第5話 世界が始まる一秒前


 グレースに転生してから、1週間が経った。


「──はあ、ノロマなお前のせいで気分が台無しだわ。どう責任を取るつもりなわけ?」


 テーブルを蹴り飛ばせば、床に座り込むヤナの身体がびくりと震えた。瞳からは一筋の涙が流れていく。


「も、申し訳ありません……! ううっ……」

「お前ごときの謝罪に何の価値があるのかしら? もういいわ、罰を与えるからヤナ以外は出て行きなさい」


 私は長い前髪をかき上げると椅子の背に体重を預け、大袈裟な溜め息をついてみせた。


 ヤナとエヴァンのお蔭で、だいぶ悪女が板についてきた気がする。むしろヤナの演技力が高すぎて、かなり酷いことをしている雰囲気が出るのだ。


 その甲斐あって他の使用人達はグレースに怯え、戸惑っている様子だった。とは言え、その後ろではエヴァンが32点とジェスチャーしている。


 これだけやって32点とは、満点を叩き出す本物のグレースの恐ろしさは想像すらつかない。それでも、マイナスからの大進歩だろう。


 ヤナとエヴァン以外が出て行ったのを確認した私は手を差し出し、彼女を立ち上がらせた。


「ありがとう、ごめんね。演技が上手すぎて、罪悪感から途中で思わず謝りたくなっちゃった」

「ふふ、ありがとうございます。お嬢様もとても良かったですよ。急いで支度を始めますね」

「うん、お願いします」


 そうして彼女と共に、鏡台の前へ移動する。腰を下ろすと、すぐにヤナは私の髪を結い始めてくれた。


 少しずつこの生活にも慣れてきてはいるものの、やはり価値観や金銭感覚の違いに戸惑うことも多い。豪華な食事も美味しくて幸せだけれど、気軽に食べられる質素な食事も恋しかったりする。


 ちなみにヤナにも記憶が所々ないという設定を伝えてあるけれど、だいぶ仲良くなれた気がする。


「グレースお嬢様、こんな感じでいかがでしょう?」

「すごくかわいい! ありがとう、ヤナ」

「はい。お嬢様は今日もとてもお美しいです」


 顔を上げると鏡には緩いポニーテルで髪をまとめた、お出かけスタイルの私が映っていた。未だに鏡を見るたびに驚いてしまうくらい、グレースは美しい。


 ドレスはグレースが以前捨てておくよう言い、辞めたメイドが別の部屋に置き忘れたままだった、淡いスミレ色のシンプルなものを着ている。


 真昼の街中に出かける際、真っ赤なフリルだらけのドレスは流石に辛すぎるため、助かった。


「今日は俺がしっかりお守りしますから、安心してめいっぱい楽しんでくださいね」

「ありがとう。なんだか騎士っぽいね」

「俺もそう思いました、格好良いなって」


 そう、今日はこれからエヴァンとヤナと共に、王都の街中へと出かけることになっている。


 そろそろ屋敷の外に出てみたかったし、お父様から新しいドレスを買うよう、目玉が落ちそうなくらいのお小遣いを渡されてしまったのだ。


 私自身としては今ある分で十分だけれど、強欲悪女であるグレースが同じドレスばかりを着ているなんて、絶対にあってはならない。


 ということで、まずはドレスショップに行く予定だ。既にお父様が、国内でもトップの人気を誇るデザイナーの店を予約してくれているらしい。


 人生で最も高価な買い物が自転車の私は、一体今からいくらの買い物をするのだろうと緊張が止まらない。


 ちなみにこの国の通貨である「ミア」は日本の「円」の感覚と変わらないようで、とても分かりやすかった。その分、リアルな数字に具合が悪くなるけれど。




「わあ、すごい人! いつもこんなに賑わってるの?」

「明日からは建国祭ですから、国中から王都に集まってきているんですよ。普段はもっと落ち着いています」


 馬車に揺られながら、窓の外に流れていく王都の街中の景色を見つめる。なんというか、テレビで見るようなお洒落なヨーロッパの街並み、という感じだ。


 大人から子供まで大勢の人々が楽しそうに通りを歩いていて、思わず笑みがこぼれた。とは言え、馬車を降りてからはツンとした顔をしていなければ。


 そして到着したドレスショップは一等地らしい場所にあり、外観からして高級感が漂っている。


「センツベリー様、お待ちしておりました」

「ええ」


 ついつい緊張してしまいながら中へと入れば、すぐに洗練された美女店員が出迎えてくれた。


 案内され廊下を歩いていると、前方から急いだ様子の女性が向かってきて、すれ違い様にぶつかってしまう。


「…………!」


 こんな時グレースなら怒るだろうと思ったものの、相手の顔を見た瞬間、私は言葉を失った。


 そこには妖精かと思うほど、可愛らしい貴族令嬢がいたからだ。腰まである絹糸のような銀髪がふわりと揺れ、この世のものとは思えない儚さや美しさがあった。


「ごめんなさい、大丈夫でしょうか?」


 心配げに私を見つめる蜂蜜色の瞳は、宝石のようにキラキラと輝いている。文句ひとつつけようのない顔立ちは、まるで精巧な人形のようだと驚いてしまう。


 もちろんグレースも美人だけれど、こちらは美少女という感じだ。全く目利きができない私でも、身に付けているものは全てかなりの高級品だと分かった。


「ああ、急がなきゃ! 本当にごめんなさいね」


 それだけ言うと、美少女は急いで店を出て行く。その後ろを、侍女らしき女性達が慌てて追いかけていった。


「うーん、どこかで見たことあるような……」


 けれど主要登場人物ならイラストで見ているから顔は分かるだろうし、気のせいだろうと思い、私は再び店員の後をついて廊下を歩いていく。

 

 その後、数時間かけて大量のドレスを購入し、それ以上にオーダーメイドの注文もした私は、今すぐに寝込みたくなっていた。それでも元々のグレースとは比べ物にならないほど少ないと言われ、気が遠くなる。


「身体はひとつしかないのに……おかしいよ……」


 お金を気にせずに好きなだけ買い物をしたいと、夢見たことはある。けれど馴染みのない大金を使うという感覚は、想像していたよりもずっと怖いものだった。


 侯爵家からすれば大したことのない金額だということだって理解しているものの、やはり落ち着かない。


 この感覚には慣れたくないなあなんて思いながら、私はドレスの山を見つめ、溜め息を吐いた。



 ◇◇◇



「やった、できた! か、かわいい……!」


 私の目の前では、ハニワのような小さな土人形がひょこひょこと歩いている。とてもかわいい。


「ほぼ初めてのようなものなのに、ここまで使いこなせるなんて異常ですよ。変態です」

「他に褒め方はなかったの?」


 屋敷に戻ってからは今まで、裏庭でエヴァンと魔法の練習をしていた。実は数日前から毎日続けている。


 この世界には魔法が存在し、人口の三割程度が使えるのだという。魔法使いは特に貴族に多いんだとか。


 そしてグレースもその一人であり、火・水・風・土の四属性と貴重な光と闇属性がある中で、グレースはキャラと見た目に反して土魔法使いだった。


 本人も美しくないとお気に召さなかったようで、潤沢な魔力量を持ちながらも一切使っていなかったようだ。


「こんなにすごい魔法なのに……よしよし」


 私の魔法で作り出した土人形は、集中している間は私の思い描いている通りに動いてくれる。


 ぺこりとおじぎをしたハニワちゃんの頭を撫でると、なぜかエヴァンは「いいなあ」とこぼしていた。


 私自身もともと魔法というものに憧れはあったし、元々グレースには才能があったのか、簡単に色々とできるようになって楽しい。


 一年後に舞台装置としての役割を終えたら、この魔法を使って農作物を育ててみたいと思っている。


「お嬢様の場合は大丈夫だと思いますが、魔力切れは命の危険もありますからね。少し休みましょうか」

「そうだね、ありがとう」


 やがて休憩をしようということになり、近くのベンチに並んで腰を下ろす。すぐにヤナが冷たい飲み物を用意してくれて、本当に至れり尽くせりだ。


 それからは三人で昼間出かけた際の話をしていたところ、私はふと美少女のことを思い出した。


「そういえばドレスショップでぶつかった子、本当に可愛いかったな。まさにお姫様って感じで」

「ウィンズレット公爵家のご令嬢ですからね」

「そっか、ウィンズレット家の──……えっ?」


 私は跳ねるように顔を上げ、エヴァンを見つめる。


「ゼイン・ウィンズレットの妹、ってこと!?」

「はい、そうですよ。マリアベル様です」


 エヴァンは当然のようにそう言ったけれど、私はだんだん心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。


 ──マリアベル・ウィンズレット。彼女は小説のストーリー開始前に亡くなる、ゼインの妹だ。


 彼女のイラストはなかったものの、見たことがあるように感じていたのは、ゼインに似ていたからだろう。


 両親を亡くした二人は、たった一人の肉親であるお互いを大切に想い過ごしていたけれど、ある日マリアベルは公爵家に理不尽な恨みを持つ男に攫われてしまう。


 必死の捜索の末、深夜の山奥でゼインが目にするのは惨殺されたマリアベルの遺体だった。そうして壊れかけたゼインの心にグレースがつけ込み、物語は始まる。


 小説の中ではモノローグで語られるたった数行の部分だったけれど、先程会った彼女がこれからそんな目に遭うと思うと、ぞくりと身体が震えた。


「……でも、まだ生きてた」


 きつく手のひらを握りしめ、必死に記憶を辿る。


 小説の冒頭は来月、グレースとゼインが国主催の舞踏会で出会うところからだったはず。妹を亡くしたばかりのゼインを、国王が無理に呼び付けるのだ。


 そして、それまでのゼインの過去は回想シーンで語られるのみ。きっとマリアベルが誘拐されるまではもう、本当に時間がないはず。


「確かゼインは王都を離れている時で……どうして離れていたんだっけ……そうだ、何か任務があって……」

「お嬢様? どうかしましたか?」

「あ、建国祭! 隣国の大使を迎えに行くんだ」


 王国最強の騎士として名高いゼインが、建国祭の前日に隣国の大使を国境の近くまで迎えに行き、王都を離れているタイミングを犯人は狙う。


『明日からは建国祭ですから、国中から王都に人が集まってきているんですよ』


 つまり、マリアベルが殺されるのは──


「……今夜だ」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る