12 だから、僕は
ハロー、王都。
人生初の馬車では酔って、嘔吐しそうになったよ! 王都だけにね。
なんて軽口を叩いているのは、緊張しているからだろう。ローマの神殿みたいな魔法研究所には、ローブを着たひとがうようよしていて、冒険者風の服を着ている僕は目立つ目立つ。
いや、目立っているのは服装のせいじゃないよね。デュラハンだからですよね。しかもドロドロしてますしね。
完全に「新種の魔物を捕獲してきました」状態。一緒にいるのが、ギルドの高位者ヘインズさんなのだから、余計にそう見えることだろう。
視線が飛んでくるので、右手を挙げて挨拶してみたら、ビクっとなって逃げられた。
「レイ、大丈夫か?」
「慣れてますんで」
ブラッディ・ハンド時代から、こんなもんですよ、ええ。
いまにして思うと、僕はブラッディ・ハンドの見た目をしただけの人間だったので、そりゃ呼んでも誰も来ないわなっていう。
向こうにしてみれば「いや、おまえ仲間じゃねえし」ってところだろう。指図される謂れはない。ごもっともです。
そう考えると、同じブラッディ・ハンドとして戦闘に出ていた先輩たちは優しい。見た目に反して、紳士じゃん。仲間あってのブラッディ・ハンドだから、他者との関係性を大事にしていたんだろうか。魔物の生態は奥深い。
ヘインズさんがアポは取ってあるので、僕たちは所長室へ向かっているところだ。サレヒト・ダストールさん、どんなひとなんだろう。
辿りついた扉をノックして来訪を告げる。男の声が返ってきたことを確認してから、室内へ。
深緑色のカーペットが敷かれた床、そこかしこに設置された観葉植物。まるで森の中にいるような感覚で、長くそこで過ごしていた僕にとって心地良い雰囲気だ。
部屋の奥にある机に座っていた男が立ち上がった。職員が着ていたものと同じ黒いローブだけど、銀色の紐みたいなものがいくつもぶら下がっている。
白いものが混じった濃い灰色の髪と、赤茶色の瞳。四十後半に差し掛かったばかりと聞いているけど、年齢よりも老けてみえた。
「レーゼル……」
呟いて、ゆっくりと近づいてくる。
近くで見ると、すごく背が高い。深く刻まれた皺、唇が震えていて、なかなか次の言葉を発せないようだった。
これは僕から歩み寄るべきなんだろうけど、どうしたものか。この世界の常識に疎いもんだから、突拍子もないことをしかねない。先生、助けてー。
「サレヒトさん、彼がレイです」
ヘインズ先生のナイスアシストを経て、僕はサレヒトさんの正面に立つ。
足元から、見えない頭まで。視線を何度も上下させ、彼は僕の存在を確認していく。
「あの、僕はこんな姿で、本当に皆さんが言う人物なのか、定かではないんです。すみません」
「別人だったとしても、今の君は外見がかなり歪んでいる状態だ。元の姿を取り戻す手助けをするのは、研究所の人間として当然のことだよ」
サレヒトさんは微笑んで、僕の肩に手を置いた。ぷんと、なにかの香りが鼻に届く。
なんだっけ、この匂い。どこかで覚えがある。薬草の類かな?
つい、鼻をクンクンさせていると、サレヒトさんがそれに気づいた。
「すまない、薬の調合をしていたんだ。かなり独特の匂いがするから、気に障っただろう」
「そんなことはないですよ、むしろなんか懐かしいというか、どこかで
材料はなんですか? と問いかけると、サレヒトさんと、ついでにヘインズさんも僕を凝視した。
あれ、なんかヘンなこと言いました?
「……これは、研究所の中でのみ使われている調合薬なんだ。外部に持ち出すことは禁止されているし、製法が特殊なため、今は別のものを使用するようになっている。僕自身、久しぶりにこれを作った。レーゼルが見つかったと知って、あの子がうちにいたころに、よく使っていたことを、思い、出して……」
言いながら、サレヒトさんの声が震えだす。
もう随分と作られていない、懐かしの薬。いわば復刻版。その匂いを知っているということは、つまり僕は。
「レーゼル」
サレヒトさんが僕を掻き抱く。
分厚い生地のローブの肌触り、薬の匂い、低いけど柔らかな声。すべてが僕を包む。
「ずっとずっと捜していた。残滓を探っても見つからないが、
背中にまわった腕にちからが入る。嗚咽まじりの告解に、僕はなんと応えればいいのかわからない。
「レーゼル、顔を見せてくれ」
「わからないんです。僕は、どんな顔をしていたんでしょうか」
「大丈夫だ。僕は覚えてるよ。忘れたことなんてない。目元がロウナによく似ていた。同じ黒髪だからかな、本当にそっくりだったんだ。耳が少し尖ったような形をしていてね、そうそう左耳の付け根に
サレヒトさんが急に若々しい口調になって、僕の顔立ちについて語りはじめた。
きっとこれが、素の姿なんだろう。所長なんていう立場にあるから、普段は取り繕う必要があるだけで。四十代の男性に言うのもなんだけど、可愛いひとだ。
なんだかくすぐったくて、心があったかくなる。
養父がどんなひとなのか、じつはすごく不安だった。前世でお世話になったおじさんのことを思い出して、ちょっとだけ気が重かった。
でもこのひとは違う。すごく自然に信じられた。サレヒトさんは、僕のお父さんだ。
僕を覗き込んでいるのは、光の加減によって、赤にも茶色にも見える瞳。
――レーゼルの瞳は綺麗だな。瞳の色は属性と加護に関係すると言われている。おまえはたくさんの精霊に愛されているということだ。
――じゃあぼくも、父さまみたいなすごい魔法使いになれる?
――魔法使いになりたいのか?
――うん。だってぼくは父さまの子どもだもん。
色が一定していない自分の瞳が嫌いだった。
みんなと違うのが不思議で、鏡も見たくなくなった。
そのうち、知る。
王子だから。
だから、悪い意味で特別なんだ、と。
こんな目玉、くりぬいちゃえばいいんだ。
そう思っていたとき、あの子が言った。
――きれいないろね。
空みたいな蒼い瞳の女の子が、褒めてくれた。
王子だから誘拐された自分と違って、ちっとも関係ないのに巻きこまれてしまった女の子。
知らない大人に囲まれて怖かったけれど、繋いだ手のあたたかさに救われていた。
けれど、ここを出たら一緒に遊ぼうと約束をしたその子と引き離されて、女の子は大人たちにひどいことをされて、もう泣き声すら発しなくなって。
あの綺麗な空色の瞳は、濁った曇り空になってしまった。
あの子を助けたいと思った。
助けなくちゃいけないと思った。
だってぼくは、父さまみたいな、立派な魔法使いになるのだから。
「……父さま、僕は、魔法使いになりたかったのです。父さまみたいな、すごい魔法使いになるんだって思っていたけど、うまくできてなくて。なにひとつ、うまくできなくて」
森の中に転移して、僕は自分が失敗したのだと思った。
あの子を救えなかった。
あの子を置いて、僕だけが逃げてしまった。
なんて嫌な奴だろう、駄目な奴なんだろう。
僕は僕が嫌いだ。王子になんて生まれなければ、きっとこんなことにならなかった。
王子の僕なんて、いなくなればいい。
ドロドロになったまま、消えてなくなってしまいたい。
「だから、僕は」
身体を消した。
心を消した。
思い出を、過去を消した。
だけど、繋いだ手のあたたかさだけは覚えていたのか、右手だけは残ってしまった。
残された身体で、僕は誰かを呼んでいた。
記憶にない誰かを求めて、右手を掲げていた。
「レーゼル」
サレヒトさんの瞳に、なにかが映っている。黒い髪の男だ。
僕は右手を伸ばして、額に触れた。長い前髪を掻き分けると、視界が明るくなった。
世界はこんなにカラフルだっただろうか。解像度が急に上がった気がする。
「すごい、髪、ぐっちゃぐちゃだね」
これはたしかに整えたくなる長さだし、櫛を通したい。ってか、洗いたい。シャンプーさせてください。
「レイ」
「なんですか?」
ヘインズさんが、どこから持ってきたのか、鏡を差し出した。二つ折りで、開くと蓋部分がスタンドになる鏡。うわ、こういうの異世界にもあるんだ。
受け取って、僕は自分を映してみる。
長い前髪を掻き分けて出てきた顔は、玲の顔とは似つかないものだった。
黒い髪だから日本人っぽくはあるけど、伸ばしっぱなしのロン毛は不衛生極まりない。
髭も生えてるけど、こちらはそこまで伸びてないみたい。玲のときも、僕はどちらかといえば薄いほうだったので、馴染みがある感覚だ。
「父さま、お願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「風呂に入りたい」
切実に。
重々しく訴えると、サレヒト・ダストール氏は一瞬の間ののちに破顔して、楽しそうに笑った。
目元の涙が光って、ポロリと零れ落ちた。
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