第16話 幼馴染


「大丈夫? 疲れてない?」

「はい。大丈夫です」

「良かった、付き合わせてごめんね。綺麗なエルナちゃんをあまり他の人に見せたくないし、早めに帰ろうか」

「もう」


 今日はスレン様と共に、彼の知人の誕生日パーティーに参加している。こうして婚約者として彼と社交の場に出ることにも、少しずつ慣れてきた。


 未だに好奇の眼差しを向けられることも多いけれど、常にスレン様がフォローしてくださっているお陰で、不快に思うこともない。本当に完璧な人だと、毎日のように思う。


「あら、エルナ。それにスレン様も」

「フローラも来ていたのね」

「ええ。お父様に無理やり連れられてきたのよ」


 そんな中、友人のフローラの姿を見つけた。今日も華やかで美しい彼女は、周りにいた男性の視線を集めている。


「エルナがいつもお世話になっております」

「いいえ。こちらこそ、またいつでも遊びに来てね」


 実は先日、侯爵邸に彼女を招き三人でお茶をしたのだ。私の大切な友人と仲良くなりたいと言ってくださり、フローラも本当に素敵な方だといたく感動していた。


「あ、そうだわ。ねえエルナ、イアン様にはもう会った?」

「イアンに?」

「戻ってきたこと、聞いていない? 私も噂で聞いたのよ」

「えっ」


 イアンが戻ってきたなんて話、聞いていない。そう思ったところでふと、先日の手紙のことを思い出す。


「……あ」


 バタバタしていて、彼への手紙の返事を書くのを完全に忘れていた。やってしまったと思いつつも、手紙にも戻ってくるなんて書いていなかったはずだ。もしかすると迎えに行くというのは、そういう意味だったのだろうか。


 もう、彼が他国に行って4年が経つ。大切な幼馴染である彼に久しぶりに会えるかと思うと、とても嬉しい。彼に懐いていたブレットも喜ぶだろう。 


「どうかした?」

「手紙の返事を忘れていたこと、思い出してしまって」

「イアン様ってああ見えて、マメだものね」


 ああ見えて、と言うフローラの気持ちもよく分かる。


 イアンはとても綺麗な顔をしているけれど、いつも無表情で口数も少ない。だからこそ、周りからは冷たいだとか怖いだとか誤解されがちだった。


 本当は、誰よりも優しい人なのだけれど。


「前回の手紙にも戻ってくるって書いてなかったの? まさかのサプライズ帰国かしら」

「迎えに行くとは書いてあったけど、よく分からなくて」

「……えっ、本当に?」


 そう答えると、フローラはひどく驚いたように大きな猫目を見開いて。そのまま彼女は、スレン様へ視線を向ける。


 どうしたんだろうと私も彼の顔を見上げてみれば、スレン様はいつもと変わらない笑みを浮かべていた。


「イアンって?」

「私の幼馴染です。他国で騎士をしていて」

「そうなんだ。早く会えるといいね」

「はい」


 にっこりと微笑むと、スレン様は「そろそろ帰ろうか」と言い、私の手を掬い取った。


 そっと彼の手を握り返し、フローラへと視線を向ける。


「またね、フローラ」

「え、ええ。また」


 彼と繋いでいない方の手で、手を振り歩き出す。そのまま会場を出て、長い静かな廊下を歩いていく。


「明日はお仕事、早いんですか?」

「うん、これから忙しくなりそうだ。エルナちゃんは屋敷で待っていてくれたら嬉しいな」

「はい、もちろんです」

「ありがとう。大好きだよ」


 そんな彼の言葉に対し、いつものように返事をする。


 けれど繋がれた右手はいつもよりもずっと、きつくきつく握られているような気がした。




 ◇◇◇




「スレン様、すごくお仕事が忙しそうよね。差し入れとか、何か出来ることはないかしら」

「エルナ様からなら、どんな物でも喜ばれると思いますよ」


 何かいい物はないかなと呟けば、ベティはお茶を淹れながら「お菓子を作ってみるとかはどうでしょう? スレン様、甘いものがお好きですし」と提案してくれた。


 彼女の言う通りスレン様は甘いものが好きなようで、以前一緒にカフェへ行った時にも、ふわふわのクリームがたくさん乗ったパンケーキを食べていて。その姿がやけに可愛らしくて、笑みが溢れた記憶がある。


「それ、すごくいいわ。お菓子を作ることにする」

「私も料理長もお手伝いしますし、明日の午後にでも作れるよう手配しておきますね」

「うん。ありがとう」

 

 最近、スレン様はかなり忙しそうで、一緒に社交の場に出ることもほぼ無くなった。


 そんな中で私だけ遊びに行くのは何だか気が引けて、ひたすらに屋敷で勉強をしたり読書をしたりして過ごしている。


 唯一の外出は、毎日のブレットのお見舞いくらいだ。それも神殿の前で馬車の乗り降りをするくらいだから、ほとんど引きこもりのような生活になっていた。


「私宛ての手紙なんて、来ていないよね?」

「はい、来ていなかったと思います」


 フローラからイアンの話を聞いてから二週間が経ったけれど、あれ以来彼については何も分からないままだった。すぐに返事を書こうとしたものの、送り先が分からないのだ。


 彼の実家はもう無く、これまでは他国の騎士団宛に手紙を書いたけれど、今はどこへ送っていいのかも分からなくて。共通の友人もおらず、何の連絡も取れないままでいる。


 スレン様と婚約している以上、彼と連絡を取りたいと大っぴらに言うのも気が引けるし、困っていた。


「エルナ様、そろそろ神殿へ行かれますか?」

「ええ。ありがとう」


 もうすぐ馬車の用意ができるようで、私はティーカップをことりと置くと立ち上がり、ブレットのお見舞いへ行く支度を始めた。




「お姉さま、いつもありがとう」

「ううん。また明日来るからね」


 額に軽くキスを落とすと、私はブレットの病室を出た。今日もとても顔色が良く、神殿内にいる子供たちと少しだけ遊べたことを嬉しそうに話してくれて、思わず涙腺が緩んだ。


 ちなみに先日、偶然神殿での具体的な治療費を耳にした時には、本気で眩暈がした。スレン様には、本当に感謝してもしきれない。一生をかけて恩返ししなければ。


「スレン様、喜んでくれるかな」


 明日はクッキーを焼いてみることになっている。作って渡したら、彼はどんな顔をするだろう。そんなことを想像しながら、一人神殿の出口へと歩いていた時だった。


 背後から突然腕を掴まれたかと思うと、ぐいと引き寄せられて。一体誰だろうと驚いて顔を上げた私は、息を呑んだ。


「──イアン?」


 そこには想像していたよりもずっと大人びた、けれど見間違うはずもない、幼馴染の姿があった。

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