第14話 脳裏に焼き付く


「なあゼイン、グレース嬢とのデートはどうだった?」

「誰に聞いたんだ」

「誰も何も、お前と彼女が劇場やカフェでデートしてたって話、今じゃ社交界で一番の話題だぞ」


 グレースと出掛けた2日後、公爵邸へやって来たボリスはやけに楽しそうな様子でそう言ってのけた。


 マリアベルの件と同様、噂が広がる早さには驚かされる。貴族というのは本当に暇人ばかりらしい。


 とは言え、今回に関してはグレースとの関係を陛下の耳にも入れようと、あえて人の多い劇場へ行き、彼女の名前を呼び、親しげに接したのだ。


 俺とグレースの組み合わせは誰もが想像していなかったようで、ボリス曰く今年一番のゴシップだという。


「で? 感想は?」

「……女性不信になりそうだった」

「ははっ、どんなデートだよ」


 声を立てて笑うと、ボリスは「早速聞きに来て正解だった」なんて言い、ティーカップに口をつけた。


「グレース嬢、いつもと雰囲気が違ったらしいな。男連中の間ではかなりの評判だったぞ」

「雰囲気だけじゃない。何もかもが別人だった」


 先日の彼女は、俺が──いや、誰もが知るグレース・センツベリーとはまるで別人だった。


『少しでもゼイン様の好みに近づきたくて、慣れない服装をしたので緊張してしまって』


 普段の派手な装いと真逆の姿で現れた彼女は、照れたようにそんなことを言ってのけたのだ。


「過去に彼女が男に合わせて装いを変えたなんて話、聞いたことがないけどな。もちろん可愛かったんだろ?」

「……一般的にはそうなんじゃないか」

「素直じゃないな、あの顔を嫌いな男はいないって」


 グレースは元々、この国でも片手に入るほどの美女だと言われている。その上で万人受けするように着飾ったなら、人目を引くのは当然だろう。


 それでも俺が名前を呼んだことで、彼女がグレース・センツベリーだと気付いた途端、すぐに周りからは彼女を悪く言う声が聞こえてきた。


 もちろんそれは彼女の耳にも届いていたはずなのに、グレースは平然とした様子で、笑顔のまま。


 彼女ならば文句のひとつでも言いに行くと思っていたため、余裕すら感じさせる態度には驚かされた。体調でも悪いのかと本気で思ったくらいだ。


『グレース嬢、こちらの席の方が見やすいそうだ』

『そうなんですね。では、ゼイン様がそちらに。私はこちらに座らせていただきます』


 ずっと慕っていたと言いながら、避けるように離れた場所に座る彼女が一体何を考えているのか、俺には分からない。駆け引きの一種なのだろうか。


 そして侯爵令嬢であるグレースなら、幼い頃から慣れ親しんでいるあろうオペラも、まるで初めて見るかのような顔をする。


『わあ……すごい……!』


 正直、恋愛などに興味のない俺からすれば、よくある陳腐な話だとしか思えず、面白さなど分からない。


 そんな中、彼女は最初から最後まで俺には目もくれず、泣いたり笑ったりと百面相をし続けていた。



 カフェに移動してからも、グレースはやはり別人のような態度を崩さず、ケーキセットひとつ頼むのにも遠慮するような様子を見せた。


『あの、とても美味しいです! ふわっとしているのに、さくっとしていて……わあ、美味しい……!』


 彼女が望めば、簡単に店ごと手に入るだろう。


 それにも関わらず、感激したように一口一口を噛み締めて食べる姿に、思わず見入ってしまう。何もかもが演技なら、国一番の女優になれるだろうと本気で思った。


「へえ、そんなに様子が違ったのか。グレース嬢の男を落とすテクニックなのかねえ。で、その後は?」

「……泣かせた」

「は?」

「だから、泣かせてしまったんだ」


 帰り道、馬車が急停車し身体を思い切りぶつけても、彼女は文句ひとつ言わなかった。


 その上、一番に飛び出してきた子どもの心配をしたことで、本当に彼女はグレース・センツベリーなのかという疑問を抱いてしまう。


 咄嗟の反応ですら、こうも演技し続けられるものなのだろうか。そう、思っていた時だった。


『あ、えっ……み、見ましたか……!?』


 グレースの鞄の中身が散らばり、その中に妙な紙があるのを見つけたのだ。そこには「ゼイン様と距離を縮めるための10の目標リスト」と書かれていた。


 女性の字で書かれた「名前で呼んでもらう」や「手を繋ぐ」から始まり、後半は「キスをしてもらう」「押し倒される」などと明らかに男性の字で綴られている。


 遊ばれているのだと、すぐに気が付いた。あのグレースがこんなことを本気でする訳がないのだから。


 結局グレースはこういう人間で、周りと賭けなり何なりをして、俺で遊んでいるに違いない。


 だからこそ彼女の望み通りにしてやり、くだらない演技などやめればいいと、試すようなことをしたのだ。


『──君は俺と、こういうことをしたいのか?』


 壁際に押し付け、そう耳元で囁けば、彼女は一瞬にして顔を真っ赤にした。びくりと身体を強ばらせ、動揺したように俺から慌てて目を逸らす。


 やはり演技を崩さない彼女に対して苛立ち、まだ足りないのかと小さな顔に触れ、唇が触れ合いそうなくらいまで顔を近づける。


 すると長い睫毛に縁取られた大きな空色の瞳からは、はらはらと大粒の雫が溢れ出した。


『……っう……ご、ごめん、なさ…………』


 全く予想していなかった反応に、流石の俺も驚きを隠せなくなる。まるで初心な少女のような姿に、罪悪感が込み上げてくるのが分かった。


 その後、彼女は涙を流しながらも丁寧に礼を言い、逃げるように馬車から降りて行ってしまう。


 ──男遊びを繰り返しているグレースにとって、あれくらいは間違いなく大したことではない。


 そう分かっているはずなのに、あの泣き顔が頭から離れず、ずっと罪の意識のようなものが付き纏っていた。


「それ、本当にグレース・センツベリーか? 誰かと間違えているとしか思えないな」

「……彼女が何をしたいのか、まるで理解できない」

「あ、本気でお前に好きになってもらいたいとか」

「馬鹿なことを言わないでくれ」


 それでも許可を取らずに触れたことに対し、やはり謝るべきかと頭を悩ませていると、マリアベルが広間のドアから顔を覗かせた。


「まあ、ボリス様も来ていたのですね!」

「久しぶり。今日も君は天使のように可愛いね」

「ふふっ、お上手ですこと」


 楽しげに俺の隣へやってきたマリアベルの手には、桃色の封筒がある。やがて彼女はどこか落ち着かない様子で、俺を上目遣いで見上げた。


「あの、お兄様。実はお願いがあるんです」

「どうした?」

「グレースお姉様を、お茶会にご招待したいのです。お手紙を書いたので、お送りしても良いですか?」


 その瞬間、視界の端でボリスが咳き込む。


 マリアベルはやはり、あの日からグレースを慕っているらしい。両親を亡くしてからというもの、俺やボリス以外の人間に歩み寄ろうとするのは初めてだった。


 俺としては今や悪女ですらない、得体の知れないグレースにマリアベルを近づけたくはない。

 

「実は緊張してしまって、何度も書き直したんです。読んでいただけるといいな……えへへ」


 それでも屈託のない笑みを向けられてしまい、断ることなどできなかった。当日も俺が側で監視していれば、問題はないだろう。


「なあ、マリアベル。その日、俺も参加していいか?」

「もちろんです! お兄様とお姉様、ボリス様とお茶会なんて素敵だわ。気合を入れて準備をしなくちゃ!」


 間違いなく面白がっているボリスと、嬉しそうにはしゃぐマリアベルを他所に、気は重くなっていく。


 とは言え、あんなことがあった後なのだ。てっきり断られると思っていたものの、翌日には「喜んで行く」という返事が届いてしまう。


「……本当に、何がしたいんだ」


 結局、あの泣き顔が頭から離れることはないまま。

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