四日目・0
船が当初の予定より早く来たことにふたりは驚いた。しかしもっと驚いたのは船が二艘来たことだ。片方には人が大勢乗っており、町の警官の姿まであった。
彼らはふたりを囲むと他の人間がどこにいるか尋ねた。そして答えを待たないまま島に凶悪犯が潜伏中だという話をし始める。ナンシーは思わず「どれのことを言ってるの?」と聞き返し、警官たちを困惑させた。
結局その凶悪犯というのはサマンサのことだった。モーテル・キラーと思われる女性がこの無人島ツアーに参加したことを数日前にコーレルに着任した刑事が突きとめたのだ。それが今朝のことで、情報が町の人間に伝わると彼らはすぐ船を出したらしい。
「もう少しはやく突きとめてくれたらよかったのに」とナンシーはぼやいた。
それから彼女は島で起こったことを洗いざらいぶちまけた。ツアー客に混じっていた人殺し――それもひとりじゃない――に死体の数々。話しているうちにやり場のない怒りがこみあげてきて、彼女は感情のまましゃべり続けた……が、ベンの話となると口を噤んだ。彼が今どうなっているのかナンシーは知らないし、子供殺しの証拠も彼女は見ていない。
警官や町民はイヴェットにも同じことを尋ねたが、彼女は首を振るだけだった。ナンシーはベンが町の人々に仲間として心配されていることを知って胸が熱くなると同時に、彼の最悪の現状を想像して泣きたくなった。
怪我をしていることもあり、ふたりはひとまず本土に返されることとなった。警官たちを乗せた船はそのまま残り、ふたりを乗せた船は島を発った。
見慣れた景色が徐々に遠ざかっていく。ナンシーはぼんやりとそれを眺めた。
ベンほどではないにしろ、ナンシーも島が好きだった。客と共に島に渡るたび、彼らの期待に浮かれた空気を浴びながら、どこか得意に思っている自分がいた。
彼女の職場。何もない島。ほとんど手つかずの穢れない土地。派手さはなかった――だがそこは美しかった。白い砂浜の輝き、夜明けの洞窟の神秘的な雰囲気。岩場に打ちつける荒々しい波、丘の上から眺める水平線の果て――。
すべては過去のものだ。記憶は血塗られてしまった。今は何を思いだそうとしても死の色しか見えない。飛び散る血、裂けた肉、悲鳴と腐臭……。
島影が小さくなり、やがて見えなくなる。彼女は細く長い息を吐いた。張り詰めていた筋肉からようやく力が抜けていく。
――助かったのだ。
船の立てるしぶきが朝の光を反射してきらきらと光る。世界はとても明るくてまぶしかった。やっと――やっと。まともな世界に戻ってこれた。
殺人鬼は死んだ。みんな死んだのだ。
――ぽちゃん。
規則正しいモーター音と振動、自ら跳ね上げた水滴が船を叩く音。その合間を縫って、水面に何か、質量のあるものが落ちる音がした――気がした。
ナンシーは音のした方を見る。イヴェットがじっと水平線を見つめている。
「……イヴェット?」
イヴェットはゆっくりとこちらを向いた。まだ生気がない表情をしている。
そもそも――彼女にそんなものを感じたことがあっただろうか?
「今、何か落ちなかった?」
「何かって……?」
「小さなものが……」
イヴェットは首を傾げる。その仕草、表情、視線。何もかもが……。
「ナンシー?」
イヴェットの声にハッとする。ナンシーは彼女に見入っていた。
薄い肌と髪の色。複雑な光を帯びた目。全身に飛び散るくすんだ血の色は、彼女の色彩に合っていた。本土に着いたら、彼女はこれを洗い流してしまうのだろう。それが――それがとても――
惜しい、と思った。
彼女の所在なさそうな仕草。自信なげな表情。おずおずと向けられる視線。叩けば潰れてしまいそうな儚さ。存在の希薄さ。
すべてが、心の奥に潜む何かを刺激する。
眩暈がした。
「どうしたの、ナンシー。傷が痛むの?」
イヴェットが声をかけてくる。ナンシーは必死で首を振った。
「なんでもない。なんでもないの」
自分の感覚を疑った。きっと、ここ数日あまりにも異常なことが起こり続けたせいで、神経が麻痺してしまったのだ。ずっと死の恐怖に包まれていたせいで、正常な思考ができなくなっているのだ。
そうとしか思えない。
普段のナンシーであれば、こんなことを考えるはずがないのだから。
彼女には死が似合う。
そう思うだなんて。
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