第9話 やっぱり、おかしい
「こんばんは、エルナちゃん。会いたかった」
今日も時間ぴったりに迎えにきてくださったスレン様は、祝いの席に参加した後まっすぐ来てくれたらしく正装で。思わず息を呑むほど、素敵だった。
前日、彼と食事に行くと話したところ、フローラが慌ててドレスを貸してくれなければ、一緒に歩くことすら恥ずかしくて辛かっただろう。彼女には感謝してもしきれない。
エスコートされ馬車に乗り込み、向かい合って座る。スレン様は長い足を組み、淡い水色の瞳で私をじっと見つめた。
「今日もかわいいね。俺のためにお洒落してくれたの?」
「は、はい」
「すごく嬉しい。ありがとう、エルナちゃん」
たったそれだけで幸せだと子供みたいに笑う姿に、どきりと心臓が跳ねた。スレン様はこんなにも完璧だというのに、今日も健気すぎる。
彼と向き合うと決めたものの、やはり甘い雰囲気に慣れていない私は、まっすぐに顔を見ることすら出来ない。いつも余裕たっぷりの彼が、羨ましくなってしまう。
「今日はこの店を予約してあるんだけど、大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です。憧れのお店なので嬉しいです」
「そうなんだ。良かった」
彼が予約してくれたのは王都でも有数の海産物を扱う高級店で、ずっと行ってみたかったお店だった。もちろんお値段的にも立場的にも、とても私が行けるような店ではない。
まさかこうして行けるとは思わず、胸が弾む。つい浮かれてしまう私を見て、スレン様もまた嬉しそうに微笑んだ。
「すごい人だね」
「はい、流行りのオペラのせいかと」
やがて王都の街中に入ると、真っ白な劇場の周りは人で溢れているのが見えた。両親がまだ生きていた子供の頃、一度だけ連れて行ってもらったことがある。
まるで夢の世界にいるのかと錯覚してしまうくらい、美しくて素敵で、いたく感動した記憶があった。
「最終日まで予約いっぱいのようで、残念です」
「……エルナちゃん、観に行きたかったの?」
「はい。でも、もちろん席は取れなくて」
今やっている演目は大好きな作品で、ぜひ行ってみたかったものの、あまりの人気でチケットは即完売、今やオークションに掛けられて値段は跳ね上がっているんだとか。
定価の一番下の席でもギリギリ買えるかというレベルなのだ、もちろん私は諦めるしかなくて、いつか再演してくれるのを待とうと思っていたのだけれど。
「最終日のチケットが二枚あるんだけど、一緒にどう?」
「本当、ですか?」
「うん。エルナちゃんが良ければ、一緒に行きたいな」
「ぜ、ぜひ行きたいです……!」
スレン様は「良かった」と微笑むと、約束ねと言って私の小指に自身の小指を絡めた。指先から彼の体温が伝わってきて、くすぐったい気持ちになる。
「……スレン様は、本当にすごいです。私のお願いを何でも叶えてくださるんですから」
本当にどんなことも叶えてくれるせいで偶然とはいえ、まるで私のことを何でも知っているみたいだと思ってしまう。
「エルナちゃんの望みは、俺が一生叶え続けてあげるよ。ああ、着いたみたいだ。行こうか」
そう言って微笑んだ彼の手を取り、私は馬車を降りた。
◇◇◇
美味しすぎるコース料理を堪能した後、他愛ない話をしながらデザートと紅茶をいただき、私は幸せに包まれていた。
スレン様と婚約した日から、本当に世界が変わったように思う。彼といると、まるで自分が絵本の中のお姫様になったような気分になってしまうのだ。
けれど同時に、こんなにも何もかもが上手くいくと怖くなってしまう。亡くなった母はいつも、幸せな時こそ気をつけなさいと言っていた記憶がある。
「本当に美味しかったです、ありがとうございます」
「エルナちゃんに喜んで貰えて良かった」
そう言えば、スレン様は何が好きなんだろう。やはり私はなにひとつ彼のことを知らない。
「スレン様は、何が好きなんですか?」
「エルナちゃんだよ」
あまりにもストレートすぎる返事が返ってきて、私はケーキの上に載っていたイチゴを詰まらせそうになってしまう。けれど色々と尋ねるチャンスだと思い、私は口を開いた。
「あの、私のどこが好きなんですか?」
「全部好きだけど、強いて言うなら笑顔かな」
「……笑顔、ですか?」
「初めてエルナちゃんが笑いかけてくれた時、かわいいなって思ったんだ。気が付けば、目で追うようになってた」
彼の周りには私よりも綺麗な人など、数え切れないくらいいるはずなのに、なんだか意外な理由だった。よほど好みだったとか、そういう理由なのだろうか。
「だから今、こうしてエルナちゃんと一緒に居られて本当に嬉しい。ありがとう」
まっすぐな言葉に、また心臓が跳ねた。柔らかく細められた瞳は、はっきりと分かるくらいに熱を帯びている。
もっと色々と尋ねてみたかったけれど、逆に質問をされてボロが出ては困る。私もまた彼に対してお礼を言った後、落ち着かない気持ちのまま、ケーキを口に運んだのだった。
食事を終え、帰り道の馬車では隣り合って座った。当たり前のように繋がれた手に、ドキドキしてしまう。
「エルナちゃんと離れるの、寂しいな」
そうぽつりと呟いた彼に、先日の申し出について返事をしようと思っていたことを思い出す。
ブレットの気持ちを聞いたところ、彼もまたあの家を出たいとのことだった。自身の薬代を削って好き勝手していた人間と、一緒に暮らしたいはずなんてないだろう。
健康にさえなれば、ブレットは来年からアカデミーに通える年齢なのだ。寮に入り夢のために勉強をしたいから、彼自身はそれまで数ヶ月間お世話になりたいとのことだった。
フローラも、スレン様へのお礼になる上に彼を知る良い機会だから、ぜひお世話になるべきだと背中を押してくれたことで、私の気持ちはもう完全に固まっていた。
「あの、スレン様」
「どうかした?」
「この先、侯爵邸でお世話になってもいいですか?」
「…………本当に?」
私の言葉に、彼は信じられないといった表情を浮かべて。こくりと頷けば、そのままきつく抱き締められてしまった。
「嬉しい。本当に嬉しい。ありがとう、エルナちゃん」
「お礼を言うのは私の方です。ありがとうございます。弟共々、よろしくお願いします」
最初は押しが強すぎるというか、なんだかあっという間にことが進んで色々とおかしくて驚いたけれど、やはり彼は優しくて素敵な方だと思っていた時だった。
「ねえ、エルナちゃん。このまま一緒に帰ろうか」
「えっ?」
「実はもう、いつでも住めるようにしてあるんだ」
「…………?」
まさかこのまま一度も家に帰らずに侯爵邸に住むとか、そういう意味ではないだろう。そう思っていたのだけれど。
我が家に向かっていたはずの馬車はいつの間にか侯爵邸へと向かっており、訳もわからず案内された先には「私の部屋」が用意されていた。本当に彼が言った通り、今すぐ住めるような環境が整えられている。待って欲しい。
私の好きな色で統一された可愛らしい部屋の一角には、数え切れないくらいのドレスや靴、アクセサリーが並んでいる。あれらも全て、私のために用意したものなのだろうか。
「必要なものがあれば教えてね。すぐに用意するから」
「いや、あの」
「俺の部屋は、この隣だから。何かあったら声をかけてね」
そもそも私はまだ、侯爵邸に住むなんて言っていなかったというのに、スレン様はこうして準備していたことになる。
そもそも婚約をしてから、まだ数日しか経っていない。
一方的に良くしてもらっていることで、罪悪感や引け目ばかりが気になっていたけれど、やはり色々とおかしい気がしてきた。それでももう、後になんて引けるはずもない。
「エルナちゃん、ありがとう。本当に嬉しい。大好きだよ」
そんな中、これ以上ないくらい幸せそうに微笑むスレン様に対して、私はなんとか「私もです」と返事をしたのだった。
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