第3話 母と子と『鬼』 3
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十八歳。大学一年生。
幼き頃に母と兄を亡くし、その後の諸々を経て黛家で引き取られて育つ。
あくまで関係者、親族間での話し合いの上でのことであり、養子縁組などではなかった。
彼の特異な事情……優しかった彼らの母がある日、我が子である幼い兄弟を殺そうとした。いや、殺したのだ。弟である拓海が助かったのはただの運。母と兄はそのまま死んだ。
その時の後遺症により、拓海の左足は満足には動かない。装具を着用して何とか歩くことができる状態であり、体調によっては杖も必要とする。自らの足で走ることは出来ない。
彼の身体へのダメージ……後遺症は確かに酷かったが、それでもまだ救いはあったのだ。
黛家の人々は彼を暖かく迎えた。母と兄を失い、自らの心身にも大きな傷を負った拓海のことを、特に香織は懸命に支えた。
未婚だった彼女自身、母の代わりになれるとは欠片も思わなかったが、それでも傷付いた幼子の母であらんとした。そして、ときには父の代わりまでこなしたのだ。
羽岡拓海はそんな人たちに囲まれ、徐々に心の傷も癒えていき、新たな生活にも馴染んでいく。
自然と笑うことが出来るようになってきた頃。
ソレが姿を現す。
もしかすると、ソレはずっと彼の傍に居たのかも知れない。ただ、羽岡拓海自身にソレが認識できるようになったと同時に、周囲の者にも影響を与え始めたのだ。
拓海の母親であり、黛香織の友人だった女性。
羽岡愛その人が“現れた”のだ。生前の姿で。
何があったのかは香織や拓海には分からない。理解できない超常の現象。
ただ、それでも拓海自身は一時は喜んだのだ。
自分のことを殺そうとしたとは言え、もう会えない筈の恋しい母が還ってきたのだから。
羽岡愛はただ息子を見守る。そっと微笑む。当初はそれだけだった。能動的に何かをするということは無かった。
異能を持たない……素養のない拓海や香織は彼女と明確な意思疎通を図ることはできないが、折に触れてその姿を視ることはできた。
拓海と違い、黛香織は無邪気に喜ぶことはない。友人だった彼女にまた出会えたことに思うことはあったが……それはそれ。
強く抱いたのは恐怖と警戒。
割とはっきりとした形で幽霊が現れたのだ。のほほんとしていられない。当然のこと。
それにだ。羽岡愛には確かに酌むべき事情はあっただろう。追い詰められていたのだろう。しかし、紛れもなく彼女は殺人者。自らと子を殺した女。
ふとした瞬間に現れる羽岡愛に対して、拓海の現・保護者である香織は気を許すことなどできない。彼女は超常……異能というオカルトを知り、対処方法を探すことになるのも自然な流れと言える。
……
…………
「……で? あなた達はそんな黛さんにタカッていると?」
平日の昼下り。人もまばらなチェーンのファミレス。
鹿島秋良の座る対面には、二人の男女。
「
知的な雰囲気を醸し出す、細身の五十代ほどの男が口を開く。
百束一門に名を連ねる、
「それはそれは。つまり、あなた方の働きにより、黛さんや羽岡拓海君は安寧を得られていると? 対価に相応しいナニかを提供出来ていると?」
淡々とした口調ではあるが、秋良の内心の呆れがそのまま言葉に乗っているかのような問い。
酸いも甘いも知る海千山千、創玄と名乗る男はその程度では動じない。
ただ、同席しているもう一人……二十代前半の若い女はピクリと反応を示す。
「当然です。貴方も多少は異能について知っているようですが……羽岡拓海君の事案は特殊であり、あれは私どもの専門分野です。聞きかじった浅はかな知識で、知ったかぶって判断するのは止めていただきたい」
「『止めてくれ』……か。はは。つい最近も聞いた気がするな」
とある“協力者”からの情報により、百束一門の異能者に辿り着いた秋良。期待はしていなかったが、待っていたのは想定以上の“強い異能者”。
「とにかく、私どもは彼の強過ぎる守護霊を抑えているのです。まぁ……あの霊は元が母である以上、子である羽岡拓海への過干渉もある意味では仕方ないのでしょうが……余りに強い干渉は本人の為にならぬと……私どもが霊と交渉して今の状態を保てているのですよ。確かに報酬は安くはありませんが、それだけの事をしており、間違いなく正当なものです」
スラスラと語る創玄。
人々の強い想いによって引き起こされる……心霊や残留思念などを扱う異能。創玄は、そのような異能の専門家であると言う。
黛香織は仕事の伝手も使い、様々な方面で羽岡拓海の身に起こる事態を解決できる者を探した。
霊能力者、占い師、寺社仏閣に縁ある者、聖職者、拝み屋、除霊屋、オカルト関連の研究者から、真っ当な脳科学者や精神科医まで……相手は様々。
ほとんどがインチキ、イカサマ。真っ当な研究者などには相手にされず……という中で、香織がようやくに辿り着いたのが小鳥遊創玄だったということ。そして、その仲介をしたのが地元ヤクザの東郷組。
「ま、確かに俺は“専門家”ではないですけどね。ただ、あのえげつない“死霊”を守護霊などと平気で
秋良の虚ろな瞳が映すのは創玄に非ず。
「ふ。まったく無礼な人ですね……これだから“にわか”知識の者は……」
「父さん、無駄よ。この人は……私なんかよりもずっと“力”がある。隠されてて視えないし、どれだけやっても私じゃ見破ることは無理。つまりそれだけ差がある……」
創玄の隣に座る女……
「……優奈、何を言う。いいから助手は黙っていなさい」
「はは。黙るのはそっちですよ。……さて、ここから先は茶番に付き合う気はありません。小鳥遊創玄さん、あなたも“異能者”の端くれだ。少しは危機感を持った方が良い。俺が“選択”を提案するのは一度だけですからね? 周囲に紛れさせている護衛なんて、俺には意味がない」
一門の本筋ではなく、東郷組関連で知り得た連中を護衛として連れてきている事もあり、創玄は自分自身がそれなりに危ない橋を渡っているという自覚はある。
しかし、まるで足りない。当たり前ではあるが、彼は知らないのだ。
自分のしてきた事が、とある解決屋が引いた、理不尽の線上にあるということを。
「はぁ? 何を言っているのか……」
「父さん! ……この人の言うことは全部本当のこと。素直に従って……お願い……ッ!」
ただ、創玄の仕事上の助手……というより、主に異能を担当する者であり、実の娘である優奈は違う。
彼女は、いま目の前に居る男が飛び抜けてマズい相手だと判っている。その一挙手一投足から目を離せない。自分達のいまの立ち位置が非常に危ういと理解している。
そんな娘の様子を察し、遂には創玄も口をつぐむ。秋良のことはともかく、娘である優奈の“力”を彼が軽視することはない。
「……そ、それで? 一体何が知りたいんですか? わざわざ私たちに聞く事など貴方には無いのでは?」
「いやぁ、単純に知りたかったんですよ。羽岡拓海に憑いている死霊……黛さんから金を引き出す為に……あなた達は敢えてアレを
羽岡拓海には、死んだ母の霊が憑いている。
その霊が現れた当初は何も無かったのだが、拓海の成長に伴い……彼の交友関係が広がるにつれて、霊は“悪意”を振りまくようになる。
友達。クラスメイト。教師。友達の親や兄弟姉妹。部活での関係者。バイト先の先輩後輩。大学のゼミ仲間。そして、羽岡拓海が恋心を抱いた相手。
彼と親しくする者は、ほんの少し……ともすれば勘違いと思われる程度の不幸に見舞われるのだ。いまは。
はじめに気付いたのは、保護者である黛香織。彼女の身に不幸が重なる。積もる。
そして呼ばれた。羽岡愛の霊に対抗するための異能者が。
「……私も……父も……所詮はただの小者……小悪党です。お金のために人の弱みに付け込んで異能を、この力を利用してきました。ですが……羽岡拓海君の件は全力でことに当たっています。流石に……“アレ”を金儲けだけで放置しているわけではありません」
「つまり、真面目に全力でやって……いまの状況を維持していると?」
「……はい。実はそれとなく一門の同系統の異能者にも協力を仰いだこともありますが……大して変わりはありませんでした。“アレ”を滅することも、完全に抑え込むこともできないままです」
小鳥遊親子にとって黛香織は当然に金ヅルだった。扱いやすいカモだと判断し、秋良の言うように、取り憑いている霊を生かさず殺さずとして、“問題”を長引かせようと画策していたのは事実。
ただ、結果は同じとなったが、心情は違う。そうはならなかった。
小鳥遊創玄。
異能者としては二流以下であり、百束一門に属してはいるが、それは異能を把握されて百束の管理下にあるというだけ。
普段は胡散臭いオカルト関連……霊感商法などで小銭を稼ぐ、まさに小悪党といった感じだ。
しかし、そんな創玄でさえ、羽岡拓海に取り憑く母・羽岡愛の霊は『放置できない!』と……なけなしの良心が奮い起つほど。それほどまでの脅威。
「なるほどね。いまの小康状態は、一応はあなた方の働きによってということですか」
「……逆に聞きたいです。貴方ならあの“悪霊”をどうにかできるのでしょう?」
今現在、羽岡拓海の関係者に撒き散らされる不幸が『ちょっとしたモノ』で済んでいるのは小鳥遊親子の働きもあるのだ。
そもそも、小鳥遊親子が関わる以前、黛香織に降り掛かった不幸は『ちょっとしたモノ』では済まなかったのだから。
「さてね。後は羽岡拓海君の本人の意思によりけりですね。あぁ……優奈さんと言いましたか。あなたは気付いているでしょうが……逃げることはできない。最後までお付き合い願いますよ?」
「…………は、はい……」
「ゆ、優奈? な、何を言っている……?」
創玄は未だに気付けないが、優奈は気付いていた。もう諦めている。
目の前の男は、羽岡拓海に取り憑く悪霊などよりもずっと濃密な『死』を纏っており、既に自分たち親子がその『死』に肩を掴まれていることを……小鳥遊優奈は知っている。
そして、逆らうことも、逃げることも、誤魔化すことも……もう、どうやっても無理だということもだ。
「……父さん。たぶん、この人が私たちの“
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……
…………
………………
とあるテナントビル。
黛エージェンシーの所長室にて、部下である壮年の男性から報告を受ける香織。
「……黛所長。西藤についてですが、かなり不味いことになってます。人、機材、情報などを余所の事務所からも引っ張ってきて……もう小遣い稼ぎじゃ済まない規模で“やって”ます。……内々に事を収めるのは難しいかと……」
黛香織があの日、鹿島秋良と出会ってしまい……既に半月が経過している。
話のフリとして指摘を受けただけのことだったが、嫌な予感を覚えた香織は自社の探偵である西藤の周囲を調べさせていたのだが……結果はクロ。
いつ次の連絡が来るのか? そんな風に解決屋からの連絡を待つという、内心穏やかではない日々を誤魔化す為に、西藤を調べることに注力したかったいう香織側の事情もあるのだが、それにしてもどうして気付かなかったのかというレベルの真っクロ加減だった。
「……ふぅ……残念。彼には妻子もあるし、ムラはあるけど優秀な奴だと思っていたのだけど……仕方ないわね。他の事務所にまで迷惑を掛けている以上、ケジメはつけておかないと」
「……一応、分かる範囲で他の事務所の連中も調べています。あと、以前に所長判断で打ち切った鹿島麻衣についても、変な接触を繰り返しています」
「はぁ……私の見る眼が無かったってことね。とりあえず、西藤を捕まえておいて頂戴。念のため、他の所員にはまだ伏せていおいて」
「承知いたしました。西藤の周囲にはすでに張らせていますので……昼過ぎには事務所に引っ張ってこれます」
痛む頭を抱えながら、香織は指示を出す。日々の細々とした仕事は彼女の都合などお構いなしに流れてくる。やりたくない事であっても、やらない訳にはいかない。
かと言って、本当にやりたい事、叶えたい事、心から願う事であっても……いざそれが実現するとなると、言い知れぬナニか……畏れのようなモノを感じてしまう。
「……ふふ。人間なんて勝手な生き物ね」
「所長?」
「別に何でもないわ。とりあえず、しばらくは西藤の“やらかし”の後始末となりそうね。通常業務で少し期限を延ばせそうなものは整理して、皆に少し時間を空けておくように伝えて」
「あ、分かりました。各員に西藤のことは伏せて調整するように伝達しておきます」
そう言いながら、壮年の男は退室する。
西藤は調査が終了した依頼人に対して、不安を掻き立てるような小細工をして、再度仕事を依頼するように誘導していた。その際、会社ではなく西藤個人がそれを受理して動いていた。倫理的にも、黛エージェンシーの規定的にもアウトな行為。
親からの束縛、ストーカー、元カレなり元夫なりからの暴力的な付き纏い……そんなモノで疲弊していた人達。
調査会社としての調査、弁護士なり警察への繋ぎ、ときには精神的に治療を必要とする方への受診の相談まで。そんな対応により問題がある程度落ち着いて終了となった依頼人たち。
そんな依頼人たちに西藤は接触した。元々のストーカー相手なりに情報を流し、依頼人への付き纏い行為を誘発するような真似までしていた。そうして心身が疲弊した依頼人のもとに再び姿を現して西藤は囁くのだ。
『安心して下さい。俺が付いていますから』
陳腐だが効果的なマッチポンプだ。
当然ながら、黛エージェンシーはそんな真似を許してはいない。香織が西藤を許すことは無い。ただ、どうケジメをつけるのかという事には悩む。彼女はあくまで裏の事情を知るとは言え、善良な一般市民だ。噂に聞く百束一門や解決屋のような手を取れる筈もない。
「はぁ。依頼人への説明……人によっては賠償まで検討しないとダメかも……あと、西藤が
一人になった部屋で香織は溜息と共に
ただ、その日は彼女にとっては厄日か。ちょっとした休息も許してくれない。
デスクに備えられた電話機からの内線。煩わしい電子音によって香織は呼ばれる。否が応でも、どうしようもない現実に。
「はい。どうしたの?」
『あ、所長。鹿島秋良と名乗る方が面会にと……アポはないそうですが?』
「……ッ!! ……お通しして……」
解決屋の来訪。
黛香織と羽岡拓海の現実に横たわる、異能というデタラメに対しての一つの決着。そこへ至るための鐘が鳴る。
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