第2話 母と子と『鬼』 2

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「ほんの偶然です。コソコソと嗅ぎまわられたので、軽くやり返す程度で西藤さんや黛エージェンシーを調べていた時に気付きました。黛さんに……“異能の残り香”とでも言いますか……まぁそんな物が“視えた”わけですよ」


 鹿島秋良……いや、“解決屋”が経緯を語る。彼が黛香織に興味を持ったきっかけ。


「異能の残り香……具体的には……ナニが視えたの?」


 香織はもう解っている。抵抗できない。解決屋の言葉に逆らえない。彼女は彼の手を取る……悪魔の契約を果たすことになるのだ。


 ただ、最後の一線で、彼女の理性がずっと警鐘を鳴らし続けている。『早まるな』と。


「はは。誰よりも貴女自身が知っているでしょうに。……黛家で引き取って養育している「羽岡はおか拓海たくみ」君……彼に憑いているのことですよ」

「…………」


 香織も“解決屋”の話は聴いていた。ここ一年ほどで出てきた異能者と目される人物であり、異能者を取り締まるという百束ももつか一門いちもんにも既に目を付けられているという馬鹿な奴だと。


 すぐにでも百束一門に組み込まれるか、下手をすれば粛清されるだろうと見ていたのだが、まさか自分が直接かかわる羽目になるとは思っていなかった。当然、鹿島秋良がイコールで解決屋などと彼女は考えもしなかった。


「ハッキリ言いましょう。俺は別にどちらでも良いんです。貴女には“探偵”という付加価値がある、だからこそ、恩の押し売りをしようかと思っただけのこと。いまのままで良いと言うなら、俺は素直に引き下がりますよ」


 解決屋は黛香織の付加価値に興味があるのだと語る。つまり、鹿島秋良なり解決屋なりのルールに基づいてというよりも、今回は先の利益を見越しての提案であり、“そういう”取引に過ぎない。


「……あなたは……を何とか出来るというの?」


 理性の警鐘に従うなら……踏み止まるなら、彼女はその質問をするべきではなかった。


 しかし、黛香織は口に出してしまった。


 解決屋は嗤う。伽藍堂がらんどうの瞳が香織を捉えて離さない。もはや彼女の中には、当初の目的であるスカウトのことなど無い。


「できます」


 その答えを香織は聞いてしまった。


「“壊す”のは俺の得意分野でしてね。……あぁ、あとついでに“タカり屋”連中の始末もつけますよ。食い物にされているという認識もあるのでしょう?」

「……く……そ、それは……」


 彼女はもう引き返せない。あるいは引き返す気が失せたというべきか。


 いわくのあるバー。その怪しくも妖しい店内の空気が、更に濃く、重くなっていく。


「くく。マスターが作ったそのカクテル……“ブレイブ・ブル”は、その強い甘みのある味とは裏腹に、名の通り“勇敢”さを示すと言います。黛さん。貴女の決断は色々な意味でだと思いますよ」

「…………」


 そう言いながら、端の席で静かにグラスを掲げる解決屋。


 もはや契約は成された。彼はもう香織の言葉を待つことも無い。十分に理解している。彼女の決断を。


 あとは……解決屋たる鹿島秋良が、やるべきことをやるというだけ。



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 ……

 …………

 ………………



 酒ではないナニかに酔ったかのように、若干覚束ない足取りで香織はその店を出た。彼女の中には様々なモノが巡る。巡る。


 解決屋との悪魔の契約がどのような着地となるのか……彼女は既に想定していた。

 亀裂を生む。拒絶をぶつけられる。それを知りながらも、黛香織は鹿島秋良の手を取ったということ。


 一方、店内に残ったのは解決屋と妖しげなマスター。


「ふふ。秋良さん。何もあんなに脅かさなくても良かったのでは? 黛さんは聡い方です。承知の上でしょう」


 黛香織が既に“結末”を想定していることも、マスターと秋良人外どもは当然のように理解していた。そして、彼女の想定通りの結末を迎えることがないということにも。


「……よく言うよ。そう仕向けたくせに。管理者マスターをはじめ、運営側はこの世界の人間の精神には直接介入できないとか言ってましたけど……麻衣が黛エージェンシーに仕事を依頼したのは本当に偶然だったんですかねぇ?」

「さてさて。この世は不可思議なこと、不意の偶然などが溢れているものですよ」

「……まったく白々しい」


 真相は藪の中。

 ただ、鹿島秋良としてはどうにも納得していない。別れた元妻が自分の身上調査をとある調査会社に依頼した。結果として、身の回りをウロチョロされて秋良は“やり返す”気になったのだ。


 その中で、彼は黛エージェンシーを知り、黛香織と羽岡拓海の義理の母子おやこのことを知った。


 そこには『異能』による理不尽が横たわっている。


 黛香織のバックには、仕事関係の“それなり”の連中もついてはいたが、母子の問題を嗅ぎ付けた胡散臭い連中までくっついていた。性質たちが悪いのは、その胡散臭い連中の中には、百束一門に名を連ねる“ホンモノ”まで混じっているという有様だ。


 仕事柄、裏の情報にもある程度は通じているが、あくまで彼女自身は異能などを持たない一般人でしかない。異能関連については、藁にも縋る思いもあってか、いくらインチキだと感じても、真っ向から否定することも出来ない。相手からすれば絶好のカモ。


「……まぁしかし情けない。百束一門ってのは、異能を悪用する連中を取り締まる、いわば正義の味方側でしょうに。一門に属している奴らが、人の弱み……子の為にと希望に縋る母の想いに付け込んでまで……小遣い稼ぎに精を出すとはね。先の中川原なかがわら家に最初に関与した異能者といい、どうにも百束一門には『クズ』がそこそこ紛れてるようですね?」

「その辺りの判断については、私どもに語る言葉はありません。それらについては、秋良さんをはじめ、この世界の当事者の方々の主観によるモノでしょう」


 マスターは観察者という立ち位置を崩さない。少なくとも、については。


「……つまり、運営は俺がやろうとしていることを止めないと?」

「はて? 一体何のことでしょう?」


 白々しいやり取り。ある種のお約束。

 マスターの言動は秋良被験者からすれば一種の許可証ライセンスだ。“壊す”ことが得意な彼の力の行使についての。


「ま、取り敢えず……詳しい内情を含めて調べていきますよ」


 秋良は席を立つ。

 今回の一件。

 育ての親である黛香織の想いはともかく、である羽岡拓海の想いを、秋良はまだきちんと確認出来ていない。


 その身に起こっている“出来事”について、彼自身がどう想っているのか。


 鹿島秋良という男は、独善的な振る舞いにより、時にはあっさりと人の命を奪う。壊すことも、情報や物品を盗むこともある。


 しかし、それはあくまで己に課したルールに則った形で。


 異能というデタラメなモノによって、理不尽に振り回される者に対しては……解決屋として真摯に寄り添う。


 それは鹿島秋良が決めたルールだ。


「ふふ。秋良さん。やはりあなたはバランスが取れていますよ。確実に人としてのナニかは壊れていますが、それでもあなたはヒトであろうとしている。……そんなあなただからこそ、私も少しだけ贔屓したくなるのかも知れません」

「はは。マスターの贔屓ね。それは素直に喜べませんね」


 背を向けて振り返らない。上質なドアベルの音色を残し、鹿島秋良は怪しくも妖しい店を出る。


 異能デタラメな理不尽を“壊す”為に、更に理不尽な異世界帰りの男デタラメが街を行く。



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 ……

 …………

 ………………



 異能。

 未だにその根源が解明されていない謎の能力ちから

 一説では、遥かな古代の頃から人の営みの中にあったのだとされているが、それも定かではない。


 ただ、人は異能を利用することを考えた。一般人が日常的に手足を使うのと同じ。在るなら使うまでのこと。


 異能を自らの利益であったり、邪なことに使う者も当然に出てくる。そんな異能者に対抗する組織が生まれるのも、必然の流れだったのかも知れない。


 百束一門の台頭。

 人の世の法を搔い潜る異能者を『鬼』と称し、異能者が断じる。いわば、毒を以て毒を制すると言うところか。


 連綿と続く御上おかみの後ろ盾。公権力と共にある組織。

 現代においてもそれは同じ。異能者の犯罪については、百束一門の出番となる。


 では、その百束一門の異能者が罪を犯していたならばどうする?


 組織内の自浄作用は当然にある。

 一門衆は、自らを厳しく律する者たちが多い。時には一門の身内すら処断する苛烈さも持つ。


 しかし……人の世の法、百束一門の法……そのどちらをも掻い潜る、不届き者が居ないわけではない。


 まさに『クズ』。


 そして、鹿島秋良もそんな『鬼』の一体には違いない。



 ……

 …………



「なぁ。もう一度聞かせてもらえないか? さっきまでの勢いでさ?」


 とある事務所。

 いくつかの横たわる身体。息はあるが、呻き声すら上げることのない深い失神状態。まともに言葉を発せられる男が、ただ一人だけ残されている。


「……て、てめぇ……! こ、こんなことをして、タダで済むと思うなよ……ッ!」


 如何にもカタギに非ずといった風体の中年男。非合法でありながら、何故か法によって規定されるという……暴力団という分かり易いネーミングの組織に属する者。


「あぁ……そういうのは良いから。既に城乾じょうけんかいの本部長、岩津組いわつぐみの組長には話を通してあるんでね。あんたら東郷組とうごうぐみがいくらさえずっても誰も相手にはしないさ。そもそも、殴り込みにきた“カタギ”に手も足も出ませんでしたってか? 恥さらしも良いところだろ?」


 秋良がまず最初にしたこと。

 黛母子を喰い物にしている連中の切り離し。その手始めが東郷組。


 多相市に事務所を構える暴力団であり、指定暴力団である城乾会傘下の地元組織。


 しかし、多相市は異能者を取り締まる百束一門のお膝元であるため、どちらかと言えば、東郷組は百束一門の裏の下請けのような立場で、持ちつ持たれつというスタンスでやってきた。ずっと以前から。


 流れない水は淀み、濁り、腐る。


 いつしか、百束の異能者が個人的に東郷組と結託して動くことも多くなっていった。小遣い稼ぎとして。


「……“上”がどう言おうが、何が何でもてめぇのことは追い詰めて殺してやるからなッ!」


 よく囀る男。まるで自分の立場を理解していない。理不尽な暴力を生業にしていた割には、自身にその暴力が振るわれることを理解していない。


 秋良からすれば失笑モノだ。戦士でもなく、任侠でもない。彼の目には、平和ボケした中途半端なチンピラ中年にしか見えない。


「はは。可愛いことを言うね。この期に及んで、まだ“次”があるとでも? そんなファンタジーを信じてる? 自分が死ぬはずが無いって?」


 いっそ秋良は、本気で不思議だった。

 自分に恨みを持つ者を、意図なく野放しにするはずがないだろうにと。


「や、やれるモンならやってみやがれッ! 俺をれば、東郷組のもんが黙っちゃいねぇぞッ!!」

「くく。やはり何も分かっちゃいないね。アンタら東郷組は、長年に渡って百束に擦り寄り過ぎた。全員まとめて“上”に切り捨てられたんだよ。既に破門状も出されている。つまり、後は城乾会が始末を付けるってことだ。あぁ、百束一門については一切話を通してないから、アッチに泣き付けば……もしかすると助けてくれるかもね?」

「なッ!? で、出鱈目でたらめを……ッ!」


 東郷組は百束一門の異能者と組んで小遣い稼ぎをしていた。いや、小遣い稼ぎというには荒稼ぎであり、まさにアコギな商売だった。


 東郷組自体は小さな組だったが、異能者を抱えて気が大きくなり、上位組織への義理を欠いた。


 その結果がコレ。仮に秋良の一押しがなくても遅かれ早かれ結果は変わらなかったのかも知れない。


「ま、はどうでも良いんだけど……そろそろ黛香織をカモにしていた異能者たちを教えてくれないか? もう義理立てする相手でもないだろ?」

「だ、誰が……てめぇなんぞにッ!」


 まだ自分が置かれている状況を理解できない男。

 彼は目の前にいる、鹿島秋良という男の危険性と異常性を看破することも出来なかった。


 この時、男は自らの意思で選択した。してしまったのだ。気付かぬ内に。


「あっそ。なら、精々いい声で鳴けよ」


 ぶちりという湿った音。


「ぎゃッ!?」


 ごく自然な動きで、秋良はチンピラ風の男に近付き、。いとも簡単に。軽い所作。


 そして、痛みに反応して傷口を押さえようとして動いた男の手首を、秋良は呆気なく掴む。


「おがぁぁッ!!?」


 そのまま軽々と握り折る。


 まるで躊躇も逡巡もない流れるような動き。


 更に秋良は折れた手首を掴んだまま、次はその先の指……親指以外の指を一気に掴む。流石に男も次に何をされるかは分かった模様。


「て、て、てめぇッ!! 止めろッ! ぶ、ぶっ殺すぞッ!!? ツラ覚えたからなぁッッ!!」

「はは。やってみろよ。弱い奴にしか吠えられない一般人チンピラが。ま、そもそも俺のことを覚えていられるかな?」


 認識阻害を纏った秋良の侮蔑と嘲笑。


 未だに言葉での脅しが通じると思っている……いや、願っている男。


 呆れるほどに平和な輩だ。


 “一般人”ではあるが、暴力団の名の通り、暴力による理不尽を撒き散らしていた男。そんなクズに秋良が忖度することはない。


 ただ、己に課したルールとして“殺さない”だけのこと。苦痛を与える事に躊躇など微塵もない。


「それに……なぁ? あんたは『止めてくれ』と言われて止めたことがあるのか?」

「いぎィィッッッ!!!?」


 男の絶叫が響く。

 ばきりという乾いた音と共に、男の指が四本まとめて一気に曲がってはいけない方向に。


「さて、次は反対の手だな」

「あ、あ……あぐぃ……! わ、分かった! 言う! 言うから止めろッ!」

「だからさ。あんたはこれまで『止めてくれ』と言われて……止めたのか? なぁ? 金を返せない奴、ミスをして飛んだ奴、組のシノギの邪魔になった奴……あと、カタギを巻き込んで追い込みをかけた時……『止めてくれ』と懇願する相手に対して……あんたは止めなかっただろ? ……悪いがもう選択する時は過ぎた。決断の遅い愚図ぐずな自分を悔むんだな」


 男は秋良を見た。


 無感動な表情かお


 そこには嗜虐的な行為を愉しむ気配はない。そのような変質的な匂いはなく、いっそただの作業。


 生気の無い瞳には虚無が拡がるだけ。


 その姿はまさに人外の『ナニか』。


 男は秋良の異常性を今さらながらに知った。


「あ……や、止めろッ!! 止めてくれぇぇッッ! あぎゃぁぁぁッッ!?」


 鹿島秋良理不尽が、クズの呼び掛けで止まることはない。



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