第6話 嘘つきと嘘つき
急に立ち止まったハンネス様の、美しい金髪が揺れた。
こんなにも近くで彼の姿を見るのは、かなり久しぶりな気がする。彼のファンに擬態していた頃には、何度か会話をしたことがあったのだ。
ハンネス様はというと、友人であるスレン様に偶然会えて嬉しい、といった様子だったけれど。
「…………」
一方、スレン様は何故か全くの無反応だった。先程から笑顔のまま、言葉ひとつ発さない。一体どうしたのだろう。
そんな中、ハンネス様の深緑の瞳が私を捉えて。エメラルドのようで綺麗だなと、他人事のように思った時だった。
「……君は、」
「ごめんね、エルナちゃん。急ぎの用事を思い出した」
「えっ?」
ハンネス様の言葉を遮るようにそう言うと、スレン様は魔法で近くにいた店員の手に、多過ぎる銀貨を乗せた。
そして私の肩に手を乗せたかと思うと「じゃあね」とだけハンネス様に声をかけて。次の瞬間、私の身体は浮遊感に包まれ、一瞬にして目の前の景色は変わっていた。
どうやら彼は、転移魔法を使ったらしい。突然のことに驚きつつも、この国では数人しか使えないと言われている魔法を初めて体験した私は、違った意味でドキドキしてしまう。
ここは一体どこだろうと辺りを見回せば、青と金を基調とした、シンプルだけれど高級感のある部屋だった。
「あの、ここは」
「突然ごめんね。ここ、俺の部屋なんだ」
「……えっ」
つまりここは、侯爵邸のスレン様の部屋らしい。男性の私室になど初めて入った私は、落ち着かなくなってしまう。彼は私の肩から手を離すと、そっと私の頭を撫でた。
「時間は大丈夫? 急いで用事を済ませてくるから、少しだけ待っていてくれないかな」
「わ、わかりました」
スレン様は私にソファに座るよう勧めると、すぐ戻ってくると言い、部屋を出て行ってしまって。一人残された私は肩の力を抜き、ゆっくりと息を吐き出した。
「…………はあ」
未だに、何もかもに現実味がない。ブレットが助かるという安心感だけはあったものの、ふわふわとした気分だった。
我が家のものとは大違いの座り心地の良いソファに座りながら、部屋の中を見回す。広い室内には大きなベッドとテーブルセット、本棚が2つあるだけで、生活感はほとんどない。なんとなく、彼のイメージにぴったりな部屋だった。
「ごめんね、お待たせ」
それから数分後、用事を済ませたらしいスレン様が戻ってきて、彼は当たり前のように私のすぐ隣に腰を下ろした。
「すぐにお茶の準備をするね」
「……スレン様がされるんですか?」
「うん。この部屋には誰も入れないようにしてるから、何でも自分でやってる」
なんとスレン様はメイドといった使用人だけでなく、友人すら部屋には絶対に通さないのだという。
それなのに何故、私は今ここにいるのだろう。そんな疑問が顔に出ていたのか、スレン様はくすりと微笑んだ。
「エルナちゃんは特別だよ。俺の奥さんになるんだから」
「お、おくさん……」
「そう、エルナちゃんは俺に何をしてもいいからね」
特別、何をしてもいいという甘すぎる言葉や空気に、目眩がした。なんとか意識を保っている自分を褒めてあげたい。
落ち着かなくなった私は、何か他の話題をと頭を回転させた結果、つい先程のことを尋ねてみることにした。
「あの、スレン様はハンネス様と親しいんですよね」
「……そんなに、あいつのことが気になる?」
「えっ? そういうわけでは」
手慣れた様子で紅茶を淹れていた彼の声がまた、少しだけ低くなったような気がした。
ハンネス様に関してはさっぱり気にならないものの、二人は親しいという話はファンクラブ会員達から聞いていたし、二人が話している姿もよく見かけていたのだけれど。どうやらあまり、触れてほしくない話題だったらしい。
もしかするとスレン様は、あまり友人の話はしたくないタイプなのかもしれない。今後は気をつけなければと思っていると、彼はやがて自身と私の前にティーカップを置いて。
「ねえ、エルナちゃん。エルナちゃんは誰が好きなの?」
ぐっと距離を詰めると、スレン様はそんなことを私に尋ねた。心の奥底まで見透かされそうな、空色の瞳から視線が逸らせなくなった私は、なんとか彼の名前を紡ぐ。
すると「良かった」と彼はほっとしたように微笑んだ。そんな様子に、この人は本当に私のことが好きなんだと、改めて思い知らされる。
「エルナちゃんはもう、俺の婚約者だからね」
「よそ見なんてしたら駄目だよ。俺、嫉妬深いから」
「大好き」
形のいい唇から紡がれる言葉達に対して、私はひたすらこくこくと頷くことしか出来ない。そうしてようやく、彼は私が他の男性の話をするのが嫌なのだと察したのだけれど。
スレン様が私とハンネス様に関して、とんでもない勘違いをしているということまでは、気付けるはずもなかった。
◇◇◇
翌日、私はブレットのお見舞いに行った後、仕事へと向かっていた。登録している小さなギルドから、魔法を使った雑用を引き受けているため、内容は毎回バラバラだ。
今日は近隣の森に湧いたスライムの討伐らしい。氷魔法が得意な私は、わりと得意な依頼内容だった。スライムは魔物の強さを表すランクでもEクラスで、とても弱い。
ちなみに未婚の貴族令嬢が仕事をしているというのは、我が国ではいい顔はされない。だからこそ私は知人のツテを使い偽名を使って、変装用の眼鏡をかけて仕事をしている。
「おはよう、ナナリーちゃん」
「おはようございます」
今日の仕事場である森に着くと、私のひとつ歳上であるベンさんが声をかけてくれた。こんな怪しい姿の私にもいつも良くしてくれる、とても優しい先輩だった。
ブレットの治療費を必死にかき集める必要が無くなった上に、スレン様の婚約者という立場になった今、仕事をしているのがバレれば彼に迷惑をかけてしまう可能性がある。だからこそ元々予定が入っていた今日で、最後にするつもりだ。
そんな中、やけに人が多く、騒がしいことに気が付く。
「あの、何かあったんですか?」
「どうやら、A級の魔物が出たらしい」
「ええっ」
かなり強い魔物が近くに出たようで、魔術師団を呼び、大掛かりな討伐になるようだった。
スライム退治は後日になり帰ろうとしていたところ、先輩に「かなり報酬がいいらしいから、一稼ぎして行こう」と、この場での飛び入りの仕事に誘われてしまって。
入院中は退屈であろうブレットに沢山本を買ってあげたかった私は最後だしと、参加することを決めたのだけれど。
「本日は、スレン・エインズワース様が指揮にあたります」
昨日ぶりの彼の姿を見た私は、思い切り咳き込んだ。
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