第13話 はじめてのデート 2


 ゼイン様の元へと戻った後、再び彼の手を取ってエスコートされ、出口に向かって劇場内を歩いていく。


「この後はどうしたい?」

「私はまだ、ゼイン様と一緒にいたいです」


 ストレートにそう告げると、カフェでお茶をしようと誘ってくれた。本当ならさっさと帰りたいはずなのに、本当に優しいなあと胸を打たれる。


 二人で街中を歩いて行き、やがて着いたのは白で統一された落ち着いたお店で、店内にはいかにも上位貴族というオーラを纏う人々しかいない。


 カフェにいた人々もゼイン様と私を見るなり、やはり驚いたような様子だった。


「とても素敵なお店ですね」

「ああ。俺も気に入っていて、よく来るんだ」


 そんな場所に私を連れてきてくれるなんて意外だったけれど、なんだか嬉しくなる。


 明らかに何もかもが高級な雰囲気で、私の知っているカフェとはなんだか違う。窓際の席に案内され、向かい合って腰を下ろす。


「グレース嬢?」

「あっ、すみません。見惚れていました」


 ゼイン様はカフェでただ座っているだけでも絵になるなあと思っているうちに、ついじっと見つめてしまっていたらしい。特に彼の蜂蜜色の瞳が、私は好きだった。


「…………!?」


 そして何気なく渡されたメニューを見た瞬間、目玉が落ちそうになった。銘柄についてはよく分からないものの、紅茶一杯が2000ミアだなんて、法外すぎる。


 カップいっぱいに金箔でも入っているのだろうか。


「決まったか?」

「……こ、この紅茶をひとつ」

「他には?」

「こちらだけで大丈夫です」


 もちろんこういう場では男性が出してくれるものだと分かっているし、ゼイン様は私が想像もつかないほどの大金持ちだということも分かっている。


 それでも、私にはまだ早すぎた。一口いくらなんだろうと考えてしまう貧乏性が憎い。


「今はこちらの季節のタルトがおすすめです」


 とは言え結局、敏腕店員に勧められ、ケーキセットを頼むことになってしまう。


 このお店はケーキがとても有名らしいものの、ケーキセットは5500ミアと知り眩暈がした。


 過去の私の半月分の食費だと思うと、恐ろしくなる。やはり金銭感覚というのは、簡単には変わらない。


「…………!」


 けれど、やがて運ばれてきたレモンのムースタルトはびっくりするほど美味しかった。


 ほっぺたが落ちるというのはきっとこういうことを言うのだと、本気で思ったくらいだ。


「あの、とても美味しいです! ふわっとしているのに、さくっとしていて……わあ、美味しい……!」


 いつも侯爵邸で食べているお菓子も美味しいけれど、ここのタルトは別格だった。私にこの感動を伝える語彙力がないのが恨めしい。


 感激しながら食べている私を、ゼイン様はコーヒーを飲みながら静かに見つめていた。はしゃぎすぎてしまっただろうか。


「そんなに気に入ったのなら良かった」

「はい、ありがとうございます」

 

 前世ではできなかった経験を沢山できる今、とても嬉しくて幸せだと改めて実感する。


「ゼイン様は、甘いものは食べないんですか?」

「いや、屋敷でもたまに作らせたりもする」

「そうなんですね。今度、作ってきてもいいですか?」


 するとゼイン様は「は」と、戸惑いの声を漏らした。


「……君が? 菓子を作るのか?」

「はい、割と得意なんですよ。あっ、もちろん変なものを入れたりはしません!」


 必死にそう告げたものの、ゼイン様は本気で訳が分からないといった表情を浮かべていた。


 確かに侯爵令嬢かつ悪女がお菓子作りが得意だと言っても、とても嘘くさい。メイドあたりに作らせて、自分の手作りだと言い張りそうだ。


「それにしてもオペラ、本当に素敵でしたね! ゼイン様はよく見に行かれるんですか?」

「いや、あまり。君が楽しめたのなら何よりだ」

「はい! 特にプロポーズのシーンがすごく──……」


 その後も、色々と思い出してはついつい熱く語ってしまう私に、ゼイン様はずっと相槌を打ってくれていた。



 ◇◇◇



 侯爵邸へと向かう帰り道の馬車の中で、私はゼイン様と向き合って座り、小さく頭を下げた。


「とても楽しかったです。ありがとうございました」


 無理に悪女でいようと気を張っていなかったことや、素晴らしいオペラや素敵なカフェ、そしてゼイン様の気遣いのお蔭で、本当に楽しい一日だった。


 生まれて初めてのデートだったけれど、私自身すごくいい思い出になった。彼の好感度が上がったかは謎ではあるものの、また一緒に出掛けられたらいいなと思う。


 それでもやはり、まだグレースに対しての警戒心が解かれていないことも感じていた。


「グレース嬢、君は──」

「きゃ……!?」


 まだ時間はあるし、ひとまず目標だった名前呼びは次回にしようと思っていると、ゼイン様が何かを言いかけて。それと同時に、馬車が急停車する。


「すまない、大丈夫か。子どもが飛び出したようだ」


 その結果、私はバランスを崩し、ゼイン様側の椅子に思いきり倒れ込んでしまう。


「私は大丈夫です。子どもは無事でしたか?」

「ああ、問題ない」

「よかった……」


 子どもが無事だったことや、ゼイン様にぶつからなかったことに安堵しながら顔を上げる。


「グレース嬢、鞄が」

「あっ、すみません……!」


 そうしてゼイン様の手を取って身体を起こすと、私と共に鞄も吹っ飛んだようで、馬車の金具に引っ掛かり大破していた。


 間違いなく高価なものなのにやってしまった、帰って縫えば直るだろうかと半泣きになりながら、散らばった鞄の中身を拾っていく。


 そんな中、化粧品やハンカチなど、ゼイン様も拾うのを手伝ってくれていたのだけれど。


「我が家の馬車で起きたことだ、代わりの品、を……」


 そこまで言いかけて、彼はぴたりと止まる。何かあったのだろうかと拾う手を止め、ゼイン様の方へと視線を向けた私は息を呑んだ。


「あ、えっ……み、見ましたか……!?」


 そう、彼の視線の先には例の「ゼイン様と距離を縮めるための10の目標リスト」が落ちていたのだ。


 一気に血の気が引き、慌てて拾い上げる。


 やがて戸惑ったようなゼイン様が「少し」と答えたことで、私は深く絶望した。最低すぎる。とんだ痴女だと思われたかもしれない。


 私は置いていくと言ったのに、エヴァンがお守り代わりだとかなんとか言って無理やり入れたからだと、泣きたくなる。


 紙を握りしめ、顔を上げられずにいると不意に視界がブレて、視界が美しい金色でいっぱいになった。


「──君は俺と、こういうことをしたいのか?」


 気が付けば私は壁に押し付けられており、ゼイン様の顔がすぐ目の前にあって。鼻先が触れ合いそうな至近距離に、心臓が大きく跳ねた。


 大きな手のひらで頬に触れられ、さらに顔が熱くなっていく。ゼイン様からは恐ろしく良い香りがして、あまりにも全てが綺麗で、くらくらとしてくる。


 彼はきっと、リストの最後まで見てしまったのだ。


「……っう……ご、ごめん、なさ…………」


 その結果、消えてなくなりたくなるような恥ずかしさと、経験したことのない男性との距離感に限界を超えた私はパニックになり、泣き出してしまう。


 ひどく驚いたように、ゼイン様の目が見開かれる。


 何もかもが私のせいな上に、今日はとても良くしてもらったというのに情けなくて、申し訳なくて、余計に涙が止まらなかった。自身の運のなさと、男性経験のなさを恨まずにはいられない。


「…………っ」


 耐えきれなくなった私は再びお礼を言うと、ちょうど停まった馬車を降り、屋敷へと逃げ帰ってしまった。

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