第4話 母と子と『鬼』 4
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いまは亡き羽岡愛のことを。産みの母のことを。
当時の状況……母が我が子を道連れに命を絶とうとした……実際に命を絶った経緯や事情は、オブラートに包まれたモノではあるがそれなりに周りからも聞かされている。育児ノイローゼであり、正常な判断が出来なくなっていたのだろうと。
それを踏まえた上で、彼はどうしても考えてしまう。
『あのとき、僕も一緒に死んでいれば……』
どうしようもなくそんな想いが巡る。とは言え、それは比較的最近のことだ。
幼い頃、当時の彼はそれどころではなかった。母と兄が居なくなり、父からはその存在を拒絶される。虐待として周りが動き、紆余曲折を経て黛家に引き取られてからも、新しい環境に馴染むのに精一杯だった。
少し環境が落ち着いてきたと思ったら……
身体は大きくなったが、羽岡拓海は自分が未だに前に進めていない気がしている。
彼が親しくなる人は、霊となった彼女が許さない。攻撃する。傷付ける。
それがどういう感情からの行動なのか、もう拓海には理解できない。ずっと死者に付きまとわれている。
周囲の人に心配を掛けないよう、彼も表面上は元気なフリくらいはする。
しかし、羽岡拓海の心はかなり追い詰められている。
『何をやっても、あの人の呪縛から抜け出せない』
無力感に苛まれ、ナニかに飲み込まれそうになっていた。
そんなある日、彼は出会う。鹿島秋良と名乗る男と。
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……
…………
………………
黛家のリビングでのこと。
「はじめまして。鹿島秋良だ。よろしく」
「は、はぁ。あ、僕は羽岡拓海です……」
突然の訪問者。
拓海がのんびりと部屋で過ごしていると、親代わりである
特に可もなく不可もない、極々平凡な当たり障りのない男。
しかし、拓海は経験則として気付いていた。香織が直接自宅へ連れてくるような人物が、“まとも”な人物ではないということを。
そして、そんな彼の心の内は香織とて理解している。
「……拓海の想像の通りよ。この鹿島さんは“そういう人”だから……」
「…………」
またか。そんな言葉は拓海は飲み込む。今までに多くの人たちが“そういう”理由で家を訪れ、彼は面談をさせられてきたのだ。
「香織さん……いまの人たちで落ち着いているし、何も別に新しい人に見てもらわなくても……下手をすればまた……」
「……それは……」
過去の面談の中には、途中で霊が……羽岡愛が暴れ、酷い状況を生み出すような事もあったのだ。
「はは。まぁまぁ。なるべく“彼女”を刺激しないようにはするから。俺が来たのは別に大袈裟な儀式をする為じゃない。ただ、羽岡拓海君と話をして、それで決めてもらいたいってだけさ」
「決める?」
「あぁ。今のままか、母と別れるかをね」
「……?」
拓海には秋良の言葉の意味が分からない。『母』との別れなど、有り得ないことだと……そんな風に彼は理解している。
「一応、事前にどういう話をするかは黛さんには伝えている。その上で、俺は拓海君に直接伝えたくてね。ただ、無理強いをする気は無い。まず、最初の選択だよ。そもそも、拓海君は霊体となった羽岡愛さんについて、俺の話を聞きたいかい? ……聞きたくないというなら俺は去るよ」
「……は、はぁ? 話を聞きたいか……ですか? ……はは。それを僕が断れる筈もありません、鹿島さんは“そういう人”なんでしょう? だったら、ここへ来てもらうだけでもそれなりの諸々があった筈です。香織さんのそんな努力と厚意を無下にはできません。お話は聞かせてもらいたいです。……それが、意味のないことであっても……」
選択肢を委ねられて一瞬驚きはしたものの、拓海は応じる。鹿島秋良の話とやらがどのような内容のモノであっても、黛香織が段取りしたアレコレをご破算にするつもりは彼にはない。
それに拓海は信じている。いや、事実として知っている。育ての親である黛香織が、自分に危害を加えたり、不利益を被らせるようなことはしないと。
ただ、だからといって、事態が好転するとは考えてはいない。期待していない。
「……そうか。ま、どういう理由であれ、話を聞きたいと言うなら伝えるよ。まず……君はアレをどのように理解している?」
「はい? ど、どのようにと言われても……僕の産みの親である羽岡愛の幽霊だと……理解していますけど……?」
黛香織は事前に聞かされていた。羽岡愛の存在について。その正体を。
もっとも、その正体を聞くずっと前から、亡くなった人を悪く思いたくないとしつつも、香織は既に羽岡愛の霊のことを『羽岡拓海の幸せを邪魔する奴』と認識し、敵視していた。彼女にとっては今更という内容だった。
「先に断っておくけど、俺は君の産みの親である羽岡愛さんを個人的には知らないし、生前の彼女の名誉を傷つける意図はない。ま、聡い拓海君はこんな前置きがあればもう想像はついているだろうけど……今、君に取り憑いているのは羽岡愛さん当人ではなく、ただの“死霊”だ。分かり易く言えば怨霊だとか悪霊ってやつだね。生前のまともな人格など残っていない。小鳥遊親子は耳に聞こえ良いように“守護霊”なんて言っていたが、アレが守護霊なんかじゃないってことは、君だって百も承知していただろう?」
さくっと告げられる霊のカテゴライズ。当然に拓海も思い当たることは多々ある。
霊は彼自身を傷付けることはなく、あくまでも拓海の周囲の人を遠ざけようと性質があることは知っていた。
「……はい。小鳥遊さんは『過保護な守護霊』だと言っていましたが……そんなはずはないだろうとは思っていました。僕には直接の危害はありませんが……周りの人を傷付ける以上……善いモノのはずがないです」
羽岡愛の死霊は様々な人を傷付けてきた。許せないという想いは、拓海の中にも確かにある。ただ、何をやっても切り離せないから諦めているだけだ。
「そこまで理解しているのなら話は早い。ここからが本題だ。俺は君に憑いている死霊を処理……いや、除霊できると言った方が良いか。ま、何にせよ、君を死霊から解放することができる。それを君は望むかい?」
「……は、はぁ。そうですか……」
気の無い返事。拓海は内心で『またそんな話になるのか……』と今一度嘆息する。
これまで、数多く面談してきた者たちも同じことを言っていたのだ。
『私に任せれば大丈夫よ』
『祓えない霊などない』
『問題を解決してやろう』
などなど。そんな言葉たち。もう拓海も聞き飽きている。
「まぁそんなリアクションになるのも無理はない。それでも……少し考えて欲しいんだ。もちろん、今の状況を続けることもできる。小鳥遊親子には『途中で投げ出すな』ときつく言っておくしね。そして、もう一つの選択として、死霊を切り離すこともできる。今すぐにでもね」
「……はは! 今すぐにでも? じゃあ、やってみせて下さい。お願いしますよ」
拓海からは即答。ただし、それは考えてのことではない。いっそ投げやりな思いからだ。育ての母である香織に迷惑を掛けることになると分かっていても、そうした態度を抑えられない。
「……拓海……お客様にそんな態度をとっては駄目よ」
「……香織さん。もう止めましょうよ……どうせ無理なんだ。僕はあの人から逃れられない……今まで、散々にぬか喜びをしてきたじゃないですか。香織さんの……大切なお金も、時間も……無駄にしてしまってるし……」
香織と拓海。お互いに力のない言葉。
どうしようもない諦念が二人の間に漂っている。
そして、つい拓海の口からその言葉が出てしまう。
「…………あの時、僕も一緒に死んでいれば……」
「ッ!? 拓海! 何ていうことを……ッ!」
「でも……ッ! 僕があの人と一緒に死んでいれば! 皆もっと自由だった! 黛のお爺ちゃんやお婆ちゃん、香織さんだってッ! ……何より……香織さんがあんな大怪我をすることも無かったんだッ!! 僕が! ……生きているから……あの時、生き延びてしまったから……ッ!」
疲弊した心の叫び。
羽岡拓海は疲れている。そして、追い詰められている。自分を取り巻く現実に。
ただ、その言葉をぶつけられた黛香織の心には、一気に振り切れたなんとも言えない虚しい怒りが噴き出す。……同時に哀しみも。
「た、拓海……ッ! あんたって子は……ッ!!」
「おっと……黛さん。まぁ落ち着いて下さい」
瞬間的に我を忘れ、拓海に詰め寄ろうとした香織。彼女がソファから立ち上がる前に秋良は制する。
「……く……! ご、ごめんなさい。見苦しい所を……」
「いえ。それは別に良いんですが……拓海君。君はもしかして……姿だけじゃなく、死霊の声も聴こえているのか?」
生気の無い虚ろな瞳が拓海に向けられる。
「…………はい。ボソボソと聴こえる時が……あります。高校二年くらいからですけど……」
「な!? 拓海! あなた、私にはそんなこと言わなかったじゃない!」
「まぁまぁ。黛さん。約束したでしょう? 拓海君の意思を尊重する……口は挟まないって……」
秋良は再びヒートアップする香織に釘を刺す。彼は彼で思うこともあるが、それは後回し。まずは当人である羽岡拓海の意思を尊重するというスタンスだ。
「ちなみに……どんな声が聴こえていたのかを聞いても? ……それとも、黛さんの前では言いにくい?」
「!? そ、それは……! か、鹿島さんには分かるんですか?」
「……あぁ。当然にね。アレは煩いくらいに喚いてるからね。もっとも、今は遮断してるから拓海君には聴こえてないだろうってのも分かっている。……ま、どういう声が聴こえてたかはもういいよ。君にソレを言わせるのは酷だっていうのと、内容が胸糞悪いのがよく分かった」
秋良は事情を察する。死霊の囁きが、羽岡拓海に……母と兄を喪い、自らも心身に後遺症を負った子供にとって、どれだけ酷なことだったのかという事に思いを馳せる。
「なぁ。拓海君。君が望むなら、俺は今すぐにでも死霊を切り離すよ。……一応言っておくが、そうなれば当然、二度と羽岡愛の残照……その死霊と接することはなくなる。完全な別離だ。紛い物ではあるが、産みの親の残り火が全て消える。……それでも良いか?」
「……へ? は……? も、もしかして……鹿島さんはそんなことを……気にしていたんですか……?」
色々と事情があるため、秋良は拓海の意思を本人の口からの聞きたかったのだが……今回は悟った。『無駄に気を回しすぎだった』と。
「まぁ……一応はね。幼い頃に母と兄を喪った君だ。他人には汲み取り難い……合理性では説明できない、複雑な気持ちがあるかもと思ってね」
黛香織は拓海に取り憑く霊を何とかする為に動いていたが、もしも、拓海本人が『それでも母は母だ!』と、霊の存在を受け入れたら……そんな不安を抱えていた。
秋良もだ。
どんなに良かれと思ってした事であっても、当人が望まないなら、それは余計なお世話に過ぎない。
「…………僕の『母』はあの人なんかじゃない。ここにいる香織さんであり、黛のお爺ちゃんやお婆ちゃん……皆が僕の母であり父。家族です。本当にあの人との縁が切れるというなら……お願いしたいです」
「た、拓海……」
ここに選択はなされた。
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……
…………
………………
羽岡拓海がその精神をすり減らしていた原因の一つ……羽岡愛の死霊は呆気なく彼から切り離されることに。
本人の感覚では、遠い昔のことで忘れてしまっていたほどの……死霊などに振り回されない、“普通の日常”というのが彼に戻ってきた。
ただ、彼の精神を蝕んでいたもう一つの原因については……解決屋としては手出しできない。いや、関与べきではない上に、その必要もないと秋良は判断している。
徐々に新たな生活に馴染み、成長して物事の分別が付くようになり、羽岡拓海は自分の境遇のことよりも、育ての親である黛香織のことを想った。
心中事故の後遺症により、心身に傷を負った幼子。
未婚女性が、そんな子の保護者となる。
その選択がどれほどの事だったのか。その後の苦難は如何ほどだったか。
更に死霊騒ぎだ。
小鳥遊創玄たちが関わる以前……抑えの効いていない死霊の悪意が、黛香織に向かったことがあった。結果、彼女は生死の境を彷徨うほどの重傷を負うことになる。
当時ももちろん考えたが、羽岡拓海は成長と共に更に深く深く考えるようになる。
『僕が香織さんの人生を奪ったんだ。僕が居なければ……あの時、僕も一緒に死んでいれば……』
苦悩を抱く拓海少年。心が疲弊した彼に死霊が囁く。
『おいで』
『早く』
『また一緒に暮らそう』
『お兄ちゃんも寂しいって』
『何で拓海だけのうのうと生きているの?』
『こっちは昏いし……寂しいの。ねぇ? お母さんの言うことが聞けないの?』
『あの泥棒猫に次はどんなことをしてあげようかしら?』
『あなたは私の息子なんだから……家族は一緒に居るのが当然でしょ?』
誘う死霊の声が、ふとした時に彼には聴こえてきており、更に心が擦り減っていくのは当然のことだった。
……
…………
黛エージェンシーの所長室に複数の人影。
「そんなことが……私は……やはりあの子の親にはなれなかったようね。何も気付けなかった……」
「……言ったでしょう? 胸糞悪い話だと」
後始末のために集まった者たち。
黛香織と鹿島秋良。そして、小鳥遊親子。
「まぁ……黛さんが気付かなかったというより、拓海君が気付かせまいと必死に隠していたんでしょう。まだまだ子供だと思っていても、もう彼も十八ですよ? 法の上では成人だ。そりゃ親に対して、隠し事の一つや二つはあって当たり前でしょう」
あっさりとした秋良の言葉。今後の黛香織と羽岡拓海の“母子”については、彼はもはや心配はしていない。なるようになるだろうと。
「拓海君は貴女を親だと、家族だとはっきりと言った。俺には、そこには家族として確かな絆があるのだろうと感じましたけどね。あくまで個人的にですが……幼く、心身に傷を負った拓海君を引き取るという、当時の貴女の決断は勇敢なことだったと思います。そして、いま現在の拓海君を見て、その決断は間違いではなかったのだろうと思いましたね。ま、後は
「……家族……母子……」
相変わらず生気の無い瞳のまま淡々と語る解決屋ではあったが、香織は、初めて会った時の得体の知れない恐怖を彼から感じることはない。いや、得体の知れなさは依然そのままではあるが……解決屋が、人としての情を持っているのだと理解した。
一方、そんな秋良と香織のやり取りを、恐怖に呑まれたままで眺める二人もいる。
彼らにとっては、この後の話が、黛香織のようなハートウォーミングなモノになる予感が一切ない。恐怖を感じるのもある意味では当然のこと。
「……さて。黛家のご家庭の事情については『家族』で時間を掛けて話し合ってもらうとして……創玄さんに優奈さん。こっちはこっちで
小鳥遊親子に向けられる瞳は、変わらず空虚なままではあるが、その性質は黛香織へ向けるものとはまるで違っている。
本人にとっては不幸なことに、今回は二流の異能者である創玄にすら……それが理解できてしまう。
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