10 化け物のような子ども
僕が魔法を使ってマルティナを救った?
いや、それ以前に、マルティナが。ゼクさんが到着したときに血まみれだったっていうマルティナは、犯人によって一度は殺されていた……?
ぞっとした。
だって、マルティナが。
あの、
一度は死んだ、なんて。
「レイ」
ゼクさんが僕の
そして、泣きはらした目からもう一度涙を溢れさせて、絞り出すように言った。
「ありがとう。おまえのおかげで、マルティナは今、ここにいる。俺たちが踏み込んだあの時点でも、あの子は危険な状態だったことを考えると、おまえがちからを使わなければ、マルティナは……」
「でも、僕はなにも覚えてなくて」
「それでも。おまえが救ったことは事実なんだ」
本当だろうか。なにも覚えていない僕は、自分に蘇生魔法が使えるとは信じがたいんだけど。
困り果ててヘインズさんへ視線を送ると、心情を察してくれたのか、説明が入る。
犯人の男は、英雄ゼクトルーゼンに含むところがあったようだ。
ゼクさんたちは結構な活躍をしていたから、少なからず恨みを買っているであろうことは自覚していた。第十八王子を攫った連中にたまたまそいつがいて、娘を殺せば、あの英雄だって心が折れるんじゃないかと思ったらしい。
ところが、王子が娘に魔法をかけた。息絶えていたはずの娘は、わずかに動きはじめる。
七歳の子どもが高難易度である蘇生魔法を使い、しかも成功させたことに対し、犯人たちは驚いたし、同時にヤバイと思った。高位の魔法使いを敵にまわすことほど、リスクの高いことはない。この年齢で蘇生魔法を使うのだ。自分たちを殲滅させる攻撃魔法を放つことだって容易いに違いない。
彼らは決断した。早々に王子を殺さなければならない。
しかし、どうやって殺せばいいんだ。驚異的な治癒術を見せられたばかりの彼らは、刃を向けることもできない。
そうこうしているうちに、王子は犯人たちへ顔を向ける。たいして珍しくもない黒髪は、このときばかりは底知れぬ闇のように感じられる。
なにより、王家の血を引く証ともいえる虹色の瞳。刻一刻と変じていく不思議な色に見据えられると、身体の底から震えがきた。
誰かが、薬液瓶を放った。相手を怯ませる目的で用意していた、高濃度の魔法薬。その効能は多岐に渡るが、僕に放たれたそれは、皮膚を
強酸みたいなやつだろうか。それとも、皮膚を溶かすほうなら強アルカリかな。
とにかくそれは僕の頭に当たって、瓶が割れるとともに身体中に振りかかった。
当然ながら悲鳴を上げる。それを機に、犯人たちは所持していた瓶を僕に投げつけはじめた。
彼らにとって僕は、もはや子どもではなくて、歩く殺戮兵器みたいなものになっていたのだ。恐慌状態で、パニックになって、なにがなんだかわからないかんじ。一味のなかにいた魔法の心得がある男が、証拠隠滅とばかりに転移魔法を編む。
彼らの前には、シュウシュウと煙を上げて、溶解と治癒を繰り返し続ける、ひとの形をなしていない塊がある。化け物のような子どもを見たくなかった一同はそれを後押しし、そして僕の姿はそこから消えた。
どこへ跳んだのかはわからないが、あんな状態で生きているわけがない。命があったとしても、元の形を保っているかどうかもあやしいもんだ。
あれは恐ろしい化け物だ。ガキのころに殺して正解だったと思う。
俺たちはむしろ、感謝されて然るべきだろうさ。
そう語った男を殴りそうになったのは、ヘインズさん――ではなく、ともに尋問に立ち会った魔法研究所の所長。母の恋人だった、サレヒト・ダストールさんだったという。誰もが諦めているなか、そのひとだけは、僕の生存を信じて捜索を続けていたそうだ。
なんていいひと。しかも所長さん。めっちゃ出世してる。エリートじゃん。
「君がザラムの森へ送られたのは、あそこは魔物の巣窟だったからかもしれないな。あいつらは王子のことを化け物扱いしていたから、咄嗟にあの森を思い浮かべたのだろう」
「僕がブラッディ・ハンドになっていたのは、身体がドロドロだったからなんでしょうか」
「そうだな。もっとも近しいものに擬態したんだろう。すべて無意識の行動なんだろうが、正しい判断だったんじゃないかと思うよ。それにな、魔の森へ転移したのは、君にとっては良いことだったと思う。精霊魔法は、魔物が使うちからに近いと言われているから」
古の魔法は、原始のちから。後世になって人間が作り上げたものより、魔物が本来持っている要素を過分に含んでいるらしい。
ゆえに扱いが難しいし、魔物化しちゃう人間もいたりする。
ドロドロになった僕は、自己再生をしつづけたのだろう。魔物が住む森には、邪気が満ちている。むしろ、それしかない。精霊魔法は尽きることなく使いたい放題。
邪気を使って自分を再生しているあいだに、本来の姿を忘れてしまった。
だから、ブラッディ・ハンドのままで生きていた。
森の外へ出たことによって、邪気が少しずつ消えていく。
それにともなって、僕は人間の姿を取り戻していった。僕の身体に溜まっていた邪気はマルティナのほうへ移っていき、滞っていた治癒が再開される。
結果、身体の成長が促された、ということらしい。
邪は聖へ変換される。魔力循環という現象だ。
たしかに、ここへ来てから毎日一緒にいた。腕相撲という名の身体接触も多かったしね。先日の急成長に関しては、僕が魔物ではなく人間であることを自覚したせいだろうと、ヘインズさんは言った。
「今もそうだ。君はもう右半分だけの存在じゃなくなった」
「おまえの服を用意しておいてよかったよ、レイ」
僕は自分の左手を久しぶりに眺める。変な気分だ。両手を頭部へ伸ばしてみたら、そこは空洞だった。あれ? 頭はまだないの?
「焦るな。七歳から二十歳だぞ。どんな顔をしているのかなんて、自分で想像つかないだろうさ」
「頭部をすべて覆うメットでもつけるか?」
「いや、それもどうかと思うんですが」
町中でフルフェイスのメットを被ってるなんて、コンビニ強盗みたいじゃないか。
+
部屋から出ると、待ってましたとばかりにマルティナが寄ってきて、綺麗な瞳を丸くして興奮する。
「すごいわ、レイレイ。また大きくなったのね」
「大きくなったというか、質量が倍になったというか」
「それにね、私、聞いたのよ。レイレイのおかげだって」
「……え?」
ギクリとして身体が強張ったけど、マルティナは嬉しそうに僕の両手を取って告げる。
「母さんに聞いたの。私の身体が成長したのは、レイレイのおかげだって。あなたが纏っている邪気が私に移って、私は成長したのよね」
「そうみたいだね。でも、魔物の気配が移ってるみたいで、気持ち悪くない?」
「まさか。魔の要素は原初のちからでしょ。こう見えても私はエルフの血を引いているんだから、それぐらい知ってるわ。治癒のちからに変換されてるのよね。だから、それも嬉しいの!」
手をぶんぶんと上下に振って、本当に嬉しそうに声をあげる。
「私が魔物の邪気を貰って、そのぶんレイレイは人間の姿になっていく。あなたが元に戻る手助けができているのだと思うと、もっともっと貰ってもいいぐらいよ。どうすればいいのかしら。ハグとかすればいい?」
両手を広げるマルティナ。ええっと、これはどうすれば。
戸惑う僕の背後から、ヘインズさんが助け舟を出してくれた。
「マルティナ、少し落ち着け」
「おじさま! どうすればレイレイは元に戻るの? まだ顔がないわ」
「それなんだが、彼を王都へ連れて行こうと思うんだ」
「王都?」
これはヘインズさんの提案。
僕が自分のことを思い出すためには――日本人の玲ではなく、王子のレーゼゲルトであることを思い出すには、王都へ行くのがいいんじゃないかって。
僕をずっと探していたサレヒトさんにも会って、御礼を言ったほうがいいとも思うんだよね。そのひとに会えば、この世界における記憶だって刺激されるかもしれないし。
「レイの家族かもしれないひとが、王都にいるらしい。ヘインズの古巣、魔法研究所だ」
「家族がいるの? 王都に?」
「ああ、だから――」
ゼクさんがマルティナを諭していると、途端にギロリと眼光が鋭くなって、まくしたてた。
「なによそれ。だったらどうしてレイレイを迎えに来ないのよ! どうして、魔物になっちゃったのに放っておいたの。それとも、なに。人間の姿を取り戻しはじめたから、もう怖くないから来てもいいよ、ってそういうことなの!? ふざけないでよ!」
「マルティナ……」
「ねえ、父さん。そんな冷たいひとのところになんて、レイレイを行かせちゃ駄目よ。レイレイはうちにいればいいじゃない、ずっとずっとうちにいればいいのよ。うちの子になればいいんだわ」
父親の腕を引いて、すがりつくように懇願するマルティナに、誰もなにも言えなくなった。
タマルーサさんがどこまで話したのかはわからないけど、僕だけがすべてを聞かされたのは、張本人だからってだけじゃなくて、マルティナへの配慮だ。自分が殺されただなんて、知って楽しいものじゃない。怪我をしたときのことはほとんど覚えてないって言っていたし、思い出さなくていいと思う。
だって僕は覚えているから、あの痛みを。あの、ぬるりとした血の感触は、どれだけ手を洗ったところで、なくなったりしない。
あんなものより何倍も痛い思いをしたはずだ。七歳の女の子が抱えた痛みがどれほどだったのか、想像するだけで怖くなる。
「ねえ、マルティナ。違うんだよ。僕がね、行きたいって言ったんだ」
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