第8話 吸命の鬼 8 普通に暮らしたい
※3話同時投稿 2/3
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「結局のところ、卯月美江は元々〝壊れて〟いました。そうなるべくして育てられたとでも言いましょうか……彼女の判断基準は卯月家と夫の博樹さんのみ。残念ながらというのもどうかと思いますが、彼女は実子である前島樹さんのことは何とも思っていませんでしたよ。少なくとも俺はそう感じました。博樹さんが言うから……というだけ。しかも、いざとなれば自身を回復するためにあっさり『吸命』を使う程度だったのでしょう」
もしかすると『吸命』の使用を繰り返す中で変質していった……という可能性も秋良は考えたが、だからといって結果が変わるわけでもない……と、途中で思考を手放した。対面した際の卯月美江が全て。
「……秋良さん。貴方は卯月美江と話をして……それで終わりですか?」
「ええ。それだけです。あの晩についてはそういうことにしておきましょう。あぁ、卯月家の本家筋の者たちは、現在宗家が厳しく事情聴取をしているようです。恐らく、秘密裏に処断されることでしょう。既に卯月家当主も受け入れていましたよ」
卯月家は生贄として処断される。裏で『吸命』を道具として有力者との取引に使っていたのだ。
卯月美江が死んだことにより、彼女と異能による繋がりを持っていた者たちは軒並みその反動を受けた。
美容の範疇に収まるような若返り程度であれば、その効果が切れ、気分不良を訴えるくらいで済んだが……病を癒やして貰っていた者たちは、より重篤な病を発症したり、突然死した者も多い。
それは財界政界の有力者のみならず、卯月家の内部においてもだ。
「……ふぅ。結局、前島のお兄さんを……樹さんを救う手立ては元々なかったということですか」
「えぇ。前島さんには酷な話ですけどね。……犯人について、その事情について……彼女に伝えるかどうかは甘地さんにお任せしますよ。ただ、卯月家の当主によれば、前島さんのご両親には、樹さんがいつ亡くなるかも分からない状態であると……彼を受け入れる前に卯月家から伝えていたそうです」
「……だからご両親は樹さんの健康状態を気にしていたのか……」
すっかり冷めてしまった珈琲に口をつけつつ、甘地は語る。
前島樹と早苗の父である、前島宗一郎には若い頃に世話になったことがあるのだと。当然に樹のことも知っていたし、まだ高校生だった早苗とも当時から面識があった。
警察官としては私情を挟むわけにはいかないが、百束一門の者としてなら……と、自分を誤魔化して独自に動いたのだが、結局何も変えられなかった。真相らしきものは、残された家族には毒にしかならないようなもの。虚しさが込み上げてくる。
「俺には立ち入ったことまでは分かりません。ですが、前島さんはどんな話を聞かされても、いずれ立ち直ることができる強さがあるのだと……俺はそう思いましたけどね」
「はは。私も知っていますよ。あいつも、親父さんにお袋さんも、もちろん樹さんもだが……前島家の皆はそういう〝正しい強さ〟を持っています」
「我々のような者と違って……ですか?」
「さぁどうですかね。……鹿島さん。この度はありがとうございました。この報告は、いずれ時期を見て前島に伝えようと思いますよ」
珈琲を味わうではなく一気に飲み干し、甘地は席を立つ。同時に奥からマスターが出てきて会計を処理する。時には法や決まりごとを逸脱することもあるが、根は真面目な性分なのだろう。たとえ珈琲一杯であっても、甘地は奢りやサービスを受けることはない。それが彼の引いた一線。警察官としても、私人としても。
「……それでは鹿島さん。マスターも。またお会いましょう」
「えぇ。またの機会に」
「次はゆっくりと味わっていって下さいな」
重厚なドアに似つかわしくない、軽やかに澄んだドアベルを鳴らし、甘地は茹だるような暑さの街へと姿を消した。
僅かに入り込んだ熱気と喧騒が、ドアが閉じた後も余韻として店内に漂う。
「ふふ。良かったのですか? これまでと違い、今回はかなり大っぴらに動いたようですが?」
マスターが秋良に問うその声には、どこか喜色が浮かぶ。管理者として異能者の観察ができるのは喜ばしいこと。被験者たる秋良がどう思うかは別として。
「ま、やってしまったことは仕方ありません。今回は少し痕跡を残し過ぎましたからね」
「ふふ。それは自分に目を向けさせるために、敢えて痕跡を消さなかったのでしょう? ……吸命の鬼を取り逃がしたことを隠すために」
マスターが
鹿島秋良は、素知らぬ顔で珈琲カップを傾けるのみ。
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……
…………
………………
『さてと。俺の知りたいことはだいたい知れたが……残るはこの
秋良は抱きかかえている少女のことを卯月美江に問う。
黒いのっぺらぼうで機械音声のようなヒトガタの言葉と仕草であっても、彼女は秋良の言わんとしていることは察する。これまで、吸命の鬼として何度となく受けた質問の亜種に過ぎない……と思っていた。
「……彼女を助けろと? ふふ。これまでならともかく、今となってはそれが無理なのは分かっているでしょう? 私はこのまま、ただ死に逝くだけなのだから……」
『百も承知しているさ。……まだほんの子供ではあるが、彼女も一門衆というやつなんだろ? 命のやり取りをする以上は戦士だ。……せめて彼女自身にどういう風に死にたいかを選ばせ、言い遺すことを聴くだけだ。とりあえず、彼女に対しての洗脳なり催眠を解け』
美江の想定とは若干のズレ。生き延びる方法ではなく、死に方についての選択肢の提示。
それは異世界において、戦士として長い時を過ごした秋良にとっては当たり前のこと。ただ、この世界においては特異なことであり、哀れな少女にとっては残酷なことだと知りつつ、秋良は彼女に選ばせようとした。
「……そういう考えは博樹さんには無かった。卯月家にも…………。良いでしょう。彼女の〝操作〟を解きましょう」
美江の瞳のギラつきが瞬間的に明滅する。それだけ。そのマナの……『気』の流動はごく自然で滑らかなもの。秋良ですら、注視しなければ見落としてしまうほどの研鑽された技。
『(異能を十全に使いこなしている……つまりはそれだけ実践してきたってことか……)』
複雑な心境で『吸命』の熟練たる技を見る秋良。そんな彼の思いはさておき、操作とやらが解かれた少女……卯月遥香が秋良の腕の中で目覚める。
「……う……ぐ……こ、ここは……ッ! な、何がッ!?」
よく分からないぼんやりとした世界から、明瞭な世界へと意識が戻った……かと思えば、黒い異形に抱えられている。遥香からすれば意味不明な状況。パニックになるなという方が難題だ。
遥香は瞬間的に異形から離れようと力を込めるが、マナの流動、人体の動き方については、秋良の方が遥かに手練れであり、あっさりと力を逸らされる。
そして、秋良はごく自然に抱き抱えていた少女をそっと地に立たせる。まるで壊れ物を扱うように、丁寧に慎重にだ。
一見すれば、ただお姫様抱っこを解いただけに過ぎないが、遥香からすれば更に意味が分からない。力を入れて踏ん張ろうとした、黒い異形を制するために殴りかかろうとした、身を捩って腕から逃げようとした……その動き一つ一つが
『……とりあえず、落ち着いて話を聞け。俺は君にとっては死神に等しい者だが、別に直接的に危害を加えようというわけでもない。分かったか?』
「……え、ええ……わ、分かった……」
一門衆としては、命を削ってなおギリギリといった落ちこぼれ。〝持たざる者〟である遥香にも流石に理解できた。ヒトガタとの圧倒的な実力の差。思わず冷静になってしまうほどに。
そして、彼女は認識する。自らに〝普通の身体〟を与えてくれた存在、卯月美江のことを。彼女は遥香が知っているよりも更に若返っている。つまり、それだけのダメージを負った……何度か死の淵を彷徨ったということに他ならない。目の前には黒い異形。怪人たるヒトガタ。徐々に理解が染み込んでいく。
『少しは状況を理解したようだな。なら、さっさと説明する。どこまで聞いているかは知らないが……君は『吸命』の異能によって命を長らえている。『吸命』の使い手である卯月美江が死ねば、その効力は失せる。揺り返しを受ける。そして、じきに卯月美江は死ぬ。君もだ。どうだ? 状況が分かったか?』
冷静さは戻ってきたが、それとこれとはまた別。じきにお前も死ぬ。そう言われて心が乱れないはずもない。もちろん、その身を『吸命』に委ねた時から覚悟はしていたが、こんな風にいきなり正気に戻って、黒い怪人から予告演出が入るなど遥香は聞いていない。望んでもいない。
「……わ、私も……じきに死ぬ? な、なんで……? だって……身体は何ともなくなったのに……! 激しく動いても苦しくない身体が! 〝普通の身体〟がやっと手に入ったのに……ッ! 護衛として生き延びたら、そのまま健康な身体をくれるって言ったじゃないッ!?」
そして、彼女は知りたくもなかった。自分の命が、『吸命』の使い手と連動しているなどと……。
『やはり聞いていなかったか。
「……? 酷い? 卯月家のため、一門のために命を捧げるのは当然のことでしょう? それをいちいち説明する必要が?」
『ま、あんたはそうだろうな』
もはや秋良は美江と語る言葉を持たない。彼女の価値基準の物差しは、秋良の持つものとまるで違う。言葉で分かり合うなど、ただの幻想だと放り投げている。
「い、嫌だ……ッ! 兵として、操り人形として知らぬ間に死ぬならともかく、こ、こんな風に意思を取り戻させて死を予告するなんて……ッ!! 期待だけ持たせて取り上げるなんてッ!!」
生に執着する。死にたくないと泣き叫ぶ。それは戦士ではない。ただの子供の姿。
『せめてどういう風に死ぬかを選ばせたかったんだがな。そういう感じにはならないようだな』
「ッ!? ど、どういう風に死ぬ……!? どんな死に方だろうが死ねば終わりじゃないッ! わ、私は死なないッ! あ、あんたが卯月美江を殺すなら勝手にすれば良いじゃないッ! なんで私を巻き込むのよッ!!」
遥香は覚悟はしていた。だが、それは以前の彼女だ。〝普通の身体〟を取り戻す前の彼女。気怠さもなく、自由に動かせる身体。それらを改めて体感すると、どうしても期待してしまったのだ。もしかしたら……と。
卯月家の隠れ家に集められ、吸命の鬼が夫を奪還するまでの護衛として付き従えと言われた。その際に操り人形となることも説明された。もし、無事に戻って来れたら、そのまま『吸命』の恩恵を得たままで解放するという約束だったのだ。
真っ赤な嘘。
卯月美江は夫である博樹を奪還する気などなかった。ただ、その死を看取るために病院へ乗り込むだけ。そして、夫を見送った後に自分も死ぬつもりだった。
だからこそ、最後の仕上げとばかりに、しばらく前から過剰なまでに命を擦り減らしていたのだ。繋がりのある者から片っ端に命を吸い上げていた。それが夫の望み。『吸命』によって作り上げられたシステムや恩恵を丸ごと壊すこと。盛大な無理心中。拡大自殺の一種とでも言おうか。
そして、その過程で二人の実子である、前島樹が犠牲になることも承知の上だったのだ。
「ふふ。これが戦士? あなたの見込みは違ったみたいね。往生際の悪い駄々っ子じゃない。何故そこまで死にたくないのか……私には分からない」
『……言っても無駄だがな。彼女はちゃんと生きている。だが、あんたはまともに生きていない。卯月家と博樹さんの操り人形だ。だからこそ死に対しても何も思わないんだろうさ。ま、俺が思う以上にあんたは『
卯月博樹に見せる姿には、また違った一面があったのかも知れない。だが、秋良はそんなことなど知ったことではない。今目の前にいる『
「嫌だ嫌だ嫌だッ!! わ、私は死なないからッ!! こ、この身体を手放すもんかッ!!」
パニックになりながらも、臨戦態勢の遥香。何が何でも生にしがみつくというその姿、その姿勢。諦めたくないという思いがそこにある。
『……これも一つの強さであり美しさか。すまないな。勝手にこちらの流儀を押し付けてしまった。それについては謝るよ。この通りだ。……なぁ? 君の名を教えてくれないか?』
言葉では謝りつつも、静かにさせるためにごく薄い威圧を込めて秋良は問う。
「……うッ!? あ、う、え……は……う、卯月……遥……香……」
その効果は覿面。途端に大人しくなる遥香。生への執着が強くなった今だからこそ、本能的な勘も冴える。ヒトガタに逆らえば即座に死ぬというイメージが鮮明に浮かぶ。
『卯月遥香か。なぁ遥香。君がどういう経緯でここにいるのかは知らない。だが、君は何にせよ『吸命』を受け入れてしまった。卯月美江が死ねば、その異能の効果が切れるのは仕方のないことだ。受け入れるしかない』
「……で、でも……わ、私……ま、まだ何もしてないんだよ? ふ、普通になるのが夢だったんだ。ふ、双子の弟とさ……し、将来、普通の暮らしができたら良いね……ってさ。そ、それだけが……私たちの……願いだったんだよ? そんな願いすら、私たちには過ぎた夢だった? と、取り上げるの……?」
泣き笑いの顔。黒い怪人の威圧を恐れながらも、彼女は訴える。ただ普通に暮らしたい。生きたいのだと。
人外の領域ではあるが、所詮は秋良も究極的に〝持つ者〟ともいえる。
数奇な運命に翻弄されはしたが、結果としてこの世界において比類なき強者として存在を許されている。生きるのは当たり前。他者を殺すのも暇潰しのようなモノ。生きることに飽いたら死ねば良いとさえ思っている。
普通の暮らしなど、もはや彼にとっては異世界よりも遠い話だ。
だが、目の前の遥香にとっては違う。別の意味で普通が遠いのだ。普通になりたい。それが夢と思えるほどに現状が辛かった。
流石に人として諸々が壊れている秋良といえども、遥香を前にして思うことはある。しかし、だからといって彼にはどうすることもできない。多少の治癒魔法が使えるが、『吸命』の助けで動けている者を治せるとは彼も思っていない。
ただ、この場に人外はもう一体いた。
秋良の心を揺さぶったのと意味合いはまるで違うだろうが……遥香の想いは、
「そんなに死にたくない、生きたいと願うなら……貴女が次の『吸命』になれば良い」
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