二日目・6(1)

 ナンシーはお守りのように銃を抱き締めていた。ゲイリーは一度バンガローに戻り、血塗れの服を着替えてきた。今は少し離れたところに立ち《3》のバンガローを見つめている。

 彼女はまだ何も理解できないでいる。客がふたりも死んで、無線も壊された。ベンはいまだに行方不明だ。彼は無事なのだろうか。無事ならなぜ出てきてくれないのだろう。本当に人を殺したのだろうか。メイナードとサマンサを手にかけたのも……。疑問だけが次々浮かび、解消されないまま溜まっていく。

 ナンシーがガイドを始めてからずっと、彼は不器用ながらも親切だった。去年――ナンシーの二十歳の誕生日には、彼は小さな十徳ナイフを贈ってくれた。彼女の名前が刻まれた、赤いぴかぴかしたナイフだ。今もポケットに入っている。栓抜きもついていて、ツアーでビール瓶を開けるときに重宝した。昨日も大活躍だった。

 昨夜の飲み会を思い出し、ナンシーはますます悲しくなった。昨日はベンも楽しそうだった。ペネロピとジムと三人で仲良く話していたのを覚えている。あれが彼を見た最後だ。

 自分も彼のそばにいたらよかった。彼らの話に混ざって、酔いつぶれることもせず、彼と小屋に戻っていればよかったのだ。そうしたら彼はいなくならずに、ふたりも死ななかったかもしれない……。

 こんなにも自分はベンを頼っていたのかとナンシーは思う。彼がいなくてずっと、泣きそうなほど心細いし、彼が人殺しだと言われても、どこかで嘘だと思っている。

「ナンシー」

 顔をあげるとゲイリーが心配そうな表情でこちらを見ていた。

「平気か」

 ナンシーは小さく頷く。ゲイリーは彼女の隣を指して「そっちへ行っても?」と言った。

「もちろんよ」

 銃口が彼に向かないように銃を持ち直す。彼女の隣に腰を下ろしたゲイリーは物憂げに息を吐いた。

「どうもまいったな。こんなことになるとは」

「ごめんなさい……」

 うつむいたナンシーにゲイリーは驚いた様子で言う。

「きみのせいじゃない」

「でも……」

「悪いのはベンだ――と俺は思ってる。だが、なんにせよきみのせいでは絶対にないよ。きみはふたりを殺してなんかいないだろう」

「もちろんよ!」

 予想外に大きな声が出て、ナンシーは慌てて口を閉ざした。《3》のバンガローのカーテンが少し動いた気がした。

「ねえ、ゲイリー」ナンシーは言った。「ベンの小屋で何を見たのか、教えてもらえる?」

 ゲイリーは目を丸くする。「別に構わないが……大丈夫か?」

 ナンシーは頷いた。「はっきり聞いておきたいの。ジェシカはああ言ったけど、私はやっぱりベンが犯人だとは思えない。みんなが小屋で何を見たのか教えてもらわないと、私はずっと中途半端な気持ちのままみんなと一緒にいることになる。そんなのは嫌だから」

 ゲイリーはナンシーの顔を見つめた。彼女の決意が変わらないのを察したのか、彼はおもむろに口を開いた。

「人の皮があった」

 ナンシーは唇を噛んだ。視界がぼやけてくる。「えええ……?」ようやく絞り出した声は酷く間抜けな響きをしていた。

「ひとの……かわ?」

「ジムの部屋――あの鹿革のカーテンの奥には日記がたくさん置いてあった。ジムがそれをよこして、この表紙は人の皮だと言った」

「どうしてわかったの……?」

「そういえばそうだな。皮剥ぎの記述もまだ見ていない口ぶりだったし」ゲイリーは小さく首を傾げる。「だがまあ、俺も理解はした。なんというか、触感……は確かに人の皮と似ていた。俺が知る――よくある獣の革のどれとも違っていたし」

「でも、人の皮だって証拠は……」

「それに関しては、実際に見てジムの説明を聞くのが早いだろうな。鹿革のカーテンの裏地には人の皮らしいものが使われていた。複数の皮が繋げられていたんだが、一枚の革に決まってふたつの茶色の模様があったんだ。ジムはそれが人の胸の皮で、模様は乳首だろうと言った」

「何それ……」

「だが、確かに子供の乳首のようなんだよ。ひとつの革に決まってふたつ。その間隔も乳首に似てる。机の下の鍵のかかった箱の中には皮がたくさん入っていたし、わかりやすく黒子があるものもあった。見ればわかったよ。理解するのは難しかったが」

 ナンシーは黙ってうつむいた。ゲイリーは続ける。

「何より、それを信じるに到った理由は日記だ。彼の日記に子供を殺害しているような記述があった。子供を怖がらせて、その泣き顔や死に顔をスケッチしていたようなんだ。あれさえなければ、俺はあれが人の皮だなんて思わなかったよ。あの日記があったから、俺はあれが人の皮だと信じたし、ベンがふたりを殺した犯人だと思ってるんだ」

 ナンシーは顔をあげた。「子供?」

 ゲイリーは重々しく頷く。「ベンは人殺しなんだよ」

「でも、子供でしょう?」あまりにもばかばかしい弁護だ。言っている自分ですらそのおかしさに気づいている。それでも言わずにいられない。

「彼が殺したのは子供でしょう? メイナードやサマンサは大人よ。子供じゃないわ」

 ゲイリーの視線には憐れみがこもっていた。「そうだな。だが俺たちは日記をすべて見たわけじゃない。彼が子供以外を殺していない証拠はないんだ。それでも人殺しと判断するには十分すぎる――それにベンが犯人でないというのなら、いまだ姿を見せない理由もわからない」

「ベンも殺されたのかもしれないわ」

「誰に?」ゲイリーの口調は静かだった。「ふたりを殺した犯人に?」

 ナンシーは頷く。ゲイリーは黙った。眉根を寄せて、何ごとかを考えているようだ。

「言おうか迷っていたが」しばらくして、彼は悲しそうな瞳を彼女に向けた。「ベンじゃないっていうなら、犯人は俺なんだぜ」

 ナンシーは息をのんだ。手に力が入らない。銃にすがったままゲイリーを見つめる。

「ベン以外だと、サマンサを殺せたのは俺しかいない。他のやつらには無理だからな。だが俺はやってない。だから俺はベンが犯人だと思ってる――きみには悪いが。きみにベンを疑ってくれとは言わないが……ベンを信じるなら、俺を疑ったほうがいい。俺が犯人と確定できれば、ベンは自ずと犯人じゃなくなる」

「でも……でも」ナンシーの声は震えていた。「あなたもやってないんでしょう?」

 もはや支離滅裂だ。何を信じればいいのかわからない。ベンを信じたい気持ちは誰よりも強い。だが彼が人殺しだという証拠を四人もの人間が見ていて、それを嘘だと断じることもできない。

 ならゲイリーを疑えるかと言われたらそれも難しい。彼の手や靴にはいまだに血の跡が残っていたが、そのような姿でも彼と殺人とを結びつけて考えることがナンシーにはできなかった。ゲイリーは自分が犯人である可能性も含め、理路整然と情報をまとめて提示してくれている。犯人がそんなことまでするだろうか?

 そもそもなぜこの島で殺人が起きているのか彼女にはわからなかった。田舎町が管理する小さな無人島だ。いままでたいしたこともなかったし、これからもないはずだった。最近の一番のニュースは釣具屋の息子が国一番の大学に合格したことだし、一番大きな犯罪といっても酒場のケンカと交通違反だ。殺人なんて起きたこともない。だが今この島にはふたつの死体がある――ふたつもだ!

 仮にベンが犯人だとしたら――考えるのも嫌だが、疑問が残る。何故今、このタイミングで殺人を再開したかということだ。ベンが来る前はもちろん、ベンが来た後もこの町は平和そのものだった。殺人どころか行方不明者だって出たことがない。だからベンが殺人者であったとしても、少なくともコーレルに来てからはまっとうに生きていたはずなのだ。それが突然、ふたりも人を殺した。とするなら、何かきっかけがあったはずだ。それと、ここから無事に逃げおおせるビジョンも。

 一方、ゲイリーが犯人だとしたらこれ以上の疑問がある。この島にいるのはベンとナンシー以外は全員が初対面なはずだ。自身がもっとも疑われるタイミングで、昨日会ったばかりの人間を殺す理由なんてあるのだろうか。自殺志願者でもなければこんなことはしないはずだ。今はよくてもやがては警察の知るところになる。この状況での殺人など捕まりに行くようなものだ。これに関してはベンにも言えることだが……。

 ナンシーはゲイリーを見る。彼も何か言葉欲しそうにナンシーを見ていた。自分よりずっと大人なのに、少年のようにも見える。やはり彼も不安なのだ。ナンシーはゆるゆると首を振った。

「ごめんなさい。私やっぱり、ベンが犯人とは思えない」

 ゲイリーは頷いた。意外にも不快そうな様子はなかった。ただ少しだけ淋しそうに笑う。

「仕方ないさ。きみが一番彼と付き合いが長いんだ」

 そうして離れていこうとする。ナンシーは彼の服の裾を握った。驚くゲイリーの顔をまっすぐ見つめる。

「でも、あなたが犯人とも思えない。何を言ってるんだと思うかもしれないけど」

 それでも、何かあるはずだ。ベンもゲイリーも疑わないで済む何かが。

「普段の俺なら、現実を見ろって言うかもしれないけど」ゲイリーは目を伏せた。睫毛が目元に影を落とす。「今はきみが信じようとしてくれるだけで気が楽だよ」

 四人が戻ってくるまで、ふたりはとりとめのない話をした。ゲイリーが、コーレルに負けず劣らず寂れた工場町の出身だということ。ナンシーは都会に出て行きたかったが、父親が怪我をして叶わなかったということ。

 ふたりは共通点が多かった。親が離婚しており、父親に育てられ、犬が好きで、平和な家庭を夢みている。唯一親との仲だけは大きな違いだった。父のため夢を絶たれたが、ナンシーは父親と仲がよかった。対してゲイリーはもう何年も親とは会っていないらしい。

「きみの父親は性根のまっすぐな人なんだろうな」ゲイリーはうらやましそうにナンシーを見つめた。「きみを見ていたらよくわかるよ」

 彼の視線はくすぐったく、暖かかった。今の彼は、初めの印象とはまるで違っていた。厳しい家庭環境が彼を皮肉屋にしていたのかもしれない。こうして親しく話せば、ゲイリーは優しく魅力的な男性だった。

 ゲイリーと話している間、ナンシーはあまりに無防備だった。そのため遠くから草の鳴る音がしたとき、彼女は飛びあがって銃を引き寄せ、引き金辺りに手をやった。

「下手に触るな」ゲイリーが慌てて制止した。「たぶんサディアスたちだ」

 実際その通りだった。疲れた様子の四人が現れる。外周に比べればそう長い距離ではないとはいえ、森の中を歩くのはやはり気をつかうらしい。加えてベンの襲撃も警戒しているので、彼らの疲労は当然と言えた。

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