第5話 募っていく疑問


「あれ、スレン。彼女を送ってきたんだ?」

「ああ」


 彼女を乗せた馬車を見送り王城内へと戻った俺は、会場から少し離れた休憩室へと足を踏み入れた。そこには先程ぶりのアドルフと、騎士団長であるハンネスの姿があった。


 立場上、俺はこういった催しが行われた際には、基本的に全てが終わるまで城にいなければならない。とは言え常に会場にいる必要もないため、いつもここで過ごしていた。


 二人が座るソファから少し離れた椅子に腰を下ろし、冷やしておいたアイスティーをティーカップに注ぐ。その際、自身の指に嵌められた彼女とお揃いの指輪が視界に入って。


 指輪を嵌めた時の彼女の、百面相のようなかわいらしい様子を思い出すと、思わず口角が上がってしまう。


「スレン、婚約したって本当なのか」

「まあね」

「相手は俺が知っている女性か?」

「お前には一生会わせないし、気にしなくていいよ」

「何故だ」


 ハンネスの問いに対して冷ややかに返事をすれば、アドルフは「おいおい」と肩をすくめた。

 

「最近、ハンネスに冷たくない?」

「ムカつくから」

「何故だ」


 正直ここ数ヶ月、ハンネスの顔を見る度に苛立っていたものの、彼女との婚約が成立したことで、少しは優しくしてやれるような気がする。今はひどく、気分が良かった。


「エルナちゃんだっけ。可愛い子だったね」

「気安く名前を呼ぶな」

「いやいや本当にお前、どうしちゃったわけ? それにしても突然だったし、明日から社交界はお前達の話題で持ちきりじゃないか? お前のファンは泣くだろうなあ」

 

 俺からすれば、全く以て突然ではない。それに彼女と俺の話が広まるのは、好都合だった。


「お前、本気で彼女のことが好きなのか?」

「それはもう」


 素直にそう答えればアドルフは切れ長の瞳を見開き、ひどく驚いた様子を見せた。付き合いは長いものの、こうして誰かに対して好意を見せたのは初めてだったからだろう。


 ふと先程の別れ際、彼女に対して「好きだよ」と告げた時のことを思い出す。


『私も、スレン様が好きです』


 嘘吐き。嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き。俺のことなんて好きでもなんでもない癖に、必死に嘘を吐いて好きだと言う、愚かな彼女が愛おしくて仕方がない。


 そう仕向けたのも全て、俺なんだけれど。こんなにもすべて上手く行くなんて、思いもしなかった。


「……可哀想に」


 本当に可哀想だと思う。俺なんかに好かれて、捕まって。けれどこの先、逃がしてあげるつもりもない。


 それに彼女だって、結婚相手は金のある男ならば誰でも良かった事を知っている。それなら、俺でいい。彼女を誰よりも愛しているし、幸せにする自信だってある。


「スレンにも人間らしい気持ちがあったとは、驚いた」

「そう? 本当、憎らしいくらいに好きだよ」

「何だそれ」


 そんな彼女に早く会いたいと、心の底から思った。




◇◇◇




 舞踏会の翌日、スレン様は時間ぴったりに我が家へと来てくださり、私とブレットと三人で神殿へとやって来ていた。


 ちなみに昨晩から、義母や義姉は不気味なくらいに静かだった。廊下で顔を合わせる度に、こちらの様子を恐る恐る窺ってくるのだ。本当にたった1日で、自身を取り巻く環境が何もかも変わってしまったように思う。


 スレン様のことや昨日の出来事について考えていたら、やはり分からないことが多すぎて、寝不足になってしまった。


「ブレット、毎日お見舞いにくるからね」

「うん。スレン様も、ありがとうございます」

「いいんだよ。何か困ったことがあれば、すぐに教えてね」


 ブレットにあてがわれた個室は驚くほどに立派で、先ほど神殿長様も様子を見にきてくださって。数ヶ月治療を続ければ必ず完治するだろう、という言葉に思わず涙腺が緩んだ。


 本当に良かったと思う反面、一体どれほど高額な治療費がかかるのかと考えるだけで、申し訳なさで押し潰されそうになる。それを狙って婚約したとは言え、まだ彼のことを何も知らない上に、ここまでしてもらうのは落ち着かない。


 何か私にできる事はないかと尋ねれば、彼は少しだけ驚いたような表情を浮かべて。やがて「そうだ」と口を開いた。


「エルナちゃん、良かったらお茶でも飲もうか」

「そ、そんな事でいいんですか?」

「うん。行こう?」


 なんて謙虚な人なんだろうか。自分のことしか考えていない私とは、本当に大違いだ。こんなにも優しい人が存在することに、私は感動すらしていた。


 彼に手を引かれ、近くのカフェへと足を踏み入れる。すぐに窓際の席に案内され、向かい合って座った。


「今日もかわいいね」

「スレン様こそ、とても素敵です」

「ありがとう。嬉しいな」


 こればかりは本音だった。注文を終えたスレン様は頬杖を突き、にこにこと私の顔を眺めている。


 彼とこうして二人で過ごしているなんて、数日前の私に伝えたところで絶対に信じないだろう。


「スレン様、本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったら良いか……」

「気にしないで。家族は大切にしないと」


 確か、彼の両親はすでに他界しているはずだ。私の家族まで大切にしてくれている彼にまた、胸を打たれた。


 やがてお互いの目の前に、紅茶の入ったティーカップが置かれる。するとスレン様は当たり前のように、私のカップにぽとりぽとりと2つ角砂糖を落とした。私がいつも2つ入れていることを彼が知っているはずはないし、偶然だろうか。


「色々と気になることもあるだろうし、何でも聞いて」


 むしろ、気になることしかない。そもそもお互いに名前と簡単なプロフィールしか知らないまま、婚約したのだ。


 とにかく何でも聞いて良いと言われたことだし、まずは気になっていたことを、いくつか尋ねてみることにした。


「あの、いつから私のことを?」

「いつからだろう、結構前から好きだったと思うよ。自覚したのは四ヶ月くらい前だけど」

「…………?」


 四ヶ月前に、彼と何かあっただろうか。その頃、挨拶や差し入れをした記憶すらない。聞きたいことが多すぎて、何から尋ねようかと頭を悩ませていた時だった。


「───スレン?」


 聞き覚えのあるそんな声に顔を上げれば、そこには騎士団長であるハンネス様の姿があった。

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