第14話 過去と今と
「エルナちゃんが俺を好きじゃないって?」
突然のスレン様の登場に、言葉を失ってしまう。どうして彼がここにいるのだろう。そして、先程まで自信満々だった目の前の彼女の顔が、一瞬にして真っ青になっていく。
そんな彼女の横を通り過ぎたスレン様は、花が咲くような笑顔を浮かべ私の下までやってくると、私の頬に触れた。
「仕事を終えて急いで戻ってきた途端、顔を出して欲しいと頼まれたんだけど、エルナちゃんが居て驚いたよ」
「すみません、色々あって急に参加することになりまして」
「そうだったんだ。偶然会えて嬉しいな。ドレスも着てくれてありがとう。よく似合ってる、すごく綺麗だ」
「あ、ありがとうございます……」
いつもと変わらない様子のスレン様は、一体いつから話を聞いていたのだろう。先程の彼女の言葉は間違っていなかったからこそ、私は内心冷や汗が止まらなかった。
「久しぶりだね、卒業以来かな」
そんなスレン様は彼女へと視線を向けると、笑顔のままそう言って。彼女は「その、私は……」と口籠っている。
「あまり酷いことを言わないで欲しいな、悲しくなる」
「っでも、エルナ様はずっとハンネス様のファンで」
「知ってるよ。それがどうかした?」
当たり前のようにそう言った彼に、私は驚きを隠せない。まさか私がハンネス様のファンクラブに入っていたことを、スレン様が知っていたなんて思いもしなかった。
「過去なんて気にしないし、エルナちゃんが今俺のことを好きなことに変わりはないから」
そうだよね? と問われ、慌てて頷く。流石、心の広いスレン様だと感動してしまう。
「心配してくれてありがとう。またね」
そう優しく告げられた彼女は謝罪の言葉を呟くと、その場を去った。とは言え、そもそもは私が悪いのだ。罪悪感で死にそうになっていると、スレン様は私の手を掬い取った。
「ハンネス、いたんだ」
「ああ。先程までアドルフもいた」
「そっか、またね」
「おい」
スレン様は引き止めるハンネス様を無視し、繋いでいる方の手を持ち上げてハンネス様に「バイバイ」と手を振る。
そして彼はそのまま私の手を引き、歩き出した。
「あの、スレン様」
「俺はもう挨拶も終えたしこの会場に用はないんだけど、エルナちゃんは?」
かなり大規模なパーティーなのだ、私一人が早めに抜け出したところで何も問題はないだろう。
スレン様も遠方での仕事を終えたばかりなのだ、早く帰りたいに違いない。かと言って、誰よりも優しい彼は私を置いて帰ることもしないはず。少しでも早く帰ろうと決める。
「ええと、私も友人にお祝いはできたので、軽く挨拶だけして帰ろうかなと」
「分かったよ。俺も一緒に行っても?」
「はい。大丈夫です」
スレン様と一緒に挨拶をしても、もちろん問題はない。ただ、私の友人達が驚き戸惑うだけだろう。
それからは二人で友人達に挨拶をして回ったけれど、スレン様は婚約者として完璧すぎる対応をしてくれて。大勢から婚約を祝福され、穏やかな時間を過ごした。
◇◇◇
「スレン様、今日はありがとうございました」
「ううん。エルナちゃんの友人は素敵な人ばかりだったね」
侯爵邸へと向かう帰りの馬車に揺られ、私の隣に座るスレン様は「お似合いって言われて嬉しかった」なんて言い、嬉しそうに微笑むものだから、どきりとしてしまう。
仕事を終えたばかりで社交の場にも出て、かなり疲れているだろうに、彼はずっと私を気遣ってくれてばかりだった。
「明日のデート、どうしようか」
「スレン様はどこに行きたいですか?」
「エルナちゃんの行きたい所かな」
「もう」
なんでも私優先の彼に、思わず笑みが溢れる。
そうして明日どこへ行くかを決めた後、私はずっと気掛かりだった話に触れてみることした。
「あの、ハンネス様のことなんですけど」
先程彼がどこまで聞いていたのか、どこまで知っていたのかは分からない。けれど話題に出た以上は、私の口から何も言わないのもどうかと思っていたのだ。
緊張しながらも切り出すと、切れ長の瞳が少しだけ見開かれたものの、彼はすぐにいつも通りの笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、分かってるから」
「分かってる……?」
少しだけ傷ついたような、困ったような彼の表情からは、嫌な予感しかしない。その上、何も聞きたくないというオーラが滲み出ているのだ。きっと彼は、私がハンネス様のファンだったと思っているに違いない。
ハンネス様のファンクラブに付き合いで入ったことを話せば、彼のファンクラブに入ったきっかけもまた、疑われてしまうかもしれない。
それでも勘違いされたままでいるのも何故かすごく嫌で、私はぎゅっと手のひらを握り、口を開いた。
「私、ハンネス様のファンだったわけではないんです」
「……え、」
「これだけファンクラブ文化が流行っていますし、どこかに入っておいた方がいいかなと思っていた時に、ハンネス様の所は一番穏やかでオススメだと友人に勧められて……そんな中でスレン様のことを素敵だなと思い始めて、スレン様のファンクラブに移った次第です」
結局また嘘をついてしまった上に、無理がある話だという気しかしない。心の中まで見透かされそうな、スレン様の美しい瞳に見つめられ、余計に落ち着かなくなる。
「本当に? ハンネスのことは好きじゃなかった?」
「は、はい。本当です」
「……良かった」
けれどスレン様はそう呟いた後、深い溜め息を吐いて。そのまま私の肩にぽすりと頭を預けた。
花のような甘い香りと、柔らかな髪がくすぐったくて、心臓がより早鐘を打っていく。
「ごめんね。さっきは格好つけて過去は気にしないって言ったけど、本当はかなり気にしてたんだ」
「えっ?」
「だから、安心した。話してくれてありがとう」
いつも余裕たっぷりだと思っていた彼の本音に、胸の奥からじわじわと何かが込み上げてくるのが分かった。ひどく落ち着かなくて緊張して、指先ひとつ動かせない。
「エルナちゃん、好きだよ」
やがて告げられたそんな言葉に、顔が熱くなる。それに対して小さな声で「私もです」と返事をするだけで精一杯で。
そんな私は帰宅後、返事を書こうと思っていたイアンからの手紙について、すっかり忘れてしまっていた。
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