第8話 恋とか愛とか


 戸惑う私を見て、スレン様は困ったように微笑んだ。


「今すぐにとは言わないから、前向きに考えてくれたら嬉しいな。絶対に後悔させないようにする。勿論ブレットくんも退院した後は、一緒に住んでもらって大丈夫だから」

「えっ……」


 まさか弟まで一緒に、と彼の方から言ってもらえるとは思わなかった。もしかすると舞踏会で、私と義姉や義母との関係が良くないのを察してくれたのかもしれない。


 それでも、自らこんな提案をしてくれる男性など、世の中に一体どれだけいるのだろうか。血の繋がらない弟など、邪魔だと思われてもおかしくはない。だからこそ私は何でもするから弟も一緒に、といずれ頭を下げるつもりだったのに。


 スレン様は誰よりも優しくて素敵な方だと改めて実感し、私はひどく胸を打たれていた。


 嫌がらせは落ち着いたものの、私だってあの家に居たい訳ではない。ブレットだって同じ気持ちだろう。一番気がかりだったことがあっさりと解決したことで、断る理由が何ひとつなくなってしまった。


 お互いのことをほとんど知らないまま、結婚前に一緒に暮らすこと自体には、もちろん戸惑いはあるけれど。


「エルナちゃんと、少しでも一緒にいたいんだ」


 スレン様は膝の上に置いていた私の両手に自身の手を重ねると、照れたように微笑んだ。なんだかこちらまで照れてしまい俯くと、「かわいい」なんて言われてしまう。


「ねえ、次はいつ会える?」

「わ、私は基本的にいつでも大丈夫です」

「そっか。それなら三日後の夜、一緒に食事でも行こう」


 明日にでもブレットの気持ちを聞き、次会った時に返事をさせていただくことを決め、私は「ぜひ」と頷いた。


「エルナちゃん、好きだよ」


 そして別れ際、愛おしげな眼差しを向け、愛の言葉を囁く彼に対し、私もなんとか「好きです」と告げた。




◇◇◇




「……本当に、行きたくない」


 それから二日後の昼、私は馬車の中で頭を抱えていた。


 今日は、知人の伯爵令嬢の誕生日パーティーに招かれているのだ。舞踏会以来、初めての社交の場で。そんな場所へ行けば、質問攻めにされることなど分かりきっている。


 スレン様のファンクラブに入っている令嬢達だって、大勢いるだろう。あまり熱心ではなかった冷やかし会員の私が、突如彼と婚約したとなれば、どんな目に遭うか分からない。


 我が国ではファンクラブという文化の歴史が浅すぎて、推しが婚約するという事例はまだなかった。意図せず第一号になってしまった私は、気が重すぎて潰れそうだったけれど。



「エルナ様、おめでとうございます!」

「ねえ、どんな贈り物をしたの!?」

「手紙の内容は? 今度アドバイスしてくださらない?」


 なんと、皆あっさりと他の男性に乗り換えており、私は見事推しを射止めたファンとして、皆に夢を与える存在になってしまっていて。予想外だったとはいえ、ひどく安堵した。


 けれど流石に、手紙の内容はどうせ読まれないと思い適当だったことや、お金がなくて家にあった端切れで作ったお守りを渡したことなんて、言えるはずがない。


 ……まさかあのヘンテコなお守りも、スレン様は使ってくれているのだろうか。彼の様子を見る限り、毎日持ち歩いたりしていそうで、恥ずかしくて消えたくなってくる。


 その後はなんとか質問攻めから抜け出し、主役に挨拶をした私は、舞踏会ぶりのフローラと合流した。


「ブレットのこと、本当に良かった……! 今度私もお見舞いに行かせてね。そうだわ、あの子の好きなものを教えて」


 ずっと弟のことを心配してくれていた彼女は、私と同じくらいにほっとした様子で、嬉しくなる。


「私がスレン様のファンになりそう……って悩みがなくなったのに、どうして暗い顔をしているのかしら?」

「なんだか、スレン様に申し訳なくて」


 彼を利用するような気持ちでいたというのに、やはり彼に良くしてもらってばかりの私は、罪悪感が拭えない。


 そんな私を見て「もう」とフローラは笑った。


「エルナはいい子すぎるのよ。貴族なんてそもそも、お互いの利益の為に政略結婚をするのが普通なんだから。スレン様は好きなエルナと結婚ができて、エルナはブレットが助かったんだから、お互い様じゃない」


 だから何も気にすることはないと言う彼女のお蔭で、少しだけ気持ちが軽くなる。


 きっと相手が何十も年上の性格が最悪な男性だったなら、こんな気持ちにはならなかったはずだ。あまりにもスレン様がまっすぐで優しい方だから、胸が痛むのだろう。


 あんなにも心の綺麗な人など、滅多にいない。その上、家柄も見目も何もかもが良いのだ。本当に彼ほどの人がどうして私を好いてくれているのか、不思議で仕方なかった。


「まあ、エルナはそう言っても気にするだろうし、エルナもスレン様を好きになればいいじゃない? それが彼にとって一番のお返しだと思うけれど」

「私がスレン様を、好きに……」

「ええ。積極的すぎるような気はするけれど、あんなに素敵な方なんだもの、好きにならない方が無理だと思うわ」


 誰かを好きになるなんて、考えてみたこともなかった。


 ずっと弟の治療費を稼ぐこと、玉の輿に乗ることだけを考えて生きてきたのだ。私が恋なんてしても無駄で、いずれ自身が辛くなるだけだと思っていた。


 けれどもう、そんな心配をする必要はないのだと気付く。


「エルナだって、自分のために生きていいの。ずっと頑張ってきたじゃない。神様だってきっと、そんなエルナを見ていたから、こうして幸せになれるようにしてくださったのよ」


 そんなフローラの言葉に、泣きたくなった。


 両親が亡くなってからというもの、私はたくさんのことを諦め、我慢してきたのだ。大好きな弟のためだとはいえ、辛くなかったと言えば嘘になる。


「……私、スレン様ともっと向き合ってみる」


 怒涛の急展開に戸惑ってばかりいたけれど、これからはスレン様と向き合い、彼のことを知っていきたい。


 そしていつかスレン様を好きになれたなら、それ以上に幸せなことはないだろう。


「エルナ、幸せになってね」

「ありがとう、フローラ。大好きよ」


 ──スレン様を好きになることで、余計に彼とのすれ違いが悪化するなんてこと、この時の私は知る由もない。

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