三日目・6

 四人は浜へ出ることにした。バンガローにこもる案はあったが、そうすると外の状況がわからなくなるという理由で却下された。サディアスがライターを持っていたかどうか定かではないが、万が一火や煙を使われたらどうしようもない。そこで広場に残るか浜に出るかという話になり、浜が選択された。サディアスに利用されないため、移動するのであれば武器や彼らの荷物を運ばなければならない。面倒な作業ではあったが、浜は広場より見晴らしがよく海からの襲撃の心配はしなくていいこと、ベンの小屋も見張れること、何より明日の朝に船が来たらすぐ気づけるということで皆の意見が一致した。

 なかなかの量だったが、全員の両手がほぼふさがることもありグループを分けることはできなかった。各々少量ずつの荷物を持って一緒に移動する。浜には見張りをつけず、また全員で戻って運び出す。それを何度かくり返して、荷物と武器に使えそうなものをなんとか浜へ移動させた。

 そのうちに空が橙色になり、海が怪しく輝きだした。ゲイリーが「ランプを幾つか持ってこよう」と言い、ナンシーを連れてバンガローに向かった。浜は誰か来たらすぐ視認できることもあり、ついていく必要性を感じなかったジェシカは後に残った。イヴェットもバランスを取ったのか待機を選択した。

 ジェシカは小さく息を吐いた。今のところはうまく事が運んでいる。

 あとはどうにかしてサディアスを殺す。それだけだ。無力化できれば殺さなくても構わないが、おそらく無理だろう。十中八九サディアスはジェシカを狙ってくる――それも死にものぐるいで。殺人行為を共有している兄弟だ。片方が殺されて「はいそうですか」で終わるはずがない。

 幾つか困ったことがある。まず、ジェシカは現在武器を持っていないうえ、サディアスは武器を所持しているだろうということだ。鉈とナイフは偽装工作のため置いてこざるを得なかった。サディアスはあれを手にしているはずだ。

 本来ならあの後イヴェットと合流し、彼女に死体を見せるついでに武器を回収してくる予定だった。入り口からでも状況はわかっただろう。ベンの死体は隠しておくつもりだったが、気づかれたらそれはそれで考えがあった。なんにせよ、イヴェットが見つからなかったことも、サディアスたちがジェシカの悲鳴に気づき、そう時間をおかず駆けつけられる距離にいたことも、彼女にとっては不都合以外の何ものでもなかった。

 ジムを殺した時点でサディアスに狙われることはある程度覚悟していた。殺したのがジェシカだという事実を知らなくてもサディアスは彼女を標的とするだろうし、彼の性格を考えれば島にいる人間全員を殺そうとするかもしれない。サディアスはジムを大切にしていて、弟を馬鹿にする人間には敵意を露わにしていた。加えて彼は傲慢だ。自分のものを壊されるのは我慢ならないだろう。

 それでもジェシカには勝算があった。そもそも相手が武器を持たない人間なら、銃と刃物と頭数とでなんとかなる。自分以外の人間を盾にできるのなら、とどめをさせる自信が彼女にはあった。馬鹿丁寧に偽装工作をしたのも、目標をジェシカひとりに絞らせないためだ。サディアスが持っているであろう刃物は不安材料のひとつだった。

 次にベンの死体についてだが、これ自体は特に問題ない。ジムはペネロピが殺したと言っていたが、本当に殺したのは兄弟かもしれない。どちらにせよ、ジェシカにはどうでもいいことだった。大事なのは――この死体について言及することでゲイリーが敵に回る可能性があるということである。

 忙しかったのでよく見てはこれなかったが、重要なのは彼がいつ死んだかということだ。ジェシカにはわからなかった――臭いや虫の量などで、メイナードと同程度の腐り方かなと感じたくらいだ。しかし死体の腐敗の程度は環境で大きく左右される。こもった洞窟と沼のそば――同じような腐敗具合になるのかどうか。

 ただベンが初日に死んだのであれば、サマンサを殺したのはゲイリー以外にない。そして今、ゲイリーとまで敵対するのは非常にまずい。

 ベンの死体は隠しておかねばならない――少なくとも島を脱出するか、ゲイリーが死ぬまでは。その後に警察の手が入って詳しく調べられたとしても、それはゲイリーの問題だ。

 そして……。

 ゲイリーとナンシーが戻ってきた。銃はゲイリーが持っている。ナンシーが恐怖心でも覚えたのだろうか、暴発の後からは彼が銃を持つようになっていた。

 武器が必要だ。本当なら銃を持てればいいが、あいにくとふたりの手から離れない。あれを今さら自分が持つのは無理そうだ。うまく扱える自信もない。

 荷物の山からサマンサのバッグを引き出すと隠しポケットからナイフを抜いた。イヴェットの視線を感じる。ジェシカはナイフを手にしたまま振り返り、その切っ先を彼女に向けた。

「武器が必要よ。でしょ?」

 イヴェットはぎこちなく笑うと頷いた。

 ふたりはランプをふたつ持ってきた。ナンシーは少し離れた二カ所にそれを置く。陽光が残っているからか、まだスイッチは入れないようだ。

「予備の電池を持ってくるわ」ナンシーが言った。

「私も行く」イヴェットが言った。「食料を持ってくるわ」

 武器を持たないナンシーの代わりにイヴェットが釘抜きを握り、ふたりは連れ立って小屋へと向かった。警戒する必要はあるものの、浜から小屋はまだはっきりと見えたため、彼女たちの背には安心が見てとれた。イヴェットが立候補したことで今度はジェシカとゲイリーが浜に残った。

 遠ざかっていくプラチナブロンドの小さな頭を見つめる。彼女は振り返らない。

 ――イヴェット。

 様子がおかしい――あからさまだ。人数が減ったことでひとりひとりの声が耳に残るのもあるが、それにしても今の彼女は積極的だ。ジムを殺す前――洞窟の辺りでも何やら己を鼓舞するような話をしていたが、そういった積極性とは質が違う。自発的なものではなく、何かに追い立てられるような焦りがある。人が死んでいるため当然と言えば当然だが、死体を見ても妙に呆けた態度を取り続けていたイヴェットが、今さら焦るのには違和感があった。

 それに何より――ジェシカを見るときのあの目。暗がりで幽霊でも見たような表情。と思えば目が合うと不自然なほどの笑みを向けてくる。視線、仕草、顔つき――それらすべてがジェシカに違和を伝えていた。

 イヴェットは何かを知っている。ジェシカと離れた少しの間に何かを見たのだ。

 洞窟まで来たのかと聞いたとき、彼女は答えなかった。あの間にジェシカに怯えるようになる理由など――ひとつしか思い浮かばない。

 ふたりが小屋から出てきてこちらに歩いてくる間、彼女は会話もせずイヴェットだけを見つめていた。ゲイリーが怪訝そうにこちらを見る。ジェシカは彼と目を合わせないまま「サディアスたちの鞄を調べないとね」と言った。

 イヴェットとナンシーは両手に抱えた食料をランプのそばに置いた。互いの姿を見ると輪郭が影に沈み始めている。ナンシーはランプをつけ、電池をひとつずつ三人に渡した。

「それぞれ持っていたほうがいざというときいいと思います。ゲイリーは知ってると思うけど、このランプは電池ひとつで動くから。もし切れたら、適宜使っていきましょう」

 ゲイリーが明かりの下にサディアスとジムの鞄を引き出した。大きな黒いボストンと、同じく大きな黒いリュックだ。鞄の大きさに対して中身は少ないようだった。「大きいほうが便利だからな」とゲイリーが呟く。しかしボストンが軽いのに対し、リュックはやけに重かった。

 ボストンに特別なものは何も入っていなかった。服や下着、日用品、財布などだ。衣類のサイズはばらばらで、ふたり分が混ざっているのだろうと推測できた。

 リュックの底からは布に巻かれたナイフが出てきた。奥から血がしみ出ている。ナンシーとゲイリーは露骨に顔をしかめたが、イヴェットは眉をひそめこそすれ、強い動揺は出さなかった。ジェシカはそれにますます疑惑を強くした。

「変な布ね」ナンシーが言った。「やけに薄いわ」

 ジェシカはその布に覚えがあった。ペネロピのブラウスだ。洞窟の中で着ていたものに質感が似ている。そういえば片袖が取れていた。

 ナンシーは布について言及したものの、血が付着しているからか触れようとはしなかった。ジェシカは布を急いで剥がすとリュックの中に放り込む。彼女のブラウスは袖が絞ってあったし、ボタンもついていたはずだ。広げて見ればシャツの袖だとすぐわかるだろう。

 長袖という時点で誰のものかは見当がつく。どんなに日が高くても長袖を貫き通していたのはペネロピしかいないからだ。袖とナイフをセットで考えられるとまずい。ペネロピが今日の探索前に傷ついていたことになってしまう。

 ジェシカはナイフを光で揺らした。生々しい血が刃から持ち手にまでこびりついている。血はすっかり固まって、握りを持つと滑る感じがあった。

 リュックの中からはナイフがもう四本出てきた。手の中に握り込めるほどの折りたたみナイフと、それよりサイズの大きい折りたたみナイフ。加えて幅広のサバイバルナイフと、それらとは異なる変わった形のナイフが一本。持ち手は長いが、刃は短く幅広で先のほうが丸まっている。背側にフックのような細工がついていた。

「どこかで見たわね」

 ジェシカの言葉にナンシーは首を傾げた。ゲイリーが「ベンの小屋の――例の箱に入ってたナイフに似てるな」と言った。それらのナイフは血のついたものと一緒に武器山の上へ置かれた。

 他にもおおよそ無人島には似つかわしくない器具が出てきた。フォークのようなもの、棒の先に輪がついているもの、ペンチに金槌。どれもうっすらと鉄さびの臭いがする。

「もういや……」ナンシーは屈みこんで膝を抱えた。

 また、彼らは小瓶もふたつ持っていた。ひとつは二日目の朝にサマンサに渡したアスピリンの瓶だ。もうひとつは睡眠薬のようだった。瓶にはミント地に赤い小花柄のラベルシールが貼ってあったが、光にかざすと本来のラベルが透けて見える。

「こんなのも持ってやがったのか」ゲイリーが舌打ちした。

「下手したら薬を盛られてたってことよね」ナンシーはますます身を縮めた。

「あ……」

 イヴェットがハッとしたように呟いた。ジェシカは瓶に落としていた視線をあげる。

「どうしたの? イヴェット」

「あ、えーと……たいしたことじゃ……」

「今さら遠慮するなんてアホくさいことはよせよ。俺たちは今や一蓮托生なんだぜ」

「本当にたいしたことじゃないのよ」イヴェットは重ねて否定した。「瓶が可愛すぎるなって思っただけ」

「なんだ」ゲイリーは意地悪く唇を歪めた。「兄貴のほうの趣味だったら面白いな」

 ナンシーはちらと瓶を一瞥すると疲れた笑みを浮かべた。「どうかしらね」

 イヴェットの言葉でジェシカも初めてその不自然さに気がついた。薬の瓶が二本あって、一本はそのまま。もう一本はラベルシールが貼ってある。片方だけラベルを隠す理由があるのだろうか。睡眠薬が問題視されるのはこの状況だからであって、別に持っていておかしなものではないのだ。わざわざ――それもあんな、イメージにそぐわないシールを貼ってまで――隠す必要があるとは思えない。

そう――イメージだ。兄弟や荷物の感じから、彼らのイメージに合致するのはそのままの瓶のほうだ。だとしたら――ラベルの瓶は彼らのものではない?

 あれが彼らのものでないとすれば、今この場で盗難の話が出ない以上、死者のものであると考えるのが自然だ。皆で荷物の確認をしたメイナードとサマンサのものではない。そうなるとペネロピのものとしか考えられない。

 あくまでも可能性の話だ。だが、あの瓶を見てイヴェットは何かに気づいた。疑問ではなく気づきを得たのだ。それが何よりの証拠に思えた。彼女は結論を持っている――。

 ペネロピの荷物を開けようと言い出す人間はいなかった。彼女だけは全員が死体を見たわけではないので、ある種の遠慮が働いているのかもしれない。ジェシカもわざわざ触れるつもりはなかった。ペネロピが他に有用なものを持っているとも思えない。洞窟の中でジムが言っていたナイフとはあの血塗れのもののことだろう。あれが彼女の私物だったとして、もっといい武器が他から見つかっている。

加えて、ペネロピの荷物についてを彼女から言い出すのはナンシーの心証を損ねそうに思えた。真偽のほどは不明だが、ベンの死体とジムの話を隠している以上、この場でのペネロピはただの巻きこまれた被害者だ。余計に掘り下げる必要はない。

 それぞれ警戒しながら朝を待つことになった。全員が海に背を向け森を見つめる。交替で見張る案はナンシーから出たが、同意する者はいなかった。あのイヴェットでさえ難色を示した。さいわい強い主張ではなかったため、ゲイリーが「今日一日のことだしな」と言うとすぐ意見は取り下げられた。

 ジェシカは少し残念に思った――彼女にはまだ銃を惜しむ気持ちが残っていた。しかし納得もした。命を預けられるほど、ナンシーを除いた三人は互いを信頼していない。

 何ごとも起こらず夜は更けていった。ときおり思い出したように言葉を交わしているうちに、時刻は二十二時を回った。

 問題が起きたのはそのときだった。

「あの……」イヴェットが囁くように言った。「トイレに行きたいのだけど……」

 三人は顔を見合わせた。視線は自ずとベンの小屋へ向かう。月光に照らされその佇まいは比較的くっきりしていたが、ランプを浴びる彼ら自身の姿と比べると遥かに頼りなく不気味に見える。昼間は気軽に向かえたはずの小屋には、今や近づくことすら二の足を踏ませる雰囲気があった。

 ゲイリーは辺りを見回した。「その辺でできないのか?」

「それはあんまりデリカシーがないわよ」ナンシーが呆れたように言った。

「私たちに見えない距離に行くのも、ベンの小屋まで行くのも、たいした違いはないんじゃない。行ってきたら? イヴェット」

 ジェシカの言葉に彼女は小さく頷くと、釘抜き片手に駆けていった。

「誰かがついていったほうがいいんじゃない」

 その背を見ながらナンシーが言ったが、誰も動こうとはしなかった。暗がりに行くのは避けたい。銃のそばを離れたくない。口に出さずともそんな気持ちが共通してあった。

 イヴェットはベンの小屋の影に消えた。ここから外付けのトイレは見えない。

 ジェシカは森を見つめていた。波の音がする。浜に陣取った唯一の欠点は、海に近すぎることだ。波の音に打ち消されて森の音があまり聞こえない。

 夜明けまであと六時間。サディアスはどうするつもりなのだろう。ジェシカが兄弟を殺人者だと主張していることも、荷物を漁られナイフなどの存在が知られた可能性にも気がついているはずだ。彼が糾弾されず島を出るには、もはや彼女たちを全滅させるほかない。

 弾丸をかいくぐってジェシカたち全員を殺す――無理に決まっている。

 小屋の方で物音がして彼女の思考は中断された。残りのふたりに視線をやると彼らもこちらを見つめていた。

「見に行くべき?」

「いや……」

 三人がどうすべきか探っているうちに小屋の影からイヴェットが出てきた。ナンシーが「よかった」とこぼす。戻ってきた彼女の表情は固かった。彼らの視線を無視してまっすぐに武器山へと向かい、そこから小さな折りたたみナイフを手に取る。

「イヴェット?」

 皆が困惑する中、イヴェットはナイフをポケットに差し込んだ。

「私、考えたんだけど」彼女は呟いた。「ここにいないほうがいいと思う」

「どういうことだ?」ゲイリーが尋ねる。「森にいたほうがいいってことか?」

「違うわ。私たち……一緒にいるべきじゃないのよ」

 イヴェットは悲しそうに言った。そうして焦ったように付け加える。

「もちろん、あなたたちが一緒にいるのはいいと思うわ。銃もあるし、ここは見晴らしもいいし……安全だと思う。でも、私はここにいられない。こうしてこの場所で……ただ動かないでいるのが耐えられないの。それに比べたら、島を歩き回って……逃げたり隠れたりしたほうがずっといい」

「危険よ」ジェシカは言った。「ひとりでいる人間から狙われる。あなたとサディアスじゃ勝ち目がないわ」

 イヴェットは頷いた。「わかってるわ。でも、どうせ死ぬなら自分の気持ちに殉じたいの。私はこっちのほうが生き残る勝算が高い……と思ってる。それに、あなたたちにとっても悪い話じゃないわ。彼が私を狙ってくれば、その分あなたたちは安全だし……」

「自己犠牲精神は褒められたもんじゃないぜ」ゲイリーが言った。ナンシーもこくこくと頷く。

「ただ死ぬつもりはないわ。朝には戻ってくるから」

 彼女はきっぱり言うと釘抜きを握った。強い決意が感じられる。誰もが何かを言おうとしたが、その隙も与えずイヴェットは歩き出した。島の西の道に行こうとしているのか、ベンの小屋へと向かっている。

「いいの? 行っちゃうわ」ナンシーが弱々しく言った。

「いいもなにも、本人が行くって言ってるんだから仕方ないだろう」

「止めてくる」ジェシカはナイフを手に立ち上がった。「死にに行くようなものだわ」

 ジェシカは砂に足を取られながらも駆けだした。止めなければならない。今イヴェットの動向をつかめなくなるのはまずい。サディアスに殺されるならいい――だが、彼女が生きて戻ってきたらどうする?

 イヴェットが浜を大半横切ったころ、ジェシカは彼女に追いついた。

「考え直して、イヴェット」イヴェットに並び歩きながら哀れっぽく懇願する。「みんなで一緒にいるべきよ。そのほうが絶対安全だから」

 イヴェットは無言で歩を進める。もうすぐベンの小屋に着く――その直前で、彼女は小さく口を開いた。

「あなたがいる限り安全じゃないわ」

 その声はジェシカの耳にしっかりと届いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る