ねえ、マリアベル。もし良かったら、私と一緒に料理をしてみない?」

「……料理を、ですか?」

「うん。侍女の二人やシェフにも見守ってもらって、1分に1回は私が目の前で味見をするから。そうしたら絶対に安全でしょう?」


 サポートをしつつ、マリアベルが自分ひとりで作ったものなら、きっと気持ちも少しは変わるはず。きっと公爵令嬢である彼女に、こんな提案をする人間などいなかったに違いない。


 やがて、大きな黄金色の瞳が揺れた。


「で、でも、料理をしたことなんてないですし……」

「こう見えて私、得意なんだ。任せて」


 そう言って笑顔を向ければ、マリアベルは戸惑うような表情を浮かべた後、俯いた。もしかすると余計なお世話だったかもしれない。


「もちろん面倒だったり嫌だったりしたら、全然断ってもらっていいからね」

「そ、そんなことありません! お姉様がお誘いしてくださって、とても嬉しいんです……!」


 ぐっと唇を噛むと、マリアベルは「でも」と続ける。


「それでも駄目だった時が、申し訳なくて……」

「そんなこと、気にしなくていいんだよ。ただ料理をしてみるだけで、無理に食べる必要なんてないんだから。それにね、料理って意外と楽しいんだ」


 なんて優しい子なのだろうと、胸が締め付けられる。そんなマリアベルに、温かい料理を食べてもらいたいと強く思った。


「私もたくさん食べるし、ゼイン様だって喜んで食べてくれると思うな。きっとボリス様も」

「…………っ」

「それにね、私もゼイン様に手料理を振る舞って良い所を見せて、好きになってもらいたいんだ。協力してもらってもいいかな?」


 悪戯っぽくそうお願いをすると、マリアベルはこくこくと頷いてくれて、思わず笑みがこぼれる。


「良かった! ありがとう。マリアベルは何が好き?」

「お母様が作ってくれた、トマトのスープです」

「じゃあまずはスープを作ろっか」

「は、はいっ……!」


 可愛らしい笑顔に、心が温かくなる。お昼も近いことから、私達は早速厨房へと向かうことになった。

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