二日目・6(2)

「戻ったな」ゲイリーが声をかけた。「何かわかったか?」

 ジェシカの表情は厳しかった。「見せてもいい?」と他三人に確認する。

「何かあったの?」ナンシーも不安になり尋ねた。疲れは見えるが、彼らはまだ緊張を解いていない。

 ジムが持っていた布を差しだした。ゲイリーは困惑しながら手を伸ばす。両手で広げて裏表をまじまじと見つめ「なんだこれ?」と言った。

「わからない?」

「この大きさ……スカーフか? よさそうな生地だが。なあ、意味のないクイズならやめてくれよ。俺もそれなりに疲れてるんだ」

「タッサーシルクなのよ、それ」

「タッサー……何?」ゲイリーはスカーフをつまんでひらひら振る。「俺はファッションに詳しくない。聞く相手を選べよ。きみのほうが詳しいだろう」

「ゲイリー」イヴェットが耐えられないといった様子で声をあげた。「インドシルクなのよ。インドシルクの、赤いスカーフなの」

「なんだって?」ゲイリーの声色は先ほどと明らかに違っていた。確認するようにイヴェットを見る。彼女はこくこくと頷いた。

「いや……まさか。偶然だろう。話したのか?」

「聞いたわ」とジェシカ。「R国の殺人犯の話。本当なの?」

「本当さ。本当だが……どこにあったんだ、このスカーフは?」

 その言葉に四人は顔を見あわせた。ジムが代表して言う。「メイナードの死体と木の間に挟まってたんだ」

「そうなのか。いや、なんにせよ偶然だ」ゲイリーが言った。「関係あるはずがないさ」

「おまえの作り話じゃないだろうな?」

「もちろん」ゲイリーは頷く。「なんなら今、それについて話したときの手紙を持ってる。見るか?」

 四人が頷いたので、ゲイリーはジムにスカーフを返すと小走りでバンガローに戻った。彼がドアを開けるのを見ながらジェシカが呟く。

「右利きよね」

「ナイフも左に吊ってるしな」サディアスは言う。

「スカーフも右手で受け取った」ジムも付け加えた。

「なに? 何の話?」ナンシーの視線は三人の間を行き来する。話がつかめない。

「ナンシー。あなた、ベンの利き手を覚えてる?」

「ベンの?」ナンシーは記憶を探る。「わからない……右……だったような気がするけど」

「はっきり思い出せないのかよ。仕事仲間だろう」

「そんなこと言われたって」

 ナンシーとベンは仕事仲間だが、役割が完全に分かれている。ベンは基本的に島の管理と客が来たときの荷物の上げ下ろし、たき火の準備など、力仕事が必要なときしか表に出ない。ナンシーはその間客を退屈させないように心を砕いているので、意識してベンの動きを見た記憶がなかった。たまに彼の小屋を借りることがあっても、そのときはベンが外に出てしまう。左利きだと思った記憶がないので右利きだろうと思うのだが、断言できるかと言われたら不安が残る。

「人の利き手なんて意識して見ないとわからないわよ。それより、利き手がどうしたっていうの」

 そのタイミングでバンガローからゲイリーが出てきたので、皆の意識はそっちへ移った。戻ってくると彼は封筒に入ったままの手紙を差しだした。確かにR国から出されているようで、あちらの消印が押されている。中身はX語(R国の公用語。Q国は長らく英国の影響下にあったため英語が多く話されており、公用語にもなっているが、正式な公用語にはX語も含まれるため全員が読むことに支障はない)で書かれていた。手紙を受け取ったジェシカが代表して読み上げる。

「『親愛なるゲイリー』……この辺はいいわね。私的な内容だわ。『……きみにひとつ面白い話をしてやろう。R国の絞殺魔の話さ……』」

 そこからの内容は凄惨なものだった。うら若き女性が何人も絞殺され、後には赤いインドシルクのスカーフが残される。遺族は悲しみに暮れ、警察も躍起になって犯人を追っているが、一向に捕まらず被害者は増えるばかりである。犯人は徐々に国の端に移動し、Q国との国境近くで消息を絶った。もしかしたらQ国に逃げたかもしれないから気をつけるように、と手紙は締めくくられていた。

「マジみたいだな」

「嘘をついてどうするんだ」ゲイリーは言う。「コイツが嘘をついていたら知らないぞ。それは俺の責任じゃない」

「聞いたことなかったわ」ジェシカがしみじみと言う。「隣国のニュースでも、殺人や事故なんかはそういえばあまり流れないわね」

「報道されるのは政治のニュースぐらいだね」ジムが言った。「それに、こっちはこっちでモーテル・キラーで忙しいから」

「なんですこれ?」既に知っていたらしいイヴェットを除く三人が感想を述べる中、ナンシーはより困惑して全員を見やった。「どういうことなの? R国の絞殺魔? こんな……こんなのがこの島にいるってこと? なら犯人はこいつじゃないの! ベンじゃないわ!」

「絞殺魔は女ばかり殺してる」ジムが言う。「サマンサはともかく、メイナードは趣味じゃないはずだ」

「趣味が変わることだってあるでしょう」

「残念だけど、殺人者の趣味はなかなか変わらないものなんだよ」

「その理屈が通るなら」ナンシーは語気荒く続ける。「ベンだってふたりを殺してないはずだわ。彼が殺してたのは子供でしょう。みんなはベンが大人を殺した記述を見たっていうの?」

 それを聞いて皆黙った。ナンシーはそれに勝利を感じた。彼女はほとんど考えなしに発言している。状況を一番理解していないのはおそらく自分だろう。だが今の言葉だけは――正しい場所を射貫いた。そう直感した。

「じゃあ、お前は誰が犯人だと思うんだよ」沈黙を破ったのはサディアスだった。「この島には俺たち以外いないんだぜ。あのクソせまい船で、俺たちの目を盗んでこの島まで来るってのは無理な話だ。ベンが内緒でここに誰かを住まわせてるってんなら別だが、そうでないならふたりを殺したのはベンを含んだ俺たちの中の誰かってことになる。メイナードは誰でも殺せるチャンスがあったかもしらんが、サマンサに関してはベンとゲイリー以外アリバイがあるんだ。それでベンが犯人じゃねえって主張をするんなら、お前はそこの色男を犯人だと思ってるってことでいいんだな?」

「私は……ゲイリーも犯人じゃないと思ってる」

 ナンシーは言った。先ほどのゲイリーの表情を思い出す。彼を信じたい。彼を犯人じゃないと感じた自分のことも。

「いい加減にしろよ。そんなコウモリみてーな主張が通ると思ってんのか?」

 サディアスの額に青筋が浮く。ナンシーは身構えた。ジムが慌てて止めに入るが、サディアスもナンシーも互いから視線を逸らさない。

「もういいよ、サディアスもひとまず――」

「ひとまず、なんだ? いつまで先延ばしにしてりゃあいい? こちとら予定が狂いに狂ってイライラしてんだ」サディアスは身振り激しく主張し、皆を睥睨する。「犯人をブッ殺してやる――それだけが今の俺の楽しみなんだよ」

 サディアスの口調には凄みがあった。過激な言葉に、黙ったままのイヴェットが身を固くする。

「あまり物騒な言葉を使うのはよしてよ」ジェシカが言った。「怖がらせないで」

「それ以外になんて言やあいいのかわからねえよ」サディアスは暗く笑った。「腸を引きずり出してやる、ってか?」

「やめて」ジェシカの口調も強くなる。彼女もサディアスを睨みつけ、空気はますます悪くなった。

 ナンシーは考えていた。何かあるはずだ。消えたベン。メイナードの死体。サマンサの死体。疑われるゲイリー。赤いスカーフ。絞殺魔。壊れた無線。

 この中にきっとあるはずだ。ベンもゲイリーも疑わないで済む何かが。

「あっ」

 ナンシーの降って湧いたような声に皆が注目した。「自殺よ」ナンシーは呟く。

「自殺ぅ?」サディアスがバカにしきったように言う。「お前、あの死体がどこからどう見たら自殺に見えるんだよ」

「殺人に見えるようにしたのよ」

「誰がだよ?」

「ベンがよ!」ナンシーは叫んだ。「それなら納得できるわ! ベンには島を守るためならなんでもするって気概があった!」

「自殺を殺人に見せかけることになんの意味が?」ジムが尋ねる。

「それは……」ナンシーは口ごもる。しかし答えはすぐに浮かんだ。「この島のためよ」

「どういうこと?」

「つまり、この島――いえ、コーレルは寂れてる。このツアーがほとんど唯一の観光産業よ。島で自殺なんてイメージが最悪。立ち直れないくらいだわ。でも殺人なら――」

「まだリカバリーがきく。そういうこと?」

 ジェシカの言葉にナンシーは何度も頷いた。コーレルの財政状況はよく知らないが、ツアーはなかなかに貢献していると聞いたことがある。ここで自殺なんて起きればそれだけでダメージは甚大だ。殺人ならまだそうした好事家向けに売り出すことも可能だろう――ミステリーツアーだとかなんとかいって。むしろ今までより繁盛するかもしれない。しかし自殺はどうしようもない。殺人と違って自殺は呼ぶ。ここが自殺の名所にでもなったら、観光ツアーなどやっていられないだろう。死者の島になってしまう。

「理解はできるけど……」ジムは首を振った。「納得はいかないね」

「サマンサは首の肉を抉られてた――そう言ったわよね。きっと自殺の傷を隠すためよ。何か――明らかに自殺と思える跡があって、それを消さなきゃならなかったんだわ。メイナードなんて脈を取ろうとすら思わないほどあからさまに死んでた。死体にそこまでする理由は何? 自殺を隠すためよ! ふたりの死体を殺人に見せたかったの!」

 辺りは静まりかえった――だがほんの一瞬だった。「ハッ」サディアスが鼻で笑う。

「百歩譲って、自殺を隠すためにベンが死体を傷つけたんだとしよう。その結果自分にまでサツの手が伸びてみじめに捕まっちまっても、島が繁栄するなら構わないっつー超自己犠牲的精神の持ち主だったとして」

 サディアスは言葉を切った。あがりきった顎の更に上からナンシーを見下す。

「じゃあそもそもあのバカどもはなんで自殺したんだよ? あいつらがそんな人間に見えたってのか?」

「それは……」

 今度はナンシーがたじろぐ番だった。メイナードとサマンサが自殺する理由。そんなものは微塵も思いつかない。どちらも死ぬ理由がある人間には見えなかった。むしろ進んで人生を謳歌しそうなタイプだ。

 サディアスの顔に意地の悪い笑みが広がる。ナンシーはその顔を睨みつけて――ふと彼の横に立つジムに目がいった。正確には、彼が持ったままのスカーフに。

「メイナードが……R国の絞殺魔だったら?」

 ばかばかしい。あまりにもばかばかしい。だが、これなら死ぬ理由になる。

「人を殺した罪悪感から、追いつめられていたのかも。耐えられなくて――死に場所を探していたのかもしれない」

「かも、かも……仮定ばっかだな」

「あなたもでしょ!」

 ナンシーはR国の絞殺魔がメイナードだと本気で思っているわけではなかった。彼女の主張が詭弁と言うなら、サディアスの主張も同じく詭弁だ。ベンを疑おうと思えばいくらでもこじつけられるし、ベンを信じようと思えば、こうやって同じくらいこじつけることができる。

 真っ向から否定してくるサディアスの横で、ジムは考えている様子だった。いきり立つサディアスを手で制する。兄が自分に注意を向けたのを確認し、ジムは口を開いた。

「殺人者が自殺するのかという議題には僕も思うところはあるけど、ここでメイナードの素性が話題にのぼるなら、彼の荷物を調べるのがいいと思う。少なくとも、このスカーフに合う服でも見つかれば、これがメイナードの私物だってことがはっきりするわけだし」

ジムはピンクのポロシャツに赤いスカーフは合わないと思っているらしい。それについてはナンシーも同感だった。というよりも、このスカーフはそもそも女物のように見える。

「だったら、サマンサの荷物も調べないか」

 ゲイリーが言った。集まる視線に彼は少し困った顔をする。

「ちょっと気になったことがあるんだよ。これは完全に俺しか知らない話だから、疑られると困るんだが――ふたりきりでいたとき、サマンサが意味深なことを言ってたのを思い出したんだ」

「意味深なこと?」

「人を殺したことがある――そう言ってた」

 今度の沈黙は、今までにない不気味さがあった。殺し、殺し……また殺しだ。

「サマンサは、俺の気を惹くために言っただけだから気にするなと言ったが――俺はモーテル・キラーのことを思い出した。あれはホテルで全裸の男が滅多刺しにされてる事件だろう? サマンサのような女なら、男をその気にさせてホテルに誘うなんて簡単にできる話だと思ったんだよ」

「サマンサがモーテル・キラーだって言いたいわけ?」

 ジェシカの言葉にゲイリーは首を振る。

「いや、そう思ってるわけじゃない。どちらかというと、サマンサがモーテル・キラーじゃないってことをはっきりさせたいだけだ」

「お前ら頭がおかしいんじゃないのか」サディアスが言った。

 結局、少しでも情報が多いほうがいいということで意見がまとまった。ゲイリーが封筒を戻しがてらメイナードの荷物を取りに行き、ジェシカがサマンサの荷物を取りにペネロピの元へと向かう。ゲイリーが黒いボストンを持ってすぐ戻ってきたのに対し、ジェシカはペネロピとの交渉に手間取っていた。くぐもった怒鳴り声が聞こえてくる。サディアスは怒りも忘れたのか、憐れむような目をナンシーとゲイリーに向けていた。

 そのうち《3》のバンガローの扉が開き、茶色のボストンがジェシカにぶつけられた。当たり所が悪かったのか、ジェシカはみぞおちをさすりながら戻ってくる。既にメイナードの鞄は地面に置かれ、ジェシカを除いた五人は周りで待機していた。サマンサの鞄を抱えたジェシカがその輪に加わる。ゲイリーが鞄のファスナーに手をかけた。

「開けるぞ」

 ファスナーがゆっくりと開いた。皆で中を覗き込む。見る限り、ただの旅行用の荷物だ。衣類。歯ブラシ。カミソリ。眼鏡ケース、下着、財布……。

「いやあ……」

 ナンシーはへなへなと座りこんだ。

 メイナードのバッグの底からは、タッサーシルクの赤いスカーフが五枚出てきた。

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