二日目・2(2)

 彼らはそこで無言で待った。十分ほど経ち、女の声が聞こえてきた。皆顔をあげて耳を澄ます。現れたのはナンシーだった。

「ああ、皆さん……あれ?」

 彼女の視線はゲイリーに注がれた。次いでやってきたペネロピもサディアスも彼に不審な目を向ける。ジェシカがそれを遮った。

「ゲイリーの話の前に、まずは報告しましょう。と言っても……」

 ジェシカは彼らを見る。三人の他には誰もいなかった。

「報告もなにも、誰も見つけなかったし何も聞こえなかった」サディアスが言った。「それで、そっちはなんでひとり増えてるんだ」

 ジムたちは顔を見あわせた。ゲイリーは見るからに疲れていて、立ち上がる気配すらない。

 ジェシカはサディアスをちらと見て言った。「サマンサもいなくなったみたいなの」

 ナンシーは顔をくしゃくしゃにしてよろめいた。後ろにいたサディアスがそれを支える。彼女は今にも泣き出しそうだった――懸命に耐えているのはひとえに彼女の意志だ。ジムは彼女のけなげさに敬意を感じた。

 ゲイリーが立ち上がり近づいてきた。うつむいたままナンシーの手を握る。

「すまなかった」彼は言った。「森の中に消えていって……探したんだが、見つからなかった。本当は残っているべきだったんだ……彼女を追ってきたんだが……結局のところひとりでいるのが怖かった。ふたりが理由なくいなくなって、サマンサまで……」

 ナンシーは、ゲイリーの様子に気を持ち直したようだった。自分を励ますように大きく頷き、ゲイリーの手を握り返す。

「大丈夫よ。そんなことになったら、誰でも不安になるに決まってるわ。彼女はきっと隠れてるんでしょう。あなたに構ってほしくて……そうに決まってる。戻ったらひょっこり顔を出しますよ」

 その様子を眺めるジムにサディアスがさりげなく近づいてきた。視線で説明を求めるので、ジムは小さく「誘われたらしい」と言う。サディアスは小馬鹿にしたように笑った。

「サマンサは……そうかもしれないわね。ゲイリーにご執心みたいだったから」ペネロピも同意した。

 サマンサのことはひとまずそれで納得し、七人はバンガローへ戻ることにした。

「まっすぐいくと四十分だったか」サディアスが言う。

「はやければね」ジムは時計を見る。着くころには昼になっているだろう。

「洞窟はどうだったの?」イヴェットが聞いた。

「そんなに広くないのよ。人ふたり分くらいの高さはあって……バンガローより少し広いくらいかしら。何個かあるから手分けして探したんだけど、どこにも人はいなかったわ」

 ナンシーの言葉にペネロピも頷いた。「それに音も響くから……あの中にいたなら応えてくれたと思う」

「そろそろ、見つからなかったときのことを考えたほうがいいのかもしれない」

 ナンシーの言葉に応える者はいなかった。彼女は不安げに周囲をみやる。「ですよね?」

「見つからなかったらどうするんだ」サディアスが尋ねた。

「とりあえず無線で町に連絡するわ。警察に探してもらうことになると思う」

「僕たちは帰ってもいいの?」

 ジムの言葉にナンシーは困った顔をした。「わからないわ、前例がないから……。その、島で迷った人は前にもいたの。そのときはベンがひとりで見つけてきて、そんなにおおごとにはならなかったんです。発砲事件があったこともあるのだけど、そのときもベンが彼らを捕まえて……。とにかく、島で何があってもベンが解決していて、警察に頼ったことは一度もないの。でも今はベンがいないから……。警察の管轄になると、彼らなりの捜索方法があるでしょうし、その間の皆さんのことに関しては、私には明言できないんです。帰ってもいいとなるかもしれないし、見つかるまで待ってもらうことになるかもしれないし」

 皆難しい顔をした。ナンシーはおろおろと彼らを見回した。

「仕方ないんじゃないか」ゲイリーが言った。「見つからないとなったら非常時だ。どうなったとしても協力するよ」

「ありがとう」ナンシーは表情を明るくした。

 七人はナンシーを先頭にして歩き出した。ジムとサディアスは最後尾をついていった。彼らは意味ありげに顔を見あわせたが、口には出さなかった。

 二十分は経っただろうか。ナンシーが「そろそろ沼です」と言った。木々の合間が更に密になり、こころなしか薄暗くなる。むっとする臭いが漂ってきた。

「なんのにおい?」ペネロピが不快そうに言った。

「藻か何かじゃないのかな」ジムは言った。沼の周囲の空気は重く湿っていた。ずいぶんと吸い込みにくい空気で、皆が息苦しそうにした。

「はやく抜けましょう」ナンシーが言った。

 沼はそう大きいものではなく、すぐそこに対岸が見えた。周囲には丈の高い草が茂っており、ナンシーが言っていた柵は見えなかった。注意深く歩かなければ足を踏み入れてしまいそうだ。対岸には他より背の低く太い木が一本生えていた。

 皆が歩くことに集中した。ここではいくら呼びかけても応えはありそうになかった。ナンシーが沼の外周を抜け、背の低い木を越える。木の回りには虫がたかっていた。彼女は後続の人々の様子を見ようと振り返り――低木を見て硬直した。

 彼女のすぐ後ろを歩いていたジェシカが駆け寄り、彼女と同じところに目をやって絶句した。ゲイリー、イヴェット、ペネロピと続き、誰もが同じように固まった。兄弟も彼らの元へ急ぎ――そこでメイナードの死体を見た。

 彼は木の幹に凭れていた。昨日彼が着ていたピンクのシャツは右半分が血にまみれている。彼の口は切り裂かれ、無理に開けられており、その中に何かが詰め込まれていた。それは眼球だった――彼の口の中で、濁った瞳がこちらを向いていた。

 ナンシーが嘔吐した。イヴェットがそれを支え、彼女を死体から遠ざける。残った人間は死体を凝視していた。

「どういうこと?」ジェシカが言った。声は震えている。「死んでるの?」

「生きてるように見えるのか?」サディアスが言った。

「どう見ても死んでるし、それに――」

「殺されてる」ジムの言葉をゲイリーが引き取った。「殺人だ」

「うそ……」ペネロピがその場に座りこんだ。視線はメイナードから離れない。

「ジム。水をちょうだい」

 イヴェットが言ったので、ジムは彼女たちのところに水を持っていった。ナンシーは膝を抱えて泣いていた。酸っぱい臭いが漂っている。

 ジムはナップサックをひっくり返した。残りがばらばらのペットボトルが三本出てくる。

「全部使っていいよ」ジムは言った。

「どうすべき?」ジェシカが言った。視線は泳いでいる。

「本土に連絡するしかないだろう」ゲイリーが言った。「事故じゃない。明らかに」

「誰がやったんだ?」サディアスが言った。

 彼らは視線を巡らせた。サディアスの疑問は当然だった。人が死んでいる。誰かがやったのだ。

「待って、まさか」ジェシカが言った。「ここにいる誰かがやったなんて言わないわよね?」

 サディアスは至極不思議そうに返す。「あたりまえだろ。この島には今俺たち以外いないんだぜ。誰かがやったんだろうし、それは俺たちの中の誰かだろう」

 サディアスは堂々としていた。彼には並大抵の相手には負けないという自信が感じられた。それは事実そうだったが、今そんな態度をとっては反感を集めるのではないかとジムははらはらした。

「まあ確かに――この中にいるってのはちょっと違うな。この島にいて、ここにいないやつがあとふたりいる」

「ベンかサマンサがやったって言いたいわけ?」

 憤るジェシカをなだめるようにサディアスは両手を挙げた。「可能性の話だ。なあ? ジム」

 話を振られ、ジムも頷く。「メイナードの格好は昨日のままだ。殺されたとしたら……昨日の夜のことだろう。誰でもできる」

「私はできないわ」ジェシカは言った。「ナンシーも」

「きみたちは酔っていたからね」ジムは言う。「でも、それは僕たちから見ての話だ。きみたちが本当に酔っていたかは僕たちにはわからない。僕らだってそうだ。僕とサディアスは昨夜ずっと一緒にバンガローにいたから、こんなことはできない。でも、それはあくまで僕たち視点の話であって、きみたちに対する証明にはならない」

「そういうことさ」サディアスは言った。

「ベンじゃないわ」それまでずっと黙っていたペネロピが呟いた。「絶対にベンじゃない」

「ベンが見つかったらそのときに聞こう」ジムが言った。

「ベンはやってない!」

 ペネロピは激高した。その顔つきは常軌を逸しており、ジムは驚いて後ずさった。

「ベンがこんなことするもんですか! 私は信じないわ! 絶対にベンはやってない!」

 全員がペネロピを見た。彼女は死体の前で叫び続けた。ベンはやってない、ベンはやってない――彼女のまとう涼しげな空気は今や見る影もなかった。散策で汚れたスカートを裂けそうなほど握りしめ、腹の底から声をあげ、地面を殴りながらベンの無実を訴える。興奮のあまり食いしばった口の端からは細くよだれが垂れた。そのさまは誰から見ても異常だった。

「どうしたんだ、こいつ」サディアスが言った。その言葉と前後してペネロピは動かなくなった。

「わからない……」

 ジムは昨夜のペネロピの様子を思い出そうとした。彼女はジムと同じくベンの話を楽しそうに聞いていた。ベンを立てつつも話を促す――その話術に感心した記憶がある。ベンもまんざらではない様子だった。だがそれだけだ。彼女が彼に対しこんなにも思い入れる理由が浮かばない。

「ペネロピ、落ち着いて……」

「触らないで」

 彼女を助け起こそうとしたジムの手ははじかれた。「ああ?」サディアスが威嚇する。

「あなたなんかに触られたくない」

 ペネロピが薄暗い視線をジムに向けた。サディアスは頬をひくつかせる。

「このクソアマ……」

「サディアス、いいから」

 ペネロピはスッと立ち上がり皆を見た。どこか夢見心地な表情だ。

「早く行きましょう。本土に連絡するんでしょう。ベンはやってないって証明してもらわなきゃ」

 そうしてすたすたと歩き出した。困惑しつつもジェシカ、ゲイリーが後を追う。イヴェットはナンシーを立ち上がらせ、肩を支えた。後には兄弟が残った。

「どうなってやがる」サディアスが言った。

「さあ」ジムは答えた。「さっぱりだ」

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