第2章 一年限りの恋人

第11話 ギャップ大作戦


 ゼインと恋人になってから、一週間が経つ。未だに何の連絡もないけれど、きっとまだ忙しいのだろう。


 そんな中、私は悪女ムーブをしつつ魔法やマナー、シーウェル王国について勉強しながら、どうすればゼインの好感度を上げられるのかを考え続けている。


「お疲れ様です。本日は林檎のタルトですよ」

「ありがとう! 私、タルトが大好きなんだ」


 休憩時間、紅茶とタルトを用意してもらった私は、ふと側に立つヤナを見上げた。


 ちなみにお茶菓子は、毎回バイキングかと突っ込みたくなるような量が出てきて食べきれず心が痛むため、減らしてもらっている。


「ねえヤナ、ヤナは男性とお付き合いしたことある?」

「はい、何度か。今の恋人とは2年付き合っています」

「えっ……」


 あっさりとそんな返事をされたことで、ヤナが急に遠い存在に感じてしまう。とても大人だ。


 私は縋るようにエヴァンへと視線を向けた。


「エ、エヴァンは……?」

「俺ですか? 俺はかなりモテるので、それなりに」

「ええっ……」


 こちらもあっさりとそう言ってのけたことで、私は一人取り残されたような気持ちになる。恋愛未経験なのはどうやら私だけだったらしい。


 確かにエヴァンは顔も良ければ、騎士としても名高いのだ。癖は強いものの、モテないはずがない。


 とは言え、味方としてはとても心強い二人に、私は早速相談してみることにした。


「その、どうしたら男性に好きになってもらえるかな」


 すぐに二人はゼインのことだと悟ったらしく、やけに温かい視線を向けられてしまう。恥ずかしい。


「男性はギャップが好きだと言いますよね。普段と違う一面を見るとドキッとしてしまうとか」

「なるほど、ギャップ」

「俺だけっていう特別感みたいのも嬉しいですよ」

「おお……!」


 思い返せば小説でもグレースは恋人期間、傷付いたゼインをかなり甘やかしていた。


 いつもの悪女らしい手厳しい様子は一切なく、いつも彼の側にいて愛を囁いていたのだ。


 実際にやっていたことは悪女そのものだけれど、ゼインの前では悪女らしくなくても良いのかもしれない。


 普段はツンケンした悪女だというのに、自分にだけは優しい、自分の前だけでは可愛らしいというギャップ、特別感というのは確かに効果的な気がする。


「それに好意を向けられるのは、単純に嬉しいですよ」

「さすがモテる男っぽい」

「女性は皆、すぐに俺のことを好きになりますからね。すぐに嫌いにもなりますけど」

「…………」


 その後も三人で会議を続けた結果、普段は今まで通り悪女ムーブを続けつつ、ゼインの前だけはギャップのある可愛らしい女性を演じ、好き好きアタックをするということに落ち着いた。


 冷静になると相当難易度が高く、冷や汗が流れる。


「これ、かなり難しいのでは……?」

「そうでしょうか? 今のお嬢様なら、公爵様の前ではありのままでいいと思いますよ」

「ですね、俺もそう思います」

「またまた」


 貧乏モブ一般人である私のままで接して、あのゼインに好きになってもらえるはずがない。けれど二人はそのままでいいと、決して譲らなかった。


 確かに私自身なら、元々のグレースとのギャップはありすぎるくらいかもしれないけれど。


 とは言え、今の私寄りで良いのならとても楽ではある。もちろん、貴族令嬢らしくはしなければ。


「絶対、変に小細工なんてしない方が良いですから」

「そうだね、二人ともありがとう! やってみる」


 恋愛経験者の二人がそう言うのなら、きっと間違いない。それにシャーロットが現れるまで、まだあと一年もあるのだ。色々と試してみてもいいだろう。


「そうなれば早速デートですよ、デート」

「デ、デート……」

「ええ。お嬢様の素敵なところを見せるチャンスです」


 確かにまずは交流をしないと、距離は縮まらないはず。そう思った私は、レターセットを用意してもらう。


 そしてゼインが落ち着いた頃に、よければ一緒に出掛けたいということを綴り、公爵邸に送ってもらった。


 するとすぐに驚くほど美しい文字で返事が届き、早速週末にゼインと街中でデートすることになってしまう。


「良かったですね、お嬢様! そうとなれば、当日の身支度も気合を入れないと」

「ド、ドキドキしてきた……よろしくお願いします」


 私自身にとっては、生まれて初めてのデートになる。


 色々な緊張で押し潰されそうになりながら、週末まで落ち着かない日々を過ごした。



 ◇◇◇



 そして迎えた、デート当日。


 ゼイン様──本人の前でうっかり呼び捨てにしてしまいそうだから、今後はそう呼ぶことにする──は、時間ぴったりの午後三時に迎えにきてくれた。


 紺色のジャケットを着こなし、少しだけ長めの髪を片耳にかけている彼は神々しさすら感じる美しさで。この絶世の美男子に好いてもらおうなんて烏滸がましいのではないかと、早速心が折れそうになる。


 けれど、見送りにきてくれたヤナやエヴァンがぐっとガッツポーズをしてくれているのを見た私は、ゼイン様に見つからないようぐっと拳を握ってみせた。


「こんにちは、ゼイン様。お会いできて嬉しいです」

「ああ。連絡が遅くなってすまなかった」

「いえ、お忙しい中ありがとうございます」


 一方、ゼイン様は私の姿を見るなり、少しだけ驚いたような様子を見せた。そう、既に彼の気を引くためのギャップ大作戦は始まっている。


 今日の私は可愛らしい、ピュアなお嬢様がテーマだ。


 ゼイン様もきっと、絵に描いたような悪女を連れて歩くのは恥ずかしいと思い、淡いレモンカラーのドレスを着ている。グレースの柔らかな桜色の髪には、真っ赤なドレスよりもずっとよく似合っていた。


 いつもじゃらじゃらピカピカつけていたらしい宝石類も、ドレスに合わせたシンプルな物のみ。


 もちろん、彼と会う以外はお得意の原色ドレスで過ごすつもりでいる。ゼイン様とのデートの時だけは特別、というアピールだ。


「もしかして、変でしょうか?」

「……いや、よく似合っていると思う」

「良かったです。少しでもゼイン様の好みに近づきたくて、慣れない服装をしたので緊張してしまって」


 そう告げると彼は少しの間の後「そうか」とだけ呟いた。グレースに対する警戒度はやはりまだ高そうだ。


「行こうか」

「はい」


 やがて差し出された手を取ると大きくて温かくて、緊張してしまう。そのまま公爵家の豪華な馬車に乗り込み、向かい合って座ると、金色の瞳と視線が絡んだ。


「どこか行きたいところはあるだろうか」

「いえ、あまりよく分からなくて」

「分からない? 君は詳しいのかと思っていたが」

「あっ、そうですね。少しは」


 こういう時は男性のエスコートに任せるのが良いと聞いているため、お任せですという顔をする。


「では、劇場へ向かおう。席は取ってある」

「はい。ぜひ!」


 きっとヤナが言っていた、流行りのオペラを観に行くつもりなのだろう。大人気の演目で、席を取るのも一苦労なんだとか。


 あっさりと短期間でそんなチケットを用意できるなんて流石だと思いつつ、人生初のオペラに胸が高鳴る。


「……はっ、しっかりしないと」


 もちろん楽しんでいるのは相手にも伝わるだろうし、大事だけれど、本来の目的を忘れてはならない。


 私はカバンに入っている「ゼイン様と距離を縮めるための10の目標リスト」を思い出す。


 第一の目標、今日の目標は少しでも警戒心を解いてもらい、「グレース」と名前で呼んでもらうことだ。


 ちなみに二つ目は「手を繋ぐ」だ。後半はとても私の口には出せないものばかりで、正直ボツにしたい。


 ──エヴァンと徹夜をして考えた、この小っ恥ずかしい紙を本人に見られることになるとは思っていない私は気合を入れ、ゼイン様へ全力の笑顔を向けた。

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