二日目・7
スカーフは一枚ごとにビニールで包まれていた。綺麗に折りたたまれ、ボール紙か何かで芯まで入っている。ベンのときとは違い日記の類は見つからなかった。従って、真実はただこの五枚のスカーフから推測するほかない。
「嘘だろ」サディアスが言った。ゲイリーも同感だった。メイナードが、日常的に身につけていたわけでもない赤いスカーフを五枚も持っている理由。現状から鑑みてもひとつしか思いつかない。
「本気で言ってるの、これ」ジェシカの声も震えていた。
「サマンサの鞄も開けてしまおう」
ゲイリーは言ったが、彼自身も状況を整理しきれたわけではなかった。本当にとりあえずの提案だ。今出せる情報を出し切ってから考えたほうがいい。
ジェシカが鞄を置き、ファスナーを開けた。女性用の衣類、彼女らしい派手な下着、化粧品に香水。外ポケットには財布や鏡、ホテルのマッチなど、こまごましたものが入っていた。中身をさらっていたジェシカが妙な顔で鞄の側面を撫でる。
「どうした?」
「まだ何かあるのよ、ここ。ポケットはもう空なのに」
よく見ると、布のつなぎ目のそばに隠すようにしてファスナーが縦についている。「ニンジャかよ」サディアスが言った。
隠しポケットに手を入れたジェシカの顔色が変わる。ゆっくりと引き出された手には幅広のナイフが握られていた。夕日を浴びてぎらぎらと光る。
五人の視線を受けてジェシカは慌てて首を振った。
「違うのよ、ケースが中にくっついてるみたいなの。抜き身でしか出せないのよ」
ジェシカは投げるようにナイフを置いた。ゲイリーはそれをつまみあげる。刀身を鼻先に近づけると僅かに鉄さびの臭いがした。
ポケットにはナイフの手入れ用だろうか、汚れた布やオイルなどが入っている。それと一緒に何枚かの免許証が出てきた。どれもサマンサのものではない。回し見た皆が首を振る。ゲイリーに回ってきたのは最後だったが、彼の顔見知りも当然いなかった。なんの気なしに彼は免許証の名を読み上げる。
「デイル・トナー、エリック・ジュニュイ、ローランドー・キーオ、クワント・ファルマ……これはなんて発音するんだ? よくわからないな」
「なんですって?」
ジェシカが顔をあげた。ゲイリーは彼女に五枚目の免許証を見せようとする。「この綴りだよ。ヴィエイラ、とかか?」
ジェシカはクワント・ファルマの免許証を掴んだ。「ファルマ?」
「知り合いか」サディアスが言う。
「昨日ラジオで聞いたのよ」ジェシカが言った。「モーテル・キラーの被害者だって」
「モーテル・キラーの被害者?」ジムが言った。「いつのさ?」
「みんなと合流する少し前に流れたのよ。コーレルからちょっと行ったところのホテルで発見されたんですって。乗ってた車のラジオで聞いたの」
「そういえば、昼過ぎに警察車両が何台か走っていったのを見た」ジムが言う。兄弟は苦虫を噛み潰したような顔をした。「さっさと新しいラジオ買うべきだったな」とサディアスが呟いた。
「ということは、これ……モーテル・キラーの荷物なのね」イヴェットが呆けたように言った。彼女の声を久しぶりに聞いた気がする。
「気づかなかった」ナンシーが言った。「そのころは、最後の打ち合わせをしてたから……近くで殺人があったなんて……」
きっと夕方ごろには町中で騒ぎになっていたに違いない。運がいいのか悪いのか、彼らは何も知らないまま出発したのだ。すぐそばで殺人が起こったことも、船に犯人が乗り込んだことも知らないまま。
「つまり、なんだ?」サディアスが言った。「この島には三人人殺しがいて? うちふたりはもう死んでる。そういうことか?」
「平和になってよかったじゃないか」ゲイリーは言った。「ホテル連続殺人もこれにて解決だ」
誰も反応しなかった。あたりまえだ。誰もが妙な目で互いを見ていた。
「偶然……なのよね?」ジェシカが言った。「こんなことってある?」
「自分もだってやつがいたら今のうちに言っておけよ」サディアスが言った。「今なら黙っててやるからよ」
当然ながら、誰も何も言わなかった。
ゲイリーはサマンサの荷物を見ていた。具体的には彼女の服だ。いかにもな衣装の中に、サマンサが着ていることがおおよそ想像つかないような地味なTシャツにGパン、キャップなどが混ざっている。使いみちは予想がついた。行きと帰りの格好は――違えば違うほど人目をごまかしやすい。
「なるほどな」
ナンシーが彼を見あげた。「どうしたの?」
ゲイリーは緩やかに首を振る。「サマンサがモーテル・キラーだってことに納得した。この服のちぐはぐさは変装の意味もあるんだろうな」
皆理解を示すのがはやかった。ナンシーだけは彼が説明してようやく「そういうことなのね」と頷いた。
「メイナードを殺したのは、人を殺したことがある人間だって話してたわよね」ジェシカが言った。「メイナードが絞殺魔でスカーフを持ってたなら――彼を殺したのはやっぱり女なんじゃない?」
「人を殺したことがある人間だ、っていうのは?」ゲイリーは尋ねる。
それには代わりにジムが答えた。
「メイナードの傷があまりにも少なくて綺麗だった。ほぼ一撃で致命傷を与えてる。比較的体格のいいメイナードにそこまでできるのは、殺人の経験がある人間の可能性が高い――という話をしてたんだ。そのときは、だからこそベンがやった可能性が高いと考えていたんだけど」
「この様子じゃサマンサもずいぶんと経験豊富みたいだからな」サディアスが言う。「モーテル・キラーにやられたやつは何人になる?」
「六人よ。昨日の分も含めて」ジェシカが言った。「まあ――慣れてるでしょうね」
「サマンサなんじゃないか」ゲイリーは呟いた。彼に自然と視線が集まる。
「つまり……サマンサがメイナードを殺した。それをベンが知ったんだ。ナンシーによれば、彼は島を守るために熱くなることもあるそうだ。島を血で汚した人間に……彼なら腹を立てるんじゃないか」
ゲイリーはナンシーに視線を向けた。彼女はひるみ、怯えたように視線をさまよわせ――やがて頷いた。ぽつりぽつりと話し出す。
「以前、島で発砲事件があったことは話したと思うけど……烈火のごとく怒ってたわ。普段は凄く温厚というか……何を考えているのかわからない部分もあったけど……そのときは本当に怖くて……私、彼が客を絞め殺すんじゃないかと思った。もちろん、そんなことはしなかったけど……。あの事件があってから、彼は本当に島を愛しているんだって思うようになったの……」
ナンシーは銃と共に自分の体を抱き締めた。震えている。
「だから……誰かが島で人を殺して、ベンがそれを知ったら……私……彼が何もしないとは思えない……! 彼を信じるって言ったのに……!」
彼女の声は濡れていた。瞳から大粒の涙がとめどなく溢れる。ナンシーはしゃがみこんで肩をふるわせた。ゲイリーも屈んで背をさすってやる。
「夕飯の準備をしないか」彼は言った。「もう……いいだろう。今日は休もう」
全員が同意した。ジェシカとサディアス、ジムの三人が、サマンサの死体の元へ食糧を取りにいった。ナンシーも立ち上がろうとしたが、力が入らずよろめいた。ゲイリーは彼女を支え、地面に座らせた。
「ありがとう、ゲイリー」
ナンシーは濡れた目元で微笑んだ。彼女の頬を軽く撫で、ゲイリーは立ち上がる。周囲に視線を巡らすと、唯一その場に残っていたイヴェットと目が合った。ぼうっとした顔でゲイリーを見つめている。
彼女もペネロピやナンシーとは別の方向で様子のおかしい人間のひとりだった。感情の流れがまるで読めない。初日に彼女を見て感じた儚さはより顕著になり――むしろ存在自体が希薄になっているようにすら感じる。肉体に魂が入っているのか疑問に思うほどだ。
「大丈夫か?」と声をかけると彼女は緩慢に頷いた。
「無理するなよ。疲れたなら先に休むといい。夕飯は持っていってやるから――」
「ゲイリー」イヴェットは妙にはっきりした声で言った。人が少なくなったからか声がよく通る。
「ベンはどうして出てこないんだと思う?」
彼女の瞳はそれまで薄く膜がかかったようにくすんでいたが、今はその膜の奥に強く存在を認識できる光があった。なんの理由なしに聞いているわけではなさそうだ。
「さあ……よくはわからないが」ゲイリーは考える。仮定について考えることが彼はあまり好きでなかった。自分に関係のないことならば、考えること自体が無駄だとすらゲイリーは思っている。
だがベンについては考えなくてはならない。彼が犯人であることに納得できる理由をつけないと、サマンサのときの状況から、自分が疑われることになってしまう。
客観的に考えれば彼も十分疑われてしかるべき位置なのだ。それでもまだ皆の一員として意見交換ができているのは、彼より疑わしい人間がいるからに他ならない。
ゲイリーは犯人ではない。それならば、ベンが犯人でなければならない。
「久しぶりの殺人に動転してしまったとか……あるいは愛した地を離れなければならないことに葛藤があるとか……俺に思いつくのはそれくらいかな」
「なら、そうかもしれないわね」イヴェットは呟いた。その目つきや口調はぼんやりとした調子に戻っていた。
ゲイリーはイヴェットに不気味なものを感じた。その様子はまるで無害で、少なくとも彼にとって脅威になるものとは思えない。それなのに、言語化できない何かを感じる。
三人が両手にさまざまなものを抱えて戻ってきたので、会話はそこで終わった。
小屋の裏から薪を運んで火をつける。その日は初日よりも規模の小さいバーベキューとなった。食材が減ったのもあるが、それ以前に人が四人も減っているので仕方がない。ペネロピは当然のように出てこなかった。ジェシカが気を利かせて持っていった夕飯も突き返された。酒もまだ残っていたが、誰も手をつけなかった。皆それぞれミネラルウォーターを取りちびちびと飲んだ。会話はほとんどなく、各々の思考に沈んでいるようだった。
兄弟がいち早く食事を終えてバンガローに引っ込んだ。「考えたいことがあるんだ」とジムは言った。サディアスは何も言わなかったが、ふたりで現状の整理でもするのだろう。ゲイリーは少しうらやましく感じた。こういうとき、気心の知れた人間――それも男がいるのはさぞかし心強いだろう。
たき火の周りに四人が残る。ナンシーは不安そうに彼らを見て言った。「私、どうしたらいいかしら」
なんの話かわからずゲイリーたちは顔を見あわせる。ナンシーはベンの小屋の方を一瞥して「あっちには戻りたくないの」と言った。
「ペネロピのバンガローには入れてもらえそうにないし……」
「ああ、確かに」ゲイリーは言った。「今さらテントにひとりってわけにもいかないからな」
「私たちのバンガローに来る?」ジェシカが言った。
「そうさせてもらえるとありがたいけど」
「ふたつのベッドに三人で寝るのか?」ゲイリーは何気なく聞く。「それでいいなら構わないが。死んだやつのベッドが嫌でないなら、メイナードのベッドで寝たらいいんじゃないか」
ジェシカが訝しげな目つきになったので、ゲイリーは両手を広げた。「別に何かしようってわけじゃない。不安なら俺の手でも縛ってればいいさ。男だ女だとくだらんことでごちゃつくよりも、ひとりでひとつのベッドを使ったほうが体力的にいいと思っただけだ」
ナンシーは少し考えて「そうね」と言った。「あなたのバンガローにお邪魔してもいい?」
「もちろん」ゲイリーは頷いた。「きみの方を見るときは『失礼、ふりむいてもいいかな』と言うよ」
女性陣が笑みをこぼしたのでゲイリーはほっとした。ペネロピに疑われている現状、これ以上確執は作りたくない。まずは信じてもらうための土台作りだ。あの兄弟にはこうした小細工は通用しないだろうが――それならそれで証拠を集めればいい。
「明日、もう一度ベンを探したい」
ゲイリーの言葉にジェシカが頷いた。「ベンが島にいることは確かだものね。彼が何をしたにせよ、まずは出てきてもらって……安心したいわ」
ナンシーも彼に出てきてほしいという気持ちは同じだからか、言葉で同意せずとも頷いた。イヴェットは無反応だったが、反対するそぶりはなかった。
日は落ち、残照を空の端に残すだけになった。森はすっかり闇をまとい、火の奥で暗がりをちらつかせる。まだ寝るには早い時間だったが、彼らにはここに残る理由もなかった。
「もう退散しないか」
それぞれが疲れた顔で立ち上がる。彼の体も疲れていた。予想外のことがありすぎてくたくただった。
バケツに汲んだ海水を薪にかける。白い湯気が立ちのぼり、熱が顔を叩き――続いて吹いた風がほてりをさらった。それはとても気持ちがよかった。彼はまだ苦境の中にあったが、その快感とともにすべてがうまくいく予感めいたものを感じた。明日にでもきっとベンは見つかる。そうすれば自分への疑いも晴れるはずだ。
「おやすみなさい、ふたりとも」
ジェシカとイヴェットが引き上げていく。出しっ放しだったメイナードとサマンサの荷物を持ち、「俺たちもいこうか」とゲイリーは言った。
バンガローに入ってランプをつけると後ろからナンシーがやってくる。ゲイリーはふたつの鞄を床に投げると、並んだベッドの左側を指して「こっちがメイナードのベッドだ」と言った。おそらく誰もここには寝ていない。
ナンシーは銃を抱えたままおそるおそるベッドに腰かけた。「銃はさすがに抱いて寝るなよ」と言うと、これもまたそろそろと床に寝かせた。
バンガローの鍵をかけるとナンシーが肩をふるわせた。彼女がまだゲイリーを警戒しているとは思わないが、男とふたりきりなことに不安があるのかもしれない。
「拘束しておくかい?」ゲイリーは両手を合わせ捕まるジェスチャーをする。ナンシーは小さく笑うと首を横に振った。
「大丈夫。信じてるから」
彼女の一種盲目的な信頼を彼はありがたく思っていた。今の自分を本当に信じてくれているのは、きっとナンシーだけだろう。
「きみの期待を裏切れないな」
ナンシーは頬を染めた。ゲイリーはにっこりと笑うと自分のベッドに横になった。
「疲れたろう。はやく寝るといい。俺もすぐに……眠ってしまいそうだ」
そういって目を閉じる。彼女も横になる気配を感じた。ふたりの間のランプはついたままだ。ゲイリーは消そうとしたが、目を開けることすら億劫だった。やはり疲れているのだ。
「ゲイリー」少ししてナンシーの声がした。「ゲイリー、もう寝たの?」
ゲイリーの頭はまだ覚醒していたが、体は既にまどろみの中にいた。彼が返事をしないでいると、ナンシーがベッドから下りるのを感じた。ランプが消える。カーテンは開け放してあったので、代わりに月光が入ってきた。
すぐそばに人の気配がある。ナンシーだ。彼は動かなかった。疲れていたのもあるが、彼女に害意はない。彼女はゲイリーを信頼している。それに、きっと……。
何かがゲイリーの頬に触れた。指だ。ナンシーは彼の頬を軽く撫で「おやすみなさい、ゲイリー」と呟いた。
彼女が離れていき、冷えた頬には熱が残った。ゲイリーはその熱に確かな満足を感じた。
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