四日目・00
ヴァル・ガードナー刑事は港で船の到着を待っていた。ジャレ島で事件が起こった旨が本土に伝わると、待機組だった彼には生存者の保護と事情聴取のため、町医者と共にここで待つよう指示が出た。
といっても実際には現場の指揮はガードナーが執っていた。そのため彼はそういう指示を出すよう上司に要求し、その通りにここへ来た。不本意ではあったが、コーレルの人間は凶悪犯罪を扱ったことがほとんどないらしく、経験の差からガードナーが自然と中核に収まっていた。
この三日の捜査により、モーテル・キラーがサマンサ・セスという二十五歳の娼婦である疑いが出てきた。彼女は各地を渡り歩きながらほとんどモグリで客を捕まえ、土地の人間に睨まれる前にそこを離れるということを繰り返していた。その移動と殺しに関連性がなく今まで補足できなかったのだ。
彼女がジャレ島の無人島ツアーに参加したことを知ったとき、ガードナーはこの町まで乗せたヒッチハイカーのことを思い出した。ジェシカ・アーメイと名乗った彼女も、ジャレ島ツアーに参加すると言っていた。島で死者が出たとの情報を聞くと、彼はいてもたってもいられなくなった。
無人島で羽根を伸ばすのだと笑っていた彼女。犯人を捕まえてくれると信じている……そう言った彼女。こんなことになるとは思いもしなかっただろう――。
島に行けばよかったとガードナーは後悔した。しかしサマンサの行動範囲は広範で、彼女の情報を集める伝手などのことを考えると、彼は本土に残る必要があった。
その他のツアー客の情報を調べるのは他の警官に任せ、ガードナーは港にある観光案内所で島と連絡を取っていた。案内所には無線機があり、非常時に島からの連絡を受ける役も担っている。船舶無線から定期的に流れてくる情報を聞きながら、ガードナーは暗澹たる思いを隠せなかった。
生存者は二名。地元のガイドとツアー客の女性ひとり。あと八人は死体が確認された。島の管理人も洞窟の中で死んでいるのが発見されたらしい。警官を含め出向いた人間はほとんどが気分を悪くして使いものにならなくなっているので、ガードナー刑事にはのちほど島へ来ていただきたく……と報告者は吐き気を押さえた声色で言った。
死者八名。それは明確に――これが自分の手を離れるべき事件となったことを示していた。鑑識だけでなく――もっと大きなところへ――応援を要請しなくてはならない。
彼女が島で犯行に及ぶとは思ってもみなかった。モーテル・キラーの犯行スタイルや頻度から、ツアー自体は無事に進行しているはずだと考えていたのだ。
署に連絡を取ろうと受話器に手を伸ばすと、外が大きくざわついた。コーレル誕生以来の大事件(と町長がラジオで言っているのを聞いた)への興味から港は町民で溢れかえっており、コーレルの警官や消防署員、はたまた司祭や教師までが、ガードナーの指示のもと彼らの牽制に追われていた。
窓の外に目をやると水平線に船影が見えた。生存者を乗せた船だ。ガードナーは案内所を出る。彼は桟橋の前に立ち船が係留されるのを待った。
最初に降りてきた女性は右肩に怪我をしていて、すぐ医者らに囲まれた。彼らの親身な様子から彼女が地元のガイドだとわかる。
次いで女性が降りてきた。
彼女は――ジェシカではなかった。
ガードナーが表情を変えることはなかったが、心の内は暗く沈んだ。
守れなかった。
これ以上何ができたのかと言われれば、何もできなかっただろう。彼とコーレルの警官は精一杯のことをした。そう断言できる。
それでも、ガードナーは自身の無力さをひしひしと感じた。彼の見知った命が――助けられたかもしれない命が――手の届く範囲で失われた。彼は空虚な思いで目の前の光景を眺める。数人の記者が警察の静止を縫って懸命に写真を撮っていた。
「ガードナー刑事!」
若い警官が駆け寄ってきた。この三日間共に捜査に当たっており、その着眼点のよさからガードナーが特に目をかけていた男だ。彼は頬を紅潮させ手元のファイルを振った。
「警察のデータに三人いました」
港に移動する際、彼にはツアー客について調べるよう伝えてあった。ガードナーは声を落とすように言い、警官は慌てて頷いた。
「三人もか?」
サマンサ・セスについてはここに来る前に確認している。彼女は――今まで捜査線上にあがりすらしなかったので当然というべきか――警察に世話になったことがないらしく、一切のデータが存在していなかった。
警官は小さく頷く。
「はい――まずはメイナード・バーナショー。これはR国で捜索願が出されていた人間です」
「R国で?」
「ええ。半年前に遺書を残し消息を絶ったそうです。しかし――」
「生きていた」
「そのようです。つい最近R国の絞殺魔事件の容疑者となり、既になんらかの方法で国境を越えている可能性があったため、Q国にも情報が」
「なるほどな」
ガードナーは島からの報告を思い出していた。生存者のひとりは殺人犯が複数いるかのような物言いをしていたらしい。詳しくはこれからだが、おそらくその男もいずれかの殺人に関与しているのだろう。
「次にペネロピ・ギース。これは五年前に彼女の義父が死亡しまして、そのときに容疑者となっています。決定的な証拠がなく起訴にはいたりませんでしたが」
ガードナーは頷いた。「三人目は?」
目の前では生存者の女性が医師の診察を受けていた。ガイドのほうは傷を縫う必要があるようだ。診療所の車の中で手当てを受けながら、心配そうに女性の様子を窺っている。
「三人目は――すごいですよ」
「誰だ?」
警官は少しだけ回り込み、女性の顔を確認した。戻ってきて顎をしゃくる。
「彼女ですよ。イヴェット・クレム――現在はイディス・カナンという名前で生活しています」
ガードナーは眉をひそめた。「偽名なのか」
「いえ――はい。ですが、やましいものではありません。彼女は三年前の――リーグンデ校事件の生き残りなんです」
「なんだって?」
リーグンデ校事件――。三年前に起きた大量殺人で、関係者全員がリーグンデ校の生徒だったことからそう呼ばれている。生存者は女生徒一名。犯人はスクールカースト上位にいるタイプの男子生徒で、事件後死亡が確認された。明確な動機は不明。クラスメイトに送った「卒業前に何か大きなことをやっておきたい」というメールが、動機に繋がるものとして執拗に報道されていた覚えがある。実際のところ彼は生存者である女生徒に対し異常な執着を見せており、彼女を守るための情報統制があったようだ。事件に関与していた刑事からガードナーは聞いたことがあった。
「それを含め――過去に三度の大量殺人に巻きこまれています。家族もそれで失って、犯罪被害者支援を受けながらあちこちを転々としていたそうです」
「それで……これか?」
警官は女性に同情の視線を向けた。しみじみとした調子で言う。
「酷いもんだ……悪い星の下にいる人間っているんですね」
「ばかいえ。四度の殺人事件のなかにいて、一度も関与してないなんてありえるのか?」
ガードナーは語気荒く言う。しかし警官は眉尻を下げて彼を見やった。
「でも、どれもちゃんと犯人がいるんですよ。しっかりした証拠があって……彼女自身殺されかけてる。何度も何度も……。酷い傷を負わされたことだってあるんです。ずっとカウンセリングに通ってるし」
ガードナーはイヴェット・クレムを観察する。プラチナブロンドの髪はめずらしいため目を引くが、それ以外はなんの変哲もない女性だった。ただ、彼女の表情や仕草はおどおどとして他人を気にしているように見えるが、醸す雰囲気はやけに厭世的でなげやりな印象を受け、そこにガードナーは違和感を覚えた。
イヴェットの元へ向かうと彼女はすぐに気づき、警戒する目つきでガードナーを見た。彼が警察手帳を見せると表情は更に固くなる。
「イヴェット?」
「はい……」
彼女の声はか細かった。視線にかすかな――しかし明確な敵意を感じる。警察に対する不信からくるのだろうか。あの経歴を考えれば無理もない気はする。
だが――本当にそれだけなのか。
「きみの経歴をみたよ」
「……はい」
イヴェットは視線を落とした。言葉はない。
「この島で起きたこと……後でたっぷりと聞かせてくれ」
緑の目がガードナーを捉えた。諦念、落胆、悲憤、哀情――あらゆる負の感情が瞳の底で渦巻いている。変わらず言葉はなかった。だが、彼女の目は雄弁に語っていた。
「――なんですかその言いぐさ! まるでイヴェットが犯人みたいに!」
看護婦の静止を振り切ってガイドの女性が降りてきた。痛みを堪えながらも掴みかからんばかりに詰め寄ってくる。
「いいの、ナンシー」
「よくない! 彼女は私を守ってくれたのよ! 殺されそうになったところを救ってくれたの! 犯人扱いなんて絶対に許さないから!」
燃えるような目でいきり立つナンシーに対し、イヴェットの瞳は虚ろに戻っていく。警官が割って入ってひとまずは落ち着いたが、ナンシーはガードナーへの威嚇をやめなかった。これは聴取のときに骨が折れそうだと思いつつ、彼はイヴェットに向き直る。
「ひとつだけ聞いても?」
イヴェットは答えなかった。しかし拒否することなく彼を見つめる。それを肯定と受け取って、ガードナーは尋ねた。
「ジェシカという女性がいたと思うんだが」
「……知り合いですか」
「ああ、まあ……」ガードナーは曖昧に頷く。イヴェットの空気が少し柔らかくなったのを感じた。
「彼女は……その」
何を聞きたいと思ったのか彼にはわからなかった。どういう女性だったのか。なぜ死んでしまったのか。それを今さら聞いてなんの意味があるのか。さまざまな思いが駆け巡り、数日前の車内での会話が心に浮かんだ。
死者にとってあるのは、ただ死んだという事実だけだ。
それに付随するあらゆることは、生者にしか意味がない――。
「……いや、なんでもない」
ガードナーは彼女から視線を外し、海を見やった。そこには広大な青が広がっている。
「いい人でしたよ」
イヴェットの声がする。寂寥が滲む声は、過去の人間のことを話すときのものだ。
孤島での大量殺人。きっと大きく報道され、事件の呼び名もつくのだろう。対してジェシカたちは被害者となり、いつしか名前をなくしていく。この島で死んだ人間の――名もなきひとりとなる。
そうなる前に――犯人を捕えてやりたかった。
船から降りて、彼女は眩しく笑うだろう。伸びた背筋と長い手足。ころころと変わる表情。彼女は目を引く女性だった。健康的で、愛敬のある――。
ガードナーは小さく首を振った。たそがれてはいられない。彼にはすべきことがあった。事件を解明することと――彼女たちを忘れないことだ。
覚えていられるのは、残された者たちだけなのだから。
遠巻きに彼らを見ていた警官の元へと戻る。ふたりの会話を知らない警官は、イヴェットを見ながらしみじみと呟いた。
「かわいそうな子ですよ」
「かもな」
「でも、運がいい子だ。今まで生き延びてこられたのが奇跡みたいなもんです」
「そうかね」
これだけの事件に巻きこまれて、運がいいも何もない気がするが。
「そういえば」ガードナーは言った。「リーグンデ校事件は被疑者死亡じゃなかったか」
「ええ」警官は言いにくそうにした。「まあ……」
「なんだ。はっきり言え」
警官はイヴェットに視線をやる。「彼女が……」
「え?」
「正当防衛ですよ。もちろん。殺されそうになって反撃したんです。調書に載ってました。犯人とおぼしき男子生徒に関しては、自室のパソコンから殺人計画を綴ったメールが出てきたり、犯行に使われた道具を調達していたりしたことが明らかになっていて――」
「その他の事件は?」
「え?」
「リーグンデ以外の二件はどうなんだ?」
「え……と、それらも確か被疑者死亡だったかと……」
ガードナーはイヴェットを見る。背後から警官の声がする。
「でも、犯人は明らかになってますからね。ちゃんと物証があったってことですよ」
幾度も事件に巻きこまれ、そのすべてに生き残った――。
「聞いてます、刑事?」
ガードナーは答えなかった。
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