二日目・2(1)

 島にしっかりと舗装された道はない。とはいえ最低限島を一周できるよう、草を刈ったり踏みならしたりして、人が通れるだけの通路はできている。しかし起伏が多く足場も悪いため、慣れている者でも直線距離で島の反対側に出るには四十分ほどかかった。皆は初めて島を歩くのだし、かつ人を探してのことなので、外周を半分回っての探索だとしても二時間は見たほうがいいのではないか、とナンシーは言った。

 人数分のペットボトルと地図、コンパスがそれぞれのグループに配られた。加えて東側のグループは懐中電灯も持った。東には小さな洞窟が連なってあり、そこを確認する必要があるためだ。彼らが上陸した海岸は島の南側になっていた。ジムはペットボトルを自分が持つと言い、ジェシカとイヴェットは承諾した。彼は薄いナップサックにそれを入れた。ジェシカが先頭に立ち地図を持った。イヴェットはそれに続き、ジムは最後尾を歩いた。

 左回り――島の西側の道には小川が通っていた。三人はそのそばを進んでいくことにした。ナンシーからは、海か何かが見える距離にいたほうがいいと言われていた。彼らもそのつもりでいたし、川は地図にも書かれていて、目印にしやすかった。三人は左手に海岸、右手に小川が見えるように進んだ。

 彼らはふたりの名を呼びながら歩いた。はじめこそ遠くでサディアスたちのチームが同じように名を呼ぶ声が聞こえていたが、それもやがて聞こえなくなった。しばらくは懸命に声を張り上げたが、そのうち疲れてきて、合間に会話を挟むようになった。音頭を取っているのはジェシカだった。

 ジェシカとイヴェットがときおり会話するのをジムは黙って聞いていた。彼女たちの会話は消えたふたりのことばかりだった。思い出したように「ジムもそう思うでしょ?」とジェシカに問われ、ジムは神妙に頷いた。

 ジェシカもイヴェットも優しいのだな、とジムは思った。彼は女性が苦手だったが、嫌いではなかった。女性の細やかさや愛情深さに触れると気持ちが温かくなりさえする。

 彼は正直なところ、ふたりのことはあまり心配していなかった。確かにメイナードについては不安がある。彼は昨日から非常に丁寧で気の回るふるまいをしていた。彼のような人間が無断で姿を消すのであれば、怪我でもして動けないということもあるかもしれない。

 だが、ベンに関しては少しも心配していなかった。彼が姿を見せない理由はわからない。気にはかかるが、きっとナンシーとの間に意思疎通の不備でもあったのだろう。昨夜のナンシーは――ジム自身がそうだったためあまり言えないが――ずいぶん酔っていたと聞いている。昨日話した限りでは、ベンは頼れる大人の男であり、彼らの助けは必要なさそうだった。きっとどこかですべきことをしているのだろう。

 つまりこの探索は、ジムにとってはメイナードを探すためのものに等しかった。そして彼にとって、ベンはまだしも、メイナードはさほど優先度の高い人間ではなかった。

 それでも彼が協力的なのは、女性陣と親しくしておきたいからだ。特にジェシカとイヴェット――このふたりに協力的に振る舞って、好感を持ってもらえれば御の字だ。

 ジムはイヴェットを好ましく思っていた。彼自身あまり積極的な性格でないからか、彼は控えめな女性が好きだった。ペネロピも控えめな様相ではあったが――おそらく彼女は彼のような男に見向きもしないだろう。

 イヴェットともう少し話がしてみたかった。これはサディアスには言わなかったが、彼自身の意見だった。さすがに、昨日会った女性と特別な関係になりたいとまでは言わないが、彼女のことを知りたかったし、彼女に自分のことを知ってもらいたいとも思っていた。

 そして、それとは別にジェシカとも話しておきたかった。

 こっちは自分のためではなく、サディアスのためだ。昨夜はジェシカよりもサマンサのほうがいいのではと思ったが、彼女はゲイリーとふたり広場に残った。

 ゲイリーはサマンサを疎ましく思っている。それは明らかだったが、サマンサがそれを気にしていない。あそこにふたり残ったことで、彼らの仲が進むかもしれない。ないとは思うが――絶対とは言い切れない。もしサマンサの興味を兄――サディアスに向けるのが難しいようなら……。

 ジムはプラチナブロンドを通り越して、先頭の黒い頭を見つめる。細かくウェーブのかかった髪。すっと伸びた背筋。体にぴったりとフィットしたシャツとショートパンツから、長い手足が伸びている。

 ――ジェシカ。彼女は兄に興味を示すだろうか?

 なんにせよ、ふたりが見つかってからだ。こんなトラブル中にアプローチするのはまずい。特に彼女は救助に積極的だ。

 本来なら――兄弟の都合を考えるなら、サディアスはこっちの組に混じったほうがよかった。だが、ジェシカが不安定なナンシーに肉体的に頼りになるサディアスをつけたがった。

 現状ジェシカとゲイリーが場を仕切っている。ゲイリーが残った今、ジェシカとナンシーは別れる運命にあった。誰かが率先して場を引っ張っていかなくてはならない。ジムたちの組ではそれはジェシカで、サディアスの組ではナンシーだった――彼女が役目を果たせているかはわからないが。

 兄があのふたりとどんな会話をしているかを考えると、ジムは苦笑せざるを得なかった。普段のナンシーとなら彼も楽しく話せるだろう。だが女の精神的な弱々しさをサディアスは嫌っていた。ペネロピは完全に追従するタイプだし、あの調子だと、サディアスが音頭を取らざるを得なさそうだ。合流するころにはきっとうんざりしているだろう。

「ジム?」

 目の前の頭が振り返った。イヴェットの緑の瞳とかち合って、ジムは慌てて目を逸らした。彼は女性と目を合わせるのが苦手だった。

「な、なんだい」

「出身はどこなの、って聞いたの」ジェシカが言った。

「ああ……北部の小さい町だよ。聞いたことないと思う、何もないところだから」

「田舎出身の人が多いのね。少し疎外感」

 ジェシカは自分の出身地として東部の大きな都市の名前を挙げた。ジムは昨夜の酒宴でペネロピの出身地を聞いていたが、彼女も聞いたことのない町の出だった。この様子だと、ジェシカとよく話していたイヴェットもメイナードも田舎の出身なのだろう。

「兄弟仲がいいのね」イヴェットが言った。「うらやましい」

「そうかな? 普通だと思うけど」

「大きくなってから兄弟だけで旅行なんてなかなかしないわよ」ジェシカが言った。「サディアスも外見は……ごめんなさいね、ちょっと怖いけど」

「いいよ」ジムは苦笑した。「事実だから」

「でも酔ったあなたに水を運んだりして……そんなに怖くないのかもって思ったわ」イヴェットが引き継いだ。「そうだと嬉しいのだけど」

「そうだったの。気がつかなかったわ」ジェシカが驚きの声をあげた。

「きみは酔っていたから」

 ジェシカは照れくさそうに笑った。「ごめんなさい。でも、それを聞いて安心したわ。サディアスにあっちの組に入ってもらってよかった。きっと頼りになるから」

 それからハッとした様子でジムの顔を見て「もちろんあなたのことも頼りにしてるのよ」と言った。

 ジムはゆるやかに首を振った。

「いいんだよ。サディアスと比べると……僕が頼りなく見えるのも事実だから。それでも頼りにしてくれるのなら、僕も期待に応えるよ」

 ジェシカはホッとした様子で頷いた。イヴェットも肩の力を抜いて、三人は先ほどより和やかに島を進んだ。

 ジムはサディアスと比較されることに慣れきっていた。彼の回りの人々は――親から近所の子供まで――彼と兄を比較し、優劣をつけた。それに怒るのはいつも優とされるサディアスのほうだった。ジムは何も感じなかった。サディアスがほとんどの面で優れているのは事実だったからだ。

 物事をそのように俯瞰して見れるのがジムにあってサディアスにない部分だった。彼はあらゆる人間からサディアスより劣っていると思われていたが、サディアスだけは彼を自分と対等の――場合によっては自分より優れているものとして扱った。彼にはそれが心地よかったし、だからこそ自分の力を兄のために使おうと思えた。

「サディアスはいいやつだよ」ジムは言った。「ああいう顔つきにあの体格だから、誤解されることも多いけど、本当は楽しくて優しいやつなんだ。ベンとメイナードが見つかって、またバカンスが再会したら……是非話してみてほしい」

 ジェシカが振り返って笑った。「そうね。楽しみだわ」

 彼らはしばらく無言で歩いた。川と海の音が聞こえ、木の葉がさざめいて、彼らの歩む空間を切り離した。ジムの意識は段々と自然に移り、彼は森林浴をしている気分に浸った。

 島には沼や川、洞窟などがあるとナンシーは言っていた。洞窟は島の東側――サディアスたちの歩くルートにある。沼は島の北、中央寄りにあるので、帰り道でなければ見ることができない。彼らは島の反対側で合流してから沼を通り、まっすぐ縦断して戻ってくる予定でいた。サディアスたちは洞窟を見てこなければならないが、島の西側のほうがより湾曲しており、歩く距離は長い。合流地点へは同じころにつくと考えられた。

 彼らは人がいそうな岩場や特徴的な地形に優先して立ち寄った。目を引く場所であれば、特にメイナードが近づいた可能性は高いからだ。彼が行方不明になったのはおそらく夜で、その際何がどのくらい視認できたかは定かではないが――そうでもしなければ探索のとっかかりがなかった。

 そうして一時間ほど歩いた。陽も出てきたので彼らは汗を掻き、水も消費された。ジェシカとジムはよく飲んだが、イヴェットはナンシーからもらったペットボトルには手をつけず、腰につけた水筒の中身をちびちびと飲んだ。

「きみの分もあるから、必要ならいつでも言ってくれよ」

 ジムの言葉にイヴェットは曖昧に頷いた。

 島の対岸は崖のようになっているので見ればわかるとナンシーは言った。しかし道中では自分たちがどのあたりにいるか大まかにしかわからない。三人は一度休憩を取ることにした。おあつらえ向きに開けた場所があり、座るのによい石や切り株があったので、彼らはそこに腰を下ろした。

「見つかるのかしら」

 イヴェットがぽつりと言った。既に予定時間の半分を歩いている。順調に来ていればもう島の中程のはずだ。ここまで反応がないということは、メイナードとベンは島の中央寄りにいるか、更に奥にいることになる。もしくは――。

「私たちの声が聞こえない、とか」

 ジェシカの言葉に空気が重くなる。もしも彼らが怪我をしていたら、もはやバカンスどころではないだろう。

「サディアスたちが見つけているかもしれない」

 ジムは言った。それは願望めいていた。彼には妙な不安があった。何かはわからない。わからないが――いつもと違う。

 彼は今まで兄とふたりでいろいろな土地へ行き、兄のための女を探した。都会が多かった。コーレルのような田舎へ来たのはきまぐれだ。めずらしく無人島ツアーなんぞに参加し、少数の他人と交流を深めた。朝起きたら人がいなくなっていて、それを探しに森へ出た。何から何まで初めてだ。そういう意味で、日常と今とはかけ離れている。しかし、それとはまったく異なる、もっと根源的な部分で、彼は胸のざわつきを感じていた。

「行きましょう」ジェシカが立ち上がった。「はやくみんなと合流しなきゃ」

 三人は再び歩き出した。ふたりを呼ぶ声には力がなかった。特にイヴェットの声は消え入りそうで、たびたびジェシカがフォローに入った。

 そうして少し歩いたころだ。ジムがメイナードの名前を呼んだとき、声が聞こえた。

「静かに!」

 ジェシカが言って、彼らは耳を澄ませた。風が葉を揺らす隙間をぬって、後方から小さく声が聞こえてくる。男のものだ。

 走り出そうとするジェシカをジムは止めた。声が怒りを帯びていたからだ。おまけにこちらに近づいてくる――。

 注意して聞くと、その声は女の名前を呼んでいた。ここにはいない女の名だ。

「ゲイリー?」ジムは呟いた。

「え?」ジェシカは目を眇め森の奥を見る。

 彼らの位置から人影は見えなかったが、何かが近づいてくる音はあった。合間にサマンサを呼ぶ男の腹立たしげな声。

 それには皆聞き覚えがあった。バンガローで待機しているはずのゲイリーだ。

「ゲイリーなの?」ジェシカが声を張り上げた。

「ジェシカか?」声の調子は一気に変わった。怒りと疲れから、焦りと安堵を帯びたものへ。少しすると木々の間からゲイリーの影が見えた。こちらを認識すると足早に近づいてくる。足元はふらついていた。三人が見ている短い間に、彼は何度か木々や草につまずいた。

 ゲイリーは息荒く彼らの元へ着いた。朝方には留めていたはずのシャツのボタンはすべて外れ、タンクトップの胸元は汗で光っている。顔も赤く火照っていた。

「どうしたんだ、いったい?」ジムが尋ねた。「何かあったのか?」

「サマンサを、探してる」ゲイリーは途切れ途切れに答えた。ずいぶんと疲れている。

「バンガローからここまで?」

「森の中に消えたんだ」

「サマンサと何かあったのか」

「呼んでも戻ってこなくて」

「ちょっと待って」ジェシカが割って入った。「いったん落ち着きましょう。ジム、水を出してくれる? イヴェットの分が残ってるから――あげてもいいわよね?」

 イヴェットは頷いた。ジムはナップサックから手のついてないペットボトルを取り出しゲイリーに渡す。ゲイリーは短く礼を言って中身をあおった。水が口の端からこぼれて胸元を濡らす。それを打ち消すように彼は首筋にも水をかけた。

「会えてよかった」

 ゲイリーがだいぶ落ち着いたのを見計らってジェシカが口を開いた。

「何があったか教えてくれる?」

 ゲイリーは一瞬気まずそうに視線を逸らした。「サマンサに誘われたんだ」

 ジェシカは眉をひそめた。ジムも内心苦虫を噛む。ゲイリーは続けた。

「つまり……その。みんなが帰ってくるまで、いいことをしないかってさ。もちろん断ったよ、そんなことをしている場合じゃないし、それに――サマンサのような女は好きじゃない。だがあいつは自分に妙な自信を持っていて――俺が絶対に誘いに乗ると確信していた。広場じゃまずいから森でしようと言って、森の中に消えたんだ。何度か名前を呼んでも戻ってこなかった。返事すらしなかったんだ。それで、いい加減おかしいと思って探しにいった。そうしたら、サマンサはいなかった」

「いなかった?」

「人を誘ったんだ、すぐそこにいると思うだろ? だがバンガローの近くにはいなかった。さんざん探したんだ。どうするか迷ったんだが、近くにいるならまだ追いつけると思った。あいつが俺の気を惹くために隠れてるなら、俺が森に入ったとわかったら近づいてくると思ったしな」

「それでここまで歩いてきたの?」イヴェットが言った。

 ジムたちはもう一時間以上歩いている。島のだいぶ奥まで来ているはずだ。ゲイリーは渋い顔をした。

「確かに――妙な話だよな。あそこに残る役目があったのに、放棄してきちまった。だが不安だったんだよ。ふたり姿が見えないうえに、さっきまで一緒にいたやつが急にいなくなって……もしかしたらこの島には何かあるんじゃないかって、そう思っちまったんだ。最初は確かにサマンサを探しに森に入ったが……だんだんと誰かに会いたくて仕方がなくなってた。俺以外の人間がまだいるって思いたかったんだよ」

 ゲイリーは目を伏せた。彼はバンガローで別れたときより弱々しく見えた。ジェシカが彼のそばへ行き、そっと背を支えた。「ありがとう」と彼は言った。気持ちのこもった言葉だった。

「ナンシーがここにいなくてよかったわ」ジェシカは言った。「とにかく、サマンサもいなくなった。これからは彼女も探しましょう。ナンシーたちと合流したらそのことも伝えなくては」

 彼らは頷いた。もはやバカンスという言葉はもっとも遠いところにあった。彼らは三人の名前を呼び、歩き続け――誰とも会わないまま崖まで到達した。

「二時間くらいか」ジムは時計を見た。正確には出発してから一時間四十八分だった。途中で休憩を取ったりゲイリーと合流したりしたことを考えると、予定よりだいぶはやい。サディアスたちはまだ着いていなかった。

「見つけているといいんだけど」イヴェットは言った。

 ゲイリーは崖の縁に座りこんでいた。「そうであることを願うよ」

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