二日目・8

 カーテンを閉め切った部屋でペネロピは体を震わせていた。当初彼女は船がくるまでここに籠城するつもりだった。しかし本当にそれでいいのか、ここにきて迷いが生じている。

 ――ゲイリーは犯人ではないのか?

 犯人だ。そのはずだ。だが彼はいまだ皆の輪の中にいる。ナンシーをつれてバンガローに戻った。彼女はゲイリーを受け入れている……ベンが犯人だとでも思っているのか? そんなはずがないのに?

 それともなんだ、あの女も淫売なのか? 若くて顔がいいからと、人殺しという性質に目をつぶり、ベンのような善良な人間に殺人犯の汚名を着せようとしているのか?

「ベン……ベン……」

 ベンではない。絶対に違う。だがもしベンだったら。ベンが彼らを殺したのなら。あれはいったい誰だったのだろう。彼女が昨日見たあれは――。

 ペネロピはいつしか涙をこぼしていた。ひとりになってからずっとこうだ。泣いて、怒りに震え、また泣いてを繰り返している。服の袖はびっしょり濡れていた。品のある雰囲気の服で気に入っていたが、今は涙と鼻水を吸って見る影もない。彼女に似合う服だった。ベンに見てほしかったのに――彼がいないのでは意味がない。

「ベン……どうしてこんなことになってるの……怖いわ……私とても怖いの……」

 答える者はない。もう外からは音がしない。誰もいないのだ。誰も。

「会いたい……どうして私じゃだめなの……私を守ってくれるって言ったのに……どうして行ってしまうの……」

 ペネロピの目は段々と虚ろになっていく。脈絡のないことを言いながら膝を抱えて泣いたかと思えば、叫びながらシーツを剥がし、枕を投げ、足を踏み鳴らして壁を叩く。

「いやよお! ベン! なんでここにいてくれないの! 何がいやだっていうの! ……あなたは犯人じゃないわ、そうでしょ? 私は信じてる……私だけが信じてる……早く戻ってきて……元気な姿を見せて……ベン……ベン……」

 彼女は壁に凭れて涙をこぼす。震わせていた肩がぴたりと止まると、腕の中から表情のない顔が現れる。

「ベンは犯人じゃないわ。ベンは犯人じゃない。ベンは犯人じゃない」

 ペネロピはシャツのボタンを外し始めた。探索と涙で汚れた服と下着を脱ぎ捨て、新しい服を着はじめる。白いブラとショーツ。濃いブラウンのスカート。黒い襟の着いたベージュのシャツ。格好が一番大事だ。綺麗な格好でいなければ。

 鞄を漁って太いライトを出す。ベンが持っていたものだ。帰り道は危ないから、きみが持っているといいと言ってくれた。こんなことをしてくれるのは彼女にだけだ。だってライトは一本しかなかったんだから。ベンは自分だけを特別に気にかけてくれていた。今もきっとそうだ。

 もうひとつ、鞄から大切なお守りを出す。こっちは父親がくれたものだ。ベンがいない今、これが唯一彼女を守ってくれる。

「ベンに会いに行かなきゃ。ベンがやってないって証明しましょう。そうしたらあの男が犯人になるんだから。ベンが人を殺すなんてありえないわ。でしょ、ベン? あなたは私と一緒にいてくれるんだものね。そう言ったわ。聞いたもの」

 ペネロピはドア横のカーテンを薄く開ける。外は真っ暗で誰もいない。バンガローの明かりもすべて消えている。それを確認し、ペネロピはそっとドアを開けた。僅かに蝶番の鳴る音がする。ペネロピの動きは止まる。何も反応はない。

 そうしたことを繰り返して自分のバンガローの裏手まできた。あるのは月光だけだ。ペネロピは地面に向けてライトをつけた。予想以上に強い光だったので少し光量を絞る。

「行きましょう、ベン」

 ペネロピはライトに一声かけると森へ入った。なんの恐れもなかった。ゲイリーがバンガローに入ったのは確認している。あいつさえいなければ、何も怖がることはない。

 森へ入ってからは、ペネロピはなんの気もつかわず歩を進めた。光量も元に戻す。ライトを振るとベンと一緒に散歩をしている気分になって、彼女は楽しくなった。

「待っててね」ペネロピは言った。「きっとあなた、私にありがとうって言うわ」

 それから数歩歩いて立ち止まり、まるで誰かがその場にいるかのように話を続ける。

「違うのよ。私、あなたが犯人ならそれでもいいって思ってるの。そうしたらずっと一緒にいられるものね。むしろ、今はそっちのほうがいい気がしてる。あの男が犯人扱いされないっていうのはそういうことなんでしょ? あなた、きっとあそこにいるのよね。私を待ってるんだわ。一緒に逃げようって……ああ、それってすごく素敵だわ! 最高よ! 私もあなたが大好き! あれは全部冗談だったんでしょう。私知ってるわ……」

 そうして歌いながら歩き出した。彼女はまるで自分を隠す気がなかった。ベンは彼女に危害を加えないし、警戒すべきゲイリーはバンガローの中だ。だからペネロピは一度も振り返らなかった。楽しげに歩き、歌って、ときおり空にライトを向けた。

 彼女の背中を見つめる人間がいた。木々の隙間に隠れ、じっと息を殺していた。

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