一日目・1
桟橋には八人がいた。男と女が四人ずつだ。容貌や醸す雰囲気はバラバラで、いかにも夜の仕事をしているといった女もいれば、休日のよき父といった雰囲気の男もいる。互いに初対面のようで会話は少なく、多くが手持無沙汰に立ち尽くしていた。彼らの足元にはジェシカの持つのと似た大型のバッグが置かれている。
「来ましたよ」
ひとりの女がジェシカに気づき声をあげた。視線が一斉に注がれる。ジェシカはスポーツバッグを抱え直すと小走りで一団に近づいた。
「ごめんなさい。遅れたかしら」
「そんなことないわ。ぴったりよ」
先ほどと違う女性が言った。小麦色の肌をした若い女だ。長いブロンドをひとつにまとめ、野球帽をかぶっている。顔立ちはあどけないが、黄色のタンクトップから覗く控えめな胸とスレンダーな体は引き締まり、健康的な色香があった。快活な笑顔で彼女はジェシカに握手を求めた。
「ガイドのナンシーよ。よろしく。あなたがジェシカね?」
「私が最後?」
「ええ。自己紹介をしたいかもしれないけど、揃ったことだし出港しましょう」
ナンシーの言葉に桟橋の人間は次々と荷物を持った。少し離れたところに立っていたスキンヘッドの大男が、隣にいた小柄な青年を小突く。ふたりは親しげで、この場の少ない会話のほとんどが彼らによるものだった。
真っ先に乗り込もうとする彼らを眼鏡の男が制した。
「レディ・ファーストだ。だろう?」
青年は苦笑し、大男はうんざりとした顔で空を仰いだ。男は気にした様子もなく女性陣を促す。娼婦風の女がさも当然といった様子で乗り込み、清楚な服装の女がそれに続いた。ジェシカも促され船に乗る。その後に最後の女性と、男たちが乗り込んだ。
ナンシーはいまだ桟橋にいて船長と打ち合わせている。八人は狭い船内で思い思いの場所に陣取った。
ジェシカは船尾に設置された長椅子の桟橋側に座った。心地よい揺れに身を委ねていると、近くに誰かの腰かける気配がした。
長椅子の反対端に、彼女の後で乗り込んだ女性が座っていた。ショートボブは綺麗なプラチナブロンドで、日光を浴びて煌めいている。彼女は荷物を膝の上に抱えて俯いていた。
「ねえ」
ジェシカの声に彼女はびくっと体を震わせた。おそるおそる顔をあげる。瞳は淡いグリーンだ。
「私はジェシカ。あなたは?」
「……イヴェット」
「よろしく、イヴェット。楽しい四日間になるといいわね」
ジェシカが差し出した右手をイヴェットはそっと握った。ジェシカは力強く握り返す。瞬間イヴェットは驚いた表情を浮かべたが、すぐにはにかんだ。
「よろしく、ジェシカ。仲良くしてくれると……嬉しいわ」
「当然よ」
ジェシカは荷物を持つとイヴェットのすぐ横に座り直した。イヴェットは抱えていた荷物を床へと下ろす。
「イヴェットは幾つなの?」
「二十一。あなたは?」
「二十三よ。近いのね。どうしてツアーに?」
船は間もなくジャレ島へと向かう予定だった。二、三時間ほど行ったところに浮かぶ無人島で、よく言えば緑豊か、悪く言えばそれしかない。面積は二平方キロメートルほどで、コーレルから派遣された男がひとりで管理しているらしい。そこはまた、『あなたも無人島で原始生活! 文明から離れてリフレッシュしませんか?』とのフレーズを掲げてこの町が主催するツアーの舞台ともなっていた。
「私……人のいないところが好きなの。人が多いと危ないことも多いから……一度、こういう場所でなんの気兼ねもせずにゆっくりしてみたくて」
俯きがちに話すイヴェットは頬を赤く染めている。そのさまから彼女がかなり内気な性格であることをジェシカも察した。
「ジェシカはどうしてツアーに?」
ナンシーが乗船してきてふたりは話を中断した。彼女が渡し板を外すとエンジン音がし始め、船はゆっくりと桟橋を離れる。ジェシカとイヴェットは振り返り離れていく港を見つめた。繋留している船は多いが人影はほとんどない。静かな町だった。
「皆さん! ジャレ島三泊四日ツアーにご参加いただきありがとうございます!」
ナンシーの溌剌とした声にふたりは視線を船内に戻す。船尾の中央にナンシーは立ち、ぐるりと周囲を見回した。
「今回はなんと! 八名もの方にご参加いただきました! 団体以外でこんなに集まるのは初めてなんですよ! 是非、皆さん仲良くなって帰ってくださいね!」
左舷に立っていた眼鏡の男が拍手した。清楚な格好の女とジェシカ、イヴェットがそれに続く。「どうも、どうも」ナンシーは笑顔で礼をした。
「島にはバンガローが四つありますので、ふたり一組で使ってもらうことになります。どうしてもひとりで休みたいという方は、テントをふたつ用意できますので言ってください」
「あなたはどこで寝るの?」娼婦風の女が尋ねた。
「島の管理をしている方が私たちの世話もしてくれます。テントが空いていたならテントで、そうでないなら彼の小屋で寝る予定です」
「バンガローにはベッドがあるんでしょ。テントよりはそっちがましだわ」女は興味なさげに呟いた。
「一緒に使わない?」ジェシカはイヴェットに耳打ちした。イヴェットはジェシカを横目に小さく頷いた。
「島は二平方キロほど。美しい海と豊かな自然の宝庫です。海水浴もできますし、釣りもできます。用具は貸し出せますが、数には限りがありますので先着順です。森は静かで森林浴に最適ですし、沼や川、洞窟なんかもありますからちょっとした探検もできますよ。私たちを島に降ろしたら船は町に戻りますから、まさしく文明と離れた生活ができるわけです。動物はほとんどいないので危険はありませんが、万一何かあっても島には無線があります。連絡すればすぐに船が来てくれることになっていますから、安心してくださいね」
「無線が壊れたら?」
口にしたのは右舷側でそれまで海を眺めていた男だった。細身だがしっかりとした体つきで、何より端正な顔立ちをしている。海を背に、腕を組んで皮肉げな笑みを浮かべている姿がいやにさまになっていた。
「変なことを言わないでくれよ」眼鏡の男が苦笑した。相手は悪びれる様子もなく肩を竦める。
「そうですよ。それに万一無線が故障しても、四日目の朝にはきちんと帰りの船が来ますからね! 大丈夫ですよ」
ナンシーは右舷の男に笑みを向けた。男は小さく微笑み返すと視線を海に戻した。
「食事のことなんかについては島についてから話すとして、まずは自己紹介をしましょう!」ナンシーは手を叩くと一同を見回した。「皆さん既にご存知かと思いますが、私はガイドのナンシー。あの町で生まれ、あの町で育ちました。こうしたひっそりとしたツアー以外特に見どころはないですが、結構いいところですよ」
言い終えたナンシーは眼鏡の男を見やった。「メイナードさん。次、お願いできますか?」
「喜んで」メイナードは胸に手を当てると仰々しく頭を下げた。「僕はメイナード。まあ、取り立てて言うほどのことでもないですが、会社員をしてます」
メイナードは背が高く金髪で、メタルフレームの眼鏡をかけていた。ピンクのポロシャツは清潔で皺ひとつない。ここまでくればどこか神経質に見えそうなものだが、絶えず浮かべている笑みのせいか印象はとても柔和だった。
メイナードは彼の左手にしゃがんでいた清楚な容貌の女に声をかけた。「次はあなたにお願いしても?」
彼女は頷くと立ち上がった。「ペネロピといいます。司書をしてました。今は……知り合いを探して、あちこち旅してます」
ジェシカたちとそう変わらない年頃だろうに、ペネロピは老成した雰囲気をまとっていた。無人島に似つかわしくない長袖のブラウスと長いスカート姿で、肩にまっすぐ落ちる茶髪はさらさらと海風になびいた。
「このツアーにも知り合いを探して?」
メイナードが尋ねた。ペネロピは笑って首を振る。
「ツアーに参加したのは気分転換。たまにはこういうこともしないと」
自己紹介は時計回りに進む流れとなった。ペネロピの横は操舵室だったので、次は右舷側に連れ立っているふたりの若い男の番だった。スキンヘッドの大男は腕を組んで操舵室の外壁に凭れている。小柄な男のほうは大男を一瞥すると口を開いた。
「僕はジム。こっちはサディアス。兄弟なんだ」
ふたりは驚くほど似ていなかった。サディアスはメイナードを凌ぐ大男で、白のタンクトップから突き出た丸太のような腕には蛇柄の刺青がある。ジムはサディアスと並んでいることを差し引いても小柄だった。女性陣とそう変わらない。彼は猫背気味で、下から見上げるようにして話し、細い腕で頻繁に長い前髪をかきあげた。
「無人島っていうから、どんなところかと思って参加した」
「普段と違う場所で、違う趣向で楽しみたいと思ってな」ジムの後をサディアスが継いだ。「短い間だが仲良くしようぜ」
サディアスは野性味の中に傲慢さが混じった笑みを一同に向けた。隣のジムの卑屈な笑みがふたりの対照性をますます際立たせた。
彼らの次は先ほどの美丈夫だった。一同の注目に自分の番が来たことを察し、彼は再度船内に向き直った。
「俺はゲイリー。二十七歳」
「近いね。僕は二十八だ」メイナードが言った。「よろしく」
ゲイリーはそれに答えなかったが、含みのある笑みをメイナードに向けた。メイナードは変わらぬ微笑でそれを受けた。
「都会に飽き飽きして参加した。どうせなら人のほとんどいないところに行きたくてね」
ジェシカは横目でイヴェットを見たが、イヴェットは気づかなかった。彼の自己紹介は終わり、次はジェシカの番になった。
「私はジェシカ。二十三歳。ジムのインストラクターをしてるの」
「確かに引き締まってる」ナンシーが言った。言葉に親しみが増している。
「ありがとう。ツアーに参加したのは……傷心旅行ってとこ。よろしく」
イヴェットが驚いてジェシカを見た。「何かあったの?」
ジェシカは苦笑し、イヴェットの横腹を小突いた。「あなたの番よ」
イヴェットは慌てて畏まる。「イヴェット。学生です。よろしくお願いします」それだけ言うと口を噤んだ。
イヴェットとメイナードの間の床には娼婦風の女性が座っていた。彼女は首を少し傾け、唇の端に笑みを浮かべた。
「私はサマンサ。仕事は……見ればわかるわよね。ちょっとした気まぐれで参加したんだけど、いいメンバーに巡り合えたみたいでラッキーだわ。よろしくね」
サマンサは豊かなブロンドをかきあげた。濃い化粧と肉体を強調する服装は、言わずとも彼女の職業を容易に想像させた。ねっとりとした視線は主に男性陣に注がれている。ほとんどの人間は意に介していないようだったが、ジムだけは頻繁に彼女から視線を外した。
「これで皆さんお知り合いになったわけです」そう言ってナンシーは腕時計を見た。「今は昼過ぎですから、着くのは夕方ごろになります。食事がまだの方は早めにお取りください。空腹は船酔いの敵ですし、着いたらすぐ夕食ですからね!」
話終えるとナンシーは軽く会釈をし、操舵室に入っていった。残された八人の間にはなんともいえない空気が漂う。それぞれの名前はわかったものの、打ち解けるにはこの船は狭すぎた。
結局各々で船上での時間を潰すことになった。サディアスは介入を許さないと体中で語り、海を眺めながらときおりジムと会話した。ペネロピとゲイリーも海を見ていた。サマンサだけは海よりも同乗者に興味があるようだった。
ジェシカは持参したサンドイッチを広げ、イヴェットに尋ねた。「あなたは食べた?」
「ええ、乗る前に。ある程度消化してからが酔わないって聞いたから」
「準備万端ね」ジェシカはサンドイッチを頬張った。ハムサンドだ。
メイナードは屈みこみ足元の鞄をあさっていた。パンの包みが出てきたのを見て、ジェシカは彼に声をかけた。
「一緒に食べません?」
「もちろん」メイナードは笑った。「嬉しいよ」
長椅子にはもうひとり座れたので、ジェシカはイヴェットの側により、自分の隣にメイナードを座らせた。メイナードは大きな体を縮ませ腰を落ち着けると、膝の上に包みを乗せた。
「ツナサンド?」
「よくわかったね。そうだよ」
「鼻がいいの」
食事をしながら彼らは互いの話をした。年齢、出身、職業。相手への興味というよりも、場を持たせるための会話であるといったほうが正しかった。彼らは誰ひとりとしてこの町の出身ではなかった。おそらく他の人間もそうだろう。緊張で口数の少ないイヴェットをジェシカとメイナードがそれとなく気遣い、思いのほか会話は弾んだ。
「きみたちみたいな若い子と知り合いになれて嬉しいな。楽しい旅になりそうだ」
「まだ二十八なんでしょ? オジサンみたいなこと言うには早すぎるわよ」
メイナードは肩を竦めた。「かもね。でも、おそらく僕が最年長だろう? そんな気分にもなるよ」
彼の言う通り、乗船者は一様に若かった。厚い化粧で肌を覆っているサマンサでさえ、立ちふるまいから若者特有の力強さを感じさせる。「頼りにしてるわ」ジェシカは笑った。
メイナードは小さく頷くと、ジェシカの向こうを覗き込んだ。
「イヴェットも。何かあったら言ってくれていいからね。僕でできることなら力になるから」
「ええ。ありがとう」
イヴェットは細い声で答えた。エンジンの音で掻き消えそうなほどだったが、メイナードの耳には届いたようで、彼は満足げに笑った。
「メイナード」ジェシカはからかう口調で言った。「私たち、ふたつしか違わないのよ? それでも若いほうがいい?」
「なに言ってるんだ」メイナードは身を引いた。「そんなわけないじゃないか」
「だってあなた、イヴェットの方ばかり見てる」
イヴェットがメイナードを見やった。彼女は驚いた顔つきでジェシカとメイナードを交互に見る。
「馬鹿言うな」メイナードの顔から初めて笑みが消えた。ジェシカは口を噤む。
メイナードは苦笑した。取り繕うようだった。
「違うんだよ。その……イヴェットの方を見てたとしたら、きみの髪の色がめずらしかったからだ。僕の周りにはプラチナブロンドの子はいなかったから。気分を害したなら、本当にすまない」
「いいえ」イヴェットは言った。「気づかなかった……気にしてないわ」
メイナードはほっと息を吐いた。それからジェシカを見て、「そんなに見ていた?」と尋ねた。
「さあ」ジェシカは曖昧に答えた。「気のせいかも」
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