第10話 幕間:ゼイン・ウィンズレット


 第一王子主催の夜会の最中、ホールを抜け出してバルコニーで夜風に当たっていると、不意に肩を叩かれた。


「ゼイン、こんな所にいたのか」

「……ボリスか」


 振り返った先には、侯爵令息であり幼い頃からの友人であるボリスの姿があり、小さく息を吐く。


 ボリスは俺の隣に並び立つと、眉を顰めた。


「なあ、マリアベルが攫われて殺されかけたって話を聞いたんだが、大丈夫だったのか?」


 事件からまだ三日しか経っていないものの、どこから漏れたのか噂好きな社交界では既に、マリアベルの殺人未遂の話は広がっているらしい。


 夜会中、やけに視線を感じたのはそれが原因だろう。


「ああ。グレース・センツベリーのお蔭でな」

「は? どういうことだ?」


 だが流石に、グレース・センツベリーがマリアベルを救ったということまでは知らないようだった。知ったところで、誰も信じないのが目に見えている。


 俺自身、ボロボロの姿でマリアベルを抱きしめる彼女の姿を目にしなければ、絶対に信じなかっただろう。


『……あ、あれ』


 俺達を見て安堵したように涙する姿は、俺が知るグレースとはまるで別人だった。流石の彼女も、魔物に襲われて気が動転したのかもしれない。


 ──男好きで強欲で、自分勝手で傲慢な悪女。それが誰もが知るグレース・センツベリーという人間だった。


『グレースお姉様は、私を守ってくれたんです。ご自分だって震えていたのに、ずっと私を抱きしめながら「大丈夫」と声をかけてくださって……』


 だからこそ、そんな彼女が危険を犯してまでマリアベルを救った理由が分からなかった。


 俺がノヴァーク山に駆けつけた際、彼女はつたない土魔法を使い、魔物から必死に身を守っていたのだ。彼女が魔法を使えるというのも、その時に初めて知った。


『……別に、助けに来たわけじゃありません』

『夕食を採りにきたら、襲われていたところにたまたま遭遇しただけです。本当です、生でも食べられます』


 グレースの言動の全てが理解できなかったが、連れの騎士──国一番の風魔法使いと言われているエヴァン・ヘイルの発言が本当なら、彼女はマリアベルを救うためだけに夜のノヴァーク山に来ていたことになる。


 彼女が何故マリアベルが攫われたことを知っていたのか、何故その誘拐先がノヴァーク山だと分かったのか、不可解なことも多い。


 屋敷に匿名で届いていた「マリアベルはノヴァーク山に囚われている可能性が高い」という手紙もそうだ。


『お兄様、私、グレース様にお礼をしたいです! 今度、お茶を一緒にしたりもできたらなって……』


 それでもマリアベルの話やあの場で見た状況から、グレースが妹を救ってくれたという事実に変わりはない。


 その結果、マリアベルの意思や俺自身の立場もあり、センツベリー侯爵邸を訪れた。


 ──もしも唯一の家族であるマリアベルをあんな形で失っていたら、今頃は正気でいられたか分からない。グレースには本当に感謝している。


 だからこそ、何でも願いを聞くと告げたのだ。


「それで、どうなったんだ? 何か強請られたりとか」

「恋人になった」

「……悪い、俺の耳が悪くなったのかもしれない。もう一度言ってくれないか?」

「グレース・センツベリーの恋人になった」


 そう告げればボリスは両目を見開き、再び「は?」という間の抜けた声を漏らした。


『では、私の恋人になってくれませんか』


 俺自身あんな願いを聞くことになるなんて、想像すらしていなかった。マリアベルの命を救ってくれた礼でなければ、一蹴していたに違いない。


「正気か? あの悪女と交際だなんて」

「どうせすぐに飽きるだろうし、俺にも考えがある」


 グレースが飽き性だというのも有名な話だ。何でも欲しがる癖に、自分の物になれば飽きてしまう。


 恋人関係になったところで、彼女が喜ぶような言動など何一つするつもりはない。どうせ俺の容姿だけを気に入っているだけなのだ、すぐに飽きて他へ行くだろう。


 俺自身、陛下の手の内の家門の令嬢との婚約を勧められていたため、風除けとしてグレースを使えるのは好都合だった。誰だって、何らかの理由から俺が彼女に付き合わされていると思うに違いない。


「陛下はセンツベリー侯爵家が嫌いだからな。俺がグレースと恋仲になったと知れば、さぞ腹を立てるだろう」


 センツベリー侯爵家は、公爵家にも劣らない権力や財力を持っている上に、王家派と対立する神殿派だった。


 陛下の怒りに歪む表情を想像するだけで、溜飲りゅういんが下がる。両親が亡くなってからというもの、ウィンズレット公爵家を自らの支配下に置くため、手段を選ばない陛下に対しての苛立ちや不信感は募るばかりだった。


「まさかグレース嬢はお前や公爵家に近付きたくて、命懸けでマリアベルを助けたのか?」

「分からないが、何か目的があるのは確かだろう」


 何の得もないのに、彼女が自ら動くはずがない。


 不自然な点が多いことから、彼女が元々犯人と繋がっており、俺達に恩を売るつもりで事件を仕組んだという可能性だって捨てきれなかった。


 グレース・センツベリーなら、それくらいはやりかねない。俺も恋人という立場になってしまったことを利用し、色々と探るつもりだった。


「それにしてもグレース嬢も懲りないなあ。この間だって、別れた男が逆上して殺されかけたんだろう?」

「本当にくだらないな」

「でも、彼女は恋人としては意外と良い女なのかもしれないぞ。この国でも片手に入るほどの美女だしな。流石のお前も骨抜きにされたりして」

「……笑えない冗談はやめてくれないか」


 彼女に対して今以上に嫌悪することはあっても、好意を抱くことなど決してないだろう。


『バカね、私が本気で好きになるわけがないじゃない。思い上がるのも大概にしたら?』

『お前は俺の気持ちなんて、一生分からないだろうな』

『そうでしょうね。分かりたくもないわ』


 以前、元恋人らしき男とグレースのそんな会話を偶然耳にしたことがあった。彼女は間違いなく俺を好いてなどいないし、今後好きになることもないだろう。


『ずっとゼイン様をお慕いしていたんです』


 本当に全てがくだらない茶番だと、自嘲する。


 マリアベルは命を救われたことでグレースを慕い始めているようだが、俺は違う。彼女が俺に飽きるまでは利用して、適当に関係を終わらせるつもりだ。


「──俺はああいう人間が、一番嫌いなんだ」

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